第10話 ブレーキの壊れたダンプカー
文字数 2,307文字
翌日のお昼。
私は自分のデスクでお弁当の包みを取り出した。
昨夜の練習でうまくいった分だけお弁当のおかずにしている。出社したときにコンビニで買って置いたお握りを主食に私は食べ始めた。
ちょっぴり焦げた唐揚げにぱくつきながら主のいない三浦部長のデスクを見る。
朝イチで会議のために席を立ってから彼は第二事業部に戻って来ていない。以前なら彼がいることで発生する息苦しさから開放されてほっとするところなのだが今は寂しくて堪らない。目に見える範囲に彼がいないことがこんなにも心を寒くするなんて思いもしなかった。
だからなのか、お弁当が美味しくない。
半分ほど残ったお弁当箱にフタをしようとした時、明るい声が第二事業部のフロアに響き渡った。
「やっほー、たっちゃんいる?」
ショートヘアの女性がにこやかに部内に入ってくる。淡い色のスーツが似合う綺麗な人だ。どこかエキゾチックな顔立ちはハーフを連想させるが本人曰く生粋の熱海人らしい。
彼女……早見優子はデスクでお昼にしている私に気づいたのかこちらに近づいて来た。
「まーちゃん、たっちゃんは?」
「朝からずっと会議ですよ」
ちなみにたっちゃんとは三浦部長の下の名前(拓也)から来ている。
私はさりげなくお弁当をファイルの下に隠した。このファイルは午後の打ち合わせに使うのだけれど匂いが移ったりしないよね?
「部長に何かご用ですか」
「うーん、用ってほどじゃないんだけど」
優子さんは中空を見遣った。
「時間が空いたから一緒にお昼でもどうかなーって」
「……」
ワォ。
優子さん、あなた部長の彼女ですか?
何気に恥ずかしいセリフの割に全く恥じらいのない優子さんに私はジト目を投げる。気づいてないのか完全にスルーした優子さんはなぜか鼻をクンクンさせた。
「何だか微妙な匂いがするね」
「……」
えーっ。
微妙ってどういうことですか?
優子さんが身を乗り出してお弁当の上のファイルに手を伸ばす。あっと思う間もなくファイルが取り除かれた。
剥き出しになったお弁当箱を優子さんが凝視する。
私は恥ずかしさのあまりかぁっと赤くなった。
数秒見つめてから彼女はポンと私の肩に手を置いた。
小さな声で。
「ドンマイ」
「……憐れみなら要りませんから」
どうにか返事を絞り出した。
優子さんがうん、とうなずいて私の肩から手を離す。そのまま手は頭の上へと移動した。優しい手つきでポンポンとたたく。
「しかし珍しいねぇ、まーちゃんがお弁当を作ってくるなんて」
「べ、別にいいじゃないですか」
「いいんだけどさあ。でもあれ? 心境の変化? 好きな男でも出来た?」
「……」
うっ、鋭い。
この人、油断できないなぁ。
「そっかぁ、まーちゃんもようやく好きな人ができたかぁ」
うんうんとうなずきながら優子さんは腕組みした。
目を閉じてまたうなずく。
「私、ちょっと心配してたんだよね。まーちゃんって鈍ちんだから色恋にも疎いし。このまま独り身街道まっしぐらになっちゃうんじゃないかって思ってたよ」
「……」
優子さん。
私、そんなに鈍くないです。
レーザービームでも発射できそうなくらい私は優子さんを睨みつける。これ、怒っていい案件だよね。
優子さんは動じない。
というか自分の世界に入ってしまったのか視線を感じなくなっているようだ。
「相手は誰かな? やっぱりイケメンだよね。そうなると第一事業部の諸星くんかな? ああでも海外事業部の北川くんもあるかなぁ。そうそう、うちの新村くんも有力だよね。何しろまーちゃんと同期で仲も良いし」
「……」
えーっと。
三浦部長は無視ですか?
