第四十幕 トランキア大戦(Ⅵ) ~謀反の代償

文字数 4,529文字

「アナベル。ご両親の仇を討ちたいという君の気持ちも理解できる。だから君には砦の直接的な防衛とは異なる任務に就いてもらいたい。完全とは言わないまでも、奴等を攻める(・・・)任務だ」

 激しい攻城戦が展開される砦からかなり離れた山間の森の中に、300程の騎兵と共に身を潜めているアナベルは、昨日ファティマから言い渡された任務を反駁していた。

 彼女らはファティマの作戦に従って、敵軍が砦にやってくるよりも大分前に砦から離れて身を潜めていたのだ。

 遠くからは恐ろしい戦の音がかすかに響いてくる。アナベルは緊張に喉を鳴らした。実は彼女にとってはこれが初めての本格的な戦であったのだ。

 ガレス達の謀反の際に、襲ってきた兵士達と戦い殺しながら逃げ惑った経緯があるので、人殺し自体が初めてという訳ではなかったが。 

 緊張しながら出番(・・)を待つアナベルの元に、兵士が1人駆け付けてきた。

「アナベル様。今、砦からの合図を確認しました! ファティマ様からの合図で間違いありません」

「……! そう……いよいよですわね」

 アナベルは大きく息を吐いてから気持ちを切り替えた。事ここに至って尻込みなどしていられない。自分には使命があるのだ。

(……見ていてください、お父様、お母様。私は絶対負けません。皆の仇を討ってみせますわ!)

「全軍、出撃しますわ!」

 アナベルの号令の元、約300の騎馬隊は敵軍に見つからないように大きく迂回しながら、敵軍の後方に回り込むように行軍していく。


 敵軍の攻勢が激しくなってきたらファティマが合図を出すので、そうしたら敵軍の後方に回り込んで騎馬隊による突撃で奴等を引っ搔き回し、その攻勢を弱めるのが目的であった。敵を全滅させる必要はない。というより数の差からそれは不可能だ。

 また無理に大将首を狙おうとしないようにともファティマから念を押されていた。ガレス軍の東軍の総大将が誰であれ、確実にアナベルや兵士達が簡単に討ち取れる相手ではないはずで、下手に欲を掻けば逆にこちらが大きな損害を出してしまい、奇襲の効果も無くなってしまう。いや、最悪返り討ちにされる危険性さえあった。

 よってアナベルの任務は大将を討ち取る事ではなく、奇襲による確実で堅実な妨害活動にあった。


 やがて敵軍を迂回してその後方へ回り込む事に成功したアナベル達。そこで彼女は驚愕に目を見開く事になった。

「な……何ですの、あれは……?」

 彼女らの見据える先……敵軍の本陣がある後ろの広い平野部。そこに巨大な投石機が鎮座していた。その周りには岩を削って作った岩石弾や大量の土を袋詰めした土嚢が並べられている。それらを矢玉(・・)替わりとして、次々と砦に向かって撃ち込んでいるのだ。

 その度に砦の防壁が破損し、守備兵達が吹き飛ぶ。味方の兵士達は投石機の脅威に翻弄され、効率的な守備を行えずにいる。恐らくアーデルハイド達が必死に統制しているはずだが、それも投石機の威力の前に霞んでしまっている。

 砦には3つの井蘭が迫っており、その内の1台は何とか破壊できたようだが、残りの2台の破壊は間に合いそうもない。投石機に邪魔され効率的な破壊が出来なかったのだろう。

 あの投石機を放置していたら大変な事になる。しかもその投石機の隣に更にもう1台、別の投石機が組み立てられており、ほぼ完成しかかっていた。2台目の投石機も攻撃を開始したら、辛うじて保っている戦線の士気は完全に崩壊するだろう。

