第二十一幕 麗武人母娘(Ⅴ) ~空剣強襲

文字数 3,355文字


「な、何事だ、一体!?」

「も、申し上げます! 我が軍の後陣が敵の騎馬隊によって攻撃を受け蹂躙されております!」

「……っ!」
 咄嗟にビルギットから距離を離して混乱を顧みるゲオルグに、息せき切った伝令が駆け付けて事態を報告する。すぐに事態を悟ったゲオルグはビルギットに向き直る。

「貴様ぁ……我が軍の半分以下の寡兵を更に二手に分けるだと? 正気か!?」

「正気も正気さ! 尤もお陰様で持ち堪えるのが本当にキツかったけどね!」

「……!」

 元々半分以下の兵力しかなかった所に、更に騎馬隊を切り離した実質300以下の兵数でゲオルグ軍の猛攻に耐えていたのだ。その事実にゲオルグが一瞬絶句する。


 少数とはいえ士気の高い騎馬隊に蹂躙された弓兵は一溜まりもなく、混乱から散り散りに逃げ惑い瓦解していく。

 そしてそれを為して、歩兵部隊の布陣をも突き破ってビルギット達の元に到達したのは……

「ニーナ! 待ってたよ!」

 ビルギットが喜色を浮かべる。騎馬隊を率いるのは真紅の麗武人……アーデルハイドであった。

「義母上! 遅くなって済まなかった! よくぞ持ち堪えてくれた!」

 義母を労ってからアーデルハイドはゲオルグに向き直る。

「ハルファルが太守、アーデルハイド推参! ゲオルグよ、貴様の思惑もここまでだ!」

「ぬぅ、貴様がハルファルの……。おのれ、一足遅かったか……!」

 ゲオルグが悔し気な表情で歯噛みする。混乱する戦場を背景にアーデルハイドは、ビルギットと挟み撃ちのような位置取りでゲオルグを包囲する。

「貴様が多少使う事はキーア殿から聞いている。だが我等2人を同時に相手取れる程か!?」

 これは道場の試合ではないのだ。2対1だろうと、それで勝ちを拾えるなら躊躇うべきではない。だが勝ち目のないはずのゲオルグが、何故か急にニンマリと嗤った。

「ぬふふ……馬鹿め! 戦力を温存していたのは貴様らだけではないぞ?」

「何……!?」
 アーデルハイドが眉を吊り上げる。それとほぼ同時に先程彼女達が立てた馬蹄の音より遥かに大きな、まるで地響きのような音が鳴り響いてきた。


「あ、あれは……騎馬隊か!」

 土煙を上げながら戦場へと突進してくるのは、優に200騎はいると思われる騎馬隊の一団であった。ゲオルグもまた騎馬隊を温存しており、このタイミングで手札を切ってきたのだ。

 ゲオルグ軍の騎馬隊は混乱する戦場を避けて、ビルギット軍の本隊目掛けて突入してきた!

 これまで辛うじて持ち堪え、アーデルハイドの奇襲によって勢いを盛り返した所を再び敵軍に強襲され、一気に劣勢に立たされるビルギット軍。そこら中で悲鳴や怒号が響き渡り、剣戟音や肉を断つ音、舞い散る血しぶきなどが戦場を支配し、更なる混沌に陥れる。

「ぬぅ……! まさか奴等も戦力を二手に分けていたとは。義母上! すぐに部隊の指揮に戻ってくれ! このままでは完全に瓦解する!」

「ああ! 悪いけどここは任せたよ、ニーナ!」

 このままだとゲオルグを討ち取るより先に本隊が潰走してしまう可能性が高い。ビルギットは急いで部隊に戻ろうと踵を返すが……

「――どこへも行かせん」
「っ!?」

 戦場の混乱から飛び出すように出現した何かが、ビルギットに向かって剣を一閃。

「あうっ!」

 辛うじて剣を掲げて受ける事には成功したが、恐ろしい程の衝撃は殺しきれずにそのまま体勢を崩して尻餅を着いてしまう。先のゲオルグの一撃すら児戯に思える程の威力と鋭さだ。

「は、義母上!?」

 アーデルハイドが慌てて駆け付けようとするが、その前に立ち塞がる者が。その隙の無い佇まいと滲み出る威圧感に思わずアーデルハイドの足が止まる。


「……ゲオルグ殿、お待たせした。さて、女共。貴様らの相手はこの俺だ」

「……!」
 アーデルハイドもビルギットも、この新たに現れた武人こそが敵軍の本当の指揮官だと悟った。体格の良い身体を武骨な鎧に包み、武人らしいがっしりした顔つきに、その髪や眉はアーデルハイドと同じ燃えるような赤。純血のガルマニア人だ。


