第十五幕 死神討伐作戦(Ⅰ) ~女傑と義賊

文字数 4,227文字

 ガレス軍に対する勝利とスロベニア郡の統合。そしてイゴール軍との戦争の特需。ディムロスを中心として空前の好景気に沸くマリウス軍領内であったが、最近になってその好景気に陰りが見え始めていた。

 といっても勿論単純に不景気に傾いてきたという訳ではない。政治や経済の活動の結果による内的な要因ではなく……より『外的要因』によって経済が停滞し始めていたのだ。

 外的要因には様々な種類があり、疫病や大規模な災害などがこれに含まれる。しかしそうした天災とは異なり、今回の外的要因は……明らかな人災(・・)であった。




 セルビア郡とスロベニア郡の両郡、そしてギエルとキュバエナの両県を結ぶヨハニス街道。マリウス軍とガレス軍の運命を決定づけた、かの【トランキア大戦】の舞台としても有名になった街道だが、本来は都市間を結ぶ主要な交易路としての役割が大きい。

 普段は多くの旅人や隊商が行き交う賑やかなこの街道も、ここ最近の領内の不景気の影響でめっきり人通りも少なくなっていた。

 しかしこの日は、そんな閑散とした街道を一組の小規模な隊商がキュバエナに向かって南下していた。行商人が1人と、積み荷を搭載した馬車が一台。そしてそれを護衛する用心棒の傭兵2人という、最小規模の隊商だ。

 行商人は余り裕福そうではない疲れた感じの壮年男性であったが、護衛の2人はフードや外套を目深に被って自らの外見を隠した怪しげな風体であった。

 隊商を率いる行商人の顔は、これから商売で金を稼ぎに行くという意気込みや喜びのような感情は一切なく、恐怖に引き攣って青ざめた表情でおっかなびっくり周囲を見渡しながら歩いていた。

 現在マリウス軍の領内は安定しており治安も良く保たれている。なので小規模な行商でも安心して街から街への行き来が出来るのが売りであった。にも関わらず行商人がこのような表情を浮かべている理由は、まさにここ最近のディムロスを中心とした不景気の原因(・・)が関係していた。


「……そろそろ被害が頻発している危険地帯(・・・・)に差し掛かります。危険地帯は他の街道にもありますが、充分用心して下さい」

「……っ!」

 護衛の1人が発した警告に、行商人は可哀想なほどに顔を引き攣らせる。警告した護衛はその怪しげな風体とは裏腹に、耳触りの良い優美な女性(・・)の声音であった。

 もう1人の護衛が、ビクついている行商人の背中を豪快な調子で叩く。

「シャキッとしな! そんなんじゃ連中(・・)に怪しまれちまうかも知れないだろ!? 安心しな! あんたの身柄はあたし等が責任持って守ってやるって!」

 こちらも女性の声であった。ただし最初に発言した女性に比べて、その仕草通りに豪放で姉御肌な口調であったが。最初の女性も頷く。

「ええ。この件を無事に解決する事が出来たら、約束の報酬は勿論、協力して頂いた謝礼としてあなたをディムロス御用達の商人にするとマリウス様(・・・・・)から確約を頂いています」

「は、はは……そのお言葉、忘れないで下さいよ……?」

 行商人は泣きそうな顔をしながらも、御用達という言葉に目の色を変えていた。今破竹の勢いで勢力を拡大しているマリウス軍は、これからも躍進を続ける可能性が高く、商人達の間では旨味のある取引相手として大きな注目の的であった。

 財務担当のエロイーズが元商人であり、徹底した通商優遇政策を打ち出している事もあって、君主と直接取引が出来る御用達商人の座は、現在中原の西方や南方で活動する商人達にとって垂涎の的となっているのだ。

 同じ躍進勢力でもハイランドのサディアス軍やフランカ州のリクール軍などは既に利権関係ががっちりと固まっており、新参の食い込む余地はほぼ皆無だ。

 その点マリウス軍は先日ガレス軍との大きな戦に勝利して躍進を始めたばかりの新興勢力であり、まだまだ大きな権益を得られる余地が残っていた。

 リベリア州の混乱を制したばかりの【戦乙女】ディアナ軍も状況は同じだが、何と言ってもここからは遠すぎるので主に東方で活動している商人達が既に群がっていると思われ、やはり旨味は少ない。

 そのような状況下なので、マリウス軍の御用達になれるチャンスとあって、この商人は危険(・・)を承知で今回の依頼を引き受けたのだ。しかもこれに成功すればマリウスに貸し(・・)を作る事にもなる。

 確かに命の危険はあるが、それを補って余りあるメリットがあった。時としてリスクを冒さなければそれに見合うリターンは取れないのだ。


「……しかしまさかあんたと組む事になるとはねぇ、キーア(・・・)? あの義賊騒ぎの時には想像も出来なかったよ」

 豪放な口調の女性がしみじみと呟く。その言葉に優美な声音の女性――キーアは少し居心地が悪そうに俯く。

「ソ、ソニア(・・・)様……。あ、あの時の事は出来ればもう……」

「え? ああ、いや、悪い悪い。そういうつもりじゃなくて、またあの時のような腕前を発揮してくれって意味さ」

「そ、そうですか……」

 蓮っぱな口調の女性――ソニアが頬を掻くと、キーアもそれ以上は何も言わずに黙りこくった。何となく気まずい沈黙が流れる。

 この2人は実力が伯仲しており(少なくともマリウス軍内ではそう目されている)、それもあってお互いに、もし直接戦ったら自分の方が強いという密かなライバル意識のような物を抱いていた。

