第11話 デミグラスソース味の告白
文字数 2,955文字
「ごめんね、早見さん強引だから」
テーブルの向こうで新村くんが眉を下げる。
終業後、私たちは会社の最寄り駅から二つ離れた駅の傍にあるハンバーグレストランに来ていた。私が新村くんのことを好きだと誤解した優子さんはすぐさま二人の親密度を上げるべくご飯のセッティングをしたのである。
このハンバーグレストランは優子さんの行きつけの一つだった。突然の予約もすんなり通るくらい彼女はここの常連なのだ。
「でも嬉しいな、大野さんと食事かぁ」
新村くんがにこりとする。細い目がさらに細くなった。
「そんなにうれしがるほどのことじゃないよ」
私は曖昧に笑いながら返す。
本当は早く帰って三浦部長のお弁当のために練習をしたかった。彼におかしなものを食べさせたくない。だが優子さんのおせっか……親切を無下にする訳にもいかなかった。彼女とはまだ仲良くしていたい。
「いやいや、大野さんは俺にとって特別だし」
どこまで本気なのか、新村くんは笑みを絶やさない。
いい人だとは思うけど彼の女性遍歴は私もよく知っていた。その一人に加わるつもりはない。
ワインで乾杯をすると彼はおもむろに尋ねてきた。
「大野さんはどんな子供だったの?」
「えっ」
想定外の質問に私は短く驚く。瞬間的に小学生の自分が頭に浮かんだ。
小さくて痩せっぽちな私。
いつも誰かの陰に隠れていて自分から目立とうとしなかった。
一体、いつ頃から私は一人でもやっていけるようになったのだろう。
「……」
「大野さん?」
答えずにいると不安そうな新村くんの声が意識を小突いてきた。
「ごめん、ちょっと調子に乗っちゃったかな? 大野さんって可愛いからきっと子供の頃も可愛かったんだろうなって思って」
「そ、そんなことないよ」
かぁっと顔が赤くなるのを自覚した。これはワインを飲んだからだと自分に言い訳する。
「いやいや、そんなことあるから。大野さんは可愛いよ」
新村くんが照れる私を楽しそうに見つめてくる。その爽やかな笑顔はうっかりすると心を奪われてしまいそうだ。あまりにも反則的すぎる。
たぶん、三浦部長がいなければ私も彼の虜になっていただろう。
ふぅ、危ない危ない。
「に、新村くんはどうなの? 子供の頃から女の子にモテたの?」
「え、俺ってそんなふうに見える?」
ごまかすように尋ねると満更でもないといったふうに彼は口角を上げた。この手の問いには慣れているという感じだ。
うむむ、このスマイル王子め。
「別に普通のガキだったと思うよ。バレンタインだってクラスの子からしかもらってないし」
「……」
やっぱりもらってるんだ。
新村くんのことだから女子全員とはいかないまでも大半からもらっていたんだろうなぁ。
「あ、一応言っておくけど三個しかもらってないよ。そんなクラスの女子全員とかマンガみたいなことないから」
「そ、そうだよね」
心を読まれて私は苦く笑む。それでも三個かぁ、と無言で感嘆した。
義理じゃなくて全部本命かなぁ。
うん、本命なんだろうな。
料理が運ばれてそこでその話はお終いになる。優子さんが品目をチョイスしていたそうでメインはチーズハンバーグだった。かかっているデミグラスソースの匂いが何とも美味しそうだ。
「思ったんだけどさ」
新村くんがやや大ぶりにハンバーグを切り分けながら言った。
「大野さんて鶏肉が好物だったんだよね」
「う、うん」
私は新村くんより小さくハンバーグを切る。チーズとお肉とデミグラスソースを絡めて口に入れた。じゅわっとソースと肉汁がチーズの風味と重なって口内に広がっていく。
あ、ここは当たりだ。
優子さんの行きつけの店なのだしハズレなはずはないのだが、自分の舌で確認できた。と同時にこんな店の予約をさらっとできる彼女への敬意が芽生えてくる。私もいつか彼女みたいになれるのだろうか。
ナイフとフォークを動かす手を止めずに新村くんが言葉を接ぐ。
「真面目な話、今度俺と一緒に食べに行かない? 絶対に大野さんの期待を裏切らないからさ」
「えっ、でも」
昨夜断ったつもりでいたので私は少し戸惑う。手が止まった私に追い打ちをかけるように新村くんが続けた。
「週末が駄目なら終業後でもいいんだ。俺のために時間を割いてくれないかな。大野さんが俺の女関係を知ってるのは承知してるよ。それでもさ、俺は大野さんと一緒にいたいんだ」
「……」
わぁ、何だろう。
これ、告白されているみたい。
そう思うと自然に心拍音が跳ねた。
とくんとくんと打ち鳴らす胸の鼓動に私は狼狽えてしまい新村くんの顔が見れなくなる。そんな私の動揺を気取られまいと目の前のチーズハンバーグに集中した。
「俺じゃ、駄目かな?」
「新村くんて、みんなにそう言ってるんでしょ?」
