第一幕 剣鬼哀歌(Ⅰ) ~血に染まる街
文字数 3,322文字
地方都市ディムロス。今やセルビア郡とスロベニア郡の二郡を治めるマリウス軍の本拠として、隣の州都モルドバにも引けを取らない繁栄ぶりを誇っていた。
マリウス軍の領有する6都市の内、他勢力と直接隣接している県はディムロスとハルファルの2県のみとなっており、それも両方モルドバに繋がっているだけなので、モルドバさえ警戒していれば勢力全体の安全は保たれているような物であり、『安全地帯』となったスロベニア郡の3都市とギエルは軍事防衛費を削って内政に注力できるようになり、急速に発展の兆しを見せ始めていた。
そして後方の都市が潤えば、物資の輸送によって前線都市もまた余裕が出来る。山賊や盗賊などの被害を防ぐ為の最低限の治安維持体制は後方の都市でも整っているので、略奪等の心配も薄い。
結果としてディムロスは再び好景気に沸いて、内政担当のエロイーズ主導による都市の拡張計画も進められており、このまま行けばトランキア州の新たな州都となるのでは、と州の内外で噂される程の繁栄ぶりを見せていた。
しかし急速な発展と比例するように、人口の増加や人の出入りもまた激しくなる。勿論それ自体は経済の発展に欠かせない物ではあるが、余りに急激に増えた人の流れは衛兵の目を行き届かなくさせ、好ましからざる 人物が街に入り込み、潜伏する隙も与える事になる。
*****
そんな状況下でのディムロスのとある夜。大通りから少し外れた路地を2人の男が歩いていた。2人は大通り沿いにある酒場でしこたま飲み食いして、自分達の住んでいる集合住宅に帰る途中であった。
「ふぃー……食った食った。ハイランドにいた頃には、自分の金でこんなにたらふく食えるなんて想像も出来なかったぜ」
「全くだな。俺はイスパーダから来たが、最初に給金を貰った時はたまげたもんだ。この街に来て正解だったな」
酔っぱらいながら気分よく喋る2人の男。彼等はここ最近のディムロスの拡張計画に伴う、種々の人工の需要増大に惹かれてこの街にやってきた流れ者であった。お互いに初対面であったが、酒場で出会って意気投合したのだ。彼等のような者は大勢いる。しかしそんな彼等に有り余るほどの給金を支払ってもまだ余裕があるくらいに、現在のディムロスは好景気に沸いていた。
仕事はいくらでもあったし、金は使いきれない程に入ってくる。そしてそんな彼等が惜しげもなく散財する事で潤う者達がいる。経済が上手く循環していた。
気分よく裏路地を歩く2人が、自分達の住まいがある区画へ差し掛かろうとした時だった。
「んん?」
男の1人が訝し気に目を細める。路地の中央、自分達の前に立ち塞がるように1人の人物が佇んでいたのだ。月明りしかない夜の路地に溶け込むような暗い色の外套を纏っており、その容姿は判然としない。
「よぉ、いい夜だな。あんたも晩飯の帰りかい?」
もう1人の男が友好的に声を掛ける。彼等がもし素面であれば、目の前の人物の異常性に事前に気付けたかも知れない。しかし久しぶりにたらふく飲んだ酒が彼等の判断力を低下させていた。
彼等はその人物に手を挙げて挨拶し、無警戒にその脇を通り過ぎようとした。そして……
――ビュンッ!!
「……え?」
何か鋭い音が鳴ったかと思うと、男の1人の頭や顔に何か生温かい 液体が降り注いだ。何かと思って横を見た男の目が驚愕に固まる。
――相方の男の頭が無くなっていた 。
頭の替わりに、切断面 から大量の血しぶきが噴き出して、そのしぶきがもう1人の男の顔に掛かっていたのだ。
「ひ……ひ……?」
浴びせられる血しぶきに急速に酔いが醒めた男が、恐怖の余り尻餅を着いて後ずさる。何が起きたのか全く分からなかった。いや、この外套を纏った人物にやられたという事は明らかなのだが、何故 そんな事をされたのか理解できなかったのだ。
「ひ、人……人殺し――」
――ザシュッ!!