 しかしキーアはヴィオレッタの直属であり、ジュナイナ達のように気軽に戦う訳にも行かないし、キーアはキーアで内心ではそのように思っていてもそれを口や態度に出せる性格ではない為、結局どちらが強いか証明する機会には恵まれなかった。

 その為微妙にお互いに意識している部分があって、いざこうして2人きりとなると、何となくぎこちない雰囲気になってしまうのであった。

 では何故よりによってこの2人がこうして同じ任務に就いて並んでいるかと言うと……


「……しっかしまあ陰険な奴等だね。規模の大きい隊商や衛兵隊の前には絶対姿を現さないで、自分達が狙えそうな相手だけを襲って容赦なく皆殺しにしちまう……」

 沈黙を厭うたのかソニアが話題を変えて発言した。同じ気持ちだったキーアもその話題に乗って頷いた。

「ええ。そしてそんな規模の大きい隊商を組める商人は限られているのが現状です」

「行商人が殆ど寄り付かなくなって、街に活気が無くなってるよね。このままじゃマズいってのはあたしでも解るよ」

 いつもは陽気なソニアの口調も憂いを帯びる。


 ここ最近になって主にセルビア郡内において、街道を移動中の旅人や行商人が、小規模な盗賊集団に襲われるという事件が相次いでいた。

 通常盗賊というものはお目当ての略奪品を手に入れたら、相手が抵抗しない限りはそこまで無闇に殺しを働こうとはしない物である。

 余程殺しが好きという稀有な例を除いて基本的には食うに困って盗賊になった者が殆どで、別に好んで人殺しをする趣味は持っていない者が大半だ。それに加えて余り縄張り内で悪評が立つと獲物が寄り付かなくなって、飯の種の食い上げとなってしまうからだ。

 だがこの盗賊たちは違った。

 風のように現れ風のように消え去る。それが遠くから惨劇(・・)を目撃した者の証言であった。そして残ったのは容赦なく惨殺された犠牲者の死体のみ。

 この賊は盗賊と言っていいのか微妙な存在で、金目の物など一切奪わずにただ殺戮だけを行う。相手が命乞いしていようがお構いなし。ただ人間だけを殺していく。馬車の馬にさえ手を付けていない。

 それはまさに『死神』といえる存在だった。そしてこの『死神』が狙うのは少人数の旅人や、10人未満程度の小規模な隊商のみ。それ以上の規模の隊商となると、金に飽かせて大勢の傭兵を雇っている所が多いのだが、こういう隊商の前には絶対に姿を現さない。

 そして勿論被害を聞いて強化された衛兵隊の巡回の前に現れる事もない。自分達が狙えそうな者達だけを狙って確実に殺す『死神』……。

 通商や物流は大規模な商会だけで回っているものではなく、むしろこうした個人規模の行商人達が大勢集まる事で成り立っている部分が大きかった。そうした行商人達がこの『死神』の噂からセルビア郡内に入る事を厭うようになり、結果としてディムロスや周辺都市の経済は徐々に停滞を始めているというのが現状であった。

 当然このまま放置していては被害が更に拡大する恐れがある。マリウス軍としても早期に解決したい所だが、衛兵隊の前には決して姿を現さず、かといって小規模な衛兵では返り討ちに遭う。

 そこでマリウスやヴィオレッタから事件の解決を命じられたのが、その時たまたま手が空いていたソニアとキーアの2人であったのだ。いや、正確には事件の解決をマリウスから任されたのはソニアだったのだが、それにヴィオレッタからの推薦でキーアが加わったというのが正しいが。


 そこでヴィオレッタから提示されたのがこの、本物の行商人を囮に使った誘引作戦だ。商人の護衛と『死神』の退治には、現在イゴール軍の抑えの為に国境の砦に赴任しているオルタンスを除けば最も武芸に優れた2人。

 マリウス自身だと敵は相手がマリウスだと悟った瞬間逃げる可能性が高く、アーデルハイドやビルギットではこうした直接的な戦闘が予測される少人数での任務では若干心許ない。そしてジュナイナやリュドミラは先日巻き込まれた事件による負傷で療養中の為、ヴィオレッタとしても他に選択肢がなかったのだ。


「金目の物も盗らずに、ただ皆殺し……。一体どんな奴等なんだろうね?」

「……ヴィオレッタ様は、ここ最近起きている色々な事件に関連しているのではないかと言われていました」

「……ガレス軍の残党って訳かい?」

「恐らくは……」
 キーアが首肯すると、ソニアは忌々し気に鼻を鳴らした。

「ちっ……ジュナイナとリュドミラも先日襲われたみたいだしね。こりゃアタシらも油断は出来ないよ?」

 親友2人は未だに怪我が完全には回復しておらず、ディムロスで療養中だ。彼女らが命がけで守ったエロイーズも、情け容赦ない暴力を振るわれたショックでしばらく塞ぎ込んでおり、最近になってようやく元の明るさを取り戻してきていた。

 エロイーズの件で特にマリウスの怒りは凄まじく、もしガレス軍の残党が他にも何か敵対的な行為をしてきた場合、捕縛は考慮せずにその場で容赦なく斬り殺せと全軍に通達を徹底させていた。

 なので勿論ソニアもキーアも敵がガレス軍の残党だった場合は、確実にその場で討ち取る覚悟を決めていた。
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