媚びるような彼の声に抗するべく私は言葉に刺を含ませる。「それは」と言いかけて彼は口をつぐんだ。
数秒の途切れた時間にそっと穏やかなクラシックの音楽が隙間を埋めていく。ピアノの音色がどことなくちぐはぐな男女の恋愛を想起させた。
やがて、新村くんが口を開いた。
「俺は大野さんがいい」
「……!」
思わず顔を上げた。
真剣な眼差しで新村くんが私を見つめている。カチャリと音を鳴らして彼はナイフとフォークを置いた。それがクラシックの曲の一節のように聞こえてくる。
「大野さんが嫌だと言うなら関係は全て精算するよ。大野さんだけがいてくれればそれでいい。だから、俺と付き合ってくれない?」
「……新村くん」
「俺には大野さんが必要なんだ。百歳になっても一緒にいたいくらい大切なんだ」
静かに、それでいて力強い告白に私はまた一つ心音を跳ねさせる。三浦部長からの告白ではないのにそんな反応をする自分が信じられなかった。
でも、まだどこかで「これはみんなに言っているセリフでは?」と疑っているのも事実だ。
何しろ彼はモテモテなイケメンである。彼が誰と付き合ったとか誰と火遊びしたのかとかいろいろ噂は絶えない。もちろん他の社員からのやっかみや嫌がらせで広まったものもあるだろう。
それでもいくつかある事実が私の中に疑念を植え付けていた。
私は彼から視線を外す。
下手に目を会わせていたら疑念を抱えたまま彼に流されてしまいそうだった。そうなったら私の負けだ。
一度深呼吸して気持ちを整理してから私は言った。
「ごめんなさい。私、好きな人がいるの。だから新村くんとは無理」
彼には「自分とは付き合えない」とはっきり伝えるべきだと思った。
一瞬、彼の表情が固まる。
脱力したかのように彼は肩を落とした。わかりやすいくらい落胆していた。
「うーん、そうきたか。やっぱりあれかな、俺って信用されてない?」
「……」
あれ?
何だか反応が変……?
「でもそれならチャンスはあるよね。俺が信用に値する男だと証明できれば大野さんも振り向いてくれるよね」
「あ、いや、え?」
ちょい待って。
私、告白を断ったんだよ?
好きな人がいるって言ったんだよ?
諦めないの?
新村くんの顔が再びにこやかになる。
うん、とうなずき彼は宣言した。
「俺、大野さんに振り向いてもらえるように頑張るよ」
「……」
もしかして、変なスイッチ押しちゃった?
にこにこと微笑みながらロックオンしてくる新村くんに私は内心慌てるのであった。
テーブルの向こうで新村くんが眉を下げる。
終業後、私たちは会社の最寄り駅から二つ離れた駅の傍にあるハンバーグレストランに来ていた。私が新村くんのことを好きだと誤解した優子さんはすぐさま二人の親密度を上げるべくご飯のセッティングをしたのである。
このハンバーグレストランは優子さんの行きつけの一つだった。突然の予約もすんなり通るくらい彼女はここの常連なのだ。
「でも嬉しいな、大野さんと食事かぁ」
新村くんがにこりとする。細い目がさらに細くなった。
「そんなにうれしがるほどのことじゃないよ」
私は曖昧に笑いながら返す。
本当は早く帰って三浦部長のお弁当のために練習をしたかった。彼におかしなものを食べさせたくない。だが優子さんのおせっか……親切を無下にする訳にもいかなかった。彼女とはまだ仲良くしていたい。
「いやいや、大野さんは俺にとって特別だし」
どこまで本気なのか、新村くんは笑みを絶やさない。
いい人だとは思うけど彼の女性遍歴は私もよく知っていた。その一人に加わるつもりはない。
ワインで乾杯をすると彼はおもむろに尋ねてきた。
「大野さんはどんな子供だったの?」
「えっ」
想定外の質問に私は短く驚く。瞬間的に小学生の自分が頭に浮かんだ。
小さくて痩せっぽちな私。
いつも誰かの陰に隠れていて自分から目立とうとしなかった。
一体、いつ頃から私は一人でもやっていけるようになったのだろう。
「……」
「大野さん?」
答えずにいると不安そうな新村くんの声が意識を小突いてきた。
「ごめん、ちょっと調子に乗っちゃったかな? 大野さんって可愛いからきっと子供の頃も可愛かったんだろうなって思って」
「そ、そんなことないよ」
かぁっと顔が赤くなるのを自覚した。これはワインを飲んだからだと自分に言い訳する。
「いやいや、そんなことあるから。大野さんは可愛いよ」
新村くんが照れる私を楽しそうに見つめてくる。その爽やかな笑顔はうっかりすると心を奪われてしまいそうだ。あまりにも反則的すぎる。
たぶん、三浦部長がいなければ私も彼の虜になっていただろう。
ふぅ、危ない危ない。
「に、新村くんはどうなの? 子供の頃から女の子にモテたの?」
「え、俺ってそんなふうに見える?」
ごまかすように尋ねると満更でもないといったふうに彼は口角を上げた。この手の問いには慣れているという感じだ。