腰が抜けて這うように逃げようとした男の背中にも凶刃が振り下ろされた。
「…………」
月明りの下、自らが斬り殺した男達の死体を見下ろす人物は、凪のように静かな佇まいのままであった。
この日を境にディムロスの街には恐ろしい辻斬り の噂が徐々に広まっていく事になった。
イゴール軍と県境を接し軍備が整っているはずのディムロスであったが、市民や流入する難民の数もまた膨大に昇り、また都市の拡張計画に伴って流民用のバラック街が形成されていた事も災いした。
とても犯人を特定できる状況ではなく、衛兵隊の活動も虚しくこれ以後も辻斬りの被害が相次ぐようになる。
また辻斬りは相当の手練れであるらしく、衛兵隊も少人数だと返り討ちに遭うケースまで出始めていた。
事態を重く見たマリウス軍は、辻斬り騒動が収まるまでの間巡察を強化する方針を打ち出し、現在イゴール軍との戦闘を見越して各将が集っている事もあり、各武将達が直接衛兵隊の指揮を取って街を巡回する事となった。
*****
夜の帳がおりたディムロスの街の路地に物々しい足音が鳴り響く。衛兵隊の巡回だ。数は10人以上おり、皆一様に殺気立った雰囲気を漂わせながら周囲に目を光らせている。
賊が手練れであるという事。そして仲間の衛兵にも犠牲が出ているという事で、緊張感と賊への憎しみが限界まで高まっているのだ。
辻斬りを発見した場合、既に捕縛ではなく問答無用での誅殺の許可が出ており、それが衛兵たちを余計に殺気立たせる要因となっていた。
「……一体どんな奴なんでしょうね? ガレス軍との戦争も終わって、これからイゴール軍と戦っていこうという矢先に辻斬りなんて……」
衛兵の1人が、先頭を歩く指揮官の武将に話しかけている。彼女 はかぶりを振った。
「皆目見当もつかんな。だが我が国にとって看過できん存在になりつつあるのは事実だ。今急速に発展しつつあるこの街へ与える悪影響も馬鹿にならん。何としても今夜で凶行を終わらせる気概で臨むぞ」
「はっ!」
凛々しい声音に衛兵は立礼する。この班を率いているのは、真紅の鎧に身を固めた麗武人……アーデルハイドであった。彼女もまた巡察に参加していたのだ。
イゴール軍との戦を控えている状態で、辻斬りなどにこれ以上かかずらっている暇はない。衛兵に告げた通り、彼女としては一刻も早くこの事件を解決したい所であった。
だがこればかりは相手が出てきてくれなければ対処のしようがない。勿論怪しい人物を見なかったか等市民への聞き込みも並行して行われていたが、今の所成果は上がっていなかった。
やはり急激に人口が増えた影響で街にも流れ者が増えた為に、怪しい人物の特定は極めて困難な状況であった。犯人はこの状況を利用して辻斬りを行っているのだ。
その為、対処はどうしても後手後手に回らざるを得ないのが現状でもあった。そんな現状にアーデルハイドは歯噛みする。
巡察を強化すれば一時的には犯行抑制の効果があるかも知れないが、反面犯人が表に出て来なくなり犯行が長期化する恐れがある。そして戦などもあって、いつまでも厳戒態勢を敷き続ける事は不可能だ。
犯人はほとぼりが冷めるまで潜伏を続け、警備体制が緩んだらまた犯行を再開すればいい。犯人がただの愉快犯であれば、この凶行を止める事は極めて難しいという結論にならざるを得ない。
そして案の定気を張って巡察を続けても、犯人が現れる気配はなかった。
(くそ……今夜も外れか? このまま泥沼化するのは何としても避けたい所だが……)
辻斬りはかなり腕が立つらしいので、或いは衛兵が巡回していてもお構いなしに凶行に及ぶ可能性はある。そう思って巡回を続けていたのだが……
――その時唐突に、人の悲鳴と思しき音が微かに響いてきた。
「……!」
アーデルハイドも衛兵たちも、まさかという思いで一瞬硬直する。
