第十五幕 真紅の麗武人(Ⅴ) ~決意新たに

文字数 3,751文字


「ふぅ……お待たせしました、アーデルハイド殿。ご無事で何よりです。立てますか?」

 マリウスが手を差し出すと彼女はそれを呆けたように見上げて……半ば反射的な動作でその手を取った。マリウスに引っ張り上げられやっと立ち上がる事が出来たアーデルハイド。

 その段階でようやく自分が助かったのだという事実を実感した彼女は、まだ震える足を支えながら唖然とした顔でマリウスの方を見やった。

「あ、ああ……あなたは、一体何者なのだ……?」 

 マリウスは少しズッコケた。

「またそれですか!? マリウス・シン・ノールズだと名乗ったでしょう!? ただの浪人ですよ!」

「……ッ!」
 アーデルハイドは息を呑んだ。自分がブラムニッツで初対面時に彼に投げ掛けた台詞を思い出したのだ。あのような無礼な態度を取った自分を彼は命がけで救ってくれたのだ。

 正気に戻ると同時に、彼女本来の律儀な武人気質の性格も戻ってきた。アーデルハイドは姿勢を正して、マリウスに深々と頭を下げた。

「……あの時の言葉や態度を心より謝罪させて欲しい。あなたは命の恩人だ。本当にありがとう」

 その礼を受けてマリウスは微笑んだ。

「いいんですよ。私が浪人なのは紛れもない事実ですから。でも……それももう間もなく終わりです」

「? 終わり? どういう事だ?」

 マリウスも居住まいを正した。長い寄り道を経てようやく本題に入る事が出来た。


「私は現在『旗揚げ』を志しています」
「……!」


「今の帝国は既に死に体です。各地の諸侯の台頭を抑える力はありません。そして力を持った諸侯同士が血で血を洗う群雄割拠の世に突入しようとしています。私はそこで一旗揚げ、叶うならば自らの国を作りたいと願っています。だがそれは私1人の力では到底成し得ない難事……。だからこそ志を同じくする仲間……即ち『同志』を求めて全国を旅して回っているのです」

「……それで私の所へ来たという事は、つまり?」

 マリウスははっきりと頷いた。


「はい。アーデルハイド・ニーナ・ヴァイマール殿。貴女に是非私の同志となって頂きたいのです」


「……ッ!!」
 その言葉はアーデルハイドに計り知れない衝撃をもたらした。

「わ、私を……? 何故……だって、私は、『女』で……」

 茱教の思想が浸透している帝国内にあって、アーデルハイドがどれだけ山賊討伐で実績を上げても、それはただの『変わり者』扱いでしかなかった。いや、それどころかミドルネームを付けて男の真似事をして、実績まで上げている彼女の事をあからさまに不快気に扱き下ろす輩も大勢いた。

 彼女がどれだけ頑張っても()のようにはなれなかった。

 当然、既存の勢力への仕官など夢のまた夢。仕方なく彼女は独立(・・)の際に()から譲り受けた資金を使って私兵を雇い、今日まで自分だけの力で戦い続けていたのだ。

 マリウスはかぶりを振った。

「私は既存の価値観に囚われる気はありません。女性だからという理由だけで能力も意欲もある人を排斥するなんて馬鹿げています。しかも貴女は能力も実績もあり、それでいてこのガルマニアに咲くヤグルマギクの大輪の花の如き美しさを併せ持つ奇跡の女性です。私は貴女(・・)が欲しいんです。アーデルハイド殿、どうか私の同志となって、共に旗揚げとその先(・・・)を目指しては頂けませんか?」

「お…………」

 アーデルハイドは正直圧倒されていた。そんな壮大な夢など思い描いた事すらなかった。まさに青天の霹靂であった。そしてマリウスの言葉にはそれ以外(・・・・)にも、彼女を動揺させる内容があったのだ。

 彼女はそれを誤魔化すように若干視線を逸らした。

「……私は既にあなたに返しきれない程の恩がある。あなたが望むのであれば、私は喜んで馳せ参じよう」

 そして照れ隠し(・・・・)にそんな言い方となってしまう。しかしマリウスはその答えに不満げに顔をしかめた。

「うーん……。誘っておいてなんですが、余り借りや恩義で縛るような事はしたくないですね。貴女自身はそれで良いのですか?」

 そう言われて彼女はちょっと慌てた。

「あ、いや、勘違いさせてしまったなら済まない。私は私自身の意思であなたに付いていきたいと思っている。……正直、私はまだまだ未熟もいい所だ。今回それを嫌という程実感した。それに……私怨に囚われて大局を見失い、私に付いてきてくれていた私兵達を無駄に死なせる結果となってしまった。彼等に報いる為にも私はもっと自分を磨かねばならん。あなたに付いていけば得る物も多いだろうしな」

