第十三幕 真紅の麗武人(Ⅲ) ~怨讐の末路

文字数 5,183文字

 ガルマニア州の北西部に位置するグラファス山岳地帯。その中腹に位置するとある場所で……虐殺(・・)が展開されていた。

(くそ……! 何故だ!? 何故こんな事に……!?)

 アーデルハイド・ニーナ・ヴァイマールは自身の身に起こっている出来事が信じられなかった。

 いや、何故こんな事になったのか理由は明らかだ。だが彼女はそれを認めたくなかった。

 既に残り少ない手勢を率いて、必死に山からの脱出を目指して走る。だが両脇がそそり立った谷のような場所に差し掛かった時、崖の上から山賊の伏兵が姿を現し、矢の雨を射掛けてきた。

「くそっ、ここもか! 退け! 迂回しろっ!」

 矢に射抜かれて更に何十人もの兵士が悲鳴と共に脱落する。アーデルハイドは声の限りに叫ぶ。既に山岳のあちこちを駆けずり回らされ、兵士達は勿論アーデルハイド自身もボロボロの有様だった。


 事ここに至っては認めるしか無かった。彼女は敗北したのだ。【賊王】ドラメレクの軍に……。


 長年探し続けた仇敵の所在が知れた事で極端に視野狭窄に陥った彼女は、急く余り兵士達にかなりの強行軍を強いてしまっていた。

 ブラムニッツからこのグラファス山岳地帯まで馬で3日は掛かる距離だ。それをたった1日で踏破してしまったのだから、その強行ぶりが窺える。

 もうこの時点で兵士達の士気は下落しており、馬も人も体力的に殆ど限界だった。この状態で山賊討伐など無茶もいい所だが、彼女はその無茶を強行した。その時のアーデルハイドは、ドラメレクの胸に自分の剣を突き立てる姿だけを想像して、他に何も見えていなかったのだ。

 そして実際に山に分け入ったアーデルハイドは、待ち構えていたドラメレクの軍に遭遇した。どちらも300人程度の部隊で、兵力はほぼ互角。アーデルハイドは慎重に戦わねばならなかった。


 だが彼女はここでも致命的なミスを犯した。現れた賊軍の中央……そこに『奴』の姿を認めてしまったのだ。


 黒く濃い髪と長く延ばした髭。左目の傷。その凶悪で威圧感のある人相。10年前とそれ程姿が変わっておらず、アーデルハイドは一目で解った。解るしかなかった。

 ドラメレクの姿を目にした途端、アーデルハイドのこの10年の記憶は失われ、彼女はただ村を滅ぼされ妹を殺され復讐に燃える少女に成り下がった(・・・・・・)

 烈火の如き怒りを持って、全軍で突撃を仕掛ける。ただ憎きドラメレクの首を取る事しか頭になかった。

 しかし……それは戦巧者の山賊王の罠だった。即座に身を翻したドラメレクによって誘導され、気づけば待ち構えていた伏兵に包囲されていた。

 四方八方から浴びせられる矢の雨や落石。アーデルハイドが正気(・・)に戻って己の失態を自覚した時には全てが手遅れだった。


 そして現在に至る。

 絶望的な逃避行を続けるアーデルハイドは次第に肉体的、精神的に追い込まれていった。伏兵や罠による奇襲に次ぐ奇襲で、いつしか最後の一兵も居なくなっていた。彼女は1人になっていたのだ。

 敵の山賊たちがわざと彼女だけを避けて矢を射掛けていたのだが、勿論アーデルハイドがそれに気づく事はない。

 今彼女の頭には、生きてこの地獄から抜け出す事以外に何もなかった。

 そしてやはり敵の狙いが読めずに、巧みに誘導されているとも気づかず死地に飛び込んでしまった。


「あ……あ……そんな」

 行きにも通った道に差し掛かり、これで逃げられると勇み立ったのも束の間、彼女の目の前には巨大な落石によって塞がれた道があった。

 彼女らが進軍した後、予め逃げ道を塞がれていたのだ。そしてそれに気づかずまんまと袋小路に、自分から入り込んでしまった。

 そして……それを待っていたかのように、背後に大勢の人間の気配……。

「…………」

 アーデルハイドはゆっくりと振り向いた。そこには……100人近くの薄汚い荒くれ者達が、彼女の逃げ道を塞いでいた。どいつも顔に下卑た笑いを浮かべている。

 そしてその山賊たちの壁を割るようにして、1人の男が進み出てくる。

「ふん……やはりこの程度か。所詮は女。期待外れだったな」
「……!!」

 傲慢な眼差しでこちらを睥睨する男……。それは、【賊王】ドラメレクその人であった!


