第二十四幕 顔合わせ

文字数 6,012文字

 セルビア郡の首都(・・)であるディムロスの街。政庁を兼ねる宮城の奥に、君主であるマリウスの執務室があった。奥とは言っても中庭に面した明るく風通しの良い快適な空間であり、窓からは良く手入れされた中庭の庭園が一望できる。

 それなりに広い間取りの部屋には主たるマリウス自身の執務机と、その手前に大人が向かい合って6人程は悠々と座れる応接セットが設えられている。

 中央の豪華な応接テーブルには今4つのティーセットが置かれ、それぞれのカップからは淹れたての紅茶が湯気を立てて良い香りを立ち昇らせていた。

 そしてそれぞれのカップの前には……4人の人物が向かい合ってソファに座っていた。彼女ら(・・・)はいずれもマリウスによってこの部屋に招待(・・)された者達であった。

 執務机に着いていたこの部屋の主が立ち上がった。


「皆、集まったようだね。それでは改めて……ようこそ、ディムロスへ。ようこそセルビアへ。そしてようこそ我が軍へ。僕がこの国の君主を務めている、マリウス・シン・ノールズだ。僕は君達を歓迎するよ。この大変な時期に僕達の味方となって共に戦う選択をしてくれた事、心より感謝するよ」


 マリウスは大きな執務机の前に回り込んで応接セットの正面に佇むと、そこに座る女性達に深々と一礼した。

 君主からの礼を受けて女性達も慌てて立礼を返した。彼女らはいずれもごく最近になってマリウスの同志達からの強い推薦を受けて軍に加わった者達であった。

 即ちソニアの旧友【リュドミラ・タラセンコ】。ヴィオレッタ直属の女剣士【オルタンス・アザール】。エロイーズの新しい弟子【サラ・エヴェルス】。そしてアーデルハイドの義母である【ビルギット・アーネ・セレシエル】の4人だ。

 まだ直接面識の無かった人員との顔合わせ、それに何よりマリウス自身が彼女達に興味があり、こうしてお互い忙しい時間を縫って集まってもらったのだ。

 また彼女らの方としても自分達の主となる人物であり、尚且つそれぞれの推挙者達が揃って心酔しているマリウスという人物と直に会って話してみたいという気持ちは当然あり、こうして万障繰り合わせの上進んで集まった側面もある。


 マリウスに促されて再び腰掛けた面々だが、皆がマリウスの人物像を推し量ろうと興味深そうに彼の姿を眺める。その端正な顔立ちや隙の無い佇まいは勿論だが、やはりどうしても注意を引くのは、本来あるはずの物が無くひらひらと波打っている右の袖であった。

 4人全員とも、彼がそうなった(・・・・・)経緯については、それぞれの推挙者達から詳しく聞かされていた。そしてこうなる前(・・・・・)のマリウスが如何に強健で並ぶ者の無い優れた剣士であったかも。

 とにかく悪いのは自分達であり、自分達の失態が原因でマリウスはあのような不倶を負う事になったのだと、彼女らは口を揃えて強調していた。しかし絶対に彼に同情したり、好奇の目で見たりしないようにとも念を押されていた。

「…………」

 事前に聞かされていたそれらの言葉を思い出して、4人は一様に右の袖から視線を外して意識を切り替えた。



 リュドミラは心の中で頷いていた。

(ふぅん……君主っていうからもっと横柄な奴か格式ばった奴を想像してたけど、考えてみたらあのソニアがそんなつまんない奴に惚れ込むはずないし、これは確かに私でも好感が持てそうな感じね……)

 マリウスの気さくな雰囲気と柔らかい物腰は、若干男嫌いの気があるリュドミラをしてそう思わせる物であった。リュドミラは再び立ち上がった。

「……ノーマッドはリトアニア族のリュドミラ・タラセンコです。お礼を言うのはこちらの方です。仕官を許して頂き、そしてソニアと同じギエルの配属として下さってありがとうございます。微力ではありますが精一杯戦わせて頂く事を誓います」

 リュドミラが彼女にしては畏まった口調でマリウスに改めて一礼する。普段は若干空気が読めない所もある彼女だが、流石に親友(・・)の主君の前で自重するくらいの常識はある。自分が何か失礼すれば迷惑を被るのはソニアなのだ。

「うん、ソニアから聞いているよ。彼女を助けてくれたみたいで、僕の方からも個人的に礼を言わせて欲しい」

 マリウスもまた本心からそう言って頭を下げた。これは君主としてでなく、ソニアの身を案じる1人の私人(・・)としての礼だ。顔を上げたマリウスは逆にリュドミラの姿をしげしげと眺めた。

「……しかしまさか湿地人だけでなく、低地人にも友人がいたなんてね。ソニアの顔の広さにも驚かされたよ」

 マリウスの言葉にリュドミラも苦笑した。確かにこの帝国では砂漠人や渡海人も含めて、異邦人の知り合いが1人でもいればかなり珍しい部類らしい。それが南北正反対の異邦人2人と親友(・・)というのだから、これはもう相当にレアなのは間違いないだろう。

