第二十二幕 麗武人母娘(Ⅵ) ~ミリアムの戦い

文字数 3,069文字

 同時刻。戦場のはるか後方。

「もっとです! ありったけの火矢を射かけて下さい! 敵の兵糧(・・)を残らず焼き尽くす勢いでっ!」

 可憐な、しかし凛とした声で部隊に号令を掛けるのは、まだ十代半ばを過ぎたばかりの少女ミリアムであった。少女の命令に大の大人達が従って、整然とした動作で火矢を射かける。


 彼等が放った火矢の先には……ゲオルグ軍の輜重部隊と兵糧があった。


 ミリアムはゲオルグ軍がやってくるよりも前から、数十人の手勢だけを率いて本隊から予め離脱していた。そして戦場となる平野近くの森に身を潜めながら、じっと開戦を待っていた。

 戦闘が始まると敵軍に見つからないように更に大きく迂回しながら、ひたすら敵の輜重部隊を探し続けていたのだった。

 後詰の騎馬隊に見つかりそうになった場面もあったが、何とかやり過ごして捜索を再開。余り時間が掛かると圧倒的に数で劣る本隊が壊滅してしまう。そうなればアーデルハイドもビルギットも無事では済まない。

 ミリアムは逸る心を必死に抑え込んで、極力慎重に敵軍の後方に回り込む事に成功。そして遂に丘の裏側に隠れるようにして陣取っていた輜重部隊を発見したのであった。

 次々と射かけられる火矢によって、敵の兵糧が燃え上がっていく。輜重部隊は必死に消火していたが、こちらは最初からこれが狙いで油や火種なども多めに携行している。このまま火矢を射かけ続ければ遠からず敵の兵糧を燃やし尽くせるだろう。だが……


「……!」

 敵輜重部隊の一部が放火を止めさせようと、武器を抜いてこちらに向かって殺到してきていた。数は2、30人程度か。残りは消火活動に当たっているようだ。

 人数だけならこちらと大差ない。だがこちらは火矢の斉射を止める訳には行かない。火の供給が止まれば程なくして消火されてしまう事は想像に難くないからだ。

 ミリアムは決断した。

「前列の10人は弓を置いて、私と一緒にあいつらを迎撃します! 中列と後列は火矢の斉射を続けて下さい!」

 剣を抜き放ちながら命令するミリアムに私兵達が驚く。

「な……嬢ちゃん、あんたも行く気か!? 相手は20人はいるぞ!?」

 彼等の懸念は尤もだが、今は時間が惜しい。ミリアムは激しくかぶりを振った。

「私とてお姉様達から常に手ほどきを受けてきました。あんな奴等に遅れは取りません! 今この場では他に選択の余地はないんです! 私に続いて下さい!」

「あ、おいっ!?」

 ミリアムは問答の時間も惜しいとばかりに、強引に駆け出してしまった。こうなっては私兵達も彼女を守る為に動かざるを得ない。

「……ったく! 流石はビルギット様が認めるだけあるぜ。大した嬢ちゃんだ!」
「全くだ! あんなお嬢ちゃんが命かけてるのに、大の男がビビッてちゃ様にならねぇな!」
「俺達も行くぞ! あの嬢ちゃんを守れ!」

 覚悟を決めた私兵達も剣や刀を抜いて、ミリアムを守るべく彼女の後に続く。



 走るミリアムの眼前に迫る殺気立った敵兵達。恐怖が無いと言えば嘘になる。ここには常に彼女を守り導いてくれた頼れる義姉はいない。その状況で敵と斬り結ぶのは今回が初めてであった。

「……っ!」

 しかしここで尻込みしていては、いつまで経っても独り立ちできない。いつかは乗り越えなければならない壁なのだ。しかも今はこの戦の勝敗自体がミリアムに掛かっている状況だ。ここで彼女が失敗すればアーデルハイドもビルギットも敗れて討ち死にする可能性さえある。

(やってやる……! 今度は私がお姉様達を守るんだ! いや、これからもずっと……!)

