第30話 再会、あと別れた彼女のいる飲み会って気まずくないですか?
文字数 2,880文字
「大野、ちょっといいか」
終業時刻まであと三十分というところで私は三浦部長に呼ばれた。
何だろうという疑問半分、もしかしたら終業後のデート(実際は接待の下見)の確認かなという期待半分で彼のデスクに赴く。
以前のような重い足どりはもうない。とても軽やかだ。美味しいチキンカレーも楽しみだし。
私がデスクまで行くと三浦部長はずいとレジ袋を差し出した。
あ、これフルーツロールの余りだ。
「悪いがこれを優子のところに持って行ってくれないか」
三浦部長の表情は硬い。
というか恥ずかしがってる?
ほんのりと顔が赤いんですけど。
ああ、そういやさっき優子さんに怒ったばかりだもんね。
ばつが悪いよね。
「優子はこういう甘い物が好きだからな」
「そうですね」
私はレジ袋を受け取りながらうなずいた。
「この前もお昼休みにデパ地下の特製焼きプリンを十個食べてましたよ。その後でお腹壊して医務室の世話になってましたけど」
あのときは新村くんにこっぴどく叱られていたなぁ。
本当にどっちが上司なんだか。
優子さん、仕事は出来るのに……。
うーん、残念。
しょうもない話に三浦部長が僅かに相好を崩す。
空になった手を所在なげにぶらぶらさせつつ彼は言った。
「もうじき終業時刻だからな、下見のこと忘れるなよ」
「はい」
それはわかってます。
チキンカレー……じゃなくて三浦部長との食事が待っていますものね。
うん、まだ食べてないフルーツロールは明日でいいや。味は落ちるけど。
「もし優子がいなければその場にいる人事課の誰かに適当に渡しておいてくれ。優子を探したり帰りを待ったりしなくていいぞ」
「わかりました」
つまり、どうしても優子さんに渡したいという訳ではなくどちらかというと在庫処分的な感じなのだろう。
私としても時間をかけたくなかったので異論はない。
*
社内環境部人事課は五階にある。
一階にあるエレベーターを呼ぶより階段を使ったほうが早いのでそちらを選ぶ。早足で階段を降りて五階の廊下に出ると、エレベーターの前に見覚えのあるすらりとした人物がいた。
ふんわりとした茶髪は最後に会ったときと変わらない髪形だ。
昨年の春に本社を離れたっきりの先輩は私に気づいたらしく片手を上げて声をかけてきた。
「まゆか、久しぶりだな」
二重瞼の目が嬉しそうに細丸。形が良くて薄い唇は一体何人の女性を虜にしてきたのだろう……て、それじゃ新村くんか。
すっきりとした顔立ちはいかにも日本人っぽいのだが髪の色や髪形がチャラさを強く印象づけていた。
北沢さんは私より二つ上の先輩だ。営業のいろはは彼から学んだと言っていい。チャラい印象の強い人だけど頼りになるしとっても良い人だ。
でも去年の春の異動で福岡支社に移ったはず。
どうしてここに?
訊いてみた。
「あれ、北沢さんって福岡に飛ばされたんじゃなかったんですか?」
「あはは、飛ばされたはないだろ」
ノリがとても軽い。生きてて楽しそうで何よりである。
「ちょいと野暮用があってな。あとまゆかの顔も見たかったし」
「……」
色気のある声でそう囁かれ、つい私は顔に熱が集まる。
こういうところが駄目なんですよ、先輩。
他の子だったら誤解しちゃいますよ。
抗議を込めて私は彼を睨んだ。
臆する様子もなくむしろ挑発的な笑みを浮かべて北沢さんは見返してくる。彼のこういう表情は何となく策略家めいていてちょっと油断ならない。
「……」
ん?
そういや、先輩も副社長と同じ「北沢」だ。
今は本社勤務ではなく地方勤務だし。
まさか、北沢さんが副社長ジュニア?
あーでも顔はイケメンでタヌキじゃないか。
体格だって全然違うし副社長に似てないよね。
それに北沢さんが副社長ジュニアだったら私でもわかるはず……根拠はないけど。
うん、気のせい気のせい。
私がそう思っているとおどけた調子の質問が飛んできた。
「前は彼氏が出来ないとか嘆いてたけどどうだ? 俺のいない間に彼氏が出来たか?」
「そ、そんな暇なんてありませんでしたよ」
事実仕事はたんまりあるので嘘はついていない。
そう、私がフリーなのは仕事のせいだ。
……仕事のせいだよね?