「た、隊長、今のは……」
「間違いない、人の悲鳴だ。……急ぐぞ!」
アーデルハイドは素早く決断して動き出した。まだ辻斬りと決まった訳ではないが、可能性が僅かでもある以上、もたもたしていては逃げられてしまう。違ったら違ったで別に構わない。
剣を抜いて走り出したアーデルハイドに従って、衛兵隊も慌ててその後を追いかけていった。
マリウス軍の領有する6都市の内、他勢力と直接隣接している県はディムロスとハルファルの2県のみとなっており、それも両方モルドバに繋がっているだけなので、モルドバさえ警戒していれば勢力全体の安全は保たれているような物であり、『安全地帯』となったスロベニア郡の3都市とギエルは軍事防衛費を削って内政に注力できるようになり、急速に発展の兆しを見せ始めていた。
そして後方の都市が潤えば、物資の輸送によって前線都市もまた余裕が出来る。山賊や盗賊などの被害を防ぐ為の最低限の治安維持体制は後方の都市でも整っているので、略奪等の心配も薄い。
結果としてディムロスは再び好景気に沸いて、内政担当のエロイーズ主導による都市の拡張計画も進められており、このまま行けばトランキア州の新たな州都となるのでは、と州の内外で噂される程の繁栄ぶりを見せていた。
しかし急速な発展と比例するように、人口の増加や人の出入りもまた激しくなる。勿論それ自体は経済の発展に欠かせない物ではあるが、余りに急激に増えた人の流れは衛兵の目を行き届かなくさせ、
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そんな状況下でのディムロスのとある夜。大通りから少し外れた路地を2人の男が歩いていた。2人は大通り沿いにある酒場でしこたま飲み食いして、自分達の住んでいる集合住宅に帰る途中であった。
「ふぃー……食った食った。ハイランドにいた頃には、自分の金でこんなにたらふく食えるなんて想像も出来なかったぜ」
「全くだな。俺はイスパーダから来たが、最初に給金を貰った時はたまげたもんだ。この街に来て正解だったな」
酔っぱらいながら気分よく喋る2人の男。彼等はここ最近のディムロスの拡張計画に伴う、種々の人工の需要増大に惹かれてこの街にやってきた流れ者であった。お互いに初対面であったが、酒場で出会って意気投合したのだ。彼等のような者は大勢いる。しかしそんな彼等に有り余るほどの給金を支払ってもまだ余裕があるくらいに、現在のディムロスは好景気に沸いていた。
仕事はいくらでもあったし、金は使いきれない程に入ってくる。そしてそんな彼等が惜しげもなく散財する事で潤う者達がいる。経済が上手く循環していた。
気分よく裏路地を歩く2人が、自分達の住まいがある区画へ差し掛かろうとした時だった。
「んん?」
男の1人が訝し気に目を細める。路地の中央、自分達の前に立ち塞がるように1人の人物が佇んでいたのだ。月明りしかない夜の路地に溶け込むような暗い色の外套を纏っており、その容姿は判然としない。
「よぉ、いい夜だな。あんたも晩飯の帰りかい?」
もう1人の男が友好的に声を掛ける。彼等がもし素面であれば、目の前の人物の異常性に事前に気付けたかも知れない。しかし久しぶりにたらふく飲んだ酒が彼等の判断力を低下させていた。
彼等はその人物に手を挙げて挨拶し、無警戒にその脇を通り過ぎようとした。そして……
――ビュンッ!!
「……え?」
何か鋭い音が鳴ったかと思うと、男の1人の頭や顔に何か
――相方の男の頭が
頭の替わりに、
「ひ……ひ……?」
浴びせられる血しぶきに急速に酔いが醒めた男が、恐怖の余り尻餅を着いて後ずさる。何が起きたのか全く分からなかった。いや、この外套を纏った人物にやられたという事は明らかなのだが、
「ひ、人……人殺し――」
――ザシュッ!!
