第七幕 南蛮への誘い(Ⅰ) ~ジュナイナ・ニャラ

文字数 4,498文字

 ディムロスの宮城の外れにある兵舎。そこに併設された練兵場では今日も兵士達が訓練に勤しんでいた。

 兵士達の仕事は大きく分けて2つ……否、3つある。1つは勿論敵勢力への侵攻及び防衛などの軍事行動。砦や城壁に関連する業務も広義の軍事行動に含まれる。

 もう1つは街の衛兵としての仕事……つまりは治安維持活動だ。

 オウマ帝国では基本的に専任の衛兵というものはおらず、国や諸侯に仕える兵士が兼任する形となっている。君主や太守の采配によってどちらかに割り当てられ、一定期間で交代という形式を取っている事が多い。

 その代り兵士は基本的に職業軍人であり、徴集兵というものはパルージャ帝国の侵攻等、特殊なケースを除いて存在していなかった。

 今は戦乱の世とは言っても基本的に帝国内での諸侯同士の内乱であり、要は私闘(・・)である。そんな私闘で兵力欲しさに農民や職人などを無理やり徴収すれば、容易く民の信頼を失い暴君のレッテルを貼られる事になる。前太守のべセリンはまさにそのケースに当てはまった。

 そのような背景の為、現在帝国内のほぼ全ての勢力の兵士は皆職業軍人であった。

 閑話休題。

 戦争にせよ治安維持にせよ、戦うのが本職の兵士達だ。兵士の強さはそのまま軍の強さに直結し、また軍事行動を行うに当たって、普段から怠けていたせいで碌に動けないでは話にならない。

 そんな訳で兵士達の最後の仕事が、こうした自己を鍛える為の訓練、調練なのであった。


 そしてディムロスの練兵場である。


「ぐえっ!」

 無様な悲鳴を上げて大男が地面にひっくり返る。それを為した者は……

「おらっ! 次! さっさと来な!」

 男よりはずっと小さい1人の女性であった。茶色の長髪をなびかせた褐色の肌に見事なプロポーションのイスパーダ人女性……ソニアである。

 彼女はアーデルハイドと共に、兵の調練も任されているのだった。

「うおおおっ!」

 周りにいた兵士達の1人が雄叫びを上げながら木剣で打ちかかってくる。ソニアは流麗な身のこなしで打ち下ろしを躱すと、逆に相手の手首に自分の木剣を打ち据える。

「ぎゃっ!」

 兵士が呻いて木剣を取り落とす。そこに屈み込んで足払いを仕掛けると兵士が見事にすっ転んだ。

「ったく! 隙だらけだよ! 後、受け身ぐらい取りな!」

 ソニアが毒づいてから次の相手を促す。順番待ちをしていた次の兵士が勇んで打ちかかっていく。


 最近ソニアが訓練に取り入れている乱取りである。理論より実践派のソニアは型に嵌まった訓練よりも、こうした乱取りや模擬戦を好んだ

 逆にアーデルハイドは部隊としての連携を重視して、自身が考案した画一的な訓練を課していた。

 兵士達も個々の性格や好みから肌に合う訓練内容は異なり、自然兵士達の間には『ソニア派』と『アーデルハイド派』の二つの派閥が出来る事になった。

 2人がそれぞれ性格だけでなく外見のタイプも異なる美女であった事も、この派閥化を加速する要因となった。要は兵士ごとに推し(・・)が異なったという訳だ。

 どちらの訓練内容が優れているのか、その問題点はという真面目な議論から、ソニア様の方が美人だ、いやいやアーデルハイド様の方が、という兵舎や酒場での猥談混じりの言い合いまで含めて、2つの派閥は盛んに競合するようになる。

 しかし最近になってアーデルハイドの屋敷に妹として同居する事になったミリアムという少女が、姉の訓練に一緒に参加するようになった。

 男の保護欲を掻き立てる可憐な容姿に、必死に姉に付いて軍略や武芸を学ぶひたむきな性格と姿勢に心打たれる兵士も多く、ここの所『アーデルハイド派』が勢いを増しているのである。

