第七幕 三人娘冒険譚(Ⅳ) ~次世代の絆

文字数 4,813文字

「ぬっふっふ……さあ、リリィちゃん? しっかり縛ったから、これでもう逃げる事も抵抗する事も出来ないねぇ? 夜は長いんだ。お互いたっぷりと楽しもうねぇ? ぐふぐふ」

 屋敷の二階の一番奥にある広い寝室。そこでは屋敷の主であるボルハが気色悪い笑みを浮かべながら、目の前の極上(・・)の光景を堪能していた。

「い、いやあぁぁぁっ!! た、助けて……誰か……! 誰かぁぁっ! 先生……マリウス様ぁぁっ!!」

 可憐な唇から哀れっぽい声で泣き叫ぶのは……絶世の美少女リリアーヌ。仕立ての良い瀟洒な衣装は全て脱がされて僅かに胸と腰を覆うだけの下着姿にされた上で、身体ごと後ろ手に縛りあげられて寝台の前に立たされていた。足は縛られていなかった。

「ぐふふ……どんなに泣き叫んでも誰にも聞こえないよ? んんー……長い間待った甲斐があったよ。最高だ! 最高だよ、リリィちゃん!」

「ひ……あっ!?」

 その脂ぎった顔を満面の笑みに歪めて迫ってくるボルハに恐怖したリリアーヌが思わず後ずさりするが、そこにはもう寝台しかなかった。寝台の縁に足を引っかけて転倒し、自分から布団の上に身を投げ出してしまう。

 焦って起き上がろうとするが、縛られた身体では上手くいかない。結果的に寝台の上で悩まし気に身をくねらせて、増々ボルハの欲望を刺激するだけに終わった。

「ぐふ、ぐふ……自分から誘うなんてリリィちゃんは大胆だなぁ!」

「ち、違――」

「もう辛抱できないよ、リリィちゃん!」

「ひぃぃっ!?」

 鼻息を荒くさせて寝台に上がり込んでリリアーヌの上に圧し掛かってくるボルハ。リリアーヌの目が恐怖と絶望に見開かれる。ただでさえか弱いリリアーヌだというのに、今は縛られていて最低限の抵抗すら封じられてしまっている。

「ぐふふ! いただきまーす!!」
「い、いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」

 ボルハの手が無遠慮にリリアーヌの股を割り開こうとしてくる。リリアーヌは力の限り絶叫した。最早彼女の貞操は風前の灯火。止められる者は誰もいない。そう思われた。その時――!


「――そこまでだ! この変態!」
「……っ!?」


 勇ましい声と共に部屋に飛び込んできたのは2人の少女。即ちミリアムとサラであった。2人共ここに来るまでに倒した私兵の剣で武装していた。

「リリアーヌ!? こいつ……リリアーヌから離れろ!」

 サラが寝台の上の2人を見て顔を赤らめながら怒鳴る。

「え……サ、サラ? ミリアムさん……? ど、どうして……?」

 自分と一緒に捕らわれたはずの2人の登場に、リリアーヌは信じられない物を見たかのように呆然としている。


 一方焦ったのはボルハだ。縛って蔵に閉じ込めていたはずの2人の少女が何故か武器を持ってこの場に踏み込んできたのだ。ここまで来たという事は、どうやってか私兵達も倒してきたという事になる。それは彼女らの持っている剣からも明らかだ。

「お、お前ら、どうやって!? く、くそ、寄るな! 寄ればこの女を殺すぞ!?」
「きゃああっ!?」

 ボルハは咄嗟に懐から取り出した護身用の短剣をリリアーヌの喉元に突き付けて2人を牽制する。縛られているリリアーヌはおあつらえ向きの人質である上に、この2人の目的が彼女の救出ならこれ以上ない牽制材料になる。

 案の定2人の動きが止まった。それを見てボルハはほくそ笑んだ。逆にミリアムは割れんばかりに歯噛みする。


(くそ! やっぱりこうなってしまった! でも、あれ以上待っていたらリリアーヌが……!)

