第35話 階段の踊り場で顎クイされました
文字数 2,771文字
八階と七階の間にある階段の踊り場まで私を連れて行くと中森さんは私を壁際に追い詰めた。
ドンッと私の頭の横の壁に片手をつく。
「どういうことか説明してくれるわよね?」
「……」
中森さんは笑顔だが目が笑っていない。
おまけに普段は細かなウェーブのかかった茶髪は沢山の蛇と化しており私に「シャーッ!」と威嚇していた。まあこれは私的にそう見えるってだけなんだけど。
でも中森さんが怒っているのは確かだ。
原因も何となくわかる。
……というかあれだよね?
昨夜北沢さんとチキンカレーを食べに行った件だよね?
「黙ってないで何か言いなさいよ」
その可愛らしい口から発せられたとはとても思えない低い声。
うん、これ絶対すごく怒ってる。
「えっと」
私は苦笑した。
「な、中森さんはどこまで知っているの?」
「さあ、どこまででしょうね」
「……」
人間ってこんなに怖い笑顔ができるんだ。
あ、そっか。
中森さん、今は目デューサだもんね。
私は一つ息をついてから告げた。
「別にやましいことはしてないよ。ただチキンカレーを食べてきただけだし」
「ふうん」
中森さんが唸る。辛うじて笑みを保っているがそれはあくまでも表面上のことだ。だって頭の上の蛇がめっちゃシャーシャー言ってるし。
「あたしのお友だち情報によれば相手の男と仲良くお手々繋いでいたって話だけど? しかもその手を男のコートのポケットにインしていたそうじゃない。随分とまあ親密だこと」
「うっ」
あれ?
全部見られてる?
だらだらと背中を嫌な汗が流れていく。手汗だってすごいことになっていた。
私は手汗がバレないように両手をお腹のあたりで組んだ。
「ええっと、そのお友だち情報って?」
「言葉の通りよ。お友だちからの情報。あたしにだって友だちはいるのよ」
「……」
中森さんの情報網って怖い。
「それにしても良い度胸ね。あたしの彼にちょっかい出したくせに他の男とデートだなんて」
「えっ、違う……」
「言い逃れするつもり?」
中森さんがついに笑うのをやめた。
「動画もあるんだけど。あんたとその男がばっちり映ってるわよ。こっちには証拠があるんだからもう観念しなさい」
「……」
マジで怖いよ、お友だち情報。
でも、私としては昨夜のあれはデートじゃなくてただのお食事。お店から駅まで送ってもらったのは不可抗力だ。
うん、不可抗力不可抗力。
あんなのデートの内に入らないよね。
などと思っていると中森さんが顔を近づけ耳元でささやいた。
「もしかしてあんなのデートの内に入らないとか言うつもりじゃないでしょうね。そんなのあたし認めないから」
「……」
中森さん。
どうしたらそんな地獄の底から響くような声が出せるの?
あと、ごめんなさい。
中森さんからめっちゃいい匂いがしてます。
私、ちょっと変な気分。
あぁ、本当に私が男だったら放っておかないんだけどなぁ。
というかもう抱き締めちゃう?
その豊かなお胸に顔を埋めちゃう?
……はっ!
いかんいかん。
私は組んでいた手に力を込めた。
ぎゅうっと組んだ手は爪が食い込んでいてちょい痛い。でもそれくらいしないと私の煩悩は鎮まりそうになかった。
「相手の人、北沢さんよね? 確か去年地方に飛ばされた」
「……っ!」
私は驚きのあまり一歩後退りしかけてコツンと高等部を壁にぶつけた。やばい、そういえば壁ドンされてたんだった。
中森さんがにやりとする。心なしか頭の上の蛇たちもニヤニヤしているような気がした。
「やっぱりそうなのね。考えてみると北沢さんって地方に移る前はここの第二事業部にいた訳だし、あんたと知り合いでもおかしくないのよね」
「……」
き、北沢さんの情報もばっちりなんだ。
中森さん、経理じゃなくてそっち系のお仕事のほうが向いてるのでは?