 ソニア派からアーデルハイド派に鞍替えする兵士も出始める程だ。こうなってくると面白くないのは当のソニア本人だ。

 当初は兵士達だけで勝手に盛り上がっていた派閥争いだが、元来が負けず嫌いのソニアの事。何だか自分がアーデルハイドに負けたような気になってしまい、派閥の勢いを取り戻すべく積極的に動き始めた。

 その一環として行っているのが、この自身が相手となる乱取り訓練だ。抜群のプロポーションに露出度の高い衣装でいつも兵士達の目の保養になっている女隊長と直接接触(・・)できる機会に兵士達は勇んで群がった。

 かくしてソニア派は瞬く間に勢いを盛り返した。だがソニアも希望者全員と乱取りしていては流石に体力が保たない。なので1回の訓練につき10人までとした。


 そして今日、最後の10人目の兵士が地に倒れ伏した。ソニアは流れ出る汗を拭う。

「ふぅぅ……! いい汗掻いたよ。アタシから一本取りたきゃ死に物狂いで鍛えな!」

 応ッ!! と兵士達から気勢が上がる。これはこれで兵士に自発的に強くなりたいという気持ちを発揚させる良い目標となっていた。

 引き続き練兵場で訓練に勤しむソニア達。と、その光景を遠くから眺めている人物がいた。この城の者ではない。獣の皮をなめした外套を羽織り、頭もフードを目深に被った怪しげな風体であった。

「……名前を聞いてもしやと思っていたけど、本当にこの街にいたのね、ソニア」

 フードの奥から発せられる美声は男の物ではあり得なかった。その人物は女性であるようだった。ただし女性としては大柄で、男性の平均身長よりも高いくらいだ。

 やはりフードで隠れたその視線は、訓練が終わるまでソニアの姿に注がれたままであった。


****


 翌日。ソニアの屋敷に来客があった。エロイーズやヴィオレッタの奮闘の成果で、現在ディムロスの収支は黒字であった。その為サランドナでは貧乏暮らしであった彼女も、現在はこの勢力の武将としてそれなりの住まいに居を構えていた。

 使用人から怪しげな風体の者が訪ねてきていると言われ、最初は門前払いしようとしたソニアだが、来訪者の名前を聞くと目を見開いて態度を一変。

 来訪者は応接間へと通され、すぐにソニアがやって来た。そして来訪者の姿を直接見ると破顔した。


「ジュナイナ! やっぱりアンタだったのかい!」

 来訪者は応接間へと通された段階で、被っていたフードとマントを外していた。その下にはソニアにも劣らない堂々たる体躯の女性の姿があった。いや、上背はソニアよりも大きい程だ。

 黒い髪を長く伸ばし、中原ではまず見る事のない独特の髪型に纏めている。肌は褐色のソニアよりも濃く、黒に近い焦げ茶色で、やはり中原では見る事はない肌の色であった。

 よく鍛えられたその焦げ茶色の肉体を、これまた中原ではあり得ない程の際どい衣装に包んでいた。僅かに胸と腰を覆う当て布の上から、なめし革の胸当てと腰鎧を身に着け、やはり革製の腕当てとブーツを履いている。他に獣の牙のような首飾りやカラフルな鳥の羽などの派手な装飾品を身に着けていた。

 衣服と呼べるような代物ではなく、見ようによっては裸の上から直接小さな革鎧だけを身に着けているようにも見えた。

 ソニアも露出度の高い衣装だが、この女性の衣装はそれよりも更に露出度が高く、慎み深さが美徳とされる帝国にあって、破廉恥極まりないと評されても仕方のない格好であった。


