第十二幕 南北繚乱(Ⅱ) ~暴君の罠

文字数 3,871文字

「ここが件の農村ね……」
「一見普通の村だけど……本当に脱税(・・)の疑いが?」

 一行が辿り着いた先は、中程度規模の農村であった。ディムロスの街に作物を供給する典型的な農村。しかし今この村には脱税の疑いが掛かっているのであった。

 ディムロスの好景気の影響を受けて利益も増えたが租税も増えて、脱税が発生しやすい下地が出来上がっている事もあって、エロイーズは特に官吏達に注意を徹底させていた。

 そんな状況の中で起きた脱税の疑いである。勿論エロイーズも事前に官吏を派遣して調べさせたのだが、彼等は決定的な脱税の証拠を見つける事が出来なかった。

 だがどうしても違和感が拭えないエロイーズはマリウスに申し出て、自らが直接現地調査に赴く事を了承させたのであった。

 県内は治安が行き届いているとはいえ、武芸の心得の無いエロイーズを単身で現地に派遣する事に不安を感じたマリウスによって、丁度手が空いていたジュナイナとリュドミラの2人がその護衛として抜擢された。

 そして現在に至る。


 一見牧歌的な農村の風景を眺めながら呟く2人だが、馬車から顔を覗かせたエロイーズはかぶりを振る。

「脱税などの犯罪は外から見ただけでは解りません。一見普通に見える所ほど怪しいものです。さあ、時間が惜しいので早く行きますよ?」

「は、はい!」

 エロイーズに促されて農村へと入っていく一行。当然豪華な馬車を含んだ一行の姿は辺鄙な農村では浮いており、村の農民達が何事かと通りに集まって来ていた。それ自体は当然の事だ。ましてやジュナイナやリュドミラのような人目を惹く異邦人まで混じっているのだから。

 しかしジュナイナには彼等の目が、雰囲気がどこか打ち沈んでいるような気がした。まるで何かを怖れているような……そんな気配を感じたのだ。

 だがそれは微かな違和感のような物で、単に村人も脱税の事を知っていて、それが暴かれるのを怖れているのだろうと考えた。

 この時もっと村人の様子に注意を払って彼等に事前に聞き込みを行っていれば、とジュナイナが後悔するのはもう少し先の事となる。


*****


 村長の屋敷はここ最近の羽振りの良さを反映してか、農村の村長というイメージからすると不釣り合いなほどの豪華な屋敷であった。敷地も塀で覆われたかなりの広さがある。

 ただ中原の一般的な価値観として、人々は裕福になるとまず住環境を良くすると言うのが共通の認識であり、この豪華な屋敷自体はそこまで顰蹙を買うような物では無かった。

 しかし村長は現在病で臥せっているとの事で、村長代理と名乗る男が応対に出てきた。それはまるで武人と見紛うような体格の厳つい男であった。元は濃い髭を生やしていたらしく、青々とした髭の剃り跡が印象的であった。

 ギロッとこちらを睥睨するあまりの眼光の鋭さに、ジュナイナ達は思わずエロイーズを庇うように身構えてしまった程だが、エロイーズが身分を明かすと途端に腰の低い対応になり、すぐに帳簿類などの資料を用意するので、と広い応接室に通された。

 ただし余り大人数で押し掛けるのは勘弁してほしいという事で、屋敷の中にはエロイーズ自身とその警護としてジュナイナとリュドミラのみが随伴する事となり、残りの兵士達は屋敷の外を見張っていてもらう事になった。



「……遅いですね。いつまで待たせる気でしょうか? 時間を掛ければ掛ける程脱税の疑いは強くなるというのに……」

 応接室のソファに腰掛けたエロイーズが苛立たし気に眉をひそめる。何事も几帳面な彼女からすれば、この無駄な時間は耐え難いものであった。だが……

「……ねえ、何か、嫌な感じじゃない?」
「ええ……そうね」

 声を潜めるようなリュドミラの言葉にジュナイナも頷く。エロイーズは全く気付いていないが、鍛えられた武人である彼女達の感覚は、この屋敷全体に漂う不穏な気配を感じていた。


 と、その時窓の外、つまり屋敷の敷地で何か大きな騒ぎが起きていた。怒号や剣戟の音が聞こえてくる。

「……! 何事!?」

 素早く窓に駆け寄ったジュナイナ達が外の敷地を見下ろすと、彼女達が連れてきていた兵士達が武装した謎の集団に襲われている場面であった。兵士達は必死に抵抗しているが、相手は倍近くの数がおり次々と討ち取られていく。

「……っ! やっぱり、罠だった!」
「そのようね! エロイーズ様、すぐにここを脱出しますよ!?」

「え……い、一体何が……?」

 まだ事態を飲み込めていない様子のエロイーズだが、問答の時間も惜しいとばかりにジュナイナがその手を取って強引に引っ張る。そしてリュドミラと共に急いで部屋の出口に駆け出すが……


 ――バタンッ!!