腰が抜けて這うように逃げようとした男の背中にも凶刃が振り下ろされた。
「…………」
月明りの下、自らが斬り殺した男達の死体を見下ろす人物は、凪のように静かな佇まいのままであった。
この日を境にディムロスの街には恐ろしい
イゴール軍と県境を接し軍備が整っているはずのディムロスであったが、市民や流入する難民の数もまた膨大に昇り、また都市の拡張計画に伴って流民用のバラック街が形成されていた事も災いした。
とても犯人を特定できる状況ではなく、衛兵隊の活動も虚しくこれ以後も辻斬りの被害が相次ぐようになる。
また辻斬りは相当の手練れであるらしく、衛兵隊も少人数だと返り討ちに遭うケースまで出始めていた。
事態を重く見たマリウス軍は、辻斬り騒動が収まるまでの間巡察を強化する方針を打ち出し、現在イゴール軍との戦闘を見越して各将が集っている事もあり、各武将達が直接衛兵隊の指揮を取って街を巡回する事となった。
*****
夜の帳がおりたディムロスの街の路地に物々しい足音が鳴り響く。衛兵隊の巡回だ。数は10人以上おり、皆一様に殺気立った雰囲気を漂わせながら周囲に目を光らせている。
賊が手練れであるという事。そして仲間の衛兵にも犠牲が出ているという事で、緊張感と賊への憎しみが限界まで高まっているのだ。
辻斬りを発見した場合、既に捕縛ではなく問答無用での誅殺の許可が出ており、それが衛兵たちを余計に殺気立たせる要因となっていた。
「……一体どんな奴なんでしょうね? ガレス軍との戦争も終わって、これからイゴール軍と戦っていこうという矢先に辻斬りなんて……」
衛兵の1人が、先頭を歩く指揮官の武将に話しかけている。
「皆目見当もつかんな。だが我が国にとって看過できん存在になりつつあるのは事実だ。今急速に発展しつつあるこの街へ与える悪影響も馬鹿にならん。何としても今夜で凶行を終わらせる気概で臨むぞ」
「はっ!」
凛々しい声音に衛兵は立礼する。この班を率いているのは、真紅の鎧に身を固めた麗武人……アーデルハイドであった。彼女もまた巡察に参加していたのだ。
イゴール軍との戦を控えている状態で、辻斬りなどにこれ以上かかずらっている暇はない。衛兵に告げた通り、彼女としては一刻も早くこの事件を解決したい所であった。
だがこればかりは相手が出てきてくれなければ対処のしようがない。勿論怪しい人物を見なかったか等市民への聞き込みも並行して行われていたが、今の所成果は上がっていなかった。
やはり急激に人口が増えた影響で街にも流れ者が増えた為に、怪しい人物の特定は極めて困難な状況であった。犯人はこの状況を利用して辻斬りを行っているのだ。
その為、対処はどうしても後手後手に回らざるを得ないのが現状でもあった。そんな現状にアーデルハイドは歯噛みする。
巡察を強化すれば一時的には犯行抑制の効果があるかも知れないが、反面犯人が表に出て来なくなり犯行が長期化する恐れがある。そして戦などもあって、いつまでも厳戒態勢を敷き続ける事は不可能だ。
犯人はほとぼりが冷めるまで潜伏を続け、警備体制が緩んだらまた犯行を再開すればいい。犯人がただの愉快犯であれば、この凶行を止める事は極めて難しいという結論にならざるを得ない。
そして案の定気を張って巡察を続けても、犯人が現れる気配はなかった。
(くそ……今夜も外れか? このまま泥沼化するのは何としても避けたい所だが……)
辻斬りはかなり腕が立つらしいので、或いは衛兵が巡回していてもお構いなしに凶行に及ぶ可能性はある。そう思って巡回を続けていたのだが……
――その時唐突に、人の悲鳴と思しき音が微かに響いてきた。
「……!」
アーデルハイドも衛兵たちも、まさかという思いで一瞬硬直する。
「た、隊長、今のは……」
「間違いない、人の悲鳴だ。……急ぐぞ!」
アーデルハイドは素早く決断して動き出した。まだ辻斬りと決まった訳ではないが、可能性が僅かでもある以上、もたもたしていては逃げられてしまう。違ったら違ったで別に構わない。
剣を抜いて走り出したアーデルハイドに従って、衛兵隊も慌ててその後を追いかけていった。