第24話 思わぬギャップに惚れそうになるときってありますよね?
文字数 3,329文字
「えっと」
私は苦く笑んだ。
「もしかして、余計なことしちゃった?」
「別にもういいけど」
中森さんが近くのベンチに腰を下ろした。はぁっと深くため息をつく。
電車の中で酔っ払いに絡まれていた中森さんを助けるために私は彼女を連れて降車していた。
結果、酔っ払いのネズミおじさんから逃れられた。うん、ここまでは良し。
でも、そのせいで中森さんは乗り替えの最終電車に間に合わなくなってしまい、家に帰ることができなくなってしまった。
電車で帰れないとなると、あとはタクシーかなぁ。たぶんもうバスも駄目だと思うし。
でなければ誰かに迎えに来てもらうとか。
私は彼女に訊いてみた。
「中森さん、迎えに来てくれる人とかいないの?」
「あたし、一人暮らしなのよね」
「……そっか」
ううっ、どうしよう。
私のせいで中森さんに迷惑かけちゃった。
ひょっとしたら別の方法があったのかもしれない、と私は猛省する。けれどいくら後悔しても後の祭りである。中森さんが乗らなければならない電車はもう出てしまったし、時間は巻き戻せない。
私が肩を落としていると中森さんが言った。
「そんなに責任を感じなくていいわよ。あんたのおかげであの酒臭いおっさんから逃げることが出来たんだし」
「でも」
「それにあのまま乗ってたら何をされていたか。あいつ、タダであたしの胸を触ったのよ。思い出しただけでもムカつくわ」
中森さんが腹立たしげにベンチの座面を殴る。
ゴンッという打撃音が鈍く響いた。
「……」
あれ?
やっぱり、助けなくても良かった?
私が介入しなくても中森さんなら一人で対処出来たんじゃ……。
それにネズミおじさんは中森さんの胸倉を掴んだのであって触るために胸に触った訳ではないよね。まあ腕が胸に触れていたからアウトと言えばアウトだけど。
「それにしても」
中森さんが眉をハの字にした。
「どうしたもんかしらね。こんなときに限ってあたし手持ちがないのよ。あればタクシーでも拾うんだけど」
「ええっと、本当にごめんね」
「だから、謝らなくていいって」
中森さんがコートのポケットからスマホを取り出して操作し始める。しばらく操ってから彼女は長いため息を吐いた。
「バスもないかぁ。完全にお手上げだわ」
「その、何て言うかごめん」
「だ・か・ら、謝らないでよ。それ以上言ったら怒るからね」
「……」
ギロリと睨まれ私は口をつぐんだ。
心なしか中森さんの髪が無数の蛇に見える。目デューサ再来だ。このまま睨まれ続けたら石になってしまうかもしれない。
「あ、じゃあ」
背中に嫌な汗を感じつつ私は提案する。
「良かったらタクシー代貸そうか??」
「あたし金の貸し借りはしないの」
「……」
ぴしゃりと断られてしまった。
私は苦笑いのまま硬直する。どうやら石化が始まったようだ。目を合わせたつもりはないけどそのあたりの設定は雑なのかもしれない。
さようなら三浦部長。
あなたのことが好きでした。
「うーん、この辺だとファミレスもないのね。丼バー……じゃなくてドリンクバーで一晩粘ろうかと思ったのに」
中森さんがスマホを見つめながらつぶやく。彼女の声の後を追うように駅のアナウンスが鳴った。反対方面から来る電車がそろそろ到着するらしい。人数はそれほどではないが電車を待つ人が乗降口を示す位置に並びだす。
てか丼バーって何?
つっこもうとした私は中森さんの「さっきの言い間違いはスルーしなさい」オーラを察して口を閉ざす。
うん、この人怖い。
スマホをポケットに仕舞い、中森さんが立ち上がった。
「しょうがない、途中まで電車で行って後は歩くしかないわね」
「えっ」
歩くって……歩けるの?
何となくどえらい距離を歩きそうな気がするんだけど。
「ち、ちなみに途中の駅から中森さんのおうちまでどのくらいかかるの?」
「さぁ」
彼女は肩をすくめた。茶色い蛇たち、ではなくて細かくウェーブした茶髪が大きく揺れる。
「朝までには着くんじゃない?」
「……」
ええっ。
中森さんも明日会社あるよね?
