第7話 まだ自分の気持ちを認めていない
文字数 2,573文字
結局、三浦部長はクリーム色のマフラーと私がすすめたコートを買った。
お店のロゴが印刷された買い物袋を片手に彼は私と並んで歩いている。閉館間近となった商業施設は人の姿が少なく、どこか寂しそうな雰囲気を漂わせていた。
向かいから近づいてくる恋人らしき若い男女が手を繋いでいる。互いの指を絡め合ったその手が二人の想いも繋げているようで見ていて微笑ましい。
と同時に何もない自分の手が心許なくなってくる。
ちらと見遣った三浦部長の手は大きくて、当たり前だけど男の人の手で自分でも不思議なくらいその手と繋ぎたくなった。
いや、違うっ。
私は慌てて目を逸らす。
どうしてそんなふうに思えたのか。私は彼が大嫌いなはずなのに。これではまるで彼のことが好きみたいではないか。
一度意識すると気持ちがどんどん膨らんでいく。
自分の意思とは無関係に胸の鼓動が速まった。アップテンポにリズムを刻む心音が否応もなく私の体温も上げていく。
すれ違う恋人たちの楽しげな声が自分の心音と重なる。
私は自分が耳まで赤くなっているのを自覚した。すぐ隣の三浦部長にこれをどう隠せばいいのかわからない。
それとも、もう気づかれているのか。
半ば熱にうかされつつ性懲りもなく彼の手を見る。私の側にあるその手に自分の手が引き寄せられるような感じがした。ほんの少しだけ距離を詰めれば、あと数センチ手を伸ばせば……そんな想像が頭をよぎる。
待て待て待て待て。
落ち着け私。
相手は三浦部長だよ。
たとえイケメンでも、仕事が出来て高収入でもあの三浦部長なんだよ。
それでもいいの?
「……」
良くない、と言い切れない自分がそこにいて私は内心驚く。いやこれ違うから、何かの間違いだからと必死で抵抗した。もう何を相手に抗っているのかよくわからなくなってきたけどとにかく認める訳にはいかなかった。
「大野」
「ひっ」
不意打ちのようにかけられた三浦部長の声に私は小さな悲鳴を上げる。身を固くして立ち止まった私を彼は怪訝そうに見つめた。
「いきなりどうした? どこか行きたい店でもあるのか?」
「あ、そうではなくて」
私は首を振った。
三浦部長ではなく少し先の宝飾店に目を向ける。特にその店に興味がある訳ではない。彼の顔を見られないだけだ。
ふう、と三浦部長がため息をついた。
「もしかして疲れたのか。仕方ない奴だな」
数秒の間があり、すまなそうに続けた。
「とはいえ、仕事帰りに付き合わせてしまったからな。君の都合も考えるべきだった」
「……」
どうしよう。
今、部長の気遣いが嬉しいとか思っちゃった。
拒みたいのに気持ちがこみ上げてくる。
認めない、認めたくないと思っているのに胸の奥から想いがせり上がってくる。うっかり気を抜いたら言葉にしてしまいそうな勢いだ。
相手は三浦部長なのに。
「あれだな、どこかで休んでいくか」
身体の中でとくとくとくとくと大音量で鳴っている私には「いっそこのままお持ち帰りしてしまいたい」と付け加えた三浦部長の声は聞こえなかった。
*
閉館時間を報せるアナウンスを背に私たちは商業施設を出た。
ぴゅうと吹いた北風が容赦なく私を凍えさせる。やっぱりこの安物のコートでは冬を越せそうにない。
震えながらも都合良く青信号になった横断歩道を渡って向かいの喫茶店に逃げ込むように入った。通りに面したテーブルに白黒のチェック模様の制服を着た店員に案内されて座る。暖かな空気にじんわりと身体が温められるようで思わずほっとした。
北欧を連想させるBGMが流れる店内は暖色系の照明と茶色っぽい壁やテーブルでどこか古めかしい雰囲気を醸し出している。客はほどほどにいて比較的若い人が目立つ。
壁の黒板に白いチョークで「サツマイモのタルトのセット」と「アップルパイのセット」と書かれていてどちらが美味しいのだろうと私は少しだけ自分にせっついてくる感情を忘れた。
「好きな物を頼んでいいぞ」
三浦部長がメニューを私に差し出してくる。彼は何だか不機嫌そうにむすっとしていた。自分で気づかぬうちに彼を怒らせてしまったのではないかと内心不安になる。
せめてここは早めに注文を決めよう。もたもたしていても部長の機嫌を悪化させるだけだし。
私はサツマイモのタルトのセットにしようとして口を開きかける。
三浦部長が言った。
「これを夕食にしてもいいんだからな。でもスイーツだけで腹を満たそうとするなよ」
「……」
えーっ。
さっき「好きな物を頼んでいいぞ」って言ったくせに。
私はやむなくメニューを眺めた。タルトやケーキなどのスイーツの他にオムライスやハンバーグ、パスタといった品目が数種類ずつ載っている。
何気なく隣のテーブルに目をやると大学生くらいの女の子二人がいた。一人はデミグラスソースのハンバーグ、もう一人はナスとベーコンのトマトソースパスタを食べている。どちらも美味しそうだが昨夜の夕食はコンビニのハンバーグ弁当だ。
ナスとベーコンのトマトソースパスタにしようかな。
上目遣いに三浦部長の顔を見る。
パスタなら二日連続にならないしスイーツでもないから文句はないよね、と自分を納得させて告げた。
「私はナスとベーコンのトマトソースパスタにします」
「それで足りるのか? 遠慮しなくてもいいんだぞ」
「……」
えーと。
私、そんなに食べるタイプに見えるのかな?