彼もイケメンですよ。
私は目で訴えるが優子さんには届かない。彼女はまだこちらに戻って来ていないのだ。
「考えられる相手はそんなに多くないわよね。まーちゃんにだって好みはあるだろうし、少なくとも年下はパスかな。そうなると同期かそれ以上ってことになるわね。あ、でもそんなに年の差はないかな? どうなんだろ、まーちゃん年上もいけるかもだけどあんまり上田ときついかもなぁ。ああ、これは簡単そうで難しい問題ね。後でたっちゃんも交えて相談したほうがいいかしら」
「ちょ、優子さんっ!」
思わぬ形で三浦部長の名が出てきて私は慌てる。彼に余計なことを吹き込まれでもしたらえらい迷惑だ。
「優子さん、私のことはいいですから。もういいですから」
私はゆさゆさと優子さんを揺らした。こうなったら無理矢理でも止めないと。
優子さんがはっとして目を開ける。一瞬で何かを思いついたみたいに私を見つめた。
吸い込まれそうなほどのきれいな目に私は息を呑む。
ぷっくりとした唇が動いた。
「新村くんね、そうでしょ? 新村くんよね?」
「えっ」
「素直に白状しちゃいなさい。まーちゃんの好きな人って新村くんなんでしょ?」
「……」
どうしよう。
よくわからないうちに新村くんに決定されちゃった。
私はブンブンと首を振った。
「ち、違います。新村くんじゃないです」
「いいのいいの、恥ずかしがる必要はないのよ。だって新村くんは素敵だしまーちゃんにピッタリの物件だよ。まあちょっと女の子にモテすぎるけど、それは新村くんに魅力があるってことだもんね」
「いや、だから、私の」
にこやかに笑って優子さんは私の肩をポンと叩いた。
何だかものすごく嫌な予感しかしない。
「安心して、私がついているんだから新村くんとの仲をばっちり取り持ってあげる。こう見えても学生時代はブレーキの壊れたダンプカーなキューピットとして有名だったんだから。どーんとお任せよ!」
「……」
ブレーキの壊れたダンプカーって……。
それ絶対褒めてないよね?
私は自分のデスクでお弁当の包みを取り出した。
昨夜の練習でうまくいった分だけお弁当のおかずにしている。出社したときにコンビニで買って置いたお握りを主食に私は食べ始めた。
ちょっぴり焦げた唐揚げにぱくつきながら主のいない三浦部長のデスクを見る。
朝イチで会議のために席を立ってから彼は第二事業部に戻って来ていない。以前なら彼がいることで発生する息苦しさから開放されてほっとするところなのだが今は寂しくて堪らない。目に見える範囲に彼がいないことがこんなにも心を寒くするなんて思いもしなかった。
だからなのか、お弁当が美味しくない。
半分ほど残ったお弁当箱にフタをしようとした時、明るい声が第二事業部のフロアに響き渡った。
「やっほー、たっちゃんいる?」
ショートヘアの女性がにこやかに部内に入ってくる。淡い色のスーツが似合う綺麗な人だ。どこかエキゾチックな顔立ちはハーフを連想させるが本人曰く生粋の熱海人らしい。
彼女……早見優子はデスクでお昼にしている私に気づいたのかこちらに近づいて来た。
「まーちゃん、たっちゃんは?」
「朝からずっと会議ですよ」
ちなみにたっちゃんとは三浦部長の下の名前(拓也)から来ている。
私はさりげなくお弁当をファイルの下に隠した。このファイルは午後の打ち合わせに使うのだけれど匂いが移ったりしないよね?
「部長に何かご用ですか」
「うーん、用ってほどじゃないんだけど」
優子さんは中空を見遣った。
「時間が空いたから一緒にお昼でもどうかなーって」
「……」
ワォ。
優子さん、あなた部長の彼女ですか?
何気に恥ずかしいセリフの割に全く恥じらいのない優子さんに私はジト目を投げる。気づいてないのか完全にスルーした優子さんはなぜか鼻をクンクンさせた。
「何だか微妙な匂いがするね」
「……」
えーっ。
微妙ってどういうことですか?
