第8話 得手不得手の問題?
文字数 2,223文字
「そういえば、もうじき大野の誕生日だな」
三浦部長が三分の二ほど食べ終えたカルボナーラの麺をフォークでくるくる回しながら訊いてきた。
「その日はどうするんだ?」
「どうするもこうするも仕事の日ですし」
私はナスとベーコンのトマトソースパスタのベーコンにフォークを突き刺す。ここの店のは結構分厚い。以前食べたイタリアンレストランのベーコンは悲しくなるほど薄かった。味もこっちのほうが美味い。
喫茶店なのに専門店より美味い。
ここ当たりだ。
「いや、僕が聞きたいのは誰かと予定はないのかってことなんだが」
くるくる。
くるくる。
三浦部長がフォークを回し続けている。
麺はフォークに巻きつくだけ巻きついて後は空回りしていた。
「仕事帰りに誰かと会ったりしないのか?」
「そんな相手がいたら部長とパスタなんて食べませんよ」
答えて私はフォークを口に運ぶ。もぐもぐと咀嚼して飲み込むと言葉を接いだ。
「部長こそ、プレゼントの相手と誕生日に会うんですよね?」
自然と彼が思い人にプレゼントを渡す姿が頭に浮かんだ。
ただし、相手の顔はわからないので適当な女優で代用している。
「もうちょっとその人のこと教えてくださいよ」
ピクンと三浦部長の眉が動く。彼は私を人睨みするとカルボナーラを上品に食べた。普通に食事をしているだけなのに絵画のように様になっているのだからイケメンはずるい。
やがて彼は言った。
「そうだな、その、彼女はあまり料理が得意ではないようだ」
「料理下手なんですか」
私が尋ねると彼はこくんとうなずきかけて、やめた。
曖昧に口許を緩ませてごまかしてくる。
「君も人のこと言えないだろ」
「私は料理ができないんじゃありません。しないだけです」
ふぅん、と三浦部長が声を漏らす。
それが「信じられない」と言っているように聞こえて、何だか悔しくなってきて私は口を尖らせた。
三浦部長が苦笑いを広げる。
「まあ、そんな顔をするな。誰にだって得手不得手はある」
「だ・か・ら、料理くらいできますって。その気になりさえすれば余裕のよっちゃんですよ」
「そうか」
ムキになって言い返した私に彼はなだめるようにうんうんと首肯して応えた。それが面白くなくて私はますます口を尖らせる。
「じゃあ、そのうちでいいから僕に何か作ってくれ」
「えっ」
想定外のリクエストに私は少し面食らう。と、同時に三浦部長に手料理を作る自分が頭に浮かんだ。
瞬間、熱が耳まで達してくる。茹で蛸ってこんな気分なのかもしれない。
彼が少し身を乗り出した。
「やっぱり作れないのか?」
「つ、作れますよ。馬鹿にしないでください」
私は早口に答えた。自分でも三浦部長のペースに巻き込まれているとは感じている。けれど、それを心地良く思えている自分がいて、このひとときを楽しいと思えてきている自分がいて、彼を拒否するような考えには至らなかった。
できればずっとこうしていたい。
「……」
ちょい待って。
私は自問する。
これ、本当に私の気持ちなの?
相手は三浦部長だよ。
本当にそれでいいの?
「良くない」とすぐに返答できない自分がいた。
私、部長のこと……好き?
とくん、と胸が鳴った。
私は慌てて目の前のパスタへと意識を向ける。ぎこちないながらもフォークをトマトソースのかかったナスへと突き立てた。
「大野?」
無造作にナスを口に放り込んだ私に三浦部長が目を丸くする。私の食べ方はそのくらい大胆に映ったようだ。
でも私はそれどころではなかった。
好き、という言葉が頭の中でぐるぐる回っている。その回転の摩擦で熱が生じているみたいに体温がさらに上がった。熱っぽさと鼓動を激しくする心臓のせいで倒れてしまいそうだ。
えーっ、どうしよう。
あまりのことに軽い目眩を覚える。
これは悪い夢?
それとも病気か何か?
くらくらとしつつも心の隅のほうで「まだ部長にちゃんと返事してない」とせっついてくる私がいた。そういえば料理を作ってくれと言われていたんだっけ。
「えと、あの、部長」
ナスを飲み下した後で喉から絞り出した声は弱々しくて、自分らしさが微塵もない。けれど今はこれが限界だった。
「あ、明日は無理ですけど明後日なら作れますよ」
「いいのか?」
彼の表情がぱあっと明るくなったような気がした。あくまでも気がしたってだけだ。
目眩に堪えつつ冷蔵庫の中を思い出す。
うちの冷蔵庫は大部分をレトルトと飲み物に占領されていた。残りのスペースにあるものは……駄目、私の酒のつまみになっても三浦部長の口には相応しくない。
うん。
帰りにスーパーに寄らないと。
でもって今夜は練習しよう。さすがにいきなり本番は怖いし。
少しでもハードルを下げたくて私はおずおずと付け足した。
「あ、あんまり期待しないでくださいね。三つ星レストランのシェフみたいなものは無理ですから」
「いや、そこまでは望んでない」
「あと胃腸の状態を万全にしておいてください。私の料理を食べたから腹を下したなんて言われたらたまったものではありませんし」
「おいおい、おかしなものはやめてくれよ。最低でも食べられるものを頼むぞ」
三浦部長がはははと笑った。
やけに力のない笑い声だったのと顔が引きつっていたのは無視したほうがいいのかな?
