第三十三幕 ハルファル侵攻戦(Ⅰ) ~戦神の不在

文字数 3,094文字

 南東に伸びる街道を整然と進んでいく軍隊があった。彼等が掲げる旗にはディムロス、そしてノールズの文字が躍っていた。

 ディムロス軍である。総勢は約2000。彼等が進軍する先には……ハルファルの街がある。

 マリウスとヴィオレッタの決断は迅速であった。利き腕を失ったマリウスだが彼には片時も停滞する意思はなく、いずれ近い内に台頭してくるであろうガレス達、そして北のモルドバを擁するイゴール公の勢力に対抗する為に一刻も早く地盤を固める必要があると、むしろ積極的に勢力拡大を推し進めたのだ。

 驚嘆すべき精神力であった。

 その意を受けてヴィオレッタは即座に侵攻軍を編成した。ヴィオレッタ達がガレスとの戦いに敗北した際に500近い兵士を損耗してしまったが、それでも逃げ散った兵を再編成し守備に残っていた兵と統合する事で、何とか2000以上の数を維持する事は出来た。

 攻撃こそ最大の防御であるという認識の元に、この損耗の隙を突かれる前に逆に自分達からハルファルへ攻勢を仕掛けたのである。


 侵攻軍は総大将をアーデルハイドが務め、参軍にヴィオレッタ、他にソニアを筆頭にジュナイナとキーアの姿もあった。ミリアムも再びアーデルハイドの近侍として参戦している。ファティマは守将として城に残っている。

 マリウスの姿は無かった。彼が利き腕を失い事実上戦線を離脱した事は、既に兵士や市民達の間にも知れ渡っていた。特に兵士達はマリウスの圧倒的な武力を間近で見てきており、先のギエル侵攻戦でも彼の鬼神の如き強さに鼓舞されて戦い抜いた記憶も新しい。

 あの戦でギエル軍は実質的にはマリウス1人に押し返されたような物であり、その人間離れした強さは兵士達に「この人さえいれば大丈夫だ」「この人に付いていけば勝てる」と思わしめるだけの安心感と信頼感を与えていたのだ。

 そのマリウスがもういない……。本当に勝てるのか? 大丈夫なのか? という不安が兵士達の間に蔓延するのも致し方ない事と言えた。ましてやマリウスがいないとなると、率いている将は全員女性ばかりなのだ。

 彼女らが先のガレス率いる半分の数の放浪軍相手に手酷く惨敗してマリウスに助けられた事も、当然既に兵士達の知る所だ。むしろ不安に思わない訳がない。


****


「覚悟はしていたけど……この士気の低さは余り宜しくないわね」

 行軍一日目の野営地。陣の中央に位置する司令官用の天幕に女性達が集まっていた。ヴィオレッタが兵士達の様子に嘆息する。

「うむ……マリウス殿の離脱がここまで軍に大きな影響を及ぼすとは……。我が身のふがいなさを痛感するばかりだ」

「お、お姉様……」

 アーデルハイドが深刻な表情でかぶりを振る。ミリアムがそんな姉の様子に気遣わし気な視線を向ける。

 彼女達はいずれも若く美しい女性ばかりであり、兵士達に人気は高かった。だから離脱者もなく辛うじて軍として纏まってはいる。だが『人気』が高い事と実際に戦で命を預けられるかという『信頼』は全く別の話だ。

