第十八幕 新時代の幕開け(Ⅰ) ~七国戦乱時代

文字数 3,377文字

 トランキア州を構成する3つの郡。その内の一つモルドバ郡の郡都にしてこのトランキア州全体の州都でもあるモルドバの街。

 イゴール軍が本拠地としているこの街は現在、攻城戦(・・・)の真っただ中にあった。

 マリウス軍(・・・・・)の兵士達が鬨の声と共に次々と押し寄せ、城門に破城槌を叩きつける。城門からはイゴール軍の衛兵たちが矢の雨や熱湯などを降らせて妨害するが、攻め寄せるマリウス軍の勢いの前には文字通り焼け石に水であった。



 東のフランカ州においてリクール軍がいよいよフランカ州全土を制圧してフランカ王の称号を得ようとしていた。【王】となれば帝国内での役職は、都督。

 フランカ州を制したリクール軍は当然、隣接しているトランキア州を始めとした州外に目を向け始めるだろう。既に10万以上の大兵力を擁するリクール軍に目を付けられるのは、今の段階ではかなりマズい。

 それだけでなく今まで躍進勢力が現れておらず混沌としていた(トランキア州から見て)北のイスパーダ州においても、【西海の風雲児】トリスタン軍が急激に勢力を伸ばし突出し始めていた。

 トランキア州と境を接する二つの州において勢力が固まりつつある現状に軍師のヴィオレッタは激しい危機感を抱き、彼等がトランキア州に進出してくる前に州内を統一し確固たる地盤を築いてしまうべきと進言した。

 またマリウスがトランキア王となるにも州内の3つの郡の主権を握る必要があるので、その意味でも他州の勢力が進出してきてしまう前にトランキア州を統一すべきであった。

 そして敵対しているイゴール軍はそれらの巨大勢力に躍進を阻まれて、逆に戦に敗れて州外の領土を失い窮地に陥っていた。対してこちらはイゴール軍以外に隣接している敵がおらず、後顧の憂いなく全軍を戦に投入できる。

 事ここに至って、マリウスもヴィオレッタの進言を受け入れて決断した。この所立て続いたガレス軍の残党による事件でソニアを始め何人かの武官が怪我を負って療養中であったが、それの回復を待っている猶予はないとヴィオレッタは判断。

 また残っている戦力でも充分現在のイゴール軍であれば勝てると判断した事もあり、遂にマリウス軍はトランキア州統一に向けて進軍を開始した。


 マリウス軍出陣の報を受けて当然イゴール軍からも迎撃の軍が派遣されたが、北や東にも敵がいる状態でそれらにも備えなければならず、また先日リクール軍との戦に敗れて軍師のアドリアンが戦死した上、ピュトロワの街を失ったばかりで士気が限界まで落ち込んでいた。

 結果マリウス軍約2万5千に対して、イゴール軍は約1万2千と半分程度。しかも最初から士気に差がある状態だ。

 マリウス軍は現在治療中(・・・)であるマリウス自身は率軍しておらず、アーデルハイドを総大将として参軍にヴィオレッタ、他にビルギットやミリアム、ファティマ、そしてオルタンスが参加している。

 ソニアやキーア、ジュナイナ達は全員怪我で療養中だ。彼女達やマリウスがいなくても問題なく勝てるとヴィオレッタは判断したのだ。そして実際その通りになった。

 ただでさえ倍の兵力に高い士気を維持しているマリウス軍は、ビルギットの用兵やオルタンスの武勇もあってイゴール軍の迎撃部隊を散々に蹴散らした。敵軍の総大将はそれなりの武勇を誇る武官であったがオルタンスに一騎打ちで討ち取られた。

 総大将が討ち取られた事でイゴール軍の迎撃部隊は完全に瓦解。マリウス軍はその勢いを駆ってそのまま州都モルドバへと攻め寄せたのである。

 イゴール軍は城門を閉ざして徹底抗戦。しかし兵力と士気の差は如何ともしがたく、押し寄せるマリウス軍の猛攻の前に、遂に城門が破られた。


*****


「イゴール・エミル・グリンフェルド。最早戦の勝敗は決したわ。これ以上の抵抗はただ民や兵に無駄な消耗を強いるだけよ。降伏しなさい」

 モルドバの宮殿前。そこに100名余りの僅かな親衛隊と共にマリウス軍を出迎えたイゴールの姿があった。包囲したマリウス軍の中から代表してヴィオレッタが進み出る。

「ふ、ふ……お前と初めて会った時には、まさかこのような光景を予想は出来なかったぞ」

「あら、そうかしら? 私はむしろ初めてあなたに会った時からずっとこの光景を実現する為に戦い続けてきたわ。そして今ようやくそれが適った」

「……!」

 ディムロスで旗揚げした当初は、巨大勢力であったイゴール軍の顔色を窺って阿るばかりであったヴィオレッタ。しかしそれは面従腹背であり、その覚悟と執念の差が今の状況となって現れたのだ。イゴールは疲れたような笑みを浮かべる。