「そっか」
北沢さんがなぜか安心したように首肯した。茶髪がふわりと揺れる。
「ま、最悪俺がいるから安心しろ。まゆかが嫁なら大歓迎だ」
「またまたぁ、冗談はやめてください」
私たちが話をしている間に北沢さんが呼んだエレベーターが五階に着いた。
開いたドアの中に北沢さんが入る。くるりと私に向き直ると彼は片手を上げた。
「じゃあ、またな」
「はい」
ドアが閉まる。
「そうだよな。あいつがいるんだから早く本社に戻らないとな」
閉じたエレベーターの奥で北沢さんが何か言ったみたいだけど私にはよく聞こえなかった。
*
人事課に優子さんの姿はなく、代わりに新村くんを見つけた。
私は整頓されたデスクでPCのキーを叩く彼に歩み寄る。
真剣な表情で仕事に打ち込む彼は何だかとても素敵だ。
まあイケメンな訳だしそのままでも十分格好いいのだけれど、その割合が何倍にも増していた。彼に心惹かれる女子社員の気持ちもわからなくもない。
ま、私には三浦部長がいるんだけど。
新村くん、ごめんね。
集中しているのか私の存在に気づかない彼に声をかけた。
「新村くん」
「……うん?」
私の声に反応して新村くんの肩がぴくんと跳ねる。
手を止め、彼は私に振り向いた。
「あ、大野さん」
「えっと、ごめんね。仕事の邪魔して」
苦笑しつつ私がそう言うと彼は首を振った。
「邪魔だなんてとんでもない。俺こそすぐに気づかなくてごめん。せっかく大野さんのほうから来てくれたのに」
ううん、と返しながら私はフルーツロールの入ったレジ袋を見せた。
「これ良かったら食べて」
「えっ、大野さんが俺に差し入れ?」
新村くんの表情がぱあっと明るくなった。
ここで三浦部長から頼まれただけだと言ってもいいのだけれど、それはそれで新村くんの喜びに水を差してしまいそうで気が引ける。
あと、あんまり時間をかけたくないし。
わざわざ三浦部長の名前を出さなくてもいいよね。
私は少し罪悪感を覚えたがそれを振り切るように笑みを重ねた。頬が引きつっていないことを祈ろう。
受け取ったレジ袋の中を見た新村くんの声が弾む。
「これ文明開化堂の特製フルーツロールだ。すごいなぁ、大野さんからこんなのもらっちゃったら何をお返ししたらいいのかわからないよ」
あれ、お店をご存知でしたか。
け、結構有名なのかな。
私、不勉強?
内心焦っているとにこにこしながら新村くんが私の手をとった。
「そうだ、この後どこかで食事しようよ。聖子たち経理課の子たちと先約があるけどそっちはキャンセルするからさ」
「……」
いやそれ駄目でしょ。
先約があるならそっちを優先しないと。
というか聖子たち経理課の子って……中森さんもいるってことだよね。
新村くん的に別れたはずの彼女がいても平気なのかな?
うーん、さすが新村くん。
そんなことを思いながら私は頬を引きつらせるのであった。
終業時刻まであと三十分というところで私は三浦部長に呼ばれた。
何だろうという疑問半分、もしかしたら終業後のデート(実際は接待の下見)の確認かなという期待半分で彼のデスクに赴く。
以前のような重い足どりはもうない。とても軽やかだ。美味しいチキンカレーも楽しみだし。
私がデスクまで行くと三浦部長はずいとレジ袋を差し出した。
あ、これフルーツロールの余りだ。
「悪いがこれを優子のところに持って行ってくれないか」
三浦部長の表情は硬い。
というか恥ずかしがってる?
ほんのりと顔が赤いんですけど。
ああ、そういやさっき優子さんに怒ったばかりだもんね。
ばつが悪いよね。
「優子はこういう甘い物が好きだからな」
「そうですね」
私はレジ袋を受け取りながらうなずいた。
「この前もお昼休みにデパ地下の特製焼きプリンを十個食べてましたよ。その後でお腹壊して医務室の世話になってましたけど」
あのときは新村くんにこっぴどく叱られていたなぁ。
本当にどっちが上司なんだか。
優子さん、仕事は出来るのに……。
うーん、残念。
しょうもない話に三浦部長が僅かに相好を崩す。
空になった手を所在なげにぶらぶらさせつつ彼は言った。
「もうじき終業時刻だからな、下見のこと忘れるなよ」
「はい」
それはわかってます。
チキンカレー……じゃなくて三浦部長との食事が待っていますものね。
うん、まだ食べてないフルーツロールは明日でいいや。味は落ちるけど。
「もし優子がいなければその場にいる人事課の誰かに適当に渡しておいてくれ。優子を探したり帰りを待ったりしなくていいぞ」
「わかりました」
つまり、どうしても優子さんに渡したいという訳ではなくどちらかというと在庫処分的な感じなのだろう。
私としても時間をかけたくなかったので異論はない。
*
社内環境部人事課は五階にある。
一階にあるエレベーターを呼ぶより階段を使ったほうが早いのでそちらを選ぶ。早足で階段を降りて五階の廊下に出ると、エレベーターの前に見覚えのあるすらりとした人物がいた。
ふんわりとした茶髪は最後に会ったときと変わらない髪形だ。
昨年の春に本社を離れたっきりの先輩は私に気づいたらしく片手を上げて声をかけてきた。
「まゆか、久しぶりだな」
二重瞼の目が嬉しそうに細丸。形が良くて薄い唇は一体何人の女性を虜にしてきたのだろう……て、それじゃ新村くんか。
すっきりとした顔立ちはいかにも日本人っぽいのだが髪の色や髪形がチャラさを強く印象づけていた。
北沢さんは私より二つ上の先輩だ。営業のいろはは彼から学んだと言っていい。チャラい印象の強い人だけど頼りになるしとっても良い人だ。
でも去年の春の異動で福岡支社に移ったはず。
どうしてここに?