優子さんが身を乗り出してお弁当の上のファイルに手を伸ばす。あっと思う間もなくファイルが取り除かれた。
剥き出しになったお弁当箱を優子さんが凝視する。
私は恥ずかしさのあまりかぁっと赤くなった。
数秒見つめてから彼女はポンと私の肩に手を置いた。
小さな声で。
「ドンマイ」
「……憐れみなら要りませんから」
どうにか返事を絞り出した。
優子さんがうん、とうなずいて私の肩から手を離す。そのまま手は頭の上へと移動した。優しい手つきでポンポンとたたく。
「しかし珍しいねぇ、まーちゃんがお弁当を作ってくるなんて」
「べ、別にいいじゃないですか」
「いいんだけどさあ。でもあれ? 心境の変化? 好きな男でも出来た?」
「……」
うっ、鋭い。
この人、油断できないなぁ。
「そっかぁ、まーちゃんもようやく好きな人ができたかぁ」
うんうんとうなずきながら優子さんは腕組みした。
目を閉じてまたうなずく。
「私、ちょっと心配してたんだよね。まーちゃんって鈍ちんだから色恋にも疎いし。このまま独り身街道まっしぐらになっちゃうんじゃないかって思ってたよ」
「……」
優子さん。
私、そんなに鈍くないです。
レーザービームでも発射できそうなくらい私は優子さんを睨みつける。これ、怒っていい案件だよね。
優子さんは動じない。
というか自分の世界に入ってしまったのか視線を感じなくなっているようだ。
「相手は誰かな? やっぱりイケメンだよね。そうなると第一事業部の諸星くんかな? ああでも海外事業部の北川くんもあるかなぁ。そうそう、うちの新村くんも有力だよね。何しろまーちゃんと同期で仲も良いし」
「……」
えーっと。
三浦部長は無視ですか?
彼もイケメンですよ。
私は目で訴えるが優子さんには届かない。彼女はまだこちらに戻って来ていないのだ。
「考えられる相手はそんなに多くないわよね。まーちゃんにだって好みはあるだろうし、少なくとも年下はパスかな。そうなると同期かそれ以上ってことになるわね。あ、でもそんなに年の差はないかな? どうなんだろ、まーちゃん年上もいけるかもだけどあんまり上田ときついかもなぁ。ああ、これは簡単そうで難しい問題ね。後でたっちゃんも交えて相談したほうがいいかしら」
「ちょ、優子さんっ!」
思わぬ形で三浦部長の名が出てきて私は慌てる。彼に余計なことを吹き込まれでもしたらえらい迷惑だ。
「優子さん、私のことはいいですから。もういいですから」
私はゆさゆさと優子さんを揺らした。こうなったら無理矢理でも止めないと。
優子さんがはっとして目を開ける。一瞬で何かを思いついたみたいに私を見つめた。
吸い込まれそうなほどのきれいな目に私は息を呑む。
ぷっくりとした唇が動いた。
「新村くんね、そうでしょ? 新村くんよね?」
「えっ」
「素直に白状しちゃいなさい。まーちゃんの好きな人って新村くんなんでしょ?」
「……」
どうしよう。
よくわからないうちに新村くんに決定されちゃった。
私はブンブンと首を振った。
「ち、違います。新村くんじゃないです」
「いいのいいの、恥ずかしがる必要はないのよ。だって新村くんは素敵だしまーちゃんにピッタリの物件だよ。まあちょっと女の子にモテすぎるけど、それは新村くんに魅力があるってことだもんね」
「いや、だから、私の」
にこやかに笑って優子さんは私の肩をポンと叩いた。
何だかものすごく嫌な予感しかしない。
「安心して、私がついているんだから新村くんとの仲をばっちり取り持ってあげる。こう見えても学生時代はブレーキの壊れたダンプカーなキューピットとして有名だったんだから。どーんとお任せよ!」
「……」
ブレーキの壊れたダンプカーって……。
それ絶対褒めてないよね?