「……最優先目標が決まりましたわね。あの投石機を破壊します! 皆さん、私に続きなさい!」

 アナベルは騎兵達に号令すると、自ら率先して馬を駆って敵陣に突撃を開始した。


 突如後方から出現し突撃してきた騎馬隊の存在は、当然すぐに敵軍も気付いた。俄かに騒めき出して混乱が広がり攻撃の手が止まる。これだけでも妨害にはなっているが、当然あの投石機は二度と使えないように破壊しておかなければならない。敵陣の後方に雪崩れ込んだ騎馬隊は逃げ惑う敵兵を蹴散らしながら投石機に迫る。

 ファティマから、もし敵の兵器があった場合はついでに破壊しておくように事前に言われていた事もあって、騎兵の一部は携帯用の油壷や火種を携行していた。

 兵器の破壊はそれらの兵士に任せて、アナベルは周囲の敵兵の牽制や露払いに専念する。敵兵も最初の混乱から立ち直ると徐々に反撃に転じてくる者が出始める。時間的猶予は少ない。

 アナベルが敵兵相手に必死に剣を振るっていると……


「おやおや! 誰かと思えばアナベルお嬢様ではありませんか! まさかこんな所であなたとお会いできるとは思いませんでしたぞ?」

 突如聞こえてきた聞き覚えのある声に彼女は振り向いた。そこには馬上で槍を構えた1人の武将の姿があった。

「……! お前は……クラウス!?」

 それは元々ムシナ所属の武将で、アナベルの父の配下だった男だ。そして……ミハエルに買収され率先して父を裏切った男。

「くくく……あんな下賤の山賊風情の下に組み込まれて腐っていましたが……これは思わぬ手柄の機会に恵まれましたなぁ」

「……っ。この、下郎が……! 私こそ……薄汚い裏切り者を直接断罪できる機会に恵まれた事を感謝致しますわ!」

 怒りに燃えたアナベルは自分からクラウスに斬りかかる。クラウスは槍を突き出して迎撃してきた。生粋の武官だけあってかなり鋭い突きだ。

「く……!」

 アナベルは剣を掲げてその突きを受ける事に成功するが、突進の勢いが止まってしまう。その隙を逃す相手ではなく、クラウスは矢継ぎ早に連続突きを繰り出してくる。忽ち防戦一方に追い込まれるアナベル。

「ははは! いけませんなぁ、お嬢様? お転婆も程々にしろといつも御父上に注意されていたのに、聞き分けが無いとこういう目に遭うのです!」

「ぐっ……」

 盛大に侮蔑されても言い返す余裕はなく、ひたすら防戦に徹するしかないアナベル。しかし完全には防ぎきれずに至る所に掠り傷を増やしていく。

 出血の量に比例して徐々に息が上がってくる。クラウスはそんなアナベルを増々嘲笑する。

「くく……無様ですなぁ。いい事を教えて差し上げましょうか? あなたの御父上を殺したのはガレス様ですが……あなたの母君を殺したのは誰だと思いますか?」

「……っ! ま、まさか……?」

 アナベルが目を見開く。クラウスの顔が邪悪な喜悦に染まる。

「そのまさかですよ。私の物になれば命は助けると言ったのにあくまで抵抗するので、苛立ちからつい殺してしまったのです。お嬢様には心からお悔やみ申し上げますぞ?」

「――っ!! き、貴様ぁぁぁぁっ!!」

 瞬間的に怒りで我を忘れたアナベルは、狂乱したように剣を振りかざして強引に斬りかかってくる。

 クラウスはほくそ笑んだ。予想外にしぶとく抵抗するので、ちょっと挑発してみたら案の定だ。激昂から極端に視野狭窄に陥った今のアナベルを討ち取る事は赤子の手をひねるよりも容易い。

「哀れな。今すぐご両親の元へ送って差し上げます!」

 クラウスはアナベルを一撃で葬るべく、その心臓目掛けて突きを放つ。だが……

「ふっ!」
「……っ!?」

 周りが見えなくなっていたはずのアナベルが、激昂しているとは到底思えない冷静さで、自分に向かって真っすぐ突き出された槍を回避したのだ。てっきりこれで仕留められると思い込んでいたクラウスの方が、躱されて逆に体勢を崩してしまう。

