第十三幕 街膿撲滅大作戦(Ⅰ) ~街を蝕む膿

文字数 5,115文字

 現在ディムロスの街は急速に発展しつつあった。内務担当となったエロイーズが大胆に移民難民を受け入れ、積極的な開発計画に乗り出したのだ。

 ただ無節操に人口だけ増やしても、職にあぶれれば結局難民のままで治安の悪化を招くのみである。彼らは当然税を収める事もないので、街にとってはデメリットしかない。

 受け入れた難民たちに如何にして衣食住と仕事を提供し、税収を増やしていくか……。

 エロイーズは今までの自身の商売で蓄えた私財の殆どを供した。浪人時代にも必要最小限しか使わずに温存し続けていたのは、この状況を見越しての事であった。

 その私財を持って次々と公共事業を展開し、街を整備拡大させ、雇用を創出していった。移民難民達に、自分達の住む場所、働く場所を作らせる事を仕事としたのだ。彼らの給金も初期には全てエロイーズの私財から賄われた。要は初期投資という訳だ。

 事業が波に乗ってくれば、後は勝手に経済が循環し始め、安定した収入を得て暖かくなった移民たちの財布を当て込んで、商人達も集まってくる。

 行商人だけでなく、マリウスやエロイーズの認可の元、ディムロスに居を構えて店舗を出す商人も出てくる。市場にはそういった商店が立ち並ぶようになり、雇用によって財を得た市民達はこぞって市場に金を落とした。

 そうなれば商人達も忙しくなり、潤った資金で街の住人を雇うようになり、そこでまた新たな雇用が創出され……という風に、現在のディムロスは上手く経済が回っている状態であった。

 また当然農業の振興にも力を入れている。ディムロスの県内には荒れ果てた田畑や打ち捨てられた廃村などがいくつもあり、難民達のうち元々農民だった者に関しては、その多くをそうした農村の再興に回していた。

 現在のディムロスは兵糧の備蓄は愚か、市民の食事まで他所の街からの購入に頼っている状況であった。難民政策で一気に人口が増えた為に仕方のない事ではあったが、他の街ともいつ不穏な状況になるか解らない時勢において、いつまでも食糧を輸入に頼る訳にも行かない。

 外交に関してはヴィオレッタが頑張ってくれているが、やはり戦乱の世において限界という物はある。食糧自給率の向上もまた急務であった。

 収穫が安定すれば食糧自給率の問題だけでなく、農民が潤う事で市場に落とす金が多くなり、より経済が回るようになる。そういう目的もあった。


 それら政策全体の舵取りをしているのは勿論エロイーズだ。元が不景気のどん底にあったような街であった反動で、今街は空前の好景気に沸いていた。税収もうなぎ登りで、その金で新たな兵を募ったり騎兵を編成したりなど軍備を拡張する余裕も出てきた。

 ヴィオレッタやアーデルハイドの主導で、井闌や投石機などを建造する兵器廠も作られ始めていたが、それも元を正せばエロイーズが増やした税収のお蔭なのであった。

 武将や官吏達の俸給も管理している事もあって、今やマリウス軍の影の支配者などと揶揄される事さえある程だった。


 そんなエロイーズだが、勿論本人は自分が陰でそんな扱いとなっている事など露知らず。

 アーデルハイドの義妹ミリアムや、ソニアの親友ジュナイナなどを始め新たに軍に加わった者は殆が武官であった為に、文官の数が足りておらず相変わらずエロイーズに掛かる負担は大きかったが、本人はそれを何ら苦にする事なく、逆にかつてない充実感に満たされていた。

 自分の采配で街を動かしているという実感があった。これはただの商売では得られなかった感覚だ。この為にこそ彼女はマリウスの誘いに乗ったのであった。勿論マリウス自身が信頼に足る人物でなければ彼女は力を貸さなかったであろうが。

 彼を選んだ自分の見立ては間違っていなかった。



 今、エロイーズは宮城の執務室で民からの陳情を捌いている所だった。これもまた彼女の仕事だ。

 勿論最終的な決裁は君主であるマリウスが行うのだが、君主たる彼が民からの陳情全てに対応する訳には当然行かない。なのでその前にこうしてエロイーズが陳情の優先順位を選定し(ふるい)に掛けた上で、本当に必要だと判断した陳情のみをマリウスの元に上げているのであった。

