第十六幕 解語の妖花(Ⅰ) ~清濁併呑
文字数 3,842文字
中原の中央、ハイランドから南東に下った場所。西にフランカ州。北にガルマニア州を望む中原で最も南東に位置する州。それがリベリア州だ。
リベリア州より南、または東に進むとそこから先は、中原とそれ以外の地域 を隔てる広大な砂漠と不毛の荒野が広がっている。
有史以前にはその砂漠の先には何もない世界だと思われていたが、帝国成立以降、どうやら外の世界 にも人が住んでおり、また強大な国家すらある事が明らかになった。
何故分かったのか? それは……侵略 によってだ。
帝国の長い歴史上、荒野と砂漠を抜けて異相の大軍勢が侵攻してきた事が何度もあった。捕虜などから得られた情報で、それはパルージャ帝国という、オウマ帝国とは異なるもう一つの帝国である事が判明した。
このパルージャ帝国は、中原の肥沃な大地を狙って幾度も侵攻を重ね、その度重なる防衛もオウマ帝国の国力を弱め衰退を早めた原因となった。
尤もそのパルージャ帝国も現在は後継者争いに端を発した大規模な内乱に揺れているらしく、とても不毛の砂漠を乗り越えて中原に侵略軍を送り込む余裕は無いらしい。
(こちらはこちら……あちらはあちらで大変だな。人が集まり国家が出来、それが長く停滞すれば、必ず火種が沸き起こる。ま、今の僕らにはありがたい話だけどね)
リベリア州の土を踏みながら、マリウスはそんな事を思った。
リベリア州はその立地上、常にパルージャ帝国侵略の矢面に立たされてきた経緯があり、帝国の中枢から離れていた事もあって、お世辞にも治安の良い穏やかな州とは言えなかった。悪名高い赤尸鬼党の発祥の地としても有名であった。
ましてや中央の弱体化によって諸侯が群雄割拠している世情では、帝国中で南西の辺境トランキア州に次いで危険な州と言えるかも知れない。
マリウスは現在そんな危険な州の只中であるトレヴォリという県に、エロイーズと2人でやって来たのであった。
このトレヴォリの街に、エロイーズが情報を集めていた『リベリアの才女』がいるらしい事が判明したのだ。
丁度ガルマニア州で、アーデルハイドを同志に加えてブラムニッツの街に戻ってきた辺りのタイミングで、エロイーズからの書簡が届いたのであった。
そこには自らの身辺整理が終わった事と、『リベリアの才女』の所在を掴んだ事が書かれており、マリウスはやはりアーデルハイドの身辺整理も時間が掛かるとの事で、一足先にエロイーズの待つコルマンドの街まで戻った。
ソニアはアーデルハイドの身辺整理の手伝いと、それが終わった後のコルマンドまでの道案内の為にブラムニッツに残ってもらった。2人共まだ若干ギクシャクしていたのもあって、少し共同作業に当てて親睦を深めさせる目的もあったりする。こういう場合はマリウスはむしろ側にいない方がスムーズに行くと直感で判断したのだ。
そんな訳で単身コルマンドに戻ってきたマリウスは、待っていたエロイーズと連れ立ってリベリア州へと旅立ったのである。
因みにエロイーズも馬に乗れない事はないようだが、余り得手ではないようで、今回の旅ではマリウスの駆るブラムドに同乗する形となった。
エロイーズの伝手でトレヴォリまで行く規模の大きめな隊商と同道する事が出来たので、道中は比較的安全であった。
「ここがトレヴォリか……。ここに例の『リベリアの才女』が……」
街に着いた2人は、その日は早々に宿に引き篭もり、翌朝旅の疲れを落としてから街の通りに出ていた。トレヴォリの街並みを眺めながらマリウスが呟く。
若干パルージャの文化が流入しているのか、他の州と比べて異国情緒のある街並みであった。
エロイーズが頷く。
「はい。……『トレヴォリの毒花』と異名を取る悪女 。それこそがマリウス様のお探しになられていた『リベリアの才女』で間違いないようです」
「悪女、ね……」
マリウスは若干鼻白んだ。どんな人物なのか詳細が解らなかったので仕方ない事だが、予想外であった事は確かだ。
現在このトレヴォリを治める太守ドメニコは余り良い評判を聞かない……悪く言えば無能な太守であり、そしてその無能な太守を裏から操って私腹を肥やす悪女がいる、というのだ。
その悪女こそが件の人物……即ち『トレヴォリの毒花』という訳だ。
「……別に綺麗事を言う気は一切ないけど、本当に大丈夫かな? 将来の国作りに悪影響があるようなら……」
現時点では絵空事ではあるものの、マリウスの目的はあくまで自分の国を作る事である。同志集めも旗揚げも全てはその為の手段に過ぎない。