****


「あーあ……やっぱりこうなっちまったね。どうするんだい、マリウス? アタシらがノコノコ出ていっても焼け石に水だよ、こりゃ」

 そう言って嘆息するのはソニアであった。横にはマリウスの姿もある。

 彼等はアーデルハイドの軍に見咎められない程度の距離を保ちつつ、ずっと尾行していたのだった。

 そしてやはりアーデルハイドを追うように山岳地帯へと踏み入り、隠れながら戦況の推移を見守っていたのだ。何せこちらはたった2人だけである。山岳という事もあり隠れ場所には事欠かなかった。

 そしてアーデルハイドがみすみす敵の罠に嵌って敗走し、どんどん袋小路に追い込まれている状況を眺めていた。

「ふむ、そうだね……」

 マリウスは顎に手を当てて考える。確かにソニアの言う通り、この状況でただ2人が加勢に入っても殆ど意味は無いだろう。

(山賊たちはわざと彼女だけを殺さずに残そうとしているようだ。だったら……)

 マリウスが考えている通りであれば、そこに必ず付け入る隙がある筈だ。マリウスは無闇に飛び出す事をせずに、戦況を追いながら慎重にその時(・・・)を待つ。


 そして……遂に決定的な状況が訪れた。

 とうとう一人になったアーデルハイドが落石によって塞がれた道に追い詰められ、周りを大勢の山賊たちに囲まれている。完全にチェックメイトだ。

 そしてその賊達の後ろから1人の男が進み出てくる。明らかに周りの賊達とは雰囲気というか格とでもいうのか、とにかくそういうモノが全く異なっていた。

「……ソニア。あいつが?」

 マリウスが小声で確認すると、ソニアも神妙な表情で頷いた。

「ああ……以前に見た人相書きの通りだ。あいつが【賊王】ドラメレクだよ……」

「なるほど……やはりね」

 マリウスは得心した。そして自分の予想が当たっていた事を確信すると、アーデルハイドを救うチャンスは今しかないと判断した。

「……よし。じゃあ今からちょっと彼女を助けてくるよ」

 マリウスが当然のようにそう言うので、ソニアは唖然とした。

「アンタ正気で言ってんのかい!? あそこだけで100人くらいはいるよ!? 多分他にももっといるだろうし……」

「分かってるよ。大丈夫、考えならあるさ。……でも正直ちょっと綱渡りになるから、悪いけど君はここで待っててくれ」

「な、アンタ何を言って…………あっ!?」

 ソニアが信じられないものを見るような目で見やった時には、既にマリウスはブラムドから降りて斜面を駆け下っていた。ソニアが止める間も無かった。


****


(く、くそぉ……ここまでなのか……? 『奴』を目の前にしながら……!)

 アーデルハイドは剣を構えながらドラメレクを睨みつける。だがその内心は屈辱と後悔と無念とが渦巻いていた。

 ドラメレクはそんな彼女を、つまらない物でも見るような目で睥睨する。

「ふん……残っているのはお前だけだぞ、女。身の程知らずにも俺を討伐に来た連中は例外なく皆殺しにしてやったが、お前は中々の美貌だ。降伏して命乞いしてみろ。俺の性奴隷になると誓えば命は助けてやるぞ?」

「――――ッ!?」

 八つ裂きにしても飽きたらぬ仇敵からの、余りにもこちらを見下した屈辱的な提案。周囲を囲む部下の山賊たちが下品な笑い声を上げる。

 瞬間的にアーデルハイドは全身の血が沸騰するような怒りに燃えて激発した。


「ふ、ふざけるなぁっ!!! 誰が貴様のモノなどにぃぃぃっ!! 貴様だけは刺し違えてでもっ!!」


 今、彼女の目の前では、10年前の故郷の村での惨劇の光景が広がっていた。妹に突き刺した血まみれの刀を手に佇む首領ドラメレクの姿。

 怒りと憎しみに燃える少女は、剣を手に首領に刺し殺さんと突進する。その憎き心臓に剣を突き立ててやる。それで全部終わりだ。少女は叫びながら、がむしゃらに剣を突き出す。だが……

「ふん……」
「……っ!」

 ガキィッ!!! という無情な金属音と共に、少女の復讐の刃は容易く弾かれた。

 ドラメレクの手には、先程まで腰に佩いていた巨大な蛮刀が握られていた。それを目にも留まらぬ速さで抜き放って、アーデルハイド(・・・・・・・)の剣をあっさりと受け弾いたのだ。