「ソニア! 本当に久しぶりね!」

 黒い肌の女性――ジュナイナも立ち上がって笑顔になる。2人は旧交を温め合うように互いにハグをし合った。

 そう……事実この2人は旧友と言っても差し支えない間柄であったのだ。

「アンタとまた会えるとは驚きだよ。武者修行の旅も終えてアマゾナスに帰ったんじゃなかったのかい?」

 ハグを解いて応接ソファに座りながら尋ねるソニア。ジュナイナも座り直してから頷く。

「ええ、今は小さいながらに自分の部族を率いているわ」

「へぇ、アンタが部族をねぇ……。あの頃からは想像も付かないねぇ?」

 揶揄するようなソニアの口調にジュナイナは少し恥ずかし気に俯く。

「よしてよ……。若気の至りで本当に恥ずかしいわ……」


 ジュナイナ・ニャラ。

 トランキア州の更に南に広がる広大な熱帯雨林『アマゾナス』に点在する部族の出身で、彼女とはソニアがまだサランドナにいた頃に出会った。

 当時父親を亡くしたばかりで荒れていたソニアは、見聞と武者修行の旅の途上でサランドナに立ち寄ったジュナイナと邂逅し、些細な事が原因で殴り合いの喧嘩にまで発展した。

 喧嘩は相打ちに終わり、互いの腕を認めあった2人はすぐに意気投合。ジュナイナはしばらくサランドナ県に留まり、2人で侠客の真似事を始めた。これがソニアの女侠客としての始まりでもあった。

 ソニアと親友になったジュナイナはその後1年近くサランドナに滞在していたが、武者修行の期間が終わりに近付いているとの事で、ソニアとの別れを惜しみながらもアマゾナスへと帰っていった。


「最近この街で旗揚げした勢力の中にあなたの名前を聞いて、もしやと思って駆け付けてきたの。……実は折り入ってあなたに頼みたい事があってね」

「何だい、改まって? アタシに出来る事であれば喜んで手を貸すけど」

 居住まいを正したジュナイナの姿にソニアが訝しむ様子になる。数年ぶりに会ったというのに世間話もそこそこに本題を切り出すのに違和感を覚えたのだ。ジュナイナは何やら気が急いている様子であった。
 
「ありがとう、ソニア。実はね……」

 アマゾナスは常に数十の諸部族が割拠しており、互いに小競り合いを繰り返すのは日常茶飯事である。しかしこのところジュナイナの部族と敵対している部族が勢力を拡大し攻勢を強めているらしい。

 何でもその部族は「非常に腕の立つ」中原の猛将を傭兵として雇ったらしく、あっという間に勢力を拡大した理由とその『猛将』が無関係ではないと睨んだジュナイナは、この街にソニアがいる事を知って何とか力になってもらえないか頼みに来た、というのがあらましのようだ。

「なるほど、それで対抗してアタシを雇いたいって訳だね? ……その猛将って奴はそんなに強いのかい? どんな奴なんだ?」

 話を聞き終わったソニアは得心したように頷くと、気になっていた事を質問する。しかしジュナイナはかぶりを振った。

「それが私の部族では誰も見た事が無いのよ。でも相手部族の勢力拡大の速度と連中の自信ぶりを見る限り、相当の手練なのは間違いないわ」

「ふぅん……」
 ソニアは顎に手を当てて考え込む。だがすぐに顔を上げた。

「……よし、解った。他ならないアンタの頼みだ。さっきも言ったようにアタシに出来る事なら協力させて貰うよ。アタシの腕をそこまで買ってくれたのも嬉しいしね」

「……! ソニア、ありがとう!」

 感動して礼を言うジュナイナに、ソニアは少し照れた様子で頬を掻く。

「まあいいって事さ。ただアタシも今はご覧の通り風来坊って訳じゃない。アタシ達の君主になったマリウスの許可がいるけど、なあに……アイツの事だから事情を話せば間違いなく了承するさ」

 ジュナイナは大柄だが野性的な美女と言って差し支えない顔立ちだ。つまりマリウスが大好きな美女絡みの問題という訳だ。

(アイツ、もしかしたら自分が行くなんて言い出したりしてね……)

 その光景を想像して愉快な気持ちになるソニアであった。
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