「まあ私もジュナイナも、ソニアと出会ったのは同じサランドナの街でしたけど。あの娘って普段はあんな豪放磊落な感じで強気なんですけど、それとは裏腹にどうにも危なっかしいというか、放っておけないというか……とにかくそういう不思議な魅力があるように思えるんです。私もジュナイナも、きっとその魅力にやられてしまったんだと思います」

「……うん。何となく解るよ、それ。僕もある意味ではその魅力にやられてしまった1人かも知れないね、ふふ」

 マリウスがいたく共感したように頷いていた。そう……ソニアは勿論自身も強いのだが、それだけではなく、周りを何となく動かして彼女の為に協力させてしまうような魅力があった。それもまた彼女の『力』なのだ。

「僕が言うまでもないだろうけど、どうか今後も彼女の力になってやって欲しい。ソニアの同志としてのお願いだ」

「ええ、勿論です。お任せ下さい」

 リュドミラは左手でマリウスと固く握手を交わしてから着席した。それとほぼ入れ替わるような形で勢いよく跳び上がるようにして立ったのは、



「あ、あの、あの……その……サ、サラです! 宜しくお願いします!」

 10代半ばの元気な町娘のサラであった。緊張のあまり色々とすっ飛ばして頭を下げていた。エロイーズには物怖じしなかった彼女も、流石に君主でありセルビア公でもあるマリウスの前ではそうも行かなかったようだ。そもそも最初から彼女だけは他の3人と比べて落ち着かない様子であった。

(うぅ、やっちゃった! でも仕方なくない!? 公爵であるマリウス様の前ってだけでも緊張するのに、私以外の人達は皆立派そうな武将って感じの人達ばっかりだし……。私って絶対場違いだよね!?)

 それが彼女の偽らざる本音であった。そもそもただエロイーズに奉公している官吏見習いに過ぎない自分が、武将然とした他の3人に混じってこの場に呼ばれた理由が全く分からないのだ。

「ふふ……サラ。気にしてないから顔を上げて?」
「あ……」

 マリウスの優しい声音にサラは恐る恐る顔を上げる。そこには温かく微笑んでいるマリウスの顔があった。

「僕の方こそ緊張させちゃったりして申し訳なかったね。今日君にも来てもらったのは、例の……ジャハンナム騒動の件があったからなんだ」

「……!」

「事件の顛末は全てエロイーズから聞いているよ。本当にごめんね。僕達が不甲斐ないばかりに邪悪な企みの跳梁を許し、結果として君や君のご家族にも多大な迷惑を掛けてしまった。どうか謝罪させて欲しい」

 そう言ってマリウスは……セルビア公は、一介の町娘相手に躊躇う事無く頭を下げて謝罪した。

「……っ! そ、そんな、ど、どうかお顔を上げて下さい! あの件は皆様のご尽力で無事解決しましたし、両親だって健在です。そ、そんなマリウス様に謝って頂くような事では……!」

 サラが可哀想なくらい恐縮しているので、マリウスは素直に頭を上げた。

「勿論君を呼んだのはそれだけが理由じゃなくて、エロイーズが優秀な弟子が増えたって喜んでいてね。それなら是非直接挨拶しておかなきゃと思ってね」

「え、ええっ!? わ、私がですか!? そんな、私なんてリリアーヌに比べたら全然で……」

 エロイーズに奉公して彼女の元で商売や政治の勉強をするようになって以来、同じ課題でもリリアーヌはスイスイ解けてしまうのにサラは四苦八苦してばかりで、いつもエロイーズに怒られているのだ。

 そんなエロイーズが出来の悪いサラの事を優秀な弟子などと言うはずがない。だがマリウスは苦笑してかぶりを振った。

「僕は嘘は言っていないよ。彼女は君にとても期待しているんだ。だからこそ早く君を育てたくて厳しい教育をしているんだと思うよ」

「……!」
 サラの大きな目が見開かれる。

「君はリリアーヌとも元々友人だったらしいね? これからも2人の事を宜しく頼むよ。君にとっても得る物は大きいはずだからさ」

「……っ。は、はい! 私、頑張ります! 頑張ってみます! あ、ありがとうございました!」

 マリウスが左手を差し出してきたので、恐縮しながらもその手を握り返すサラ。エロイーズの真意を少し知れて感動と共に、今後増々頑張ろうと心に誓うサラであった。



「うん、宜しくね。……さて、ヴィオレッタやファティマから聞いてはいるけど、君があの(・・)ギュスタヴの……?」

 サラが着席すると、マリウスの視線はその隣に腰掛けるオルタンスに向く。女性としてはやや大柄なオルタンスが立ち上がって礼をする。

「はい。オルタンス・アザールと申します。故郷はとうの昔に捨てましたので、ただのオルタンスです。父が皆さまに対して多大な迷惑を……」

 謝罪しようとするオルタンスをマリウスが制する。

「いや、いいんだよ。ヴィオレッタ達から全て聞いている。君には何の責任もない事だ。僕達は君を歓迎するし、実の父親と戦う決意を固めてくれた君を心の底から敬服するよ」

「ありがとうございます。我が力の限りを尽くして戦う事をお約束致します」

 静かに宣言するオルタンスの姿を眺めていたマリウスは、何かに納得したように頷いた。

「……しかしあのギュスタヴと互角に打ち合ったって? それは本当に凄いね! 話だけでは信じられなかったけど、こうして直に君の立ち振る舞いを見て納得したよ。キーアなどはすっかり君の事を尊敬しているようだね」

