第23話 爆弾が投下されました
文字数 2,741文字
帰宅途中の電車内で中森さんが酔っ払いのネズミおじさんに絡まれていた。
「ねぇねぇ、一緒に飲もうよぉ。いいじゃないのぉ。一軒だけ、一軒だけだからさぁ」
「ああもうっ、こいつしつこいっ!」
中森さんが嫌がっているけどネズミおじさんは彼女のコートの裾を掴んでいるのでなかなか離れてくれない。それは私が助けに入っても変わらなかった。
なお、ただでなくても気が立っている中森さんの怒りメーターは私の登場によりレッドゾーンに到達している。
可愛いはずの顔も鬼の形相へと変じていた。とにかく目つきが怖い。気弱な人なら逃げ出してしまうんじゃないかな。
細かくウェーブした茶髪が複数の蛇に見えてくる。うねうねって感じで茶色い蛇が沢山。あ、これだと目デューサか。もう人間じゃなくなってるね。レディースとか極道の女はどこ行っちゃったんだろ?
「……」
「何よ、言いたいことがあったらはっきり言いなさいよ」
中森さんが睨みを強める。レディースとか極道の女といった範疇を超えたヤバさのある睨みだ。呪われそうというか石化しそう。
「ねぇねぇ、僕と飲もうよぉ」
「うっさい! 今はこのあばずれと話してるんだから邪魔すんな!」
「……」
えっと。
やっぱり助けなくてもいい、かな?
でもなぁ……。
私が苦笑いを浮かべると中森さんの目がさらに吊り上がった。人間ってこんなに目を吊り上げられるんだ、とちょい感心する。とはいえもう目デューサみたいなものなんだから人間だと思わなくてもいいのかも。
それと胸が残念とかあばずれとか言われた件はひとまず脇に置いてあげよう。人前で侮辱されているけど我慢我慢。
「あの、彼女嫌がってますよ」
一応、ネズミおじさんに注意してみる。
「そろそろやめたほうがいいんじゃないですか?」
「ほぇ?」
ネズミおじさんがきょとんとする。言葉が通じてないのか目をぱちぱちさせて首を傾げた。
「ちょっと、余計なことしないでよ」
中森さんは迷惑そうだけど、せっかく助けに来たからには何とかしてあげたい。
私はネズミおじさんの手をとって中森さんのコートの裾から外した。意外と簡単に手を放してくれたので軽く安堵する。
「おねぇちゃん、一緒に飲んでくれないのぉ?」
ネズミおじさんが少し寂しそうに声のトーンを下げた。眉をハの字にして叱られた子供のようにしょげている。尻尾があったらだらんとなっていただろう。
中森さんが怒鳴った。
「飲む訳ないでしょ! 息臭いんだからあっち行ってよ!」
「……」
中森さん、容赦ないなぁ。
車窓の外の景色の速度がゆっくりになっていく。流れていく街の明かりが緩やかだ。見慣れたパチンコ屋の照明がもうすぐ次の駅だと教えてくれる。
ネズミおじさんがぼそぼそと何か言った。小さすぎてよく聞こえない。ガタンゴトンという電車の音に紛れてしまっている。
「……けやがって」
「はい?」
尻上がりにボリュームを上げたネズミおじさんの声に今度は私がきょとんとしてしまう。
何かおかしい、と判じたときには遅かった。
「人が誘ってやってるのに邪険にしやがってぇ、ふざけんなよぉ!」
え?
