第二十三幕 闇夜に踊る者(Ⅵ) ~面従腹背

文字数 4,407文字

 時は少しだけ前に遡る。

 モルドバの宮城。ディムロスよりはるかに広々とした謁見の間。玉座に座るのは勿論、オウマ帝国【公爵】たるイゴール・エミル・グリンフェルドその人。

 年齢は40半ば程で体力、気力、覇気ともに充実しており、その立場と勢力の大きさに相応しい貫禄と威厳が備わっていた。

 そのイゴールが眼光鋭く見下ろす先、そしてホールの左右に控えるイゴールの臣下達が注目する先に、一人の女性が立っていた。ヴィオレッタである。


「……数ヶ月前に、我が優秀な臣下であったジェファスが息子を殺害した上で出奔した。私は臣下を2人失ったのだ。確かあの時もお前の主君が絡んでいたような気がしたが、私の気の所為だったか?」

 その外見に相応しい威厳に満ちた声が、ヴィオレッタに重圧を掛ける。彼女は気圧されそうになる心を必死で支えた。今の段階でイゴールに睨まれ目を付けられる事態は何としても避けなければならない。

 それでいて自分達が彼の臣下であり太守の1人でもあるゲオルグと個人的に(・・・・)事を構える次第を説明し、納得させなければならないのだ。

 ヴィオレッタは素直に頭を下げた。

「あのジェファスは無辜の民を襲う山賊と結んでいた悪逆の徒。そしてこの国に仕えてからも数々の不正に手を染めていました。公も証拠(・・)はご覧になったはずです」

「ふむ、確かにな……。本来であればあやつは処断を免れぬ重罪を犯していた。だがお前達はそれを暴いておきながら、みすみすあやつを逃したな?」

「それは……」

 アーデルハイドとミリアムの機微に関しては、彼女らをよく知らない第三者には説明しづらい物であった。下手に口で説明しようとすると、脚色した物語で煙に巻こうとしていると思われる可能性もある。

(だったら……!)

 ヴィオレッタは意を決する。顔を上げて真っ直ぐにイゴールを見据えた。

「あら、イゴール公? 失礼を承知で言わせて頂ければ、私達がジェファスの罪を暴かなかったら、そもそもあの男は未だにのうのうとこの国で私服を肥やしていたはずですが?」

「……!」
 イゴールは眉をピクッと上げただけであったが、それよりは左右に控える臣下がざわめく。


「ほぅ、女……。それは我らが未だに奴の不正を見抜けなかっただろうと言っているのか?」

 向かって左側……つまり文官の側の最前列にいる男が発言する。ジェファスに替わってこの街の内政重臣に任命された男だ。確かクロヴィスという名だったはず。

「そもそもお前達が奴の罪を暴けたのも、単にジェファスの孫娘が駆け込んだからであろうが。それを……」

「そう。そもそもミリアムがこの宮城ではなく、隣街まで逃げ込まざるを得なかった事自体が、問題の一端を示しているとは思いませんか?」

「ぬ……!」

 クロヴィスを遮るような形で反論するヴィオレッタ。だがその無礼よりも言葉の内容にこそクロヴィスは不快気な表情で押し黙る。イゴールが肩を揺すった。


「くく……なるほど。確かにお前の言う通りかも知れんな。ではジェファスの事はいい。今現在の話をするとしよう」


 これ以上ジェファスの件を追求すると、自らの恥を晒す事になると考えたらしい。強気な態度に出た事が功を奏した。

「確かにゲオルグの奴が少々素行に問題がある事は知っておる。だがそれを承知で引き抜いたのだ。奴にはそれを補って余りある能力があるからな。その上で、お前達が我が臣下に狼藉を働くのを私が目こぼしせねばならん理由を是非聞かせてくれ」

「……ミハエル・フェデリーゴ・チェーザリという男をご存知でしょうか?」

「ミハエル? ……知っているか、アドリアン?」

 イゴールは自らの隣、玉座の傍らに立つ男を仰ぎ見る。イゴールの軍師であるアドリアンだ。

「……名前だけは。リベリアとガルマニアを中心に活動し、急速に名声を高めていた金融業者です。距離上の問題かこのトランキアにまでは進出していませんでしたが。しかし1年ほど前に詐欺行為の噂が広まり信用が失墜。いずこかへ行方を眩ましその後の消息は不明のはずです」

 情報収集能力は軍師の必須条件だ。流石に遠い中原の噂にも詳しい。イゴールが頷いた。

「なるほど、要は詐欺師という訳だな。で、その詐欺師がどうしたのだ?」

「……1年ほど前に、ミハエルの詐欺行為を暴いたのは他ならない私です」

「……何だと?」

 イゴールとアドリアンが少し目を見開く。

「ゲオルグはガルマニアにいた頃、そのミハエルと個人的に付き合いがあり多額の融資をしていました。しかし私がミハエルを失脚させた事で、あの男は大量の資金を失いました。ゲオルグが非常に我欲が強く執念深い性格である事は公も良くご存知のはず。奴は私怨だけで何の罪もない母娘を脅して義賊に仕立て上げ、我が国に間接的な『攻撃』を仕掛けてきているのです。公と正式に同盟を結んで多額の上納金も収めている我が国に、です」

「ふむ……」
 イゴールが顎髭をこする。黙考する主君に代わってアドリアンが口を開く。

「ゲオルグがそのミハエルと親交があったという証拠でもあるのか? なければただのでっち上げと謗られても文句は言えんぞ?」

「証拠ならあります。これは私がミハエルを探る情報収集の過程で入手した、ミハエルとゲオルグを結ぶ取引の記録と手紙です」

 ヴィオレッタは以前にファティマが入手していた証文を差し出した。事前にこの事態を予測して用意しておいたものだ。武官の1人が進み出てきてそれを受け取ると、イゴール達の元に受け渡した。