 屋敷の私兵達はだらけ切っており、ミリアムの予想以上に簡単に不意打ちする事ができた。血に慣れていないサラも一緒だし殺すまでもなかったので、昏倒させるに留めて武器だけを奪ってこの部屋まで到達したのであった。

 考えなしに踏み込めばボルハがリリアーヌを人質に取る可能性が高い為、部屋の様子を窺いつつ作戦を立てるつもりであったが、状況が思ったより逼迫しており、リリアーヌの貞操が奪われる寸前であった為にやむを得ず踏み込んだのであった。

 そして案の定ボルハは即座にリリアーヌを人質に取り、状況は膠着してしまう。いや、膠着どころか……


「ぐふふ、どうやって脱出してここまで来たか知らんが、この女の命が惜しかったら今すぐ投降しろ。武器を捨てて床に這いつくばれ!」

「く……!」
「そ、そんな……」

 ミリアムとサラが悔し気に呻く。折角これまで上手く行っていたのに、ここに来て一気に形勢逆転されてしまった。

「さあ、早くしろ!」

 ボルハがリリアーヌの喉元に突き付けた短剣をこれ見よがしに見せつけながら促す。打つ手がないミリアム達は無念の表情を浮かべつつ武器を手放そうとする。

 だがこの時ボルハは勿論、ミリアム達も完全にお互いだけに注意が向いて、ある意味でその存在を除外していた人物がいた。


 そう……他ならぬリリアーヌ自身である。

(……このままじゃ2人が……! 私のせいで!)

 2人は脱出できたならそのまま逃げてしまう事もできたはずだ。それを敢えてこの場に残ってここまでやってきたのはリリアーヌが捕まっているせいだ。いや、そもそもがボルハの狙いは彼女自身で2人はそれに巻き込まれただけなのだ。

 そして今、勇敢にも彼女を助けにきてくれた友人達が、彼女のせいで窮地に陥っている。このままでいいはずがない。このままでは自分は彼女達の友人だと名乗れない。名乗る資格が無い。

(……っ!)

 正直物凄く、怖い。暴力など振るわれた事も、勿論振るった事も無い。出来ればそんな物とは一生無縁でいたかった。だがそれでは駄目なのだ。友人達の危機を救うには、勇気を振り絞らねばならないのだ。

(マリウス様……私に勇気を!)

 ――ガブッ!

 リリアーヌはギュッと目を瞑り、その可憐な口を精一杯開いて……自分を抱きすくめるボルハの腕に噛み付いた!


「ぎっ……!?」

 無力な人質の突然の反抗と腕に走った激痛はボルハの注意を逸らせるのには充分だった。

「い、痛ぇぇぇっ! このアマぁぁっ!!」

 激昂したボルハは、反射的にリリアーヌに短剣を突き立てようとして……

「――ふっ!!」

 その隙を逃すようなミリアムではない。鋭い呼気と共に一気に踏み込むと、リリアーヌに短剣を振り下ろそうとしていたボルハの胴体に剣を突き入れた。

 肉を貫く音と感触。それ自体はミリアムにとっては戦場で数えきれない程経験してきた物だ。だが……

「あ……?」

 ボルハは自らの身体に突き立った剣を不思議そうに見やった。しかしその傷口から大量の血液と臓物(・・)が零れ落ちるとようやく事態を悟った。短剣を取り落とし狂乱したようにのたうち回る。

「あ、ああぁっ!? ち、血が……血が止まらないぃぃぃっ!? 痛ぇぇ! 痛ぇぇよぉぉ!! た、助けて……リリィちゃん……!」

「ひっ……あ……」

 ボルハが必死に手を伸ばした先には、青ざめた顔で血まみれのボルハとその身体からこぼれ出た血液や臓物を見比べるリリアーヌの姿が。その白皙の美貌からは完全に血の気が引いていた。暴力にすら耐性の無い気弱な少女に、目の前の光景は余りにも強烈に過ぎた。

「い、嫌だ……何で、こん、な……」

 それが悪徳商人ボルハの最後の言葉となった。彼は自らの血と臓物にまみれた寝台に沈み込み、二度と動き出す事はなかった。



「し、死んだ、の……?」

 リリアーヌほどではないが、それでも顔を青くしたサラが恐る恐るといった感じで確認する。ボルハの死体を避けるようにしてリリアーヌを保護して、その拘束を解く。

「うん……咄嗟の事だし、リリアーヌが危なかったから手加減できなかった」

 ボルハの返り血が撥ねた姿のまま冷静に告げるミリアム。そのままリリアーヌの方を見ると、彼女は僅かにビクッと身体を震わせた。

「あ…………」

 その反応にミリアムは力なく寂しげな微笑を浮かべた。

「ごめん、リリアーヌ。怖いよね? でも、これが私の世界なんだ。私は軍人なんだ。私の手は血にまみれてる……」

 自分にも友達ができたと思っていた。だがやはり駄目なのだ。自分と彼女達では住む世界が違い過ぎる。戦争とはいえ数多くの人間を殺し手を汚してきた自分に、人並みの少女のような幸せは望むべくもなかったのだ。

