第十八幕 闇夜に踊る者(Ⅰ) ~噂の義賊

文字数 3,811文字

 ディムロス県はトランキア州の只中にあって、周囲を3つの県と隣接している。一つは北東に位置する州都のあるモルドバ県。逆に南西に位置するギエル県。そして南東のハルファル県だ。

 この内、刺史であるイゴール公が治めるモルドバは、人口が8万人を越え、常備兵の数も5千人以上に上る。州都だけあってトランキア州の中では群を抜いており、またイゴール公が金にあかせて優秀な人材をスカウトしているらしく、臣下の層も比較的厚い。

 それだけでなく、既にケルチュとエストリーという2都市を制圧しており、モルドバと併せて3つの県を領有する大勢力となっていた。3都市での総人口は軽く10万を越えており、総兵力も1万近くあるだろう。名実共に【公爵】に相応しい勢力だ。

 以前に臣下の一人であったジェファスが出奔する騒ぎがあったが、それでも盤石の体制は揺らいでいない。

 ディムロスしか領有していないマリウス軍がこんな相手と現時点で戦ったとしたら、ひとたまりもないはずだ。

 マリウスやヴィオレッタとしてはイゴール公と事を構えるのは、可能であれば最低でも他の隣接県であるギエルとハルファルを落として、確たる地盤を築いてからにしたいと考えていた。

 それまでは極力イゴール公に目を付けられないように、面従腹背外交を行っていた。外交に関しては軍師たるヴィオレッタに一任されており、彼女の一番の仕事はモルドバとの折衝であった。


 イゴールに対してはとにかくディムロスは貧しく占領しても旨味のない県であり、内政の投資に莫大な費用が掛かる点を強調。それよりは自分達に治めさせて、有利な(マリウス軍にとっては不利な)条件での通商を行った方が得であると、再三の交渉と説得によって納得させていた。

 実際に大分こちらにとって不利な通商条約を結ばされたが、それでイゴールの目を逸らせる事が出来るなら安い物だ。

 そうしてイゴールの注意を北に向けさせておいて、その間にエロイーズ主体による徹底的な国力回復政策を行い、力を蓄える。最近になってエロイーズの弟子となったリリアーヌは、かなりの優秀さで師をサポートしており、そのお陰で細々とした雑務等を彼女に任せるられるようになってきた為、エロイーズはより重要度の高い政策に注力する事が出来るようになった。

 その甲斐もあって、ディムロスの国力は急激に伸びつつあった。そして税収と人口の増加に伴い、軍備の拡充も順調に進んでいた。

 いよいよ隣接県へと勢力を拡大させていく準備が整いつつある事をヴィオレッタは確信していた。


 街に義賊騒ぎ(・・・・)が起きるようになったのは、そんな矢先の事であった……



****



 ここ最近ディムロスの街は、一人の女盗賊(・・・)の話題で持ち切りとなっていた。

 闇に溶け込むように出没しては、厳重な警備もくぐり抜けて一等地に居を構える高官や大商人などの屋敷に忍び込み、家宝や金目の物、時には現金そのものを奪っていく事もある。そして主に難民達が住まう貧民街にそれらの金がばら撒かれる。

 富める者から奪い、貧しき者に施す。いわゆる義賊(・・)の類いのようであった。中原では帝国が安定し腐敗してからというもの、特にこうした義賊の類いが多く出現するようになった。

 その背景には富の一極集中と、圧政による民への弾圧などがあった。一時的ながら民の鬱憤を晴らし溜飲を下げさせてくれるこうした義賊という存在は、多くが民に支持された。

 需要が増せば供給(・・)も増えるのは、どんな業界であっても同じ事。手っ取り早く民からの支持を得られ有名にもなれる義賊は、貧民達の花形(・・)としてその仕事内容を競い合った。

 今から50年程前にはこうした義賊達が全盛期を迎え、帝国の各州に代表的な義賊が活躍し、それぞれの義賊には異名まで付いて、今月はどの州の誰が仕事(・・)をしただの、誰の寄付(・・)が一番多かっただのといった噂話が市民たちの間で面白おかしく語られない日はなく、それらを題材にした詩や講話すら流行った程だ。

 圧政や腐敗した高官達に対して鬱屈していた市民達の、格好の娯楽だったのである。

 だが赤尸鬼党の反乱に端を発した内乱、戦乱の機運が高まるにつれて義賊稼業は徐々に下火になっていき、やがてほぼ完全に途絶えてしまっていた。


 そんな歴史的背景も手伝って、久方ぶりに出現した義賊はディムロスの街を大いに騒がせていた。しかも何度かの捕物劇の中で、逃げられはしたもののその義賊が見目麗しい美女らしい事が判明し、増々市民達の興味を掻き立てていたのであった。