 またマリウスの決裁を必要としないような本当に小さな陳情などは、彼女が独自に判断して対処する権限を与えられていた。

 今ディムロスは急速に発展している為、様々な場面でトラブルが発生し、民からの陳情は引きも切らない状態であった。特に難民を多く受け入れているので、その関連の陳情が多い。

 街中の難民関連のトラブルはソニアの担当なので、必要な情報を取捨選択した上で翌日ソニアに回すように手配していく。

 他にもアーデルハイドやヴィオレッタが担当している仕事での陳情もあるので、それも整理して各担当に回すように手配する。

 そうして大量の陳情を捌いている内に、いつしか外は暗くなり始めていた。部屋の燭台を灯して続けても良いが、それだと効率が落ちるし、そこまで急ぎの案件も無いので今日は次の陳情を最後に切り上げる事とした。

(あら? これは……)

 最後と思って目を通した陳情書の内容にエロイーズは少し興味を惹かれた。通常では余り見られない類いの陳情であったのだ。

(……何というか、マリウス様が好みそうな案件ですわね。想い人(・・・)とか……)

 そんな事を考えながら陳情書を読み進めていたエロイーズだが、とある名前が出てきた事でその細い目を少し見開いた。

(……! ボルハですって……!?)

 そのまま陳情書を読み終えると、彼女は机に両肘を立てて顎を支えると、その体勢のまましばらく何事か思案していた。

「…………」

 そして再びゆっくりと姿勢を戻したが、その時彼女の顔に浮かんでいたのは、ちょっと悪戯っぽい笑みであった。

(うふふ……マリウス様も連日の政務でお疲れでしょうし、少し気分転換(・・・・)も必要かも知れません。またトレヴォリの時のようにマリウス様と共同作業というのも楽しそうですわね)

 少し気分転換をしたいのはエロイーズ自身も同じであった。それがマリウスと2人での作業なら彼女にとっても楽しいものになるだろう。

 ヴィオレッタ勧誘の際のあのミハエル達との一件は、普段荒事とは縁遠い彼女にとっては実に新鮮な体験であった。マリウスの惚れ惚れするような勇姿を間近で見る機会にも恵まれた。

 あの時の事を思い出し、少し楽しい気分になるエロイーズ。

(よし! 早速明日にでもマリウス様にお話を持ち掛けてみましょうか。ふふ!)

 席を立ったエロイーズは、やや弾んだ気持ちで執務室を後にし屋敷へと帰るのだった……



****



「政略結婚?」

 翌日。マリウスの執務室を訪ねたエロイーズは、昨日の陳情の話を切り出した。案の定マリウスは目を丸くしていた。エロイーズは微笑みながら頷いた。

「はい。それを何とか阻止してもらえないか、という内容の陳情ですわ」

 最近この街に拠点を構える事になったある豪商が、借金の肩代わりに豪族の娘を娶ろうとしているらしい。その豪族からの陳情であった。

 それ自体はこの末法の世にあってそれほど珍しくはない事柄と言えた。だがそれだけに…… 

「変わった内容の陳情だね……。というかそれって僕らが介入しちゃっていい物なの? 折角この街に拠点を構えてくれた商人に、変な恨みを買って出ていかれちゃっても困るんだけど……」

 商人より豪族を贔屓して横車を通したと噂が立てば、他の商人達からの評判だって下がりかねない。商売のやりにくい街だと思われ、商人達に敬遠される事態は避けたい。

 だが他ならぬエロイーズがその辺の事情を解っていないはずがない。マリウスは探るような目になる。

「君の事だから、他にも何か理由があるんじゃ……?」

 するとエロイーズはあっさりと首肯した。

「うふふ、流石はマリウス様です。勿論私とて相手が真っ当な(・・・・)商売人であるならこのような事は致しません。実は、この相手の……ボルハという商人に問題があるのです」


 ボルハ・アセド・ブエンティア。金になる物は節操なく扱うイスパーダ人の雑貨商であるが、おおよそ良い噂を聞かない、いわゆる『悪徳商人』の類いであった。 


「私も商人時代にこの男の黒い噂は山程耳にしました。シャンバラとの取引で得た禁制品の麻薬の密輸や、買い占めや恐喝による市場価格の不正操作など、やりたい放題のようです」

