第四十五幕 敗者への挽歌

文字数 4,077文字

「いやー、いい物を見せてもらいました。やはり若人(・・)達が互いに認め合い、友情を確かな物にする光景はいつ見ても感動しますねぇ!」

 暢気な表情で拍手するのはビルギットだ。少し前からいたようだが、場の雰囲気を慮って静観に徹していたらしい。マリウスは彼女にも向き直った。

「お疲れ様でした、ビルギット殿。あなたもあのギュスタヴを相手取ってのご活躍、お見事でした」

「いやぁ、なんのなんの! あれくらいしか取り柄がない物で。お役に立てたようで本当に良かったですよ。私もマリウス殿とオルタンス殿に助けられた立場ですから、お二人にお礼を言わせて頂きますよ」

 あのままガレスが暴れていたら、ビルギットの部隊は確実に食い破られていたはずだ。それを防げたのは2人がガレスを抑えていてくれたからに他ならない。


「さて、こうして戦勝を祝っていたいのは山々なんですが、生憎ダンチラ街道の方ではまだ娘達が必死に戦っているはずです。もしお許し頂けるなら騎馬隊を拝借して、娘達の援軍に向かわせて頂きたいのですが」


「……!」
 ビルギットのその言葉にヴィオレッタ達の表情も引き締まる。そう。この場では勝利したが、まだガレス軍自体が滅びた訳ではない。特にまだ情報が届いていない東軍は今も激戦のさなかにあるはずだ。

 マリウスは大きく頷いた。

「勿論です、ビルギット殿。こちらもあなたさえ宜しければ、すぐにアーデルハイド達の救援に向かって頂きたく思います。あなたが援軍に現れ西軍が勝利した事を声高に喧伝してやれば、恐らく敵の東軍は勝手に崩れるでしょう」

「ありがとうございます、マリウス様。それでは早速向かわせて頂きますよ」

 礼もそこそこに戦を終えたばかりの疲れも見せずに、マリウスが率いてきた騎馬隊の方に走っていくビルギット。どうやら上辺の態度とは裏腹にかなり気が急いている様子だ。それも無理からぬ事であった。

 ヴィオレッタがその背中に向かって叫ぶように指示する。

「ビルギット殿! 敵が退却したら、あなた達はそのままグレモリーに攻め入って欲しいの! 防衛戦や強行軍で疲れているとは思うのだけど……」

「なるほど! 敵に態勢を立て直す暇を与えず、だね! 了解したよ! こっちは大丈夫ですから任せといて下さい!」

 ビルギットは片手を上げて了解の意を伝える。流石にこちらの意図にすぐに気付いてくれたようだ。彼女は自らも空いている軍馬に騎乗すると最低限の物資だけを携行し、騎馬隊の指揮を取って、後は脇目も振らずに東に向かって駆け戻っていった。



「……東軍の方はビルギット殿やアーデルハイド達に任せておけば大丈夫だ。きっと上手くやってくれる。僕達は僕達の役割を果たそう」

 駆け去っていくビルギット達を見送ったマリウスがヴィオレッタを振り返る。彼女は神妙に頷いた。

「そうね。ファティマもいるし問題ないと思うわ。それじゃ今後の事を説明するわね」

 ヴィオレッタはそう言って、集まった面々を見渡した。


「皆、聞いて。私達は先程ビルギット殿が言っていたように、敵に態勢を立て直す暇を与えず、このまま一気にキュバエナに侵攻するわ。グレモリーはアーデルハイド達を信じて任せるから、キュバエナを落としたらその勢いを駆ってムシナまで攻め入るのよ」


「……!!」
 ソニア達が息を呑んだ。容赦なき電撃侵攻。つまりヴィオレッタはこのまま一気にスロベニア全土を制圧して、ガレス軍を滅ぼすと言っているのだ。
 
「奴等は今回の敗戦で士気が極限まで下がって大混乱を来たしている。逆に言うと今この時を逃せば、二度とこんな機会は訪れないと断言できるわ。この機会を絶対に逃す訳には行かないのよ」

 奴等にはシャンバラとの独占貿易という強みがある。しかもスロベニアは天然の要害ともいえる地形だ。もし城に籠って徹底的に防衛に徹せられると非常に厄介な事になる。そうされる前に奴等が混乱している内に、全ての拠点を攻め落とすのだ。

「なるほど、そういう事かい。どの道このままで済ますつもりはないんだ。じゃあこのままキュバエナの攻城戦と行くかい!?」

 ソニアが気勢を上げる。それに触発されてジュナイナ達や周りの兵士達も意気軒高となる。ヴィオレッタは頷いた。

「ええ、そうね。尤も……私の策が上手くいっていれば、その必要もなくなるかもしれないけどね」

「え?」

 ソニアが訝し気にヴィオレッタを見た。彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべていた……


*****


「おのれ、おのれ、おのれぇぇぇっ!! あやつらめぇっ!!」

 ミハエルは敗残兵たちと共に潰走しながら、ヴィオレッタや予想外の援軍で自分の絵図を打ち砕いたマリウスへの呪詛を吐き散らしていた。

 こんなはずではなかった。あそこでガレスを投入した判断は間違っていなかったはずだ。事実ガレスはマリウス軍を木っ端のように蹴散らし、潰走寸前まで恐慌を与えていたのだ。