三浦部長が黒板のほうに目をやった。
声音が柔らかくなる。
「スイーツのおすすめもあるみたいだし、それも頼んだらどうだ」
「えっ、でも」
「何だ、ダイエット中か?」
「そ、そういう訳では」
私はメニューの文字を意味なく見つめる。彼にそんなふうに思われるのがちょっと恥ずかしい。
「でもあれだ、ダイエットしたいならコンビニ弁当はやめたほうがいいぞ。あれを毎回全部食べていたらカロリーの摂りすぎだからな。どうせ君のことだからハンバーグ弁当とか唐揚げ弁当とか焼肉弁当とかを選んできれいに平らげているんだろ?」
「……」
どうしてそれを知っているんだろう。
部長、私のことストーキングしてるんですか?
私が目を上げると僅かに頬を緩ませた部長がいた。
「これでも一応君の上司だぞ。そのくらい見てなくてもわかる」
「部長……」
微妙な気分だった。
私、彼の中でどんなふうに見えているのかな?
お店のロゴが印刷された買い物袋を片手に彼は私と並んで歩いている。閉館間近となった商業施設は人の姿が少なく、どこか寂しそうな雰囲気を漂わせていた。
向かいから近づいてくる恋人らしき若い男女が手を繋いでいる。互いの指を絡め合ったその手が二人の想いも繋げているようで見ていて微笑ましい。
と同時に何もない自分の手が心許なくなってくる。
ちらと見遣った三浦部長の手は大きくて、当たり前だけど男の人の手で自分でも不思議なくらいその手と繋ぎたくなった。
いや、違うっ。
私は慌てて目を逸らす。
どうしてそんなふうに思えたのか。私は彼が大嫌いなはずなのに。これではまるで彼のことが好きみたいではないか。
一度意識すると気持ちがどんどん膨らんでいく。
自分の意思とは無関係に胸の鼓動が速まった。アップテンポにリズムを刻む心音が否応もなく私の体温も上げていく。
すれ違う恋人たちの楽しげな声が自分の心音と重なる。
私は自分が耳まで赤くなっているのを自覚した。すぐ隣の三浦部長にこれをどう隠せばいいのかわからない。
それとも、もう気づかれているのか。
半ば熱にうかされつつ性懲りもなく彼の手を見る。私の側にあるその手に自分の手が引き寄せられるような感じがした。ほんの少しだけ距離を詰めれば、あと数センチ手を伸ばせば……そんな想像が頭をよぎる。
待て待て待て待て。
落ち着け私。
相手は三浦部長だよ。
たとえイケメンでも、仕事が出来て高収入でもあの三浦部長なんだよ。
それでもいいの?
