第十八幕 解語の妖花(Ⅲ) ~背徳の詐欺師ミハエル

文字数 3,764文字

 およそ一時間後……

 そこには静かに笑い合う2人の才女の姿があった。

「……完璧だと思っていたけど、やはり1人では見落としに気付けない物ね。このタイミングであなたが来てくれて本当に良かったわ、エロイーズ。うふふふ」

「いえ、見事な計画です。私も貴女が噂以上の智謀の持ち主と解って嬉しく思います、ヴィオレッタ様。ふふふ」

 互いを称え合う2人。この時代にあって女性の身で名声を上げた才媛同士だからこそのシンパシーのような物を感じたらしい。

「……あのう。一応、僕もいるんだけどね?」

 一方、蚊帳の外に置かれた形のマリウスは口を尖らせる。こういう細かい策略の打ち合わせは、彼の苦手とする分野であった。だからこそヴィオレッタが欲しいのでもあるが。

「うふふ、解っておりますわ。当日はマリウス様にもしっかり働いて貰いますから楽しみにしていて下さいませ」

「……! お、お手柔らかに頼むよ……?」

 ニッコリと笑うエロイーズの姿に若干引き気味になるマリウスであった。




 そしてその為の準備を整えるヴィオレッタ達。そこからそう間を置かず……遂に件の『大商人』ミハエルが取引(・・)の為にトレヴォリの街を訪れる日となった。


****


「やあやあ、これはミハエル殿! 遠路はるばるようこそお越し下さいました!」

 街の城門をくぐってすぐの大きな敷地。

 この街の太守であり、ヴィオレッタの一応の(・・・)主であるドメニコが、喜色満面に出迎え挨拶をしている。ヴィオレッタはその斜め後ろに控え、他の家臣と同じように立礼している。

 しかし彼女は目線だけを動かし、その先にいる人物を鋭い視線で見据える。

「こちらこそお会いできて嬉しく思いますぞ、ドメニコ殿。今回は良い取引が出来る物と期待しております」

 心にもない(・・・・・)笑顔でドメニコと握手を交わすのは……30代半ば程の痩せぎすのリベリア人男性で、綺麗に撫で付けた髪と髭に仕立ての良いゆったりとした絹服という姿で、どこから見ても大商人の風格が漂っていた。

 正にこの男こそがヴィオレッタが復讐を目論む相手、ミハエル・フェデリーゴ・チェーザリその人であった。

 ドメニコの態度を見ても解るように、今のミハエルは蓄えた私財を運用して、主に裕福な官吏や将軍、商人などを相手にした、金の預かりや貸付け、投資といった金融業を営む有能な商人として名を馳せていた。

 彼と取引をした相手は、何倍にも資産を増やしてより裕福になったという評判が広まり、ミハエルの取引相手に選ばれた(・・・・)と思い込んでいるドメニコは、ヨダレでも垂らさんばかりの勢いだ。

 だがヴィオレッタだけは知っている。ミハエルの本当の目的は、この街の財産を根こそぎ奪い尽くす事にあるのだと。ドメニコを待つのは栄華などではなく破滅だという事を。

 にこやかに挨拶するミハエルの目が一瞬冷たい光を帯びたのをヴィオレッタは見逃さなかった。彼女はそれと同時にミハエルの後ろに控える同行者達にも目線を配る。

 とても堅気の商人が連れている使用人とは思えないような、ガラの悪いゴロツキのような雰囲気の男達ばかりであった。そのまま賊にでも転向できそうだ。


 そんな連中ばかりだったが、一人彼女の目を引いた人物がいた。

 ミハエルの後ろに護衛のように控える大柄な男……。短い赤毛を刈り込んでおり、ガルマニア人のようだ。その表情も佇まいも鍛え抜かれた武人のそれであり、明らかに周囲のゴロツキ達とは風格が違っていた。

 その腰に佩く剣も、柄を見ただけで使い込まれている事が解る。周囲に油断なく視線を飛ばすその眼光の鋭さからも、只者ではないのが見て取れた。

(ミハエルの用心棒って所かしら? 少し厄介そうね。計画に支障がないといいけど……)

 予想していなかった懸念材料にヴィオレッタは眉をひそめる。しかし今更計画を変更する訳にはいかない。


「さあさあ、長旅でお疲れでしょう。城に部屋を用意させましたので、今宵はそちらでごゆるりとお休み下され。供の方々にも宿を取ってありますので案内させましょう」

 ドメニコがそう言ってミハエルを促す。

「ご配慮痛み入ります、ドメニコ殿。ではお言葉に甘えさせて頂きましょう。ただしこちらのロルフだけは私の護衛を兼ねておりますので、宿は必要ありません」

 ミハエルは後ろに控える武人――ロルフをチラッとだけ振り返って答える。ドメニコは特に訝しむ様子もなく首肯する。

「おお、そうでしたか。了解しました。では城の方へ参りましょうか。明日には歓迎の宴を開催致しますので、どうぞお楽しみ下さい」

 そうしてドメニコに促されて、ミハエルはロルフと共に城へ向かって歩いていく。ヴィオレッタは頭を下げた姿勢のまま、ミハエルの背に向かって睨み据えるような視線を送り続けるのだった……