 アナベルは冷静さを保ったまま、その隙を逃さず剣を一閃。その斬撃は正確にクラウスの喉元を斬り裂いていた。


「ば、かな……なぜ……」

 何が起きたのか解らないクラウスは、困惑と驚愕の表情を張り付けたまま血を噴いて崩れ落ちた。その死体を静かな表情で見下ろすアナベル。

「……事前にアーデルハイド様のお話を聞いていなければ、まんまとあなたの思惑に嵌っていた所でしたわ」

 目の前で妹を殺され、私怨に囚われて過ちを犯したという彼女の話が脳裏に浮かび、それで冷静になる事が出来たのだった。

(お母様……どうか安らかにお眠りください。思いがけず仇を討てましたが、私は決して私怨に囚われる事無くこれからも戦い続けていきますわ)

 アナベルは仇の死体を見下ろしながら、心の中でそう誓っていた。丁度その時、2台の投石機も紅蓮の炎に包まれた。破壊工作が無事成功したようだ。

 アナベルは内心で喝采を上げるが、同時に敵の本陣からこちらに迫ってくる敵軍の姿を捉えた。先頭にいるのは特徴的な髭面の大男。

 【賊王】ドラメレクだ。奴がこの東軍の総大将だったのだ。自軍の総大将がアーデルハイドである事を考えると、それは何という偶然の悪戯か。

 奴の腕はクラウスなどとは比較にならない。自分に勝てる相手ではないだろう。投石機を完全に破壊し、クラウスも討ち取った。奇襲の戦果としては充分だ。

「皆さん、よくやってくれましたわ! 急いで撤収致します! 遅れた者は置いていきますわよ!」

 アナベルは声を張り上げて急いで撤収の指示を出しつつ退却を始めた。それに従って他の騎兵達も大慌てで撤収していく。

 奇襲作戦は無事成功を収めた。後は逃げ回りながら敵軍の注意を引き付け、少しでも砦への圧力を減らす事。アナベルは撤収しながらも、ひたすら味方の勝利を祈り続けた。




「お姉様! 投石機が……燃えています!」
「……!」

 押し寄せる敵軍相手に必死の防衛戦を続けるアーデルハイド達。その合間を縫ってミリアムの叫び。

 城壁の上からは良く見えた。あの忌々しい投石機が2台とも(・・・・)轟々と炎と煙を巻き上げながら燃え落ちていくのが。

「やりましたよ、アーデルハイド殿! アナベルがやってくれたようです!」

 ファティマも喜色を上げている。元々彼女の策だったので、その喜びと安心も一入のようだ。

「よくやってくれたぞ、アナベル! 皆の者! これで投石機の脅威はなくなった! 乗り込んでくる敵兵に専念するぞ! 私は左側を受け持つ! ファティマ殿は右側を頼む! ミリアムは引き続き門を攻撃している敵に対処しろ!」

「任せて下さい、お姉様!」「了解です!」

 アーデルハイドの発破に兵士達が気勢を上げる。同時にミリアムとファティマもその指示に従って素早く動き出す。

 投石機の妨害もあって対処が間に合わず、2台の井蘭が城壁に取り付いてしまっていた。そこから次々と敵兵が城壁に乗り込んでくる。また井蘭に備わった梯子を伝って、下にいる敵兵達もどんどん上がってきている。これを何としても押し戻さなければならない。


 アーデルハイドは右側の井蘭から乗り込んでくる敵をミリアム達に任せ、自らは左側の侵入路の対処に当たる。

 混乱の中斬りかかってくる敵兵の剣を受け止め、反撃で袈裟斬りにする。既に城壁の上は敵味方の兵士で入り乱れているが、まだ今なら押し戻す事が可能なはずだ。

「うおぉぉぉぉぉぉぉっ!!」

 アーデルハイドは気合の叫びを発しつつ、群がる敵兵に剣を振るう。

(耐える! 耐え抜いてみせる! ヴィオレッタ殿……ソニア殿……。そして義母上……! 私は皆が必ず勝利してくれると信じているぞ……!)

 仲間達が必ずやこの戦に勝利してくれる事を信じて、アーデルハイドはひたすらに戦い続けるのだった……
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