 右腕は失ったが、武人としての目や感覚まで失った訳では無い。そんなマリウスの目から見ても、オルタンスは相当の達人である事が窺える。

 自分が五体満足であった時でも、負けるとは言わないまでも一切油断は出来ないと思わしめるほどの実力だ。彼女であれば確かにマリウスの抜けた穴をある程度埋める事が可能だろう。ヴィオレッタが政務や外交すら後回しにして、最優先で推挙に動いていた理由がようやく実感できた。

「……私などに勿体ない事でございます。先日もキーア殿と彼女の母君に夕食に招かれました」

 その時の事を思い出したのか、オルタンスが少し暖かい微笑を浮かべる。幼い頃から父に虐待され母も亡くした彼女にとっては、何気ない家庭の団欒こそが何にも代えがたい幸福に感じるのかも知れない。

「へぇ……それは良いね。これからも仲良くしてやって欲しい。君の力は僕達にとってなくてはならない物だ。今後ともよろしく頼むよ」

「はい、お任せくださいませ」

 左手でオルタンスとも固く握手を交わしたマリウス。彼女が着席すると、マリウスの視線はいよいよ最後の人物に向いた。何となく自分が一番最後になると解っていたらしいビルギットは、ニコニコ笑いながら元気よく立ち上がった。



「はいはーい! トリを務めますのはこの私、ガルマニアはハルシュタットのビルギット・アーネ・セレシエルです! マリウス様も皆さんも宜しくね?」

 事前に聞いていた彼女の年齢や経歴、素性からすると考えられないような軽い言動に、マリウスだけでなく同席しているリュドミラ達も一瞬呆気に取られた。

「よ、宜しく……。ビルギット殿はかつて帝国でも高名な将軍であられたとか。我が軍に加わって頂いて頼もしい限りです」

 一瞬の動揺から立ち直ったマリウスが気を取り直して一礼する。するとビルギットは苦笑して手をヒラヒラと振った。

「ああ、いや、そんなに畏まらなくても全然大丈夫ですから! 私なんてホントにただの楽隠居なんで。今や押しも押されぬセルビア公に畏まられたら却って恐縮しちゃいますよ」

 本心で言っているらしいその言葉に、マリウスも表情を緩める。元々堅苦しいのは彼にとっても流儀ではない。ただ年長者(・・・)に対する最低限の礼儀は崩さないでおく。

「ふふ、そういう事であればこっちもありがたいですね。あなたの事はアーデルハイドから聞いています。彼女を保護し立派に育ててくれた事、本当に感謝しています。そのお陰で僕は彼女と出会う事が出来ました」

「……!」

 マリウスもまた心の底から偽りのない礼を述べる。ビルギットに拾われなければアーデルハイドはそのまま野垂れ死んでいたか、良くて戦災孤児として極貧生活を送っていただろう。当然マリウスとの接点など出来ようはずもない。

 礼を言われたビルギットは驚いたように目を見開き、そして今までの剽軽な雰囲気から一転して真剣な表情となる。

「……お礼を言うのはこっちですよ。ドラメレクとの経緯はニーナから聞きました。あなたのお陰で私はあの子を失わずに済んだ。それだけで感謝してもし切れない恩があります」

「いえ、彼女にはその能力に見合った働きをしてもらっていますから」

 それもまた事実であった。勢力の拡充、つまりは戦においてアーデルハイドの働きは目覚ましく、今も大過なくハルファルを治めてくれている。彼女を助ける為にドラメレクと斬り結んだ分は少なくとも充分お釣りが来ている。

「……あの子は昔はもっと荒んでいて、世に対して怒りを抱いていました。あの子はいい意味で変わりました。きっとそれはミリアムや他の同志の皆さんと出会えた事が大きいんだと思います。老骨ではありますが、あの子の為であれば私はどんな敵とだって死力を尽くして戦う覚悟ですよ」

 それがビルギットの決意であった。家族に、娘達に害を為そうとする者にとっては、彼女は恐ろしい鬼となるだろう。

「……本当に頼もしいですよ。これからは是非我が軍の将としてその力を奮って頂きたく思います。宜しくお願いします、ビルギット殿」

「勿論です! これからの私の働きにご期待下さいよ!?」

 ビルギットは再び剽軽な雰囲気に戻って自分の胸を叩いた。



 これで新参の4人との顔合わせと意思の疎通は出来た。マリウスは一つ頷いて、改めて4人の女性を見下ろした。

「皆、改めて我が軍に加わってくれて本当にありがとう! これからの皆の働きに期待しているよ!」

 マリウスはそう締めくくって執務机から自身の紅茶のカップを掲げた。4人の女性もそれぞれの前にあるカップを手に取って掲げる。そして乾杯の音頭を取ると、全員が一斉にカップの中身に口を付けるのであった……
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