「……」
良くない、と言い切れない自分がそこにいて私は内心驚く。いやこれ違うから、何かの間違いだからと必死で抵抗した。もう何を相手に抗っているのかよくわからなくなってきたけどとにかく認める訳にはいかなかった。
「大野」
「ひっ」
不意打ちのようにかけられた三浦部長の声に私は小さな悲鳴を上げる。身を固くして立ち止まった私を彼は怪訝そうに見つめた。
「いきなりどうした? どこか行きたい店でもあるのか?」
「あ、そうではなくて」
私は首を振った。
三浦部長ではなく少し先の宝飾店に目を向ける。特にその店に興味がある訳ではない。彼の顔を見られないだけだ。
ふう、と三浦部長がため息をついた。
「もしかして疲れたのか。仕方ない奴だな」
数秒の間があり、すまなそうに続けた。
「とはいえ、仕事帰りに付き合わせてしまったからな。君の都合も考えるべきだった」
「……」
どうしよう。
今、部長の気遣いが嬉しいとか思っちゃった。
拒みたいのに気持ちがこみ上げてくる。
認めない、認めたくないと思っているのに胸の奥から想いがせり上がってくる。うっかり気を抜いたら言葉にしてしまいそうな勢いだ。
相手は三浦部長なのに。
「あれだな、どこかで休んでいくか」
身体の中でとくとくとくとくと大音量で鳴っている私には「いっそこのままお持ち帰りしてしまいたい」と付け加えた三浦部長の声は聞こえなかった。
*
閉館時間を報せるアナウンスを背に私たちは商業施設を出た。
ぴゅうと吹いた北風が容赦なく私を凍えさせる。やっぱりこの安物のコートでは冬を越せそうにない。
震えながらも都合良く青信号になった横断歩道を渡って向かいの喫茶店に逃げ込むように入った。通りに面したテーブルに白黒のチェック模様の制服を着た店員に案内されて座る。暖かな空気にじんわりと身体が温められるようで思わずほっとした。
北欧を連想させるBGMが流れる店内は暖色系の照明と茶色っぽい壁やテーブルでどこか古めかしい雰囲気を醸し出している。客はほどほどにいて比較的若い人が目立つ。
壁の黒板に白いチョークで「サツマイモのタルトのセット」と「アップルパイのセット」と書かれていてどちらが美味しいのだろうと私は少しだけ自分にせっついてくる感情を忘れた。
「好きな物を頼んでいいぞ」
三浦部長がメニューを私に差し出してくる。彼は何だか不機嫌そうにむすっとしていた。自分で気づかぬうちに彼を怒らせてしまったのではないかと内心不安になる。
せめてここは早めに注文を決めよう。もたもたしていても部長の機嫌を悪化させるだけだし。
私はサツマイモのタルトのセットにしようとして口を開きかける。
三浦部長が言った。
「これを夕食にしてもいいんだからな。でもスイーツだけで腹を満たそうとするなよ」
「……」
えーっ。
さっき「好きな物を頼んでいいぞ」って言ったくせに。
私はやむなくメニューを眺めた。タルトやケーキなどのスイーツの他にオムライスやハンバーグ、パスタといった品目が数種類ずつ載っている。
何気なく隣のテーブルに目をやると大学生くらいの女の子二人がいた。一人はデミグラスソースのハンバーグ、もう一人はナスとベーコンのトマトソースパスタを食べている。どちらも美味しそうだが昨夜の夕食はコンビニのハンバーグ弁当だ。
ナスとベーコンのトマトソースパスタにしようかな。
上目遣いに三浦部長の顔を見る。
パスタなら二日連続にならないしスイーツでもないから文句はないよね、と自分を納得させて告げた。
「私はナスとベーコンのトマトソースパスタにします」
「それで足りるのか? 遠慮しなくてもいいんだぞ」
「……」
えーと。
私、そんなに食べるタイプに見えるのかな?
三浦部長が黒板のほうに目をやった。
声音が柔らかくなる。
「スイーツのおすすめもあるみたいだし、それも頼んだらどうだ」
「えっ、でも」
「何だ、ダイエット中か?」
「そ、そういう訳では」
私はメニューの文字を意味なく見つめる。彼にそんなふうに思われるのがちょっと恥ずかしい。
「でもあれだ、ダイエットしたいならコンビニ弁当はやめたほうがいいぞ。あれを毎回全部食べていたらカロリーの摂りすぎだからな。どうせ君のことだからハンバーグ弁当とか唐揚げ弁当とか焼肉弁当とかを選んできれいに平らげているんだろ?」
「……」
どうしてそれを知っているんだろう。
部長、私のことストーキングしてるんですか?
私が目を上げると僅かに頬を緩ませた部長がいた。
「これでも一応君の上司だぞ。そのくらい見てなくてもわかる」
「部長……」
微妙な気分だった。
私、彼の中でどんなふうに見えているのかな?