第13話 何かが足りないお弁当

文字数 3,762文字

 優子さん、どうするつもりかな……。

 会議用の書類の束を両手で抱えながら私は考えていた。

 今日は九時半から会議が予定されていてそのための準備をしなくてはならない。第二事業部の他の部員が会議室で資料を整える一方、私はデータを人数分プリントアウトするという役目を任されていた。これが地味に時間がかかる。そして紙束は量があると結構重い。

 エレベーターで上階に昇ると別の会議室から二人の男の人と一緒に三浦部長が出てきた。朝から会議に出席していたらしい彼は私を見つけると二言三言会話を交わして二人から離れる。二人には柔和な顔をしていたのに急にむすっとしたものに表情を変えて私に近づいてきた。

 あぁ、また何か怒られるのかな。

 三浦部長と会えて嬉しい気持ちが叱責の不安で色褪せてくる。

 きゅっと資料を持つ手に力がこもった。

「おはよう、今日も寒いな」

 私は立ち止まって軽く頭を下げる。

「おはようございます。そうですね、寒いですね」

 小さな緊張が喉を渇かせた。

「あの、部長」
「うん?」

 傍まで寄った三浦部長を上目遣いに眺めた。

 彼は切れ長の目をこちらに向けている。鋭い視線が痛くて逃げ出したい衝動にかられた。彼のことが好き、彼の傍にいたい。それなのに逃げ出したいなんて矛盾している。でもこればっかりは自分でもどうしようもないのだから仕方ない。

 何とか踏み留まって言葉を絞り出した。

「お弁当を作ってきました」
「そ、そうか」

 短く返して彼は目を逸らす。

 あれ?

 ひょっとして迷惑だった?

 私は疑問符に不安の色を塗っていく。普段料理をしない私のお弁当なんてやっぱり食べたくないのかな、と無言でつぶやいた。

 けど、何か作ってくれって言ったのは部長のほうだし。

「部長、お昼に時間取れますよね?」

 把握している範囲で三浦部長のスケジュールを思い浮かべながら尋ねる。たぶん大丈夫だと判じる私を保証するように彼はうなずいた。

「そのくらいには会議も終わるはずだからな。大野がせっかく作ってくれたんだ、ありがたくいただくよ」
「……」

 やった。

 ほっとする私は「むしろ会議よりまゆかのお弁当を優先したい」と小声で言った彼の声を聞き逃していた。

「それと」

 部長の腕が伸びて私が抱えていたプリントアウトの束を奪っていく。抵抗の暇も与えず、それでいて優しく持って行った彼の動きはスマートでどこか私のことを大切に扱ってくれているような錯覚をしてしまった。

 無意識のうちに胸がときめいていく。

 あ、私は彼のことが大好きなんだなと再認識した。

 「これ、会議室まで運べばいいんだよな」
「はい……って、わぁ、駄目ですよ。部長にこんなことさせたら私がみんなに白い目で見られます」
「うん? 僕には資料運びすらさせてもらえないのか?」
「そうじゃありませんけど」

 きょとんとする部長に私はため息をついた。

「雑用は私たち下の者に任せればいいんですよ。部長はどーんと構えていてください」

 どーんと……って。

 言いながらどこかで誰かが似たようなことを口にしていたなと思った。

 あっ。

 優子さんだ。

 私も彼女に似てきているのかなぁ、と少し苦笑した。どうせ似るなら美人なところとか人を惹きつける魅力とかがいいんだけど。

 まあ、そうそう思い通りにはいかないよね。

「私、もうちょっと持ちます」
「いや、大丈夫だから」
「でも私、手ぶらでみんなのところに行きたくないです」

 訴えるように彼を見つめた。

 一瞬、彼の頬に朱が走ったように感じる。でもそれはきっと部下に面倒なことを言われて気分を害したからだろう。

 口角を下げて三浦部長が四分の一ほどを渡してきた。このくらいでも少ないのだがこれ以上は我が儘になるのかもしれない。

「ありがとうございます」
「気にするな」

 彼の血色が濃くなる。ぷいと私から顔を背けるとずんずんと歩きだした。

 *

 予定よりちょっと遅れて会議が終わった。

 私は部下にお小言マシンガンを浴びせる三浦部長を少し離れたところから眺める。

 彼は不機嫌そうな顔を隠そうともしなかった。傍目にもいい話をしているようには見えない。どうやら新規開拓の進み具合の悪さを三浦部長が指摘しているようだった。

 うちの会社は国内外に支社があり、私や三浦部長は本社に勤めている。基本的にはそれぞれに担当エリアがあり、本社は南関東のほとんどを受け持っていた。

 通常、一度海外赴任(主にニューヨーク支社)を経て第一事業部に戻ると出世コースとしてはかなり有利となる。国内と海外の橋渡し感の強い海外事業部は海外赴任の足がかりとも呼ばれていて将来の重役候補者は必ずと言っていいほどこの部署を経験していた。