****


 翌日。トレヴォリの城のメインホールでは、ミハエルを歓迎する為の宴会が催されていた。

 立食形式で参加客たちは卓に並べられた料理を思い思いに取り分け、その合間を縫って忙しそうに行き来する給仕達から飲み物を注げられる。

 壁際ではこの日のために呼ばれた楽士達が、落ち着いた雰囲気の楽曲を奏でている。参加客たちはそれぞれ歓談を楽しんでいた。

 主賓であるミハエルの周りにもご機嫌取りに忙しいドメニコを始め、街の官吏や武官達が集まってきていたが、それもようやく掃けてきた所だった。


「ミハエル殿。お楽しみ頂けていますか?」

 そしてそのタイミングを見計らってヴィオレッタはミハエルに接近した。昨日一度自己紹介で話したきりであったが、本番(・・)はこれからだ。

「おお、これはヴィオレッタ殿。この度は手厚い歓待、痛み入ります」

 ヴィオレッタの姿を認めたミハエルが破顔する。しかし彼女はこの男の目の中に一瞬だけだが、下卑た好色な視線を察知していた。

「……しかし貴女のような美しい女性が官吏などとは、何とも勿体無い(・・・・)事でございますなぁ? 少なくとも私には考えられない」

「……勿体無い、でございますか?」

 まるでこちらを値踏みし、品定めするような無遠慮な視線に、全身に鳥肌が立ちそうなのを堪えながら聞き返すヴィオレッタ。

「その通りです。常に男の傍らにあって、男を立て華を添える事こそが美しい女性の役割なのです。政治や軍事などむさ苦しい物は男に任せておけば良いのです。貴女はもっと楽な生活を送るべきだ。それが出来る美貌が貴女にはあるのですから。それを自らが働くなど宝の持ち腐れですぞ?」

「…………」

 妖艶な微笑みを浮かべながらミハエルの言葉を聞いているヴィオレッタだが、その内心は不快感で満たされていた。

(同じ口説くでも、あのマリウスとは正反対ね。彼は私の能力を認めて、共に国を作ろうと誘ってくれた……)

 だがその内心をおくびにも出さずに、逆に媚びを売るようにしな(・・)を作ってミハエルに密着する。

「うふふ、ミハエル様ったらお上手ですのね。私も悪女呼ばわりされるのはウンザリしていた所ですの。……もし大商人のミハエル様がお世話をして下さるというのなら、喜んでお側に侍りますわよ?」

「……! ほぅ……それは、願ってもない申し出ですなぁ」

 ミハエルが顎髭を擦りながら満更でもなさそうな様子になる。手応えを感じたヴィオレッタは一気に踏み込む。ミハエルの耳元に口を近づけて囁く。

「うふ、宴も(たけなわ)ですし……私の執務室まで行きません事? じっくりとお話をお聞きしたいですわ」

「ふふふ、それはそれは……。では、ご案内頂けますかな?」

 ミハエルは露骨にその顔を好色の色に染め上げて鼻息を荒くする。ヴィオレッタは内心で嘲笑するが、勿論一切面には出さずに艶然と微笑んだ。


「どうぞ、こちらですわ。……これ、後の事は任せましたよ?」

 ヴィオレッタはホールの入り口に控えていた侍女(・・)を呼び寄せる。

「はい、こちらの事はお任せ下さい。行ってらっしゃいませ」

 そう言って顔を上げた侍女は……エロイーズ(・・・・・)であった。彼女に見送られながらヴィオレッタはミハエルを連れて会場を後にする。

「……今の女性は?」

「私の侍女ですわ。ああ見えて役に立ちますのよ?」

 ぬけぬけとそう答えるヴィオレッタ。ミハエルは興味深そうな様子になって、ニヤニヤと顎髭を擦る。

「ほぅ……この街は美しい女性が多くて眼福ですなぁ」

「……嫌ですわ、ミハエル様。この私が目の前におりますのに……」

 心にもない台詞を口にしながら、少し拗ねた振りをする。するとミハエルは嫌らしい笑みが深くなった。

「おっと、これは失言でしたな。勿論、ヴィオレッタ殿のお美しさには負けますよ」


 そんな事を話している内に、彼女の執務室の前まで来た2人。ヴィオレッタが部屋の扉を開けてミハエルを促す。

 部屋には執務机の他に、人が二、三人ゆったりと座れるくらいの大きなソファが置かれていた。

「うふふ、さあ着きましたわ。ここでじっくりと『話し合い』を致しましょう?」

 ヴィオレッタはミハエルに腕を取ってソファへと導く。トロンとした眠たげな目は妖しく細められ、上目遣いに見上げる視線は蠱惑そのものだ。

 先にソファへと腰掛けて、スリットから限界まで露出した官能的な脚を存分に見せつける。ミハエルが生唾を飲み込むのが解った。

「……ふ、ふ、お手柔らかに頼みますぞ?」

 そうしてミハエルもソファへと身体を預けるのであった……
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