「貴様……マリウス殿から聞いた事があるぞ。あのミハエルの護衛だったロルフとやらだな?」


 身体的な特徴に加えて、この凄まじい剣気。アーデルハイドは即座に確信を抱いた。男は否定しなかった。

「ほう、お前も……ガルマニア人か。だが任務は任務。同胞であろうと容赦はせん」

 男――ロルフは一瞬だけアーデルハイドに興味を抱いたように目を見開くが、すぐにまた元の無表情に戻って無造作に距離を詰めてくる。


「く……舐めるなぁっ!!」

 アーデルハイドは歯噛みして両手で剣を構えると一気呵成に斬りかかった。ロルフは特に構える事もなく自然体で迎え撃つ。

「ふん」
「……!」

 そしてアーデルハイドの渾身の斬撃は、ロルフの剣にあっさりと受け止められた。ロルフは小動(こゆるぎ)すらしていなかった。

「く、おおおォォォォッ!!」

 折れそうになる心を必死に奮い立たせ、自らを鼓舞するように気合の叫びを発しながら次々と連撃を仕掛ける。だがその全ては虚しく弾かれて終わった。

「ば、馬鹿な……」

「……女にしては良い剣筋だ。次はこちらの番だな」

「……!」
 アーデルハイドは慌てて剣を構え直す。次の瞬間にはロルフが猛烈な勢いで踏み込んできた。

(は、速い……!)

 横薙ぎに迫る斬撃を、それでも何とか剣を立てる事で受け止める。だがその衝撃までは殺しきれずに身体全体が揺さぶられる。

「ぐぅっ!」
 思わず呻き声が漏れるが、ロルフは一切の容赦なく追撃してくる。再び受ける事には成功したが衝撃による痺れは蓄積する。そして三度(みたび)ロルフの剣が煌めく。

「うぁっ!?」

 今度は受けきれずに、右の肩口を鎧の上から斬り裂かれてしまう。鎧のお陰で重傷を負う事は防げたが、隙間の部分を斬り裂かれて出血する。

 鈍い痛みが走り、アーデルハイドは堪らず左手で傷を庇いながら片膝を着いてしまう。


「……っ! ニーナ!」

 娘の危機にビルギットが後ろからロルフに斬りかかるが、彼はまるで後ろに目が付いているかのような挙動でビルギットの剣を躱すと、彼女の腹に拳を打ち込んだ。

「ぐふっ!」

 激痛と衝撃に両膝を落として呻くビルギット。ロルフはそれを冷徹な目で見下ろす。

「無駄だ。貴様らに俺は斃せん」
「く……」

 母娘が揃って唇を噛み締める。用兵や軍略であれば決して引けを取る事はないという自負があったが、直接戦闘となるとロルフのような達人級の相手は少々厳しいと言わざるを得ない。


「さて……生け捕りはこっちだけのはずだな。お前はここで死ぬがいい」

 腹を押さえて動けないビルギットを見下ろしたロルフは、片膝を着いたままのアーデルハイドに狙いを定めて近付いていく。

「ニーナ、逃げて……!」

「無駄だ。この状況で俺から逃げる事は不可能だ」

 娘を案じるビルギットの叫びを冷徹に切り捨てるロルフ。ロルフの踏み込みの速さを考えれば、例え万全であっても離脱は難しいだろう。ましてや負傷して剣を振るのも辛い状態である。抗う事は出来るが、それはただ苦しみを長引かせるだけだ。

 絶望的な状況。しかしアーデルハイドは些かも諦める意思なく、負傷を押して剣を杖代わりに立ち上がった。息は上がり汗に塗れ、負傷と疲労で足元もふらついている。それでも全く怯む事無く、鋭い目でロルフを見据えて剣を構える。

「愚かな……。どう足掻こうと貴様らに――」


 ――ドオォォォォ……ン!!


 爆音。どこか遠い所で何かが爆ぜた。ロルフの言葉が途切れる。そして普段余り動く事のない彼の目が大きく見開かれた。

 小高い丘の向こう、つまりロルフ達がやってきた先で火の手が上がっていた。かなり規模と勢いが強いらしく、立ち込める黒煙は瞬く間に空を覆い隠して、争い合う両軍に対しても否が応にもその存在感をアピールする。

「な、何だ、今の音は!? それにあの煙は……?」

「あの方角は、まさか……」

 ロルフだけでなく、ゲオルグも、そして彼等の兵士達もが突然上がった黒煙に戸惑いの気配を見せる。だが戸惑っているのは彼等だけであった。


「ふ……ふふふ……。やってくれたか。信じていたぞ、ミリアム!」


 アーデルハイド、ビルギット、それに彼女らの兵士達もこの黒煙の正体と意味を理解していた。それが文字通り、勝利の狼煙である事を!
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