お休みじゃないよね?
それなのに夜通し歩いたりしたら……。
私が浅はかだったせいで中森さんが帰れなくなったんだ。
彼女を放っておくなんてできない。
怖い人だけど、それとこれとは話が別だ。
うん、と私は首肯した。
胸にはある決心。
「中森さん」
私は彼女に言った。
「あの、私のアパートに来ない?」
*
自分で誘っておいてあれだけどアパートまでの道中が酷く気まずかった。
なぜ中森さんがついて来て暮れたのかはわからない。でも、少なくとも彼女の私に対するあからさまな敵意は無くなっていた。
とはいえ、駅からろくに口をきいてくれないんだよねぇ。
私から話しかけても短く返すだけだったし。
中森さんも私も夕食を済ませていたのでアパートに着いてすぐに私は中森さんにお風呂に入ってもらった。その間に予備の布団一式を収納から引っ張り出して布団乾燥機にかける。
替えの下着は最寄り駅前のコンビニの奴だ。私と中森さんではサイズも違うし仕方ない。
中森さんと入れ替わりに私も入浴する。時間がないためカラスの行水だ。
お風呂から上がると乾燥の終えた布団の上に中森さんが腹這いになっていた。スマホの画面を見ていた彼女がこちらを見上げる。胸がかなりきつそうなジャージは私の物だ。そしてウエストはちょい緩い。腰のあたりがずれていて下着が覗けていた。何だかもやもやする。
さすがに寝間着はあのコンビニになかったからなぁ。
「乾燥終わったから外したわよ」
「あ、うん。ありがとう」
会社で絡んできた人が私の部屋にいる。
自分が連れて来たとはいえ何だか妙な気分だ。
中森さんがスマホへと視線を戻す。ポチポチと片手を動かす彼女の口の端が僅かに緩んだ。彼女と過ごした時間は短いのにその笑みがとても悪い類だとわかる。ものすごく不思議だ。でもわかるんだからどうしようもない。
ん?
私は中森さんの操作するスマホに違和感を覚えた。
あれ、ホームで使ってたのと違くない?
「あのさ」
中森さんがスマホの画面から目を離さずに告げた。
「パスワードはちゃんと考えたほうがいいわよ」
「はい?」
言われたことに理解が追いつかず私はこてんと首を傾げる。
中森さんが手を止めた。
「それと誕生日に予定がないなんて可哀想。あなたクリスマスもぼっちだったのに」
「なっ」
なぜそれを……って、そのスマホ私のだ。
私は慌てて中森さんからスマホを引ったくった。身体に巻き付けていたバスタオルが落ちそうになったけど非常事態である。
まあ見られて減るような身体でもないし。
むしろ中森さんの胸を分けてほしいくらいだし。
ウエストは分けてあげたいなぁ。きっと嫌がられるけど。
「……」
私はスマホを守るように両手で握って中森さんを睨みつけた。
愉快げに彼女が笑う。
「だって無警戒に置いてあったのよ。誰だって見たくなるでしょ」
「だ、だからって勝手に見るなんて」
「パスワードも誕生日になってたし。あなた安易すぎるわ。もっと複雑なものにしなさいよ」
「じ、自分で憶えられないと意味ないじゃない。てか、どうして中森さんが私の誕生日を知ってるの?」
「そのくらい社員名簿を調べればわかるわよ」
中森さんがフフンと鼻で笑う。
「それにしたって誕生日はないわ」
ひとしきり嘲笑すると中森さんが急に声のトーンを変えた。
「ありがとうね」
「えっ?」
思わぬタイミングでの感謝の言葉に私は戸惑う。彼女の声はとても静かだった。レディースでも極道の女でも目デューサでもない中森さんがいた。
いつもこうしていればいいのにと思えるほど穏やかな中森さんがそこにいた。
「あの酒臭いおっさんに絡まれていたとき、あんただけがあたしを助けようとした。みんな見て見ぬふりをしていたのにあんただけが介入してくれた。あたし思ったわ。この人案外いい人かもって。まあ結果的にこんなんになっちゃってるけどこれはご愛敬ってことで」
やや早口に言うと、照れ臭そうに中森さんがプイとそっぽを向く。ほんのりと頬が朱に染まっていた。
「とにかく、ありがとうね」
「……」
中森さん。
私、男だったら惚れてたかも。