そして首尾よく自分の国を持てたとしても、そんな評判の悪い人物を懐に招き入れていては、裏で何をされるか解ったものではない。自分の知らない所で民の評判が落ちたり、悪名が上がったりという事は勿論、最悪それが原因で国が傾くなどという事態にもなりかねない。
今の帝国の現状で、名の知れた才女などほぼ居ないといっても過言ではないので惜しい気もするが、その辺りの事情を天秤に掛けると若干二の足を踏んでしまうのが正直な所だ。
エロイーズがかぶりを振った。
「……確かに清廉な人物とは言えないかも知れません。しかし私の見た所、マリウス様の同志に足る能力を持っている事は間違いありませんわ」
自信をもって断言する様子に若干興味を惹かれる。
「その根拠は?」
「まさにこの街です。はっきり言ってここの太守は無能です。本来付け入る隙はいくらでもあるというのに、未だに周辺の街から攻められていません」
エロイーズは両手を広げて街の景色を仰いだ。彼女の視線の先にはこの街の市場があった。生鮮食品だけでなく、服飾や様々な雑貨を売る店もあるようだ。まだ朝の早い時間ながら、ぼちぼちと人通りが増してきている。
「しかもそんな悪政を敷く無能な領主に支配されている割には意外と活気があります。しかもざっと見るだけでも、隣接したフランカ州やガルマニア州だけでなく、イスパーダ州やスカンディナ州の特産品と思われる交易品も見受けられます」
「……確かにそうだね。でもそれがその人と何の関係が?」
「先程も言ったように太守は無能です。間違いなくそれを裏から操っているという件の悪女こそが、この街の平穏を保っているのです。特に戦乱の色濃いこのリベリア州に於いて中々出来る事ではありません。優れた外交能力は軍師 の必須条件。恐らく相応に軍略にも秀でている可能性があります。確かにリスクはありますが、上手く使いこなせれば必ずやマリウス様にとって有益となるのではと考えます」
いつになく饒舌な様子のエロイーズ。彼女もこの人物の情報を調べる中で、自分以外にも知略に秀でている可能性のある女性の存在に、いつしか興味を抱いていた様子である。
だが反対にマリウス自身はどこか及び腰だった。
「上手く使いこなせれば、か……。ちょっと自信ないかなぁ。それに私腹を肥やして贅沢な暮らしをしてるなら現状に満足しちゃってて、わざわざ好き好んで同志になんてなってくれないんじゃ……」
そんなマリウスらしからぬ弱気な発言にエロイーズが、キッ! と彼を睨み上げる。その眼光の鋭さにマリウスは思わずたじろいだ。
「マリウス様……!!」
「……っ! は、はい!」
無意識にマリウスの背筋が伸びる。
「これから旗揚げして自らの国を率いていこうというお方が、そんな弱気な事で如何致します!」
「……!」
「悪女だろうが、贅沢な暮らしをしていようが、自分の魅力で口説き落としてやる、位の気概をお持ち下さいませっ!!」
「……ッ!」
「それに、それこそ何不自由なく暮らしていた私を同志へと誘ったのは貴方ですわ! 私の知っているマリウス様はもっと自信と魅力に満ち溢れたお方でございます!」
「…………」
旅立って以来……いや、物心ついて以来、こんな風に人から叱られた経験など全く無かったマリウスである。天才肌で何でも卒なくこなしてきた彼にとって、極めて新鮮な体験であった。
目から鱗が落ちたような心持ちであった。
「そう……だね。本当に君の言う通りだ。……ごめん。悪女と聞いて柄にもなく少し緊張しちゃってたみたいだ。お陰で目が醒めたよ」
言葉通り、彼の表情や纏う空気がそれまでとは明らかに変わっていた。
「そう……確かにこれから自分の国を作っていこうと言うんだ。清濁併せ呑むくらいの気概が無くちゃね。……よーし! 僕自身の為にも何としてもその人を口説き落としてみせるよ!」
「マリウス様……! それでこそマリウス様でございます!」
エロイーズが感激した面持ちで、自信に満ちたマリウスの姿に少し頬を赤らめる。マリウスはそんなエロイーズの姿をまじまじと見下ろす。
「あ、あの、マリウス様……?」
「……何だかエロイーズって母上みたいだなぁ」
「……ッ!」
エロイーズの表情が引き攣るのを見たマリウスが慌てて訂正する。
「あ、いや、勿論変な意味じゃなくて、ソニアとは違った意味で頼り甲斐があるっていうか……とにかくそういう意味合いでね、うん」
慌てて弁解するマリウスの姿を見たエロイーズは、今度は一転して口元に手を当てて小さく笑う。