「ちくしょう! アタシらがあの時負けたばっかりに……。ぶん殴ってでも気合入れてきてやるよ!」

 肩を怒らせたソニアが天幕を飛び出しかけるのを、親友のジュナイナが慌てて引き留める。

「ま、待って、ソニア! そんな事したら却って逆効果よ!」

「ジュナイナの言う通りよ。私達が兵の信頼を得るには、ただ実績(・・)あるのみよ」

「……っ!」
 ヴィオレッタにも諭されソニアの足が止まる。

「で、でも兵の士気が低いと、そもそもその実績を上げる事自体が難しいのでは……?」

 キーアが遠慮がちに疑問を呈する。


「それでもやるしかないわ。ここを乗り越えられなかったら……私達は終わりよ」


「……ッ!」
 ヴィオレッタの言葉に、天幕にいた全員が息を呑む。だが今後もマリウス抜きで戦っていかねばならない事を考えると、それは厳然たる事実でもあった。

「……なんとしてもこの戦で勝利という『実績』を作らねばならんという事か」

 アーデルハイドが腕を組みながら唸る。

「くそ……上等だよ! アタシらはこんな所で立ち止まっちゃいられないんだ! 実績を出せってんなら出してやるさ! アイツらの目を覚まさせてやるよ!」

 ソニアが拳を打ち付けながら吼える。そう。結局はそれしかないのだ。ならば彼女達に出来る事は、目の前の戦で最善を尽くして勝利を掴む事だけだ。


****


 数日後にはハルファル領内へと進軍したディムロス軍。放っていた斥候がハルファル軍の接近を報告してきた。数は約2500。防衛戦という事もあって、領内のほぼすべての兵を動員しているようだ。

「籠城をせずに撃って出てきたか。ヴィオレッタ殿の予測が当たったな」

「かき集めれば向こうの方が兵力が多い上に、マリウスの負傷に関しても知られているから、敵将は女ばかりと侮っているのよ」

 マリウスが腕を失くした姿はディムロスの市民にも目撃されており、その中には行商人や旅人も混じっていた。情報の統制は不可能であった。隣国のハルファルは一早くその情報を掴んでいたのだろう。

「加えて街の近くで戦えば輜重部隊に兵を割かなくてよくなるから、実質的な兵力差はもう少し開いていると思うわ」

 侵攻側はどうしても輜重部隊が必要になるので基本的には不利になる。なので余程相手側の戦力を上回っていない限り侵攻は行われないのが常であった。

 今回は侵攻戦なので前回のように敵の輜重部隊を狙う戦法は使えない。前回痛い目に遭って、それを警戒して街の近くまで誘き寄せたという面があるようだ。逆に今度はこちらが輜重部隊を襲われないか警戒しなくてはならないのだ。侵攻側の頭の痛い問題であった。

「……厳しい状況だな。だがこの程度の状況を跳ね除けられねば我等に明日はないという事か」

「そういう事。でもその前に出来る事はやっておくわよ?」


 そしてその数時間後には、ディムロス軍が待ち構える地点に敵軍が姿を現した。斥候の報告通り、こちらよりやや多い程度の兵数のようだ。

「……来たわね。兵力的には不利だけど、皆が力を十全に出し切れば決して勝てない相手じゃない。あれは敵の全軍。勝てばこの戦自体私達の勝利は確定よ」

「うむ、そうだな。皆の者! 今こそ日頃の訓練の成果を発揮する時だ! 敵のハルファル軍にはあのガレスのような化け物はおらん! 私達を信じてくれ! お前達が力を貸してくれれば必ずや勝利できる!」

「ここまで来てビビッてんじゃないよ、お前ら! 後は殺るか殺られるか。だったら選択肢は一つしかないだろ!? アタシに続きな! お前らに勝利を味わわせてやるよ!」

 アーデルハイドとソニアが声を張り上げて兵士に発破を掛ける。そもそも訓練では誰も彼女達に勝てる兵士はいないのだ。確かにガレスには敗れたが、相手はあのマリウスの腕さえ切り落とした化け物なのだ。そんな規格外の相手と比較する事自体が間違っている。

 皮肉にもマリウスが腕を切り落とされたという事象そのものが、ソニア達の評価が下落するのを防いだ。

 応っ!! という威勢の良い掛け声があちこちで上がり始め、やがてそれはディムロス軍全体に波及した。


「……兵の士気がどうにか保たれたわね。流石ね、2人共」

 ヴィオレッタが安堵の息を吐いた。どんな作戦を立てようが、兵の士気が低すぎて使い物にならないのでは意味がない。今ようやくスタートラインを切る事ができたのだ。後は自分達次第である。

「来たぞっ!」

 ハルファル軍の騎兵が突撃してくる。勿論その後ろには歩兵部隊と弓兵部隊が続いている。今ここにヴィオレッタ達の真価が問われる戦の火蓋が切って落とされた!

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