 まさか利き腕を失って戦線離脱したはずのマリウスが援軍に駆け付け、尚且つガレスと互角に渡り合えるなどという状況を誰に予想できたであろうか。

 そしてマリウスの参戦に鼓舞された敵軍は息を吹き返し、逆に味方の軍は意気を挫かれた。

 たった一つの誤算から全てが崩れ去ったのだ。


「確かに今回の戦は俺の負けだ。だがな……このままでは終わらんぞ?」

 気を取り直したミハエルの顔が邪悪な笑みに歪む。このままキュバエナの城に退却して立てこもり、ひたすら奴等の攻撃に耐え抜くのだ。そこを凌いでしまえばこちらの物だ。

 シャンバラとの交易で再び国力を蓄える事は容易だ。そしてモルドバを支配するイゴール軍は今回の戦で勝利したマリウス軍に脅威を感じて、二度と同盟を結ぼうとはしないはずだ。

 そうなれば奴等は北に対しても備えをしなければならなくなる。そこを狙って再び攻め掛かれば、今度は確実に勝てるはずだ。

「見ていろよ、マリウスめ。そしてあの女どもめ。貴様らの思い通りにはさせん。今回は貴様らに勝ちを譲ってやるが、それは所詮一時の勝利にしか過ぎん事を思い知らせてやるわ!」

 ミハエルはマリウス達への報復を決意して、後はひたすらにキュバエナへの道を急いだ。そしてようやくキュバエナの街が見えてきた所で……


「な……馬鹿な。何故門が閉まっている? それに、あの旗は……まさか」


 キュバエナの街の城門は、まるで自分達を拒絶するように固く門を閉ざしていた。そしてその城壁には……マリウス軍の旗(・・・・・・)がこれ見よがしに掲げられていたのだ!

「まさか……いや、あり得ん! ロルフ! 様子を見てこい!」
「は……」

 ミハエルに命令されたロルフが城門に近付く。すると城壁から一斉に兵士達が現れて、ロルフに向かって矢を放ってきた。

「……!」
 矢の雨を斬り払いながら慌てて退避するロルフ。すると城壁上の兵士達の間からやはり同じように弓を携えた黒い軽鎧の女性(・・・・・・・)が現れた。


「私はマリウス軍のキーア・フリクセル! このキュバエナは私達が占領しました!」


「……っ!!」

 それは紛れもないマリウス軍の将の1人であった。街道上で戦争していた自分達を掻い潜って領内の城を占拠する方法は一つしかない。

「……ヴラン山脈を越えてきた奇襲部隊か!? おのれぇぇぇっ! ゲオルグの奴め! 失敗しおったかぁっ!!」

 事態を悟ったミハエルは割れんばかりに歯軋りしていた。


*****


 時は少し前に遡る。ミハエルの読み通りにゲオルグの部隊に釣られたキーア達は、自分から罠に飛び込んできた。

 ミハエルの作戦では入念に罠を準備して待ち構え、襲ってきた奇襲部隊を逆に殲滅できるはずであった。

 しかしここでミハエルにとっての誤算が生じていた。ミハエルの作戦をただの取り越し苦労だと決めつけたゲオルグは、罠など仕掛けておらず、それどころか不平不満を漏らしながら、たらだらと過ごしてだらけきっていたのだった。

 実際にキーア達が強襲してきて辛うじて応戦はできたものの、士気の差は明らかで、旗色が悪くなったゲオルグは自分の命優先であっさりと逃げ出してしまったのだ。

 結果、多少の損耗はあったものの、何とか部隊としての規模を維持できたキーア達は、そのまま下山してヴィオレッタの作戦通り、手薄になったキュバエナを制圧したのであった。

 ミハエル達は勿論善政など敷いておらず逆に重税を課して好き放題やっていた為、市民の抵抗や反抗なども勿論なく占領はスムーズに進み、200に満たない規模の部隊で街一つを制圧する事ができてしまった。そこはヴィオレッタの読み通りであった。

 そして現在に至る。


*****


 歯軋りして唸るミハエルの元に伝令が息せき切って駆け付けてくる。

「た、大変です! マリウス率いる敵本隊が我等を追撃してきている模様です! このまま城に入れなければ奴等に捕捉されてしまいます!」

「……っ!」
 ミハエルの顔が引き攣る。そんな事になればこちらは敗残の身で士気はどん底まで落ちているので戦いにすらならない。今度こそ逃げ場も無いまま殲滅されるだけだ。

 その動揺はすぐさま周囲の兵士達にも伝播する。しかもガレスと互角に戦ったマリウスの強さは多くの兵士が目撃している。そのマリウスが直接自分達を殲滅する為に追ってきているという恐怖は、目の前で城門を閉ざされ逃げ場のない状況と相まって、兵士達を更に浮き足立たせる。

「い、嫌だ! 俺は逃げるぞ!」
「あ、待て! 俺も行く!」
「もう付き合ってられるか! 命あっての物種だ!」
「逃げろ! 逃げろぉ! もうお終いだ!」

 兵士達が次々と算を乱して遁走していく。ただでさえ士気が皆無の敗残兵だ。もうこうなると統制は不可能だ。

 安全な城の中に逃げれば助かるという思いで辛うじて保ってきた士気が完全に崩壊した。最早烏合の衆以外の何物でもなかった。

 あちこちの方向に自分勝手に逃げ散っていく兵士達。ここにガレス軍はその形を失い自然消滅する事となった。

「おおのれぇぇぇぇっ! 女狐ぇぇ!! マリウスゥゥゥゥッ!!!」

 ミハエルの怨嗟の叫びは、兵士達の悲鳴や足音に紛れて虚しく消滅していった……
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