めっちゃ可愛いです。
私は苦く笑んだ。
「もしかして、余計なことしちゃった?」
「別にもういいけど」
中森さんが近くのベンチに腰を下ろした。はぁっと深くため息をつく。
電車の中で酔っ払いに絡まれていた中森さんを助けるために私は彼女を連れて降車していた。
結果、酔っ払いのネズミおじさんから逃れられた。うん、ここまでは良し。
でも、そのせいで中森さんは乗り替えの最終電車に間に合わなくなってしまい、家に帰ることができなくなってしまった。
電車で帰れないとなると、あとはタクシーかなぁ。たぶんもうバスも駄目だと思うし。
でなければ誰かに迎えに来てもらうとか。
私は彼女に訊いてみた。
「中森さん、迎えに来てくれる人とかいないの?」
「あたし、一人暮らしなのよね」
「……そっか」
ううっ、どうしよう。
私のせいで中森さんに迷惑かけちゃった。
ひょっとしたら別の方法があったのかもしれない、と私は猛省する。けれどいくら後悔しても後の祭りである。中森さんが乗らなければならない電車はもう出てしまったし、時間は巻き戻せない。
私が肩を落としていると中森さんが言った。
「そんなに責任を感じなくていいわよ。あんたのおかげであの酒臭いおっさんから逃げることが出来たんだし」
「でも」
「それにあのまま乗ってたら何をされていたか。あいつ、タダであたしの胸を触ったのよ。思い出しただけでもムカつくわ」
中森さんが腹立たしげにベンチの座面を殴る。
ゴンッという打撃音が鈍く響いた。
「……」
あれ?
やっぱり、助けなくても良かった?
私が介入しなくても中森さんなら一人で対処出来たんじゃ……。
それにネズミおじさんは中森さんの胸倉を掴んだのであって触るために胸に触った訳ではないよね。まあ腕が胸に触れていたからアウトと言えばアウトだけど。
「それにしても」
中森さんが眉をハの字にした。
「どうしたもんかしらね。こんなときに限ってあたし手持ちがないのよ。あればタクシーでも拾うんだけど」
「ええっと、本当にごめんね」
「だから、謝らなくていいって」
中森さんがコートのポケットからスマホを取り出して操作し始める。しばらく操ってから彼女は長いため息を吐いた。
「バスもないかぁ。完全にお手上げだわ」
「その、何て言うかごめん」
「だ・か・ら、謝らないでよ。それ以上言ったら怒るからね」
「……」
ギロリと睨まれ私は口をつぐんだ。
心なしか中森さんの髪が無数の蛇に見える。目デューサ再来だ。このまま睨まれ続けたら石になってしまうかもしれない。
「あ、じゃあ」
背中に嫌な汗を感じつつ私は提案する。
「良かったらタクシー代貸そうか??」
「あたし金の貸し借りはしないの」
「……」
ぴしゃりと断られてしまった。
私は苦笑いのまま硬直する。どうやら石化が始まったようだ。目を合わせたつもりはないけどそのあたりの設定は雑なのかもしれない。
さようなら三浦部長。
あなたのことが好きでした。
「うーん、この辺だとファミレスもないのね。丼バー……じゃなくてドリンクバーで一晩粘ろうかと思ったのに」
中森さんがスマホを見つめながらつぶやく。彼女の声の後を追うように駅のアナウンスが鳴った。反対方面から来る電車がそろそろ到着するらしい。人数はそれほどではないが電車を待つ人が乗降口を示す位置に並びだす。
てか丼バーって何?
つっこもうとした私は中森さんの「さっきの言い間違いはスルーしなさい」オーラを察して口を閉ざす。
うん、この人怖い。
スマホをポケットに仕舞い、中森さんが立ち上がった。
「しょうがない、途中まで電車で行って後は歩くしかないわね」
「えっ」
歩くって……歩けるの?
何となくどえらい距離を歩きそうな気がするんだけど。
「ち、ちなみに途中の駅から中森さんのおうちまでどのくらいかかるの?」
「さぁ」
彼女は肩をすくめた。茶色い蛇たち、ではなくて細かくウェーブした茶髪が大きく揺れる。
「朝までには着くんじゃない?」
「……」
ええっ。
中森さんも明日会社あるよね?
お休みじゃないよね?