 イゴールがそれらに目を通し、アドリアンにも渡す。

「……確かにゲオルグの筆跡と印章に一致しますな。本物と判断して良いかと」

「そうか……」
 軍師の言葉にイゴールが溜息をつく。その様子に再びアドリアンがヴィオレッタに鋭い視線を向ける。2人の軍師の視線が交錯する。

「確かにゲオルグの奴がお前達を恨んでいるのは間違いないようだな。だがそれだけであやつを断罪し切り捨てる理由にはならん。ディムロスを悩ませている義賊がゲオルグと繋がっているというのは、全て状況証拠からの推察に過ぎない。こちらに関しても何か明確な証拠が無ければ、到底お前の訴えは聞き入れられん」

 それどころかイゴール公の幕臣に謂れのない疑いを掛けたとして、むしろディムロスに宣戦布告する材料を与えてしまう事になる。そして今、彼女の手元にはイゴールやアドリアンを納得させられるような証拠は存在しない。

 だが彼女は少しも慌てていなかった。信じているのだ。彼女の主君と親友なら必ずやり遂げてくれると。親友が彼女の期待通りの成果を上げてくれたならば、そろそろ(・・・・)のはずだ。


 とその時、謁見の間の入り口を固めていた兵士が外からの伝言を持ってきた。武官の1人がそれを取り次いで、玉座のイゴールの元まで歩いていき、何事かを耳打ちする。声は聞こえなかったが、その伝言の内容は予想がついた。マリウスとファティマがやってくれたのだ。


 イゴールの許可を受けた武官が謁見の間の扉まで走っていき、兵士に扉を開けさせる。その向こうから現れたのは、2人(・・)の女性。


 1人は砂漠人の女性、ファティマだ。そしてもう1人は、痩せて憔悴した様子の気の弱そうな中年の女性であった。やつれてはいるが中々の美貌だ。恐らくキーアの母親だろう。無事に保護出来たのだ。ファティマはヴィオレッタと目線で頷きあった。

 2人は謁見の間の中央……ヴィオレッタの横まで歩いてくると、ファティマは堂々と、女性はおどおどとした感じで平伏した。

「よい、面を上げよ。其の方、最近ディムロスで暴れている義賊の母親であるというのは誠か?」

「……っ! は、はい……。アルマと申します。それは間違いなく私の娘のキーアです……」

 イゴールに名指しされた女性――アルマは、ビクついて可哀想な程に顔を青ざめさせながらか細い声で答えた。

「ふむ……では事情を話してみるが良い」

「は、はい……実は……」

 アルマはビクつきながらも、これまでの経緯を語った。エストリーの宮城に召し出され、そのままゲオルグに軟禁された事。彼女が娘に対する人質だとゲオルグ自身にはっきり言われた事。そしてマリウスとファティマに助けられて、ファティマに護衛されながらモルドバまでやってきた事などだ。

 事情を聞き終わったイゴールはかぶりを振って、隣のアドリアンを見やった。

「……アドリアン。正直に答えよ。あの女がディムロスの回し者で、虚偽を語っていると思うか?」

 アルマが語っている間中、演技の兆候がないか射殺さんばかりの視線で見据えていたアドリアンが嘆息する。

「……いえ。嘘は言っていないと思われます。その上で先程そのアンチェロッティが語っていた話と彼女が提示した証拠とを併せれば、ゲオルグの独断専行は間違いのない事実であるかと……」

 アドリアンも認めた。大義名分は得た。たたみ掛けるなら今だ。ヴィオレッタは身を乗り出した。

「『同盟国』に対する独断の攻撃行為。そしてエストリーの街はすでに公の領土。つまりそこに住まう民も公の臣民であられます。その臣民に対する明らかな狼藉行為。イゴール公、これらをお見過ごしになられますか?」

「むぅ……」
 イゴールが唸る。恐らくゲオルグを引き抜く際に消費した資金や、ゲオルグを切り捨てた際に生じる損害を計算しているのだろう。ヴィオレッタは更に言を重ねる。

「そのような人物を重用し続ける事で生じる、将来的な損失、信用の失墜。公ならば改めて説明するまでもない事と存じますが」

 イゴールはゆっくりと顔を上げた。


「……いいだろう。ゲオルグの奴は惜しいが、この悪評が広まるのは私としても避けたい。奴は罷免した上で捕縛だ。ただちに衛兵隊を派遣しよう」


「……懸命なご判断、感謝致します、イゴール公」

 ヴィオレッタは、どっと肩と膝の力が抜けて虚脱しそうになるのを意思の力で耐えた。そして表面上はあくまで平然と頭を下げて礼を述べた。イゴールはそんなヴィオレッタを見て目を細める。


「もう何度目になるか分からんが、ディムロスなど捨てて私の下に来んか? お前の器量であれば私の妾として今より遥かに贅沢で安楽な暮らしが出来るぞ? 女の身で軍師のような激務をいつまでもこなせるものではあるまい。女には女の役割という物がある」

 ヴィオレッタはモルドバとの折衝でイゴールと顔を合わせる機会が多かったので、いつしか毎回このような口説き文句を受けるようになっていた。そしてそれに対する彼女の返事も決まっていた。

「ありがたいお言葉ですが、私の望みは後宮に入る事ではありません。私は私を活かす事の出来る人物に仕えたく思います。そしてそれはマリウス伯をおいて他にありません」

「……ふぅ。全く物好きで変わった女よの。気が変わったらいつでも私の元を訪ねてこい」

 恐らく半ば以上本気のイゴールの言葉を背に、ヴィオレッタ達3人は宮城を後にするのだった。
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