第三十六幕 トランキア大戦(Ⅱ) ~炎と氷

文字数 2,520文字

「す、凄い……。直接戦う事も無くあの父を完封している……!?」

 ヴィオレッタと共に戦況の推移を見守っていたオルタンスが呆然と呟く。彼女らが見ている先では轟々と燃え盛る炎が天に向かって煙を吐いていた。

 ビルギットはあの炎が無差別に拡大しないように巧みに楯兵を指揮しながら範囲(・・)を調節している。どうやらギュスタヴや兵士達の動きに合わせて楯兵を動かして奴等の逃げ道を塞いでもいるようだ。

 まるで麾下の部隊全体を自分の体の一部であるかのように自在に操っていた。あのような芸当はソニアやヴィオレッタ達は勿論、同志の中では最も用兵に長けたアーデルハイドでさえ不可能だろう。

「……言うだけはあるわね。予想以上の戦果だわ。正直……戦では彼女は絶対敵に回したくないわね」

 ヴィオレッタも若干顔を引き攣らせながら呟いた。巧みな用兵でギュスタヴを完封する手際といい、敵を閉じ込めて油と火を放つ苛烈な戦法といい、ビルギットに充分な兵力を与えたら、もしかしたら戦という状況に限ってはガレスよりも恐ろしい存在となるかも知れない。

 だが幸いにも彼女はこちらの味方だ。その恐ろしさや苛烈さは、今は何よりも頼もしく映った。ヴィオレッタは視線を巡らせた。

「ギュスタヴは……中央は、ビルギット殿のお陰でなんとか抑えられそうね。ソニア達の方は……」

 この軍の総大将はソニアだが、敵は恐らくギュスタヴを中央に立てて攻めてくる可能性が高いとして、最初からビルギットを中央に割り振り、ソニアは左翼を担当してもらっていた。

 しかしそのままだと右翼が手薄になってしまうので、直属の部下にして友人のジュナイナとリュドミラは右翼の担当となっていた。

 単独で左翼を受け持つソニアだが、十二分に己の役割を果たしていた。



「おらぁっ! どんどん行くよ! あたしに続きなぁっ!」

 愛用の青龍牙刀で群がる敵兵を斬り倒しながら、味方の兵士を鼓舞するソニア。自ら最前線で戦う気風の良い女傑の姿に、味方の兵士達は大いに士気を高揚させ、常以上の力を発揮して果敢に敵に攻め掛かっていく。

 オルタンスの加入によってマリウスを除く女性陣の中でも武芸最強ではなくなってしまった彼女だが、マリウス軍創立期から軍を率い、常に兵士達と苦楽を共にしてきたソニアは、その人柄や性格も相まってマリウス軍の中である意味最も兵士達から好かれ、親しまれている存在であり、彼女が共に戦うだけで兵士達の士気を何倍にも高揚させる事が出来た。これは寡黙でストイックなオルタンスには不可能な事象であった。

 そんなソニアに率いられた左翼の軍は高い士気による勢いを保ったまま、ガレス軍の右翼をどんどん切り崩していく。こちらの戦況はマリウス軍優位で進んでいた。

 やがてソニア達の攻勢に耐えきれなくなった敵右翼が瓦解し始める。徐々に恐れを為して後退する者が出始めたのだ。こうなると戦局は一気に傾く。

「ようし! 敵さんはビビッて逃げ腰になってるよ! 一気に畳みかけるよ!」

 それを見て取ったソニアは今が攻め時と、声を枯らして兵士達に発破をかけながら自らも敵を斬り倒して進んでいく。


 だがこのままマリウス軍が圧倒するかと思われた時……敵軍の向こうで血しぶきが舞った。


「……!」


「敵は殺す。そして、逃げる者も利敵行為と見なし処断する」


 及び腰になって逃げ始めた味方の兵士を容赦なく斬り殺した……赤毛の武人ロルフが、冷徹そのものの声音で他の兵士達を牽制する。

 まるで血の通っていない人形のように淡々と味方の兵士を『処断』していくロルフの姿に恐怖を感じたガレス軍の兵士達は、破れかぶれでマリウス軍に対して反撃に転じてきた。


「ち……こいつら! あの野郎、味方まで殺すなんてイカレてるよ!」

 恐怖に後押しされたガレス軍の兵士達は、ソニア達に負けず劣らずの気迫で抵抗してくる。ソニアは舌打ちして応戦しながらも、彼女とは全く正反対のやり方で兵士達に『発破』をかけるロルフの姿を睨む。 

 奴が敵軍の右翼の指揮官のようだ。奴を何とかしない限り泥沼の消耗戦となって損耗が膨らんでいくばかりだ。

「お前達! 一点突破だ! あいつを狙うよ!」

 ソニアが号令するとその意を汲んだ兵士達が一点集中型の、いわゆる魚鱗陣を形作り敵陣に穴を穿っていく。そして遂に魚鱗の先端がロルフの元まで到達する。そのままの勢いでロルフをも貫かんとするが……

「ふんっ!」

 ロルフは気合と共に高速で剣を薙ぎ払う。その剛撃の前に、斬りかかった先頭の兵士は一溜まりも無く両断された。奴の剣が連続して煌めく度にマリウス軍の兵士達が血しぶきを上げて倒れ伏していく。

「てめぇっ!!」

 部下達が無残に斬り殺される様に、ソニアは怒りの叫びを挙げて斬りかかった。だがロルフはその斬撃も容易く受けると、反撃に剣を一閃してきた。

「くっ!?」

 兵士達とは違い、辛うじて反応できたソニアは刀でその薙ぎ払いを受ける。これまでの度重なる敗北の経験をバネに厳しい訓練を積んできた成果だ。だが筋力や膂力までが劇的に向上する訳ではない。

 ロルフの強撃を受けて腕や身体に痺れが伝播する。その間にロルフの更なる追撃。それも何とか受ける事に成功したが、身体ごと大きく弾き飛ばされてしまう。

「お前が左翼の指揮官か。死んでもらうぞ」
「く、そ……!」

 容赦なく距離を詰めてくるロルフに、ソニアは歯噛みしながらも片膝の姿勢から何とか立ち上がった。しかしたった二撃受けただけで、かなりの消耗を強いられていた。

(くそ……相変わらずガレス軍の連中は猛者揃いだね。でもアタシだってここで退く訳には行かないんだよ!)

 周囲では両軍の兵士が激しく戦っている。だが恐怖で縛り付けて強制的に戦わせるようなやり方が長続きするはずがない。ソニアがここでロルフを抑えておく事によって、必ず敵軍の士気は下がっていくはずだ。これ幸いと逃げ出す敵兵も続出してくるだろう。

 いくらロルフでも戦線が完全に瓦解すれば踏みとどまってはいられなくなる。それまで持ち堪えればソニアの勝ちだ。

 彼女は自分の部下の兵士達を信じて、相手を一秒でも長く釘付けにしておくべく、気合を入れてロルフに斬りかかっていった。
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