 三浦部長もいつか海外事業部に移ったりするのかな。

 この会社の社員である以上他の部署への異動は避けられない。その程度には入れ替えがある会社なのだ。

 私の二年先輩の北沢(きたざわ)さんも昨年の春福岡支社に行ってしまった。

 茶髪でちゃらちゃらした印象のある人だけど優しい先輩だった。仕事の多くは彼に教えてもらったようなものだ。いくら感謝してもし足りない。

 あ、何か三浦部長と話してる人、北沢さんに似てる。

 茶髪ですらりとした人だからだろうか。それとも遊んでいそうな見た目のせいだろうか。

 ふと懐かしさがこみ上げてきた。

 北沢さん、元気かなぁ。

 *

「待たせたな」

 話を終えた三浦部長が私に声をかけた。

 私は思い出の中の北沢さんを奥のほうに押し込んで三浦部長へと意識を向ける。さっきまでの会話が尾を引いているからか彼は顔が赤かった。よほど腹に据えかねたようだ。

 うん。

 私も怒られないように気をつけようっと。

「一時半に常務のところに行かないといけないから少し急ごう。とはいえ、大野のお弁当を味わう時間くらいはあるだろうがな」
「はい」

 会議そのものは十二時を十分くらい過ぎた時刻に終わっていた。

 三浦部長が部下へのお小言マシンガンを炸裂させていなければ今ごろ楽しいお弁当タイムになっていただろう。

「ところで」

 エレベーターに二人で乗り込むと三浦部長が尋ねてきた。

「もし僕が海外に転勤することになったら大野はどうする?」
「どうするって……?」

 内心ちょい焦った。

 もしかしてそんな話があるの?

 探るように三浦部長を見ると彼はエレベーターの扉を凝視していた。私とは目を合わせようとせず、何かを堪えるように口をへの字にしている。

 もし三浦部長がいなくなったら……。

 将来的にはあり得ることだけど今はそうならないで欲しい。せっかく好きになったのにお別れだなんて嫌だ。

「部長がいなくなったら誰が第二事業部をまとめるんですか。そんな悪い冗談はやめてくださいよ」
「そ、そうか」

 うろたえ気味に彼が応じる。

 私は続けた。

「それでももし仮に、仮にですよ、部長が海外に行ってしまったらその場所にある名産を毎月送って欲しいですね。あ、そこならではのお酒とかでもいいです」
「君は僕を親戚のおじさんか何かと一緒にしてないか?」
「してませんよ」

 私はにこりとした。

「部長が親戚のおじさんならお小遣いを要求してますし」
「お子様か」

 彼はため息をついた。

「でもまあ、お小遣いくらいいつでもいいぞ」
「えっ」

 彼はそっぽを向いた。耳が赤くなっている。

 早口のせいで聴き取れなかった言葉が気になったがエレベーターが目的階に着いてしまった。急くように三浦部長が降り、私も後を追う。第二事業部までお互い口を利かなかった。

 部内にある応接用のスペースでお弁当を広げる。

 ローテーブルの上に茶色が並んだ。具体的には唐揚げとコロッケと一口サイズのハンバーグだ。

「……」

 口を半開きにして固まる三浦部長の反応が気になるものの私は魔法瓶からコンソメスープを紙コップへと注ぐ。今朝思いついて作ったのだ。

「前々から薄々わかっていたが」

 やや言葉を選んでいるかのようにゆっくりと三浦部長が言った。

「君の食へのスタンスは中学生レベルだな」
「はぁ?」

 思わず変な声になる。もう少しでコンソメスープをこぼすところだった。

「いくら部長でも酷くないですか? 私、頑張って作ってきたんですよ」
「あ、そうだったな。すまんすまん」

 謝罪が軽い。

 何だか面白くなくて私は口を尖らせた。それでも手を止めず、トマトとレタスのサラダをタッパーのまま置いた。フタを開けてささっとドレッシングをかける。

「ふむ、茶色だけじゃなかったんだな」

 納得したように三浦部長がうなずく。

 私はあえて微笑んだ。引きつった笑みかもしれないが知ったことではない。

「一応、栄養のことも考えていますよ。自分用ではなく部長用のお弁当なんですから」
「いや、そんな怖い笑顔にならなくても……」

 三浦部長が苦笑した。

 持ってきたお弁当を全て出したので私は一仕事終えたような気分になる。むしろこれからが勝負どころなのだろうが「手作り料理」を三浦部長の前に用意できたことだけですっかりやり遂げた気になっていた。

 というか自分にだってまともに作ったことがない。

 三浦部長がいなければ昨日のおかずだってなかっただろう。

 主食はコンビニのお握りだったし。

「大野」

 達成感に浸ろうとした私の意識を三浦部長の声が小突いた。

「ご飯はないのか?」
「あ」

 しまった!
 
 
 
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