 そしてそれはこの街に移ってきてからも変わっていない。いや、むしろ商人ギルドなども碌に発達していない青田買い市場であり、ボルハの影響力は更に強くなっている。それを見越していち早くディムロスに拠点を構えたのだろう。 

「この男が居座っている事で自由競争の場が失われ、むしろディムロスの発展は阻害されているといっても過言ではありません。他の商人達も不満を感じているようですが、ボルハの権勢が強く言い出せないのが現状です。それに加えて我が国の役人に対しても贈賄の疑いがあり、もはや看過出来ません」

 だがこれまでは確たる証拠がなく、放置せざるを得ない状況だった。いくら黒い噂があるとは言っても、噂は噂だ。それだけで強引に横車を押したり追い出したりすれば、気分次第で民を弾圧(・・)する暴君のレッテルを貼られる事になる。

 また強制的な査察を行ったとしても、その前に証拠を隠滅されたら終わりだ。それで何も見つからなければ、却ってボルハに借りを作る羽目になり増々ボルハの権勢が強まってしまう。

「そこで今回のこの陳情を利用できると考えました。外からが駄目なら、内から(・・・)崩せば良いのです。これを機に我が国を蝕む()を除去してしまおうかと。そこで是非マリウス様にもご協力頂きたく思いまして」

「なるほどね……。話は解ったけど、その利用する事になる豪族に関してはどうなの? こっちの都合で先方に迷惑を掛けるのは避けたいけど……」

 すると問題ないとばかりにエロイーズは即座に頷いた。

「それも勿論大丈夫ですわ。元々この婚姻の阻止が先方の望みですし、実際その通りになりますので。そしてこの豪族……エウスタキオ家は、今でこそ落ちぶれていますが長い歴史を持ち、この地方ではそれなりに名の知れた名門です。貸しを作っておくのは悪い事ではありません」

 それもまたエロイーズがこの件に介入しようと決めた要因であった。

「それに……婚姻させられる娘さんはまだ十代の少女の上、想い人(・・・)がいらっしゃるとか……。ボルハのような醜い悪徳商人に嫁がされるのは、同じ女として偲びありませんわ」

「……!」

 エロイーズがわざとらしく嘆息しながら、チラッとマリウスに視線を向けると、案の定彼は興味を惹かれた様子だった。

「へぇ……想い人が? それなら何としてもこの話を阻止しなくちゃならないね!」
 
「うふふ、先程までとは食い付きが違いますわね、マリウス様?」

 自由恋愛推奨派を自認するマリウスの事。先程までの消極的な様子とは打って変わったその姿に、エロイーズは微苦笑する。マリウスは若干決まり悪そうに咳払いする。

「おほん! ……それで、具体的にはどうするの? 君の事だから話を持ち掛けるからには、既に何か考えがあるんだろう?」

「勿論ですわ。具体的にはこのような計画を考えております……」

 そうしてエロイーズは『作戦』の説明に入った……




「ふむ、なるほど……。でもその娘さんに危険は無いかな?」

 エロイーズの『計画』を聞き終えたマリウスが、顎に手を当てながら尋ねる。

「その懸念は尤もです。だからこそ我が国一番の剣士であるマリウス様にご協力を仰いでいるのです。マリウス様が付いて下さるなら安心ですわ」

 彼女の持ち上げにマリウスも満更ではなさそうな様子になる。それにただの持ち上げという訳ではなく、自軍にマリウス以上の使い手がいないのは純然たる事実であった。

「ふふ、そう言われちゃ断れないな。それに不謹慎かも知れないけど、ちょっと楽しそうではあるよね。この所政務ばっかりで肩が凝ってたし、いい息抜きになるかも知れないな」

 若干ウキウキとした口調になるマリウス。その言葉は嘘ではなさそうだ。

(うふふ、お話を持ち掛けた甲斐がありましたわ)

 それを悟ったエロイーズも内心で大いに喜ぶ。エウスタキオ家には申し訳ないが、彼女も楽しい気分になっていた。

「ふふ、流石はマリウス様です。頼りになりますわ。それでは早速明日にでもエウスタキオ家の元に向かうと致しましょう」

 エロイーズ自身は勿論、マリウスも丁度政務に一段落付いたのを知っていたのもあって、この話を持ち掛けたのだった。


 こうしてエロイーズの計画した、『街膿撲滅大作戦』が実施される運びとなったのであった……
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