 ミリアムは2人とは敢えて目を合わせずに踵を返した。2人が自分を見る目に恐怖や嫌悪が宿っているのを見たくなかった。

「……もう皆とは会わない。今までありがとう。本当に楽しかった。……さようなら!」

「あ……!」

 2人が何か言い掛けるのを敢えて遮断するように、脇目も降らずに部屋から飛び出していくミリアム。2人にはその眦から光る物が零れたように見えた。

 そのまま屋敷から飛び出し、敷地を囲う塀の正門まで駆け寄った所で……


「待って、ミリアムさん……いえ、ミリアム(・・・・)!」


「……っ!?」
 彼女の後を追うように走ってきたらしいリリアーヌの必死の叫びに、ミリアムは思わず足を止めていた。振り返ると下着姿のままのリリアーヌが息を切らしていた。追いついてきたサラが慌てて彼女に大きめの織物を羽織らせる。

「リ、リリアーヌ……」

「ミリアム、私の話も聞いて。確かに驚いたのは事実だけど……あなたは私を助けてくれたのよ? 感謝こそすれ、怖がったりなんてするはずがないわ!」

「……っ! で、でも、私は人殺しを……」

「あくまで自分を、そして誰かを守る為でしょ? 戦だってそう。そういうのを人殺しとは言わないわよ!」

「サ、サラ……!」

 リリアーヌだけでなくサラも、全く彼女を怖れる様子なく同調してくれる。ミリアムはその大きな目を見開いた。

「ミリアム、すっごく頼もしかった! 私、増々ミリアムの事大好きになっちゃったわ!」 

「あなたが軍人だろうと関係ないわ! いえ、自分の手を汚して私達の国を守ってくれているあなたを尊敬しているわ! 私は……私達はあなたの友達でいたい! 駄目なの!?」

 なりふり構わない様子で必死に懇願してくる2人の姿にミリアムは呆気に取られていたが、やがて再びその目が涙で潤んだ。

「う……ふふ……あの時と立場が逆になっちゃったね。ほ、本当にこれからも友達でいてくれるの……?」

「……! 勿論よ! これからもずっと友達だわ! また一緒にお買い物に出掛けましょう!」

「私は言うまでもないわよね? 今度あの縄抜け教えてよ」

 喜色を浮かべて迷いなく即答する2人に、ミリアムは今度こそ堪え切れない涙を溢れさせてしまう。

「ふ、2人とも……ありがとう。こ、これからも宜しくね……?」

 目をゴシゴシと擦りながら泣き笑いのような表情になるミリアム。それを見つめるリリアーヌとサラも暖かい表情で頷いた。3人の少女がその友情をより確かな物とした瞬間であった。


「じゃあ……帰りましょうか。すっかり遅くなってしまったけど」

 リリアーヌの言葉に、サラが何かを思い出したようにその顔をスッと青ざめさせる。

「うげ……ていうかもう完全に深夜じゃん。せ、先生、きっとめちゃくちゃ怒ってるよね、これ……」

 師であるエロイーズの元に奉公している立場であるサラは、当然ながら門限も厳しく設定されていた。それを無断で完全に、大幅に超過しまくった現状に、エロイーズの怒りを想像して泣きそうな顔になる。同時に涙を引っ込めたミリアムもげんなりした様子になった。

「お姉様にもお義母様にも、絶対心配掛けまくっちゃってるよね……。うう、これの説明するの憂鬱だなぁ……」

 2人の様子にリリアーヌは苦笑する。

「どの道この事はマリウス様にもご報告しなければならないし、皆で一緒に説明すれば怖くないわ。私達は友達でしょう?」

 そう言って保護者への説明に悩む2人を励ますのであった……




 ボルハの引き起こした誘拐事件は彼自身の死によって幕を閉じた。

 この事件でより絆を深めた3人の少女達は、後にマリウス軍の次世代を担っていくようになるのだが、それはまた別の話……
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