何このおじさん。
私がびっくりしていると、豹変したネズミおじさんが中森さんの胸倉を掴んだ。セクハラだけどもうそれどころじゃない。
「いい気になるんじゃねぇぞぉ! このメスがぁっ!」」
「ちょっ、何すんの。やめてよ」
「僕を誰だと思ってるんだぁ」
「……」
いや知らないけど。
でも、このままだと中森さんが。
私はネズミおじさんの後ろに回って思いっきり肩を引っぱる。あっけなくおじさんの手は中森さんから離れた。酷く酔っ払っているからしっかり掴んでいられなかったのかもしれない。
電車が駅のホームに入り、停まる。慣性で進行方向へと傾きよろめきかけた。ネズミおじさんがふんばりきれず前のめりに崩れる。
さっと中森さんが彼を避けた。支えるもののない彼はそのまま転ぶ。手をつかずに顔から突っ込むように倒れたからすごく痛そうだ。
電車のドアが開く。
私たちを避けるように乗客たちが降車しだした。興味ありげに、あるいは迷惑そうに私たちを見る人はいるけど声をかけたりする人はいない。駅のアナウンスがどこかよそよそしく聞こえた。外の空気の冷たさが車内に流れ込んでくる。
「……っ!」
思いついた私は中森さんの手を掴んだ。戸惑ったように彼女が短く発する。
「ちょっ、何を」
それには応えず私は中森さんの手を引いてホームへと飛び出した。アパートの最寄り駅はまだ先だがそんなことは言っていられない。
ただもう必死だった。
発車を報せるアナウンスに続いてドアが閉まり、ネズミおじさんを乗せた電車がゆっくりと遠ざかっていく。私はぽかんとしている中森さんと一緒に夜の街へと飲み込まれていく電車を見送った。
それにしても、あのおじさんヤバかったなぁ。
あの調子で他の人に絡まなければいいけど。
そんなことを考えていると中森さんが乱暴に私の手を振りほどいた。
「いつまで握ってんのよ」
「あっ、ごめん」
怒りのせいか中森さんの顔が赤い。でも、睨んでくる目は電車の中にいたときほど鋭くなかった。
しばらく私を睨むと中森さんは諦めたようにはぁっとため息をついた。茶色い蛇たち、じゃなくて細かなウェーブのかかった茶髪が大きく揺れる。
「ま、あんたのおかげで助かったわ。あのおっさんしつこくてうんざりしてたのよね」
「……」
つい驚いてしまった。
まさか中森さんがお礼を言うなんて。
明日は大雪が降るんじゃ……。
「何よ」
私が目を見開いていると中森さんは拗ねたように口を尖らせた。
「そんな顔しなくたっていいじゃない。あたしだって礼くらい言えるわよ」
「あ、いや、えっと」
予想外のことすぎて頭がうまく回らない。
全くもう、と不満たっぷりに中森さんがむくれながらあたりを見回した。
私も彼女の視線を追う。次の電車を待つ人以外が改札へと向かったからかホームに残された人数は少ない。このホームにも酔っ払いがいたがそのおじさんはベンチに座ってカップ酒を片手に機嫌良さげに歌っていた。たぶん昭和の演歌だ。実家の父がたまに風呂場で熱唱していたのを憶えている。歌は酔っ払いのほうが上手だった。
中森さんが私に視線を戻して尋ねてくる。
「それで、これからどうするの?」
「どうするって……」
次の電車に乗ればいいのでは?
こてんと首を傾け頭上に疑問符を浮かべた私に中森さんが爆弾を投下した。
「あたし、さっきの電車じゃないと乗り換えの最終電車に間に合わないんだけど」
「……え?」
ちゅどーんっ!
つまり、それって。
私は再度吃驚しながら中森さんを見つめた。意図を察したのかこっくりと彼女が首肯する。
「……」
マジですか。
「ねぇねぇ、一緒に飲もうよぉ。いいじゃないのぉ。一軒だけ、一軒だけだからさぁ」
「ああもうっ、こいつしつこいっ!」
中森さんが嫌がっているけどネズミおじさんは彼女のコートの裾を掴んでいるのでなかなか離れてくれない。それは私が助けに入っても変わらなかった。
なお、ただでなくても気が立っている中森さんの怒りメーターは私の登場によりレッドゾーンに到達している。
可愛いはずの顔も鬼の形相へと変じていた。とにかく目つきが怖い。気弱な人なら逃げ出してしまうんじゃないかな。
細かくウェーブした茶髪が複数の蛇に見えてくる。うねうねって感じで茶色い蛇が沢山。あ、これだと目デューサか。もう人間じゃなくなってるね。レディースとか極道の女はどこ行っちゃったんだろ?
「……」
「何よ、言いたいことがあったらはっきり言いなさいよ」
中森さんが睨みを強める。レディースとか極道の女といった範疇を超えたヤバさのある睨みだ。呪われそうというか石化しそう。
「ねぇねぇ、僕と飲もうよぉ」
「うっさい! 今はこのあばずれと話してるんだから邪魔すんな!」
「……」
えっと。
やっぱり助けなくてもいい、かな?
でもなぁ……。
私が苦笑いを浮かべると中森さんの目がさらに吊り上がった。人間ってこんなに目を吊り上げられるんだ、とちょい感心する。とはいえもう目デューサみたいなものなんだから人間だと思わなくてもいいのかも。
それと胸が残念とかあばずれとか言われた件はひとまず脇に置いてあげよう。人前で侮辱されているけど我慢我慢。
「あの、彼女嫌がってますよ」
一応、ネズミおじさんに注意してみる。
「そろそろやめたほうがいいんじゃないですか?」
「ほぇ?」
ネズミおじさんがきょとんとする。言葉が通じてないのか目をぱちぱちさせて首を傾げた。
「ちょっと、余計なことしないでよ」
中森さんは迷惑そうだけど、せっかく助けに来たからには何とかしてあげたい。
私はネズミおじさんの手をとって中森さんのコートの裾から外した。意外と簡単に手を放してくれたので軽く安堵する。
「おねぇちゃん、一緒に飲んでくれないのぉ?」
ネズミおじさんが少し寂しそうに声のトーンを下げた。眉をハの字にして叱られた子供のようにしょげている。尻尾があったらだらんとなっていただろう。
中森さんが怒鳴った。
「飲む訳ないでしょ! 息臭いんだからあっち行ってよ!」
「……」
中森さん、容赦ないなぁ。
車窓の外の景色の速度がゆっくりになっていく。流れていく街の明かりが緩やかだ。見慣れたパチンコ屋の照明がもうすぐ次の駅だと教えてくれる。
ネズミおじさんがぼそぼそと何か言った。小さすぎてよく聞こえない。ガタンゴトンという電車の音に紛れてしまっている。
「……けやがって」
「はい?」
尻上がりにボリュームを上げたネズミおじさんの声に今度は私がきょとんとしてしまう。
何かおかしい、と判じたときには遅かった。
「人が誘ってやってるのに邪険にしやがってぇ、ふざけんなよぉ!」
え?