それなのに夜通し歩いたりしたら……。
私が浅はかだったせいで中森さんが帰れなくなったんだ。
彼女を放っておくなんてできない。
怖い人だけど、それとこれとは話が別だ。
うん、と私は首肯した。
胸にはある決心。
「中森さん」
私は彼女に言った。
「あの、私のアパートに来ない?」
*
自分で誘っておいてあれだけどアパートまでの道中が酷く気まずかった。
なぜ中森さんがついて来て暮れたのかはわからない。でも、少なくとも彼女の私に対するあからさまな敵意は無くなっていた。
とはいえ、駅からろくに口をきいてくれないんだよねぇ。
私から話しかけても短く返すだけだったし。
中森さんも私も夕食を済ませていたのでアパートに着いてすぐに私は中森さんにお風呂に入ってもらった。その間に予備の布団一式を収納から引っ張り出して布団乾燥機にかける。
替えの下着は最寄り駅前のコンビニの奴だ。私と中森さんではサイズも違うし仕方ない。
中森さんと入れ替わりに私も入浴する。時間がないためカラスの行水だ。
お風呂から上がると乾燥の終えた布団の上に中森さんが腹這いになっていた。スマホの画面を見ていた彼女がこちらを見上げる。胸がかなりきつそうなジャージは私の物だ。そしてウエストはちょい緩い。腰のあたりがずれていて下着が覗けていた。何だかもやもやする。
さすがに寝間着はあのコンビニになかったからなぁ。
「乾燥終わったから外したわよ」
「あ、うん。ありがとう」
会社で絡んできた人が私の部屋にいる。
自分が連れて来たとはいえ何だか妙な気分だ。
中森さんがスマホへと視線を戻す。ポチポチと片手を動かす彼女の口の端が僅かに緩んだ。彼女と過ごした時間は短いのにその笑みがとても悪い類だとわかる。ものすごく不思議だ。でもわかるんだからどうしようもない。
ん?
私は中森さんの操作するスマホに違和感を覚えた。
あれ、ホームで使ってたのと違くない?
「あのさ」
中森さんがスマホの画面から目を離さずに告げた。
「パスワードはちゃんと考えたほうがいいわよ」
「はい?」
言われたことに理解が追いつかず私はこてんと首を傾げる。
中森さんが手を止めた。
「それと誕生日に予定がないなんて可哀想。あなたクリスマスもぼっちだったのに」
「なっ」
なぜそれを……って、そのスマホ私のだ。
私は慌てて中森さんからスマホを引ったくった。身体に巻き付けていたバスタオルが落ちそうになったけど非常事態である。
まあ見られて減るような身体でもないし。
むしろ中森さんの胸を分けてほしいくらいだし。
ウエストは分けてあげたいなぁ。きっと嫌がられるけど。
「……」
私はスマホを守るように両手で握って中森さんを睨みつけた。
愉快げに彼女が笑う。
「だって無警戒に置いてあったのよ。誰だって見たくなるでしょ」
「だ、だからって勝手に見るなんて」
「パスワードも誕生日になってたし。あなた安易すぎるわ。もっと複雑なものにしなさいよ」
「じ、自分で憶えられないと意味ないじゃない。てか、どうして中森さんが私の誕生日を知ってるの?」
「そのくらい社員名簿を調べればわかるわよ」
中森さんがフフンと鼻で笑う。
「それにしたって誕生日はないわ」
ひとしきり嘲笑すると中森さんが急に声のトーンを変えた。
「ありがとうね」
「えっ?」
思わぬタイミングでの感謝の言葉に私は戸惑う。彼女の声はとても静かだった。レディースでも極道の女でも目デューサでもない中森さんがいた。
いつもこうしていればいいのにと思えるほど穏やかな中森さんがそこにいた。
「あの酒臭いおっさんに絡まれていたとき、あんただけがあたしを助けようとした。みんな見て見ぬふりをしていたのにあんただけが介入してくれた。あたし思ったわ。この人案外いい人かもって。まあ結果的にこんなんになっちゃってるけどこれはご愛敬ってことで」
やや早口に言うと、照れ臭そうに中森さんがプイとそっぽを向く。ほんのりと頬が朱に染まっていた。
「とにかく、ありがとうね」
「……」
中森さん。
私、男だったら惚れてたかも。
めっちゃ可愛いです。