幕間 夢幻泡影

文字数 2,257文字

 空が赤く燃えている。

 そう錯覚する程の業火が、少女の故郷である村を焼き尽くしていた。一面の炎が弾けて天に昇っていく光景は、見ようによっては幻想的とさえ写ったかもしれない。

 だが……辺り一面に漂う、血の匂いと人肉の焼ける臭いが、この場所に地獄絵図が展開されている事を物語っていた。

 全ては少女にとって、あっという間の出来事であった。


 夕刻になって、家の外でいつものように妹と2人で乾いた洗濯物を取り込んでいる最中だった。その時妹が「丘が動いてるよ」と言った。何を言ってるのかと少女も丘に目をやって、そのまま硬直した。

 土煙を上げながら何百人もの騎馬の集団が、丘を物凄い勢いで下ってきている所だった。普通の兵隊とは明らかに様相が異なる。

 山賊、という単語が少女の頭に浮かんだ。蒼白になった少女は、妹の手を引いて家に駆け戻る。そして両親に助けを求める。

 その時には山賊たちが立てる馬蹄の音が地響きとなり、他の村人達も事態を把握して大パニックに陥っていた。家の中に閉じこもって隠れようとする者や、とにかく村から離れようと取るものも取りあえず駆け逃げようとする者などで忽ち阿鼻叫喚となった。

 少女の家も、地下室も無いような狭い家である。隠れてもすぐに見つかってしまう。両親はそう判断して、娘達を連れてとにかく村から逃げる方を選択した。

 息を切らせながら少女は必死に走る。村には既に山賊がなだれ込み、家の焼ける音や恐ろしい悲鳴が鳴り響いていた。少女は耳を塞ぎたい思いを堪えながら必死に走った。

 しかしまだ10歳にもなっていない妹はそのペースについて行けずに、足をもつれさせて転んでしまう。

 後ろからは逃げた村人を追い掛けて、賊が馬を駆って迫ってくる。追いつかれた人は片端から斬り倒されていた。何もかもが狂っていた。

 少女は咄嗟に足を止めて、転んだ妹へ駆け寄る。そして妹を抱きしめてその場に蹲る。

 両親は……娘達を置いて自分達だけ狂ったように逃げていた。それを見た少女は自分の中で何かが折れたのを悟った。

 馬に乗った賊達が姉妹の脇を駆け抜けて、両親を含めた逃げた村人を追っていく。突然の暴威から逃げ切れた者は1人もおらず、男や中年以上の女性は皆殺された。両親も死んだ。しかし少女は何も感じなくなっていた。


 若い女性だけが捕らえられて村の広場に集められた。少女と妹もその中に含まれていた。

 賊達は下卑た笑い声を上げて、次々と女性達の服を剥ぎ取り乱暴(・・)した。そしてそれ(・・)が終わると、一片の容赦もなく女性達も惨殺していった。全てがあり得ない程に狂っていた。

 そして少女の()がやってきた。少女は村一番の美少女と評判だった。それもあってか賊の1人が、少女が抱きしめている妹ごと、山賊たちの首領と思われる男の前に少女を引っ張っていった。

 首領は黒い髪と髭の恐ろしい風貌の男で、左目に大きな刀傷が走っているのが特徴的だった。恐怖に震える少女の目には、まるでスカンディナ地方の童話に登場する巨人(トロル)の如き巨大さに映った。

 首領は少女が幼い妹をひしっと抱き抱えている姿を不快そうに見やると、その大きな手を伸ばして、少女から強引に妹を引き剥がした。

 そして泣き叫ぶ妹の声に更に不快そうに顔をしかめると、腰に佩いていた刀を抜き放ち――


 ――何の躊躇いもなく無造作に、妹の小さな身体に刀を突き刺した!


 ビクンッビクンッと妹の身体が、冗談みたいに痙攣して、その口から大量の血が溢れ落ちる光景を、少女は半ば呆けたように眺めていた。現実とは思えなかった。

 少女はこれは全て夢なのだと思おうとした。それくらい現実感が無かった。

 首領は妹の身体から刀を引き抜くと、その遺体をゴミのように放り投げた。これは夢。全て夢だ。もうすぐ目が覚める。そうしたらいつもの家の布団の中で、隣には妹が寝ていて、母の作るシチューの匂いが漂ってくるのだ。

 だが現実には漂ってくるのは咽るような血の匂いと、肉の焼け焦げた不快な臭気だけであった。

 首領は容赦なく少女を押し倒し、その服に手を掛けて引き千切っていく。少女の目から涙が止め処なく溢れる。夢だ。全て夢だ。悪い夢なんだ。早く目を覚まさなきゃ。少女はそれだけを頭の中で繰り返し続けていた。

 その時、賊の1人が駆け寄ってきて、首領に何か耳打ちする。首領は忌々しそうに舌打ちした。そして目の前に裸で寝ている少女の事など忘れ去ったかのように踵を返して、自分の馬に跨る。他の賊達もそれに倣う。

 首領が合図を出すと、山賊は一斉に馬を駆って、一目散に現れた丘から反対側の平野の向こうに消えていった。広場の真ん中で、死体に囲まれながら裸で横たわる少女ただ1人を残して……



 山賊が去ったのと入れ替わるように再び村に近づく複数の馬蹄の音。現れたのは明らかに山賊とは異なる統一された武装の兵士達であった。オウマ帝国の直轄軍だ。

 だが少女には全てがどうでも良かった。無残に打ち捨てられた妹の死体の所まで這い進み、その遺体を抱きかかえて、狂ったように身体を揺すっているのみだった。

 帝国の兵士達は、村の惨状に顔をしかめたり罵り声を上げたりしていた。部隊の指揮官と思われる立派な鎧を来た人物が、馬を降りて少女の前まで歩いてくる。そして声を掛けてきた。

 その労りと苦渋に満ちた声が少女の注意を引き、少女は呆然とした顔を上げてその人物を見た。

 そこでその人物とどういうやり取りをしたのかは覚えていない。ただ最終的に……少女はその人物が差し伸べる手を取ったのであった……
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