何このおじさん。
私がびっくりしていると、豹変したネズミおじさんが中森さんの胸倉を掴んだ。セクハラだけどもうそれどころじゃない。
「いい気になるんじゃねぇぞぉ! このメスがぁっ!」」
「ちょっ、何すんの。やめてよ」
「僕を誰だと思ってるんだぁ」
「……」
いや知らないけど。
でも、このままだと中森さんが。
私はネズミおじさんの後ろに回って思いっきり肩を引っぱる。あっけなくおじさんの手は中森さんから離れた。酷く酔っ払っているからしっかり掴んでいられなかったのかもしれない。
電車が駅のホームに入り、停まる。慣性で進行方向へと傾きよろめきかけた。ネズミおじさんがふんばりきれず前のめりに崩れる。
さっと中森さんが彼を避けた。支えるもののない彼はそのまま転ぶ。手をつかずに顔から突っ込むように倒れたからすごく痛そうだ。
電車のドアが開く。
私たちを避けるように乗客たちが降車しだした。興味ありげに、あるいは迷惑そうに私たちを見る人はいるけど声をかけたりする人はいない。駅のアナウンスがどこかよそよそしく聞こえた。外の空気の冷たさが車内に流れ込んでくる。
「……っ!」
思いついた私は中森さんの手を掴んだ。戸惑ったように彼女が短く発する。
「ちょっ、何を」
それには応えず私は中森さんの手を引いてホームへと飛び出した。アパートの最寄り駅はまだ先だがそんなことは言っていられない。
ただもう必死だった。
発車を報せるアナウンスに続いてドアが閉まり、ネズミおじさんを乗せた電車がゆっくりと遠ざかっていく。私はぽかんとしている中森さんと一緒に夜の街へと飲み込まれていく電車を見送った。
それにしても、あのおじさんヤバかったなぁ。
あの調子で他の人に絡まなければいいけど。
そんなことを考えていると中森さんが乱暴に私の手を振りほどいた。
「いつまで握ってんのよ」
「あっ、ごめん」
怒りのせいか中森さんの顔が赤い。でも、睨んでくる目は電車の中にいたときほど鋭くなかった。
しばらく私を睨むと中森さんは諦めたようにはぁっとため息をついた。茶色い蛇たち、じゃなくて細かなウェーブのかかった茶髪が大きく揺れる。
「ま、あんたのおかげで助かったわ。あのおっさんしつこくてうんざりしてたのよね」
「……」
つい驚いてしまった。
まさか中森さんがお礼を言うなんて。
明日は大雪が降るんじゃ……。
「何よ」
私が目を見開いていると中森さんは拗ねたように口を尖らせた。
「そんな顔しなくたっていいじゃない。あたしだって礼くらい言えるわよ」
「あ、いや、えっと」
予想外のことすぎて頭がうまく回らない。
全くもう、と不満たっぷりに中森さんがむくれながらあたりを見回した。
私も彼女の視線を追う。次の電車を待つ人以外が改札へと向かったからかホームに残された人数は少ない。このホームにも酔っ払いがいたがそのおじさんはベンチに座ってカップ酒を片手に機嫌良さげに歌っていた。たぶん昭和の演歌だ。実家の父がたまに風呂場で熱唱していたのを憶えている。歌は酔っ払いのほうが上手だった。
中森さんが私に視線を戻して尋ねてくる。
「それで、これからどうするの?」
「どうするって……」
次の電車に乗ればいいのでは?
こてんと首を傾け頭上に疑問符を浮かべた私に中森さんが爆弾を投下した。
「あたし、さっきの電車じゃないと乗り換えの最終電車に間に合わないんだけど」
「……え?」
ちゅどーんっ!
つまり、それって。
私は再度吃驚しながら中森さんを見つめた。意図を察したのかこっくりと彼女が首肯する。
「……」
マジですか。