「うふふ。そういう事でしたら光栄だと思っておきますわ。……さあ、いつまでもここで立ち話していては日が暮れてしまいますよ?」
「あ、ああ……場所は解ってるし、早速向かうとしようか」
何とかエロイーズの機嫌を損ねずに済んだマリウスは、話題を変えるように足早に件の悪女の屋敷へと向かうのであった。
リベリア州より南、または東に進むとそこから先は、中原と
有史以前にはその砂漠の先には何もない世界だと思われていたが、帝国成立以降、どうやら
何故分かったのか? それは……
帝国の長い歴史上、荒野と砂漠を抜けて異相の大軍勢が侵攻してきた事が何度もあった。捕虜などから得られた情報で、それはパルージャ帝国という、オウマ帝国とは異なるもう一つの帝国である事が判明した。
このパルージャ帝国は、中原の肥沃な大地を狙って幾度も侵攻を重ね、その度重なる防衛もオウマ帝国の国力を弱め衰退を早めた原因となった。
尤もそのパルージャ帝国も現在は後継者争いに端を発した大規模な内乱に揺れているらしく、とても不毛の砂漠を乗り越えて中原に侵略軍を送り込む余裕は無いらしい。
(こちらはこちら……あちらはあちらで大変だな。人が集まり国家が出来、それが長く停滞すれば、必ず火種が沸き起こる。ま、今の僕らにはありがたい話だけどね)
リベリア州の土を踏みながら、マリウスはそんな事を思った。
リベリア州はその立地上、常にパルージャ帝国侵略の矢面に立たされてきた経緯があり、帝国の中枢から離れていた事もあって、お世辞にも治安の良い穏やかな州とは言えなかった。悪名高い赤尸鬼党の発祥の地としても有名であった。
ましてや中央の弱体化によって諸侯が群雄割拠している世情では、帝国中で南西の辺境トランキア州に次いで危険な州と言えるかも知れない。
マリウスは現在そんな危険な州の只中であるトレヴォリという県に、エロイーズと2人でやって来たのであった。
このトレヴォリの街に、エロイーズが情報を集めていた『リベリアの才女』がいるらしい事が判明したのだ。
丁度ガルマニア州で、アーデルハイドを同志に加えてブラムニッツの街に戻ってきた辺りのタイミングで、エロイーズからの書簡が届いたのであった。
そこには自らの身辺整理が終わった事と、『リベリアの才女』の所在を掴んだ事が書かれており、マリウスはやはりアーデルハイドの身辺整理も時間が掛かるとの事で、一足先にエロイーズの待つコルマンドの街まで戻った。
ソニアはアーデルハイドの身辺整理の手伝いと、それが終わった後のコルマンドまでの道案内の為にブラムニッツに残ってもらった。2人共まだ若干ギクシャクしていたのもあって、少し共同作業に当てて親睦を深めさせる目的もあったりする。こういう場合はマリウスはむしろ側にいない方がスムーズに行くと直感で判断したのだ。
そんな訳で単身コルマンドに戻ってきたマリウスは、待っていたエロイーズと連れ立ってリベリア州へと旅立ったのである。
因みにエロイーズも馬に乗れない事はないようだが、余り得手ではないようで、今回の旅ではマリウスの駆るブラムドに同乗する形となった。
エロイーズの伝手でトレヴォリまで行く規模の大きめな隊商と同道する事が出来たので、道中は比較的安全であった。
「ここがトレヴォリか……。ここに例の『リベリアの才女』が……」
街に着いた2人は、その日は早々に宿に引き篭もり、翌朝旅の疲れを落としてから街の通りに出ていた。トレヴォリの街並みを眺めながらマリウスが呟く。
若干パルージャの文化が流入しているのか、他の州と比べて異国情緒のある街並みであった。
エロイーズが頷く。
「はい。……『トレヴォリの毒花』と異名を取る
「悪女、ね……」
マリウスは若干鼻白んだ。どんな人物なのか詳細が解らなかったので仕方ない事だが、予想外であった事は確かだ。
現在このトレヴォリを治める太守ドメニコは余り良い評判を聞かない……悪く言えば無能な太守であり、そしてその無能な太守を裏から操って私腹を肥やす悪女がいる、というのだ。
その悪女こそが件の人物……即ち『トレヴォリの毒花』という訳だ。
「……別に綺麗事を言う気は一切ないけど、本当に大丈夫かな? 将来の国作りに悪影響があるようなら……」
現時点では絵空事ではあるものの、マリウスの目的はあくまで自分の国を作る事である。同志集めも旗揚げも全てはその為の手段に過ぎない。