「……っ!」
 彼女達が辿り着く前に部屋の扉が外側から開いた。そして大勢の武装した男達が雪崩れ込んでくる。瞬く間に包囲される3人。

 ジュナイナとリュドミラは咄嗟にエロイーズを庇う位置取りで武器を抜いた。

「……っ! なんですか、お前達は!?」

 エロイーズが目線を鋭くして、気丈に誰何の声を上げる。だが男達はそれには答えず、その代わり……


「ぬっふっふ……流石はマリウス軍の重鎮。この状況で大した胆力だ」
「……!」


 包囲する敵兵達の後ろから姿を現したのは、例の『村長代理』の男であった。先程までの平身低頭の雰囲気は消えて、こちらを品定めするような悪意に満ちた視線を投げかけてくる。これがこの男の本性のようだ。

「お、お前は……一体何者です!?」


「儂か? ぬふふ……ゲオルグ(・・・・)と言えば、お前達には解るか?」


「……っ! ゲ、ゲオルグ……!」

 その名を聞いたエロイーズが蒼白になって呻く。ジュナイナ達もその名は聞いた事があった。滅亡したガレス軍の将の1人だったはずだ。尤も彼女達は今まで直接相対した事は無かったが。

 揉み上げまで覆う濃い髭が特徴的だったらしいが、今はすっかり剃られている。自身の特徴だった髭を剃り落とす事で、直接会った事の無いジュナイナ達は敵の正体を見抜けなかった。

「……目的は私達への復讐ですか?」

「ふん! お前らにはすっかり大損させられたからな! せめて元を取り返さねば儂の気が済まんわ!」

 エロイーズの確認にゲオルグは不快そうに鼻を鳴らす。だが次の瞬間には一転してその貌が喜色に歪む。

「ぐふふ、木っ端役人どもを煙に巻いて機会を窺い続けていた甲斐があったわ。まさかこんな大物が釣れるとは。マリウスの奴はお前の身代金に糸目は付けまい。相当の額を踏んだくれそうじゃなぁ?」

「……っ!」
 敵の浅ましい狙いを知ってエロイーズが歯噛みする。それを見抜けずにまんまと罠に嵌ってしまった己自身への不甲斐なさに対しても。


「私達がそんな事させる訳がないでしょ!?」

 リュドミラが剣を構えて声を張り上げる。ゲオルグが再び不快気な表情に変わる。

「ふん、因みにお前らはいらん。邪魔だからここで死ぬがいい」
「……!」

 ゲオルグが手を翳すと、それを合図に私兵達が包囲を狭めてきた。勿論全員が剣や刀を抜き放って臨戦態勢だ。

「エロイーズ様、お下がり下さい! リュドミラ、やれるわね!?」
「は! 勿論よ!」

 エロイーズを後方に庇って短槍を構えるジュナイナ。リュドミラも本領は弓術ながら、それでもこんな雑魚共に負ける気はないとばかりに威勢よく剣を構える。

 同時に私兵達が武器を振りかざして殺到してきた。迎え撃つ南北2人の女傑。やはり接近戦がやや不得手なリュドミラが多少苦戦したものの、2人は巧みに互いの隙を補い合いながら抜群の連携で私兵達を討ち取っていく。


 しばらくの後、襲ってきた私兵は全て倒れ伏し、残っているのはゲオルグ1人となっていた。


「はぁ……! はぁ……! はぁ……! 何とか……倒せたわね……! さあ、今度はあんたの番よ!」

 肩で大きく息をしながらも、リュドミラがゲオルグに剣を向ける。勿論ジュナイナも既に彼に向けて短槍を構えている。

 だがゲオルグは私兵が全て倒されたにも関わらず動揺していない。

「ふん、役立たず共が……。まあ、こやつらに支払う報酬が浮いた分むしろ得をしたわ」

「……随分余裕ね? 言っておくけどここまでされてあなたを逃がすつもりはないわよ?」

 ジュナイナが若干訝し気な様子となる。確かにゲオルグは武芸にも優れているという話は聞いていたが、それでも達人級という程ではないはずだ。こちらはジュナイナとリュドミラの2人掛かりである。絶対にゲオルグに勝ち目はない。

(なのにこの余裕は何……? まさかまだ奥の手でも……)

 ジュナイナがそこまで思った時、ゲオルグが部屋の隅(・・・・)に向かって声を掛けた。


「……ロルフ(・・・)! お前の出番だぞ!」


「っ!?」
 ゲオルグの視線を追ったジュナイナ達は一様に驚愕に目を見開いた。戦場となった広い応接室の隅……そこに腕を組んだ姿勢でひっそりと佇む1人の武人の姿があったのだ。燃えるような赤毛が特徴的な武人。やはり同じく元ガレス軍の将、ロルフに相違なかった。

 以前リベリア州のトレヴォリで直接相対した事のあるエロイーズが、その時の記憶を呼び覚まされて慄いた。ここにはあの頼もしいマリウスはいない。


「ふ……ようやく出番か。待ちくたびれたぞ」

「こ、こいつ……いつの間に!?」

 部屋の隅からユラッとした動作で進み出てくるロルフに、リュドミラが露骨に動揺した声を上げる。
 恐らく私兵達と一緒に部屋に侵入したと思われるが、私兵達と戦っている間中そこに佇んでいた事になるが、エロイーズは勿論ジュナイナとリュドミラも誰もその気配に気付かなかったのだ。その事実に戦慄した。
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