 アーデルハイドは真摯な眼差しでマリウスを見つめた。


「むしろ私の方から同志入りをお願いしたい。……こんな未熟な私でも良いだろうか?」


 マリウスは今度はとても嬉しそうに大きく頷いた。そして手を差し出す。

「貴女のご意思が聞けて嬉しく思いますよ。これから宜しくお願い致します、アーデルハイド殿」

「うむ、こちらこそ宜しく頼む! それとあなたが主となるのだから、もう改まった呼び方も敬語も必要ない。私自身はこんな口調が染み付いてしまっているが、どうかもっと気軽に接して欲しい」

 握手に応じながらそう申し出る。マリウスはすぐに快諾した。

「うん……それは尤もだね。それじゃ、アーデルハイド(・・・・・・・)。改めてこれから宜しくね?」

「あ、ああ……宜しく頼む、マリウス殿」


 前置きが終わった所で、彼女は少し上擦った声で気になっていた(・・・・・・・)事を聞く。

「そ、それで、その……マリウス殿。わ、私が……その……う、美しいというのは、本心で……?」

 それを聞くだけの事で声が上擦り、顔が耳まで赤くなってしまう。彼女にとって初めての経験であった。マリウスはそんな彼女の様子に目敏く気付いて、ニッコリと暖かく微笑む。

「勿論だよ、アーデルハイド。僕は常に自分に正直に生きているからね。君は本当に僕にとっての大輪の花のようだよ」

「……! そ、そうか……そうなのだな? ふ、ふふ……」

 マリウスのような強さを兼ね備えた美丈夫にそう言われ、アーデルハイドの頬が無意識の内に緩む。彼女の内に、今までに味わった事のない種類の喜びの感情が満ちる。

 だがそんな2人の空気に割り込んでくる影が――


「うぉっほん! で? 話は済んだのかい?」
「……!!」


 長い髪を無造作に垂らした抜群のプロポーションのイスパーダ人女性……確か、ソニアという名前だ。

 アーデルハイドは慌てて表情を引き締める。一方マリウスはソニアにも笑い掛ける。

「やあ、ソニア! よく大人しく待ってられたね! 偉い偉い」

 そう言ってソニアの頭を気安く撫でる。ソニアは若干顔を赤くしてその手を払う。

「アタシゃ躾のなってない犬かい!? 今回はアンタに言われた通りにするって約束したろ!」

「ははは! 冗談だって!」

 マリウスはアーデルハイドに対しているのとは全く違って、非常に気安い感じだ。これも彼の一面なのだろうか。アーデルハイドは少し複雑な感情を抱く。

「……でも正直な所、何回飛び出し掛けたか分からないよ。見てるだけってのはもどかしくて堪らないよ! 次はアタシにも暴れさせてくれよ!?」

 ソニアの抗議にマリウスは手を合わせた。

「ごめんごめん! あのドラメレクはかなり強そうだったから、どう転ぶか分からなくてさ……。でも僕も美しい女性2人に見守って貰っていると思えばこそあれだけ頑張れたんだよ」

「全くアンタは、いつも調子のいい事ばかり言って……。でも正直、あのドラメレクに勝てる程の強さだとは思わなかったよ。ふふ……増々惚れ直しちまった(・・・・・・・・)ねぇ!」

「……ッ!?」
 聞き捨てならない台詞を聞いたアーデルハイドが固まる。ソニアの表情は明らかに冗談を言っている様子ではない。

「あ、あの……ソニア、殿? 2人は一体どういう関係なのだ?」
「あん?」

 アーデルハイドの質問に何かを感じたのか、ソニアが胡乱げに振り返る。そしてその目をスッと細める。

「アタシもコイツの『同志』なんだけど…………ははーん。アンタ、コイツに惚れちまったって訳かい? やめときな! コイツは根っからの女たらしだよ!」

「な――!?」
 ソニアの言葉にアーデルハイドは目を剥く。心臓がドキリと跳ね上がる。

「な、な、何を馬鹿な! ほ、惚れたなどと……! 私はあくまで武人としてのマリウス殿を尊敬したのであって――」

 いきなり惚れた腫れたなどと取り沙汰されるのは、彼女の武人としてのプライドが許さなかった。しかしそんな彼女の言い訳(・・・)をソニアはまともに取り合わず……

「ああ、ハイハイ。ま、あんな状況であんな物見せられちゃ無理ないけどね。……先に『同志』になったのはアタシだからね?」

「だ、だから私は――」

「あはははは! 女たらしだなんて酷いなぁ。僕は純粋に美しい女性が好きなだけだよ? 世の殆どの男はそうだと思うよ。僕は何事も自分の気持ちに正直ってだけで」 

 アーデルハイドの抗議に被さるようにマリウスが朗らかに笑う。

「アンタは黙ってな! ……まあでも、何だかんだと仲間も増えてきたねぇ。次は何が起こるのやら段々楽しみになってきたよ!」

 ソニアがその言葉通りに楽しそうな様子になる。



 こうして3人目の同志アーデルハイドを仲間にしたマリウス達。徐々に目当ての人材は揃いつつあった。マリウスは最後の同志を迎えるべく準備を進めていくのだった……
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