第三十八幕 トランキア大戦(Ⅳ) ~魔人の贄

文字数 2,455文字

「ち……あの女共め。予想外にしぶとく抵抗しおるわ」

 ガレス軍の本陣。思ったより芳しくない戦況に、ミハエルが忌々し気な表情で舌打ちする。

 まず攻撃部隊では主力であるはずのギュスタヴが、敵将の用兵に翻弄されて攻めあぐねている状況なのが想定外であった。左右の両翼はややこちらが優勢のようだが、それも何かの拍子にどう転ぶか解らず予断を許さない戦況だ。

 勿論後陣から斉射による援護は続けているがそれは敵も同じ事。更にここまで敵味方が入り乱れてくると、下手をしたら味方も巻き込んでしまいかねない為、斉射も効果を発揮しなくなってくる。

「ふ、なるほど。奴等も馬鹿ではない。俺達の戦力を見越して入念に準備を整えた上での迎撃であるようだな」

 ガレスがミハエルとは対照的にやや面白そうな表情で顎に手を当てている。ミハエルは顔を顰めた。

「ふん! それでもまだこちらが有利な事に変わりはない! ……ちっ。こんな事ならタナトゥスは最初から後方攪乱に使うべきだったな」

 今のこの状況でタナトゥスがマリウス軍の輜重部隊を脅かせば、奴等の士気を挫く事は容易だったはずだ。ヴィオレッタに固執して欲を掻いたのは失敗だった。

「ヴィオレッタ……あの女軍師か。局所的には優秀な敵将もいるようだが、全体の絵図を描いて指揮を取っているのはあの女なのだろう?」

「そういう事だ。あの女さえ排除できれば問題なく圧勝できていたはずだ。忌々しい……どこまでも俺の邪魔をしおって」

 あのヴィオレッタという女は、当時商人として中原を裏から操る野望に燃えていたミハエルを失墜させた張本人であり、その時からの因縁であった。

 あの女さえいなければミハエルはこんな辺境で軍師の真似事などしておらず、今頃は中原全土を股にかけて各勢力に貸し(・・)を作って、世界情勢に裏から自由に介入できていたはずなのだ。

 タナトゥスを使ってあの女に直接借りを返そうとしたが、それには失敗した。だが彼はまだ諦めてはいなかった。それにあの女を狙う事は戦術的(・・・)にも理に適っている。

 ミハエルは凄絶な笑みを浮かべた。いよいよ最強の手札(・・・・・)を切る時がきた。彼は傍らの主君(・・)を仰ぎ見た。


「ガレス……待たせたな。いよいよお前に暴れてもらう時が来たようだ」

「ふん、ようやくか」

 それを受けてガレスは口の端を吊り上げると、自らの愛用する両手持ちの大剣を抜き放った。

 恐らくミハエルでは全身で踏ん張っても掲げるのがやっとという馬鹿げた大きさの凶器。そしてそれを片手で軽々と抜き放つ人間離れした膂力。これに更に達人の域まで研ぎ澄ませたカラドボルグ流剛剣術が合わさる事で、鎧を着込んだ複数の兵士を一撃でまとめて両断するという戦術兵器(・・・・)が誕生する。

 しかもこの兵器(・・)は恐ろしいまでのスタミナで、何時間でも戦い続けていられるのだ。

 その圧倒的な剣気に触れたミハエルは思わず生唾を飲み込んだ。こういう時ほど、この男が敵ではなく味方で良かったと思う瞬間はない。あのならず者どもを曲がりなりにも統一できていたのは、間違いなくこの男の武威あってこそだ。ミハエルはそれを充分に承知していた。


「今こそお前のその武で、敵を思うさま蹂躙してやれ! そしてあの忌々しい女軍師の首を獲るのだ!」


 ミハエルは遂に最強の獣を解き放った。指向性を得た生ける災厄は、一陣の暴風となってマリウス軍へと襲い掛かった!
 


*****



「……っ!!」
 オルタンスは突如、全身が総毛立つような感覚に身を震わせた。額に冷や汗がにじむ。呼吸が乱れる。

「オルタンス? どうしたの?」

 隣にいるヴィオレッタが彼女の様子に気付いて声を掛けてくる。しかしオルタンスの目線は戦場に固定されたままだ。

「わ、解りません。でも、何か……何か、恐ろしいモノが来ます!」
「……!」

 ギュスタヴとすら互角に斬り結んだオルタンスがここまで過度の緊張を強いられる存在……。思い当たる節は1人しかいない。ヴィオレッタの顔も青ざめる。


 丁度その時、彼女らの見ている先の戦場の只中で一際大きな混乱が巻き起こった。本陣からでも見える程の大量の血しぶき、そしてそれが舞う度に轟く悲鳴、大きく乱れる陣形。

 そこで何か(・・)が起こっていた。

 その混乱と悲鳴と血しぶきは、マリウス軍の中央を突っ切るようにして、徐々にヴィオレッタ達がいる本陣に近付いてきていた。

「……っ!」
 ヴィオレッタの顔が引き攣った。本陣を固める他の兵士達にも動揺が走る。

 中央はビルギットが受け持っているが、流石の歴戦の女将軍もギュスタヴの相手で手一杯の様子であり、老剣鬼を抑えながら且つ新たな脅威にまで同時に対処する余裕はなく、一方的に食い破られていた。


 ヴィオレッタは歯噛みした。このままだとビルギットの部隊に多大な被害が出てしまう。そうなればギュスタヴも勢いを盛り返すだろうし、何よりもアレ(・・)を放置していたら、実際の被害は勿論の事、自軍の士気が完全に瓦解してしまう。

 というより既に阿鼻叫喚の地獄絵図となっていて、あの災害(・・)から我先にと逃げ出す兵士が出始めている。非常にマズい兆候だ。このままではあの放浪軍討伐戦の二の舞となってしまう。

 ギュスタヴとガレスが東西に分かれずに揃い踏みしていた時点でこの事態は避けられなかった。ヴィオレッタは悲痛な表情でオルタンスを顧みる。

「オルタンス……今からあなたにとても残酷な命令をしなくてはならないわ」

「……解っています。アレに僅かでも(・・・・)対抗できるとしたら私だけですね。……命じて下さい。覚悟は出来ています」

 オルタンスは自らの役割を自覚していた。その顔は既に悲壮な決意に漲っていた。


「ごめんなさい……オルタンス。我が軍の為に、死んで頂戴」


 非情な命令を受けたオルタンスだが些かも動揺する事無く、愛用の二刀を構え混乱の坩堝にある戦場に向かって突撃していった。

 その後ろ姿を見送ったヴィオレッタは目に涙を堪えながらも、オルタンスが僅かでも(・・・・)稼いでくれるであろう時間を有効に使って、他の戦局を立て直すべく全軍の指揮に注力するのであった。
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