 だが義賊が人気なのは貧民に対してだけで、当然ながら被害に遭う富裕層からしてみれば堪った物ではない。宮城にもたらされる盗賊被害の陳情は引きも切らない状態で、マリウスとしても看過できる状況ではなく衛兵隊に警備の強化と捕縛令は出していたものの、現在まで成果は上がっていなかった。


****


「やれやれ……例の女盗賊、昨夜もまたしてやられたみたいだね。ソニアが地団駄踏んで悔しがってたよ。ソニアからも逃げ切るなんて、かなりの手練れかも知れないね」

 宮城の二階にある広いバルコニーに天蓋付きの椅子とテーブルのセットが設けられていた。遠目にディムロスの街を一望できる、太守や高官専用の休憩スペースだ。

 マリウスは苦笑しながら、もう一人の同席者に語り掛ける。

「そうねぇ……。後手に回ってるのが一番の問題なのよねぇ」

 無駄に色っぽくため息を吐くのは、マリウスの腹心にしてこの勢力の軍師でもあるヴィオレッタだ。

 2人は政務に一区切り付けて、こうして一緒に休憩している所だった。テーブルには簡単な軽食と、落ち着いた香りを発するリベリア産の紅茶が湯気を立てていた。

「このままただ追いかけっ子を続けていても埒が明かないわね、きっと」

「でも現状、他に打つ手が無いよ? 精々狙われそうな場所の警備を厚くするぐらいしか方法がないよ」

 ヴィオレッタの指摘にマリウスも嘆息する。それだと結局後手に回るのは同じな上に、いつ来るかも解らない賊への対処の為だけに、衛兵を常駐させ続ける訳にも行かない。衛兵の仕事は他にも沢山あるのだ。


「……根本的な疑問なんだけど、そもそもその女盗賊は何が狙いなのかしら?」

「狙いって……それは勿論義賊としての名声を高める為じゃない?」

 盗んだ物を自分の財産にしている訳ではない以上、それが目的のはずだ。義賊とはそういう物だ。マリウスが訝しげに答えると、ヴィオレッタはかぶりを振った。

「それだったらヴィエンヌやバレンシアのようにもっと人口の多い有名な街をターゲットにするはずよ。こんな辺境の地方都市じゃなくてね。それに今この街は好景気に沸いていて市民の懐も割と暖かいし、私達は特に圧政を敷いてる訳でもない……。どうにも割に合わない(・・・・・・)気がするのよね」

「……!」
 マリウスが少し目を見開いた。女盗賊を捕まえる事ばかりに注力していたが、その目的まで深く考えた事はなかった。だが言われてみると確かに腑に落ちない。

 人口が少ない地方都市という事は、それだけ中原への影響力、情報発信力に劣るという事でもある。人々は帝都や州都で起きた事件には関心を寄せても、余り聞いた事もないような地方都市で起きた事件まで一々話題にしたりしない。義賊として名前を売りたいのであれば、明らかに仕事場のチョイスを間違えている。

 しかも小さな都市となると、それだけ衛兵の目も隅々まで行き届きやすくなり、大都市と比べて逃げ場所、隠れ場所も少なく捕縛のリスクは高くなる。

 加えて圧政がなく、市民の懐が暖かいという事は、富を再分配(・・・)しても感謝の度合いが低くなるという事で、義賊としての旨味ははっきり言えばかなり少ないはずだ。

「確かに、ね。うちはエロイーズも頑張ってくれてるし、圧政や不況という意味ではもっと酷い街は一杯あるし何でこの街なんだろう?」

 ソニアも撒いた位の腕前があれば、もっと華々しい活躍で名声を上げられる条件が揃った街は他にいくらでもある。例えばお隣のモルドバにしても、ここより人口が多い上に外政に積極的なイゴール公がかなりの重税を課している為、民の不満はそれなりに蓄積しているらしい。

 モルドバで義賊として活躍すれば、民には相当感謝されるだろうし、辺境とはいえ州都で起きた事件となれば帝国中に名声が広がる速さも、こことは比較にならないはずである。

 しかしこの女盗賊がモルドバでも仕事をしているという話は聞こえてこない。あくまでディムロスのみにターゲットを絞っているようだ。

「……何かこの街にしか無い、特定の物でも探しているんだろうか?」

 パッと思いつくのはそれくらいだ。ヴィオレッタが頷く。

「目的が分かれば対処の仕様もあるわ。……という訳で、今日からあなたも街の巡察に加わってくれるかしら? 政務の方はこちらで調整しておくから」

「僕も? それは構わないけど、何でまた?」

「うちの軍にあなた以上の使い手はいないわ。ソニアでも駄目だった以上、あなたしかいないでしょう? まずはその女盗賊と接触できないとね」

「なるほどね……。そういう事ならちょっと頑張ってみますか」

 どの勢力でも君主が直々に巡察に参加する事などまずない。その常識を覆す事で相手の意表を突けるかも知れないという狙いもあった。

「お願いね? 私の方でも独自に少し調べてみるわ」

 こうしてこの日の夜から、マリウスも夜間巡回に参加するようになった。
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