うむむ、このスマイル王子め。
「別に普通のガキだったと思うよ。バレンタインだってクラスの子からしかもらってないし」
「……」
やっぱりもらってるんだ。
新村くんのことだから女子全員とはいかないまでも大半からもらっていたんだろうなぁ。
「あ、一応言っておくけど三個しかもらってないよ。そんなクラスの女子全員とかマンガみたいなことないから」
「そ、そうだよね」
心を読まれて私は苦く笑む。それでも三個かぁ、と無言で感嘆した。
義理じゃなくて全部本命かなぁ。
うん、本命なんだろうな。
料理が運ばれてそこでその話はお終いになる。優子さんが品目をチョイスしていたそうでメインはチーズハンバーグだった。かかっているデミグラスソースの匂いが何とも美味しそうだ。
「思ったんだけどさ」
新村くんがやや大ぶりにハンバーグを切り分けながら言った。
「大野さんて鶏肉が好物だったんだよね」
「う、うん」
私は新村くんより小さくハンバーグを切る。チーズとお肉とデミグラスソースを絡めて口に入れた。じゅわっとソースと肉汁がチーズの風味と重なって口内に広がっていく。
あ、ここは当たりだ。
優子さんの行きつけの店なのだしハズレなはずはないのだが、自分の舌で確認できた。と同時にこんな店の予約をさらっとできる彼女への敬意が芽生えてくる。私もいつか彼女みたいになれるのだろうか。
ナイフとフォークを動かす手を止めずに新村くんが言葉を接ぐ。
「真面目な話、今度俺と一緒に食べに行かない? 絶対に大野さんの期待を裏切らないからさ」
「えっ、でも」
昨夜断ったつもりでいたので私は少し戸惑う。手が止まった私に追い打ちをかけるように新村くんが続けた。
「週末が駄目なら終業後でもいいんだ。俺のために時間を割いてくれないかな。大野さんが俺の女関係を知ってるのは承知してるよ。それでもさ、俺は大野さんと一緒にいたいんだ」
「……」
わぁ、何だろう。
これ、告白されているみたい。
そう思うと自然に心拍音が跳ねた。
とくんとくんと打ち鳴らす胸の鼓動に私は狼狽えてしまい新村くんの顔が見れなくなる。そんな私の動揺を気取られまいと目の前のチーズハンバーグに集中した。
「俺じゃ、駄目かな?」
「新村くんて、みんなにそう言ってるんでしょ?」
媚びるような彼の声に抗するべく私は言葉に刺を含ませる。「それは」と言いかけて彼は口をつぐんだ。
数秒の途切れた時間にそっと穏やかなクラシックの音楽が隙間を埋めていく。ピアノの音色がどことなくちぐはぐな男女の恋愛を想起させた。
やがて、新村くんが口を開いた。
「俺は大野さんがいい」
「……!」
思わず顔を上げた。
真剣な眼差しで新村くんが私を見つめている。カチャリと音を鳴らして彼はナイフとフォークを置いた。それがクラシックの曲の一節のように聞こえてくる。
「大野さんが嫌だと言うなら関係は全て精算するよ。大野さんだけがいてくれればそれでいい。だから、俺と付き合ってくれない?」
「……新村くん」
「俺には大野さんが必要なんだ。百歳になっても一緒にいたいくらい大切なんだ」
静かに、それでいて力強い告白に私はまた一つ心音を跳ねさせる。三浦部長からの告白ではないのにそんな反応をする自分が信じられなかった。
でも、まだどこかで「これはみんなに言っているセリフでは?」と疑っているのも事実だ。
何しろ彼はモテモテなイケメンである。彼が誰と付き合ったとか誰と火遊びしたのかとかいろいろ噂は絶えない。もちろん他の社員からのやっかみや嫌がらせで広まったものもあるだろう。
それでもいくつかある事実が私の中に疑念を植え付けていた。
私は彼から視線を外す。
下手に目を会わせていたら疑念を抱えたまま彼に流されてしまいそうだった。そうなったら私の負けだ。
一度深呼吸して気持ちを整理してから私は言った。
「ごめんなさい。私、好きな人がいるの。だから新村くんとは無理」
彼には「自分とは付き合えない」とはっきり伝えるべきだと思った。
一瞬、彼の表情が固まる。
脱力したかのように彼は肩を落とした。わかりやすいくらい落胆していた。
「うーん、そうきたか。やっぱりあれかな、俺って信用されてない?」
「……」
あれ?
何だか反応が変……?
「でもそれならチャンスはあるよね。俺が信用に値する男だと証明できれば大野さんも振り向いてくれるよね」
「あ、いや、え?」
ちょい待って。
私、告白を断ったんだよ?
好きな人がいるって言ったんだよ?
諦めないの?
新村くんの顔が再びにこやかになる。
うん、とうなずき彼は宣言した。
「俺、大野さんに振り向いてもらえるように頑張るよ」
「……」
もしかして、変なスイッチ押しちゃった?
にこにこと微笑みながらロックオンしてくる新村くんに私は内心慌てるのであった。