「儂は上洛を渇望する余りに足元を疎かにし過ぎたのだな。儂がやるべきは上洛ではなく、州を統一して確固たる地盤を築く事だったのだ。気付いた時にはもう手遅れだがな」

 イゴールとアドリアンの戦略も間違っていた訳ではない。他の勢力が強大化する前に上洛を目指して帝都を占拠する……。それが出来ていれば今頃イゴール軍は躍進勢力の中でもトップに君臨し、天下統一に王手を掛けていたはずだ。

 では何故それが頓挫したのか。


「覚えておけ。確かにマリウスやお前達は傑物と呼んで良い将星だ。だが……傑物はお主等だけではないという事を」


「…………」

 それこそがイゴールの野望が阻まれた要因。

 リクールやトリスタン、そしてハイランドで帝都の占拠を実現して権勢を握ったサディアス……。予想を遥かに上回る彼等の躍進によって、イゴールの上洛への道は無情にも閉ざされたのだ。

 そして聳え立つ巨大な壁に勢いを挫かれたイゴール軍は、それら強豪勢力によって四方八方から攻撃され、結果としてマリウス軍に背中を食い破られる事になった。


「儂やガレスを倒した事でマリウスはトランキア王となるであろう。だがそれは始まりにしか過ぎんのだ。古の……【七国戦乱時代】の再現となるであろう悪夢の始まりにしか、な」


「……!」

 オウマ帝国成立以前の中原には、それぞれ各州の元となった王国が存在していた。そしてその七国は天下統一を狙って血で血を洗う泥沼の大戦を繰り広げたのだ。

 各国の戦力は拮抗し、戦乱の時代は延べ数十年にも及んだとされ、疫病や干ばつなどが重なった事も災いし、帝国が天下統一を成し遂げた時には中原の人口は、最盛期の百分の一程度にまで減少していたと言われている。

 まさに暗黒時代だ。

 リベリア州の【戦乙女】ディアナ軍は勿論、これまで混乱が続いていたガルマニア州やスカンディナ州でもイスパーダ州と同じく徐々に突出勢力が現れ始めている兆しがあり、彼等は例外なく今のマリウス軍と同じようにまず州内を統一して地盤を固め、【王】になろうと目論んで動いている。

 このまま行けば間違いなく七つの州それぞれに強大な勢力が地盤を築く事になり、マリウスを含めた7人の【王】が誕生する事になる。それはまさに古代の【七国戦乱時代】の再現と言えた。


「最早この流れは止められん。お前達が暗黒時代を制する事が出来るのか、それとも時代の闇に呑まれるか……煉獄から見届けさせてもらおう」

 イゴールはそう言って笑うと剣を抜いた。そして躊躇う事無くその切っ先を自らの喉に突き刺した!

「……っ!」
 囲んでいたマリウス軍の面々に動揺が走る。だがヴィオレッタは目を逸らす事無くイゴールの死に様を見届けた。そして同時に彼の遺言(・・)を深く胸に刻み込んだ。

 イゴールの親衛隊が次々と武装解除して投降してくる。最初からイゴールにそう指示されていたようだ。同時にケルチュとエストリーの城門を開けておくので早く占拠するようにと、その兵士達から促された。これもイゴールの指示らしい。


「……戦は終わったわ。アーデルハイドとミリアムの部隊はそのままケルチュに。ビルギット殿とファティマの部隊はエストリーを押さえて頂戴。私とオルタンスはしばらくここで戦後処理に当たるわ」

 ヴィオレッタは敢えて冷徹な調子で、軍勢に指示を下していく。


 そして数日後にはモルドバ郡の3都市が正式にマリウス軍の物となった。これによってトランキア州の全ての郡県を領有したマリウスは、名実共にトランキア王の称号を得る事となった。

 だがイゴールがその死の間際に予言したように、まさにここからが本当の戦いの始まりとなる事をヴィオレッタも、そしてマリウスも強く予感するのであった。
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