「さて、何か言いたいことはない?」
「え、えーと」
私は中森さんから視線を逸らした。八階への上り階段の壁は灰色でところどころ汚れている。
そこにカンペでも貼ってあれば良いのだが残念なことにそんな都合のいいものはない。
あっ、あの天井のほうにあるシミ、人の顔っぽい。
とか現実逃避してみたり。
「ちゃんとこっち見なさいよ」
中森さんが指で私の顎をクイッと上げた。
反射的に私は彼女に目を合わせてしまう。彼女の目がきつい。その鋭さはレーザービームのように私を射貫こうとしている。
「あたしあんたのこといい人かもって思ってたんだけど違ったのかしら?」
「……」
掠れるような声が漏れたけれどそれは言葉にならなかった。冷や汗が頬を伝って零れ落ちる。
「あと一応言っておくけど北沢さんって狙ってる子多いから。あんたは軽々しく手を出そうとしてるかもしれない。でもそれってものすごく危険だからね。北沢さんがどうのってことじゃないのよ。むしろ怖いのはそのまわり」
顎を上げていた指がツツーッと喉元に滑った。
とんとんと指で突いてくる。
「わかってると思うけど女は怖いわよ」
「……」
首肯するのも恐ろしくて目だけでうなずいた。
中森さんがフンと鼻を鳴らして私の喉元から指を離す。
「ま、あんたが北沢さん狙いの子に何をされようとあたしにはどうでもいいんだけどね」
「……」
中森さんはちょっぴり頬を赤くしながら私から目を逸らしている。
わあ、ツンデレだ。
めっちゃ可愛い。
私はとうとう堪えきれずに組んでいた手を解いてしまう。
ゆっくりとその手を中森さんへと伸ばし欠け……。
「ただあれね、あんまり男癖が悪いとろくなことにならないわよ」
ピタ。
私は手を止めた。
中森さんは私の反応に気づいた様子もなく言葉を続ける。やや気恥ずかしそうに早口になっていた。
「まああんたが誰かに刺されてもあたしには関係ないんだけど。あとこれ別にあんたを心配してるとかそんなんじゃないんだからね。変な誤解とかしないでよ」
「……」
やっぱ抱き締めようかな。
じゃなくて。
「心配してくれてありがとう」
私はにっこり微笑んだ。
中森さんが「だから違うって」と言って私から身を退く。その顔は明らかに赤くて照れているのが丸わかりだ。
「けど私、他に好きな人がいるから」
「……それって」
中森さんの表情が一気に険しくなった。彼女が誰の顔を思い浮かべたのかは容易に想像できる。
私は静かに首を振った。
「新村くんじゃないよ。あのね、私は三浦部長が好きなの」
「えっ?」
中森さんが目を見開く。彼女の頭の上は蛇から茶髪へと戻っていた。きっと蛇だったらそろってギョッとしていただろう。
とそこで私ははっとした。
あれ?
ちょい待って。
私、今何て言った?
中森さんに心配してもらって、嬉しくなって、雰囲気に流されて何て言った?
「……」
私は両手で顔を覆ってしゃがみ込んだ。
顔が熱い。どうしようもなく顔が熱い。
わぁ。
やっちゃった!
ドンッと私の頭の横の壁に片手をつく。
「どういうことか説明してくれるわよね?」
「……」
中森さんは笑顔だが目が笑っていない。
おまけに普段は細かなウェーブのかかった茶髪は沢山の蛇と化しており私に「シャーッ!」と威嚇していた。まあこれは私的にそう見えるってだけなんだけど。
でも中森さんが怒っているのは確かだ。
原因も何となくわかる。
……というかあれだよね?
昨夜北沢さんとチキンカレーを食べに行った件だよね?
「黙ってないで何か言いなさいよ」
その可愛らしい口から発せられたとはとても思えない低い声。
うん、これ絶対すごく怒ってる。
「えっと」
私は苦笑した。
「な、中森さんはどこまで知っているの?」
「さあ、どこまででしょうね」
「……」
人間ってこんなに怖い笑顔ができるんだ。
あ、そっか。
中森さん、今は目デューサだもんね。
私は一つ息をついてから告げた。
「別にやましいことはしてないよ。ただチキンカレーを食べてきただけだし」
「ふうん」
中森さんが唸る。辛うじて笑みを保っているがそれはあくまでも表面上のことだ。だって頭の上の蛇がめっちゃシャーシャー言ってるし。
「あたしのお友だち情報によれば相手の男と仲良くお手々繋いでいたって話だけど? しかもその手を男のコートのポケットにインしていたそうじゃない。随分とまあ親密だこと」
「うっ」
あれ?
全部見られてる?
だらだらと背中を嫌な汗が流れていく。手汗だってすごいことになっていた。
私は手汗がバレないように両手をお腹のあたりで組んだ。
「ええっと、そのお友だち情報って?」
「言葉の通りよ。お友だちからの情報。あたしにだって友だちはいるのよ」
「……」
中森さんの情報網って怖い。
「それにしても良い度胸ね。あたしの彼にちょっかい出したくせに他の男とデートだなんて」
「えっ、違う……」
「言い逃れするつもり?」
中森さんがついに笑うのをやめた。
「動画もあるんだけど。あんたとその男がばっちり映ってるわよ。こっちには証拠があるんだからもう観念しなさい」
「……」
マジで怖いよ、お友だち情報。
でも、私としては昨夜のあれはデートじゃなくてただのお食事。お店から駅まで送ってもらったのは不可抗力だ。
うん、不可抗力不可抗力。
あんなのデートの内に入らないよね。
などと思っていると中森さんが顔を近づけ耳元でささやいた。
「もしかしてあんなのデートの内に入らないとか言うつもりじゃないでしょうね。そんなのあたし認めないから」
「……」
中森さん。
どうしたらそんな地獄の底から響くような声が出せるの?