そして首尾よく自分の国を持てたとしても、そんな評判の悪い人物を懐に招き入れていては、裏で何をされるか解ったものではない。自分の知らない所で民の評判が落ちたり、悪名が上がったりという事は勿論、最悪それが原因で国が傾くなどという事態にもなりかねない。
今の帝国の現状で、名の知れた才女などほぼ居ないといっても過言ではないので惜しい気もするが、その辺りの事情を天秤に掛けると若干二の足を踏んでしまうのが正直な所だ。
エロイーズがかぶりを振った。
「……確かに清廉な人物とは言えないかも知れません。しかし私の見た所、マリウス様の同志に足る能力を持っている事は間違いありませんわ」
自信をもって断言する様子に若干興味を惹かれる。
「その根拠は?」
「まさにこの街です。はっきり言ってここの太守は無能です。本来付け入る隙はいくらでもあるというのに、未だに周辺の街から攻められていません」
エロイーズは両手を広げて街の景色を仰いだ。彼女の視線の先にはこの街の市場があった。生鮮食品だけでなく、服飾や様々な雑貨を売る店もあるようだ。まだ朝の早い時間ながら、ぼちぼちと人通りが増してきている。
「しかもそんな悪政を敷く無能な領主に支配されている割には意外と活気があります。しかもざっと見るだけでも、隣接したフランカ州やガルマニア州だけでなく、イスパーダ州やスカンディナ州の特産品と思われる交易品も見受けられます」
「……確かにそうだね。でもそれがその人と何の関係が?」
「先程も言ったように太守は無能です。間違いなくそれを裏から操っているという件の悪女こそが、この街の平穏を保っているのです。特に戦乱の色濃いこのリベリア州に於いて中々出来る事ではありません。優れた外交能力は
いつになく饒舌な様子のエロイーズ。彼女もこの人物の情報を調べる中で、自分以外にも知略に秀でている可能性のある女性の存在に、いつしか興味を抱いていた様子である。
だが反対にマリウス自身はどこか及び腰だった。
「上手く使いこなせれば、か……。ちょっと自信ないかなぁ。それに私腹を肥やして贅沢な暮らしをしてるなら現状に満足しちゃってて、わざわざ好き好んで同志になんてなってくれないんじゃ……」
そんなマリウスらしからぬ弱気な発言にエロイーズが、キッ! と彼を睨み上げる。その眼光の鋭さにマリウスは思わずたじろいだ。
「マリウス様……!!」
「……っ! は、はい!」
無意識にマリウスの背筋が伸びる。
「これから旗揚げして自らの国を率いていこうというお方が、そんな弱気な事で如何致します!」
「……!」
「悪女だろうが、贅沢な暮らしをしていようが、自分の魅力で口説き落としてやる、位の気概をお持ち下さいませっ!!」
「……ッ!」
「それに、それこそ何不自由なく暮らしていた私を同志へと誘ったのは貴方ですわ! 私の知っているマリウス様はもっと自信と魅力に満ち溢れたお方でございます!」
「…………」
旅立って以来……いや、物心ついて以来、こんな風に人から叱られた経験など全く無かったマリウスである。天才肌で何でも卒なくこなしてきた彼にとって、極めて新鮮な体験であった。
目から鱗が落ちたような心持ちであった。
「そう……だね。本当に君の言う通りだ。……ごめん。悪女と聞いて柄にもなく少し緊張しちゃってたみたいだ。お陰で目が醒めたよ」
言葉通り、彼の表情や纏う空気がそれまでとは明らかに変わっていた。
「そう……確かにこれから自分の国を作っていこうと言うんだ。清濁併せ呑むくらいの気概が無くちゃね。……よーし! 僕自身の為にも何としてもその人を口説き落としてみせるよ!」
「マリウス様……! それでこそマリウス様でございます!」
エロイーズが感激した面持ちで、自信に満ちたマリウスの姿に少し頬を赤らめる。マリウスはそんなエロイーズの姿をまじまじと見下ろす。
「あ、あの、マリウス様……?」
「……何だかエロイーズって母上みたいだなぁ」
「……ッ!」
エロイーズの表情が引き攣るのを見たマリウスが慌てて訂正する。
「あ、いや、勿論変な意味じゃなくて、ソニアとは違った意味で頼り甲斐があるっていうか……とにかくそういう意味合いでね、うん」
慌てて弁解するマリウスの姿を見たエロイーズは、今度は一転して口元に手を当てて小さく笑う。
「うふふ。そういう事でしたら光栄だと思っておきますわ。……さあ、いつまでもここで立ち話していては日が暮れてしまいますよ?」
「あ、ああ……場所は解ってるし、早速向かうとしようか」
何とかエロイーズの機嫌を損ねずに済んだマリウスは、話題を変えるように足早に件の悪女の屋敷へと向かうのであった。