訊いてみた。
「あれ、北沢さんって福岡に飛ばされたんじゃなかったんですか?」
「あはは、飛ばされたはないだろ」
ノリがとても軽い。生きてて楽しそうで何よりである。
「ちょいと野暮用があってな。あとまゆかの顔も見たかったし」
「……」
色気のある声でそう囁かれ、つい私は顔に熱が集まる。
こういうところが駄目なんですよ、先輩。
他の子だったら誤解しちゃいますよ。
抗議を込めて私は彼を睨んだ。
臆する様子もなくむしろ挑発的な笑みを浮かべて北沢さんは見返してくる。彼のこういう表情は何となく策略家めいていてちょっと油断ならない。
「……」
ん?
そういや、先輩も副社長と同じ「北沢」だ。
今は本社勤務ではなく地方勤務だし。
まさか、北沢さんが副社長ジュニア?
あーでも顔はイケメンでタヌキじゃないか。
体格だって全然違うし副社長に似てないよね。
それに北沢さんが副社長ジュニアだったら私でもわかるはず……根拠はないけど。
うん、気のせい気のせい。
私がそう思っているとおどけた調子の質問が飛んできた。
「前は彼氏が出来ないとか嘆いてたけどどうだ? 俺のいない間に彼氏が出来たか?」
「そ、そんな暇なんてありませんでしたよ」
事実仕事はたんまりあるので嘘はついていない。
そう、私がフリーなのは仕事のせいだ。
……仕事のせいだよね?
「そっか」
北沢さんがなぜか安心したように首肯した。茶髪がふわりと揺れる。
「ま、最悪俺がいるから安心しろ。まゆかが嫁なら大歓迎だ」
「またまたぁ、冗談はやめてください」
私たちが話をしている間に北沢さんが呼んだエレベーターが五階に着いた。
開いたドアの中に北沢さんが入る。くるりと私に向き直ると彼は片手を上げた。
「じゃあ、またな」
「はい」
ドアが閉まる。
「そうだよな。あいつがいるんだから早く本社に戻らないとな」
閉じたエレベーターの奥で北沢さんが何か言ったみたいだけど私にはよく聞こえなかった。
*
人事課に優子さんの姿はなく、代わりに新村くんを見つけた。
私は整頓されたデスクでPCのキーを叩く彼に歩み寄る。
真剣な表情で仕事に打ち込む彼は何だかとても素敵だ。
まあイケメンな訳だしそのままでも十分格好いいのだけれど、その割合が何倍にも増していた。彼に心惹かれる女子社員の気持ちもわからなくもない。
ま、私には三浦部長がいるんだけど。
新村くん、ごめんね。
集中しているのか私の存在に気づかない彼に声をかけた。
「新村くん」
「……うん?」
私の声に反応して新村くんの肩がぴくんと跳ねる。
手を止め、彼は私に振り向いた。
「あ、大野さん」
「えっと、ごめんね。仕事の邪魔して」
苦笑しつつ私がそう言うと彼は首を振った。
「邪魔だなんてとんでもない。俺こそすぐに気づかなくてごめん。せっかく大野さんのほうから来てくれたのに」
ううん、と返しながら私はフルーツロールの入ったレジ袋を見せた。
「これ良かったら食べて」
「えっ、大野さんが俺に差し入れ?」
新村くんの表情がぱあっと明るくなった。
ここで三浦部長から頼まれただけだと言ってもいいのだけれど、それはそれで新村くんの喜びに水を差してしまいそうで気が引ける。
あと、あんまり時間をかけたくないし。
わざわざ三浦部長の名前を出さなくてもいいよね。
私は少し罪悪感を覚えたがそれを振り切るように笑みを重ねた。頬が引きつっていないことを祈ろう。
受け取ったレジ袋の中を見た新村くんの声が弾む。
「これ文明開化堂の特製フルーツロールだ。すごいなぁ、大野さんからこんなのもらっちゃったら何をお返ししたらいいのかわからないよ」
あれ、お店をご存知でしたか。
け、結構有名なのかな。
私、不勉強?
内心焦っているとにこにこしながら新村くんが私の手をとった。
「そうだ、この後どこかで食事しようよ。聖子たち経理課の子たちと先約があるけどそっちはキャンセルするからさ」
「……」
いやそれ駄目でしょ。
先約があるならそっちを優先しないと。
というか聖子たち経理課の子って……中森さんもいるってことだよね。
新村くん的に別れたはずの彼女がいても平気なのかな?
うーん、さすが新村くん。
そんなことを思いながら私は頬を引きつらせるのであった。