 姉を助ける、家族を守る。今まで常に守られる側だった少女は、自身が助ける側になった事を意識してかつてない程に発奮した。

「うわああぁぁぁぁぁっ!!」

 叫びは恐怖を振り切り、自身を鼓舞する為の儀式。自ら精神を賦活させた少女は、先頭の敵兵が突き出してきた槍を恐れる事無く冷静にその軌道を見切って躱した。

「……!?」
 まさかこんな少女に躱されるとは思っていなかった敵兵は、思わずバランスを崩してたたらを踏んだ。そしてそんな隙を見逃すようなやわ(・・)な訓練は受けていない。

「やぁぁっ!!」

 躊躇う事無く剣を一閃。敵兵の首を斬り裂いた! 舞い散る血しぶき。他の敵兵が一瞬動揺する。ミリアムはその隙も逃さず即座に最寄りの敵兵の懐に飛び込む。攻撃こそ最大の防御だ。 


 敵が動揺から立ち直る前に追随してきた私兵達が雪崩れ込むと、忽ち乱戦の様相を呈した。しかしミリアムは勿論、彼女の事を敬愛するビルギットから託された私兵達も、何としてもミリアムを守らねばという使命感に燃えて士気は非常に高かった。

 対して輜重部隊の兵士達は横柄な上司であるゲオルグに反感を募らせている者も多く、少なくとも彼の為に命を掛けようという気は殆どない者達ばかりであった。

 その士気の差が、数に倍する敵兵相手にミリアム達が持ち堪えうる要因となっていた。そしてミリアム達が身体を張って敵を食い止めている後方では、残りの私兵達が自身の任務を全うすべく火矢による斉射をひたすら続けていた。

 そして遂に……

「わあぁっ! も、もう駄目だ! これ以上は保たねぇ! お終いだぁぁっ!」
「逃げろ、逃げろ! 飢え死には御免だ! スロベニア領内の最寄りの村まで走れ!」

 消火活動に従事していた敵兵達が音を上げた。彼等が消火するペースより、こちらが火を点けていくスピードの方が早いのだ。それが遂に臨界点を迎えた。

 鎮火を諦めた兵士達がゲオルグらの叱責を怖れたのと、飢え死にの恐怖から一目散に自国に向かって駆け逃げていく。それを見てミリアム達と斬り結んでいた敵兵も、算を乱して我先にと逃げ始めた。



「や、やった……やりました、お姉様! やりました、皆さん! ありがとうございます! 私達の勝利です!」

 倍以上の敵兵相手に必死の抗戦を続けていたミリアム達だが、敵兵が逃げていくのを追いかける気力は勿論なく、その場にへたり込んでしまっていた。

 しかし轟々と燃え盛り、煙で空を黒く染め上げていく敵の兵糧を眺めている内に実感が湧いてきたミリアムが勝鬨を上げる。

「皆さんの協力なくしてこの成果は上げられませんでした! 本当にありがとうございました!」

 立ち上がって頭を下げるミリアムを私兵達は笑って制する。


「嬢ちゃん、頭を上げな。これは間違いなく嬢ちゃんの手柄だ。それに……()は兵を労う事はあっても、軽々しく礼を言ったりするもんじゃねぇぜ?」


「……!」
 ミリアムがハッとして顔を上げた。

「み、皆さん……」

「胸を張りな。あんたは間違いなく将の器だ。俺達が嬢ちゃんを守ってたのは勿論ビルギット様に頼まれたのもあるが、俺達自身があんたを死なせたくねぇと思ったからだよ」

「そうそう、途中からあんたに従うのも悪くねぇって思うようになってきてたんだよな」

 私兵達がそう言って笑い合う。彼等はミリアムを一端の武将として認めてくれたのだ。彼女の中に熱い物が込み上げる。


「さあ、俺達の仕事は終わりだ。後はちょっと休んでから本隊に戻るとしようぜ。流石にちっと疲れたしな」

 私兵の冗談交じりの言葉だが、本心も含まれているようだ。今までは戦の高揚で気付かなかったが、疲労しているのはミリアムも同じであった。

「そ、そうですね。私も……少し、疲れまし、た……」

 達成感で気が抜けると同時に急速に疲労と消耗が押し寄せて、ミリアムを抗えない眠気に誘った。その場に崩れ落ちるように倒れ伏してしまうミリアム。

 私兵達が大いに慌てて彼女を介抱したのは言うまでもない。
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