「な……く、くそ!」
「……話にならんな。今度はこちらの番だな」

 驚愕して慌てて剣を構え直すアーデルハイドの姿に、ドラメレクはやはりつまらなそうに鼻を鳴らして前に踏み出した。そして蛮刀を横薙ぎに一閃。

「え……ぅあっ!?」

 アーデルハイドには殆ど何が起きたのか分からない程の素早い踏み込みと斬撃。剣に物凄い衝撃が加わり、気付いた時には剣が手から弾き飛ばされていた。

 その衝撃に押され、地面に無様に尻餅を着いてしまう。


「あ……あぁ……」

 彼女は絶望と共に理解した。目の前の男にはどう足掻いても勝てないのだと。彼女が仇を討つことは不可能なのだと。そして……何も出来ずに自分も妹の所へ行く事になるのだと。

「く……くそぉ……! 私は……こんな所で……!」

 自分のこれまでの10年は何だったのか。余りの悔しさと情けなさに、その目から涙がこぼれ落ちる。

「ふん、興が醒めたわ……」

 ドラメレクはそんな彼女を冷徹な目で見下ろすと、蛮刀を鞘に納めた。

「もういい、殺せ」

 最早アーデルハイドに一片の興味も失せた様子で、無造作に部下達に命令する。自分で手を下す価値すらないとでも言うのか。すると待ってましたとばかりに山賊たちの何人かが進み出てきて、卑しい笑みを浮かべながら自分達の首領を窺う。

「へへへ、お頭……。この女、殺す前に俺らで楽しませてもらってもいいですかね?」
「――ッ!?」

 絶望に虚脱していたアーデルハイドは、不穏な台詞を耳にしてギョッとしたように顔を上げる。そして獣欲に濁った目で自分を見下ろす男達の視線に全身総毛立った。

 それまでドラメレクへの復讐心から我を忘れていたが、よく考えれば……いや、よく考えなくともこの事態は当然予測して然るべきであった。

「……もう興味はない。好きにしろ」
「……っ!」

 チラッとだけ自分を一瞥し吐き捨てるように許可するドラメレクの態度に、アーデルハイドは目の前が真っ暗になるような恐怖を感じた。

 そして自分に背を向けて立ち去っていくドラメレクの後ろ姿。それと入れ替わるように下卑た笑いを浮かべた数人の山賊たちが彼女の視界を塞いだ。

「へっへっへ……こりゃ久々の上玉だぜ」

「自分からノコノコ俺達に犯られに来てんだから笑えるよな」

「見ろよ、あの気の強そうな顔が泣きそうになってんの……堪んねぇな」

 口々に下衆な欲望を吐き散らしながら、醜い嗤いに顔を歪めてアーデルハイドを取り囲む山賊たち。

「や、やめろ! 来るな! 来るなぁっ!!」

 アーデルハイドは顔を真っ青にしながら、尻もちを着いた体勢のまま後ろに這い下がる。剣も弾き飛ばされているので、最低限の自衛手段すらない。

 そしてそんな彼女の様子は、当然ながら下衆な男達を喜ばせる事にしかならない。アーデルハイドの目に悔し涙とは違う種類の涙が漏れ出る。

(い、嫌……嫌だ……。こんなの……た、助けて……助けて、誰かぁっ!!!)

 勇敢で男勝りな女武人の姿はそこにはなく、全ての虚飾を剝がされた哀れで無力な1人の女性だけがそこにいた。自分の力を過信して冷静さすら失った愚かで哀れな女の自業自得の末路……。そんな愚者の願いを聞き届ける存在などいるはずもなく……いや、いないはず(・・)であった。

「へへへ、じゃあまずはその邪魔っけな鎧から――」 



「――汚い手で彼女(・・)に触らないでもらえるかな?」



 山賊たちとは明らかに違う、落ち着いた雰囲気の若い男の美声が聞こえた。それと同時に……鞘走りの音。

「お――」

 そして次の瞬間には、アーデルハイドを暴行しようとしていた山賊たちの動きが止まっていた。

「え……?」

 アーデルハイドが思わず見上げる先で、山賊たちの首が……身体からズレていく(・・・・・・・・・)。そして完全に身体から離れた首が地面に落ちるのと同時に、残った首のない胴体がドサッと倒れ伏す。

「な……」

 アーデルハイドには何が起きたのか解らなかった。ただ唖然とその姿(・・・)を見上げるのみであった。目の前の光景が信じられなかった。何故なら倒れ伏した山賊たちに替わって彼女の視界に写ったその姿は……

「やあ、アーデルハイド殿。お怪我はありませんか?」

 場違いに爽やかな声。その声、その顔に彼女は憶えがあった。だからこそ余計に信じられなかったのだ。

「あ、あなたは……マ、マリウス、殿……?」

 それは間違いなく、ブラムニッツから出立する際に会話した軟派な浪人、マリウス・シン・ノールズと名乗った男性であった!
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