腑に落ちないながらもどんな料理にしようかと考える私に「まゆかの手料理楽しみだなぁ。不安がなくもないけど楽しみだなぁ」とつぶやく三浦部長の声は届かなかった。
三浦部長が三分の二ほど食べ終えたカルボナーラの麺をフォークでくるくる回しながら訊いてきた。
「その日はどうするんだ?」
「どうするもこうするも仕事の日ですし」
私はナスとベーコンのトマトソースパスタのベーコンにフォークを突き刺す。ここの店のは結構分厚い。以前食べたイタリアンレストランのベーコンは悲しくなるほど薄かった。味もこっちのほうが美味い。
喫茶店なのに専門店より美味い。
ここ当たりだ。
「いや、僕が聞きたいのは誰かと予定はないのかってことなんだが」
くるくる。
くるくる。
三浦部長がフォークを回し続けている。
麺はフォークに巻きつくだけ巻きついて後は空回りしていた。
「仕事帰りに誰かと会ったりしないのか?」
「そんな相手がいたら部長とパスタなんて食べませんよ」
答えて私はフォークを口に運ぶ。もぐもぐと咀嚼して飲み込むと言葉を接いだ。
「部長こそ、プレゼントの相手と誕生日に会うんですよね?」
自然と彼が思い人にプレゼントを渡す姿が頭に浮かんだ。
ただし、相手の顔はわからないので適当な女優で代用している。
「もうちょっとその人のこと教えてくださいよ」
ピクンと三浦部長の眉が動く。彼は私を人睨みするとカルボナーラを上品に食べた。普通に食事をしているだけなのに絵画のように様になっているのだからイケメンはずるい。
やがて彼は言った。
「そうだな、その、彼女はあまり料理が得意ではないようだ」
「料理下手なんですか」
私が尋ねると彼はこくんとうなずきかけて、やめた。
曖昧に口許を緩ませてごまかしてくる。
「君も人のこと言えないだろ」
「私は料理ができないんじゃありません。しないだけです」
ふぅん、と三浦部長が声を漏らす。
それが「信じられない」と言っているように聞こえて、何だか悔しくなってきて私は口を尖らせた。
三浦部長が苦笑いを広げる。
「まあ、そんな顔をするな。誰にだって得手不得手はある」
「だ・か・ら、料理くらいできますって。その気になりさえすれば余裕のよっちゃんですよ」
「そうか」
ムキになって言い返した私に彼はなだめるようにうんうんと首肯して応えた。それが面白くなくて私はますます口を尖らせる。
「じゃあ、そのうちでいいから僕に何か作ってくれ」
「えっ」
想定外のリクエストに私は少し面食らう。と、同時に三浦部長に手料理を作る自分が頭に浮かんだ。
瞬間、熱が耳まで達してくる。茹で蛸ってこんな気分なのかもしれない。
彼が少し身を乗り出した。
「やっぱり作れないのか?」
「つ、作れますよ。馬鹿にしないでください」
私は早口に答えた。自分でも三浦部長のペースに巻き込まれているとは感じている。けれど、それを心地良く思えている自分がいて、このひとときを楽しいと思えてきている自分がいて、彼を拒否するような考えには至らなかった。
できればずっとこうしていたい。
「……」
ちょい待って。
私は自問する。
これ、本当に私の気持ちなの?
相手は三浦部長だよ。
本当にそれでいいの?
「良くない」とすぐに返答できない自分がいた。
私、部長のこと……好き?
とくん、と胸が鳴った。
私は慌てて目の前のパスタへと意識を向ける。ぎこちないながらもフォークをトマトソースのかかったナスへと突き立てた。
「大野?」
無造作にナスを口に放り込んだ私に三浦部長が目を丸くする。私の食べ方はそのくらい大胆に映ったようだ。
でも私はそれどころではなかった。
好き、という言葉が頭の中でぐるぐる回っている。その回転の摩擦で熱が生じているみたいに体温がさらに上がった。熱っぽさと鼓動を激しくする心臓のせいで倒れてしまいそうだ。
えーっ、どうしよう。
あまりのことに軽い目眩を覚える。
これは悪い夢?
それとも病気か何か?
くらくらとしつつも心の隅のほうで「まだ部長にちゃんと返事してない」とせっついてくる私がいた。そういえば料理を作ってくれと言われていたんだっけ。
「えと、あの、部長」
ナスを飲み下した後で喉から絞り出した声は弱々しくて、自分らしさが微塵もない。けれど今はこれが限界だった。
「あ、明日は無理ですけど明後日なら作れますよ」
「いいのか?」
彼の表情がぱあっと明るくなったような気がした。あくまでも気がしたってだけだ。
目眩に堪えつつ冷蔵庫の中を思い出す。
うちの冷蔵庫は大部分をレトルトと飲み物に占領されていた。残りのスペースにあるものは……駄目、私の酒のつまみになっても三浦部長の口には相応しくない。
うん。
帰りにスーパーに寄らないと。
でもって今夜は練習しよう。さすがにいきなり本番は怖いし。
少しでもハードルを下げたくて私はおずおずと付け足した。
「あ、あんまり期待しないでくださいね。三つ星レストランのシェフみたいなものは無理ですから」
「いや、そこまでは望んでない」
「あと胃腸の状態を万全にしておいてください。私の料理を食べたから腹を下したなんて言われたらたまったものではありませんし」
「おいおい、おかしなものはやめてくれよ。最低でも食べられるものを頼むぞ」
三浦部長がはははと笑った。
やけに力のない笑い声だったのと顔が引きつっていたのは無視したほうがいいのかな?
腑に落ちないながらもどんな料理にしようかと考える私に「まゆかの手料理楽しみだなぁ。不安がなくもないけど楽しみだなぁ」とつぶやく三浦部長の声は届かなかった。