あと、ごめんなさい。
中森さんからめっちゃいい匂いがしてます。
私、ちょっと変な気分。
あぁ、本当に私が男だったら放っておかないんだけどなぁ。
というかもう抱き締めちゃう?
その豊かなお胸に顔を埋めちゃう?
……はっ!
いかんいかん。
私は組んでいた手に力を込めた。
ぎゅうっと組んだ手は爪が食い込んでいてちょい痛い。でもそれくらいしないと私の煩悩は鎮まりそうになかった。
「相手の人、北沢さんよね? 確か去年地方に飛ばされた」
「……っ!」
私は驚きのあまり一歩後退りしかけてコツンと高等部を壁にぶつけた。やばい、そういえば壁ドンされてたんだった。
中森さんがにやりとする。心なしか頭の上の蛇たちもニヤニヤしているような気がした。
「やっぱりそうなのね。考えてみると北沢さんって地方に移る前はここの第二事業部にいた訳だし、あんたと知り合いでもおかしくないのよね」
「……」
き、北沢さんの情報もばっちりなんだ。
中森さん、経理じゃなくてそっち系のお仕事のほうが向いてるのでは?
「さて、何か言いたいことはない?」
「え、えーと」
私は中森さんから視線を逸らした。八階への上り階段の壁は灰色でところどころ汚れている。
そこにカンペでも貼ってあれば良いのだが残念なことにそんな都合のいいものはない。
あっ、あの天井のほうにあるシミ、人の顔っぽい。
とか現実逃避してみたり。
「ちゃんとこっち見なさいよ」
中森さんが指で私の顎をクイッと上げた。
反射的に私は彼女に目を合わせてしまう。彼女の目がきつい。その鋭さはレーザービームのように私を射貫こうとしている。
「あたしあんたのこといい人かもって思ってたんだけど違ったのかしら?」
「……」
掠れるような声が漏れたけれどそれは言葉にならなかった。冷や汗が頬を伝って零れ落ちる。
「あと一応言っておくけど北沢さんって狙ってる子多いから。あんたは軽々しく手を出そうとしてるかもしれない。でもそれってものすごく危険だからね。北沢さんがどうのってことじゃないのよ。むしろ怖いのはそのまわり」
顎を上げていた指がツツーッと喉元に滑った。
とんとんと指で突いてくる。
「わかってると思うけど女は怖いわよ」
「……」
首肯するのも恐ろしくて目だけでうなずいた。
中森さんがフンと鼻を鳴らして私の喉元から指を離す。
「ま、あんたが北沢さん狙いの子に何をされようとあたしにはどうでもいいんだけどね」
「……」
中森さんはちょっぴり頬を赤くしながら私から目を逸らしている。
わあ、ツンデレだ。
めっちゃ可愛い。
私はとうとう堪えきれずに組んでいた手を解いてしまう。
ゆっくりとその手を中森さんへと伸ばし欠け……。
「ただあれね、あんまり男癖が悪いとろくなことにならないわよ」
ピタ。
私は手を止めた。
中森さんは私の反応に気づいた様子もなく言葉を続ける。やや気恥ずかしそうに早口になっていた。
「まああんたが誰かに刺されてもあたしには関係ないんだけど。あとこれ別にあんたを心配してるとかそんなんじゃないんだからね。変な誤解とかしないでよ」
「……」
やっぱ抱き締めようかな。
じゃなくて。
「心配してくれてありがとう」
私はにっこり微笑んだ。
中森さんが「だから違うって」と言って私から身を退く。その顔は明らかに赤くて照れているのが丸わかりだ。
「けど私、他に好きな人がいるから」
「……それって」
中森さんの表情が一気に険しくなった。彼女が誰の顔を思い浮かべたのかは容易に想像できる。
私は静かに首を振った。
「新村くんじゃないよ。あのね、私は三浦部長が好きなの」
「えっ?」
中森さんが目を見開く。彼女の頭の上は蛇から茶髪へと戻っていた。きっと蛇だったらそろってギョッとしていただろう。
とそこで私ははっとした。
あれ?
ちょい待って。
私、今何て言った?
中森さんに心配してもらって、嬉しくなって、雰囲気に流されて何て言った?
「……」
私は両手で顔を覆ってしゃがみ込んだ。
顔が熱い。どうしようもなく顔が熱い。
わぁ。
やっちゃった!