第45話 彼には彼の仁義があるようにあたしにはあたしの仁義があるの

文字数 2,870文字

 おソバ屋さんを出たときには月に雲がかかっていた。

 料理と少しのアルコールで暖まった身体に冷たい外気が心地良い。

「ちょっといい?」

 みんなで駅に向かおうとしたとき中森さんが私を呼び止めた。

 ん?

 何かな?

 私は彼女と並んだ。他のみんなは先を歩いて行く。

 いや、新村くんは私と一緒にいたかったみたいなんだけどね。

 優子さんが引っ張って行っちゃったんだよなぁ。

「あなた北沢副社長のことどう思う?」

 二人きりになると中森さんが訊いてきた。

 その目には僅かに迷いのようなものがある。ここでそんな質問をしてもいいかどうか自分でもわからないといった感じだった。

 私は数秒彼女を見つめてから答える。

「わ、私や三浦部長をクビにしようとしてる酷い人だと思ってるよ。確かに取引先に暴力を振るったのはまずかったけどあっちだって非があるんだし、三浦部長が助けてくれなかったら私もどうなっていたか……」
「そうね、かなり危なかったと思うわ」

 中森さんが首肯した。

「ヨツビシの釜本だっけ? さっきちょっと調べてみたらその人いろいろやらかしていたわ。ヨツビシが裏で握り潰しているお陰で表面化していないようだけどね」
「えっ」

 マジですか。

 私、本当にヤバかったんだなぁ。

 つーかそんなことまで調べられるの?

 怖っ。

 お友だちネットワーク怖っ。

 私は顔に出ていたのだろう。中森さんがクスリと笑った。

「そんなに怖がらなくても大丈夫よ。必要以上に探ったりしないから」
「そ、そうだよね……あはは」
「必要なときは徹底的にいくけどね」
「……」

 いや、そこで声を低めないで。

 怖すぎるからやめて。

 内心で震えていると中森さんが話を進めた。

「あんたにとって北沢副社長は悪い人。そういう認識でいいわね?」
「うん」
「まあ、そう思われても仕方ないのよねぇ」

 中森さんが嘆息した。

 白い息がふわっと広がり空気に溶けていく。中森さんはまた一つうなずくと私の目をじいっと見つめてきた。

「え、何?」
「今から話すことは他言無用よ。いいわね?」
「あ、うん」

 妙に圧があったので私はこくこくと首を縦に振る。というかそうしないと石にされそうだった。。

 茶髪は蛇になってないけど油断できないからなあ。

「あたしの父もカドベニの社員だったの」

 中森さんが私から目を逸らして言った。

 私が応えずにいると彼女はふっと自嘲気味に笑い、虚空に話しかけるように続ける。

「父は北沢副社長側の人間だったわ。その父が事故で死んだとき私は高校生だった」

 中森さんはそこで言葉を切り、数秒ほど中空を見遣った。自分の口にしたことを確認するかのようにうなずきを繰り返すと彼女はまた言葉を接ぐ。

「母は重い病気を患っていてとても働ける状態ではなかったわ。あたしもバイトをしていたけど母娘二人で生きていくには全く足りなかった。父の葬儀のとき亡くなった父のことよりお金の心配をしていたあたしは娘としてどうかと思われるかもしれない。でも、あのときのあたしは不安だったのよ。母のこととか生活のこととか学校のこととか、そして自分のこととか。とにかく不安だった」
「……」
「父は生命保険に入っていたけど母の病気や家の借金とかを考えると不十分な金額だった。あたし、高校を辞めて働こうか本気で悩んだわ」

 中森さんにそんな過去があったなんて……。

 私はどんな言葉をかけたらいいのかわからなかった。戸惑いながら投げた視線は中森さんの肩を越して通りにあるラーメン屋の看板に当たる。内側から発光する看板は柔らかな光を放って淡くその存在を主張していた。

「葬儀から一週間経って会社の人が母の病室を訪ねてきたの。そこであたしはその人に言われたわ。何も心配しなくていい、あたしも母もこれまで通りだって。父が北沢副社長側の人間だということをあたしはそのとき初めて聞いたの。そして、北沢副社長が自分の派閥の人間を家族同然に思っているとも。死ぬまで副社長の側にいた父の身内である母とあたしはその忠義に報われる、その言葉通りあたしがお金や生活に困ることはなかった」

 中森さんが私に向いた。

「北沢副社長は決して悪い人じゃない。彼は仁義を尊ぶ人なのよ。そりゃまあ自分の敵と判断した相手やその仲間には容赦ないけどね。えげつないことも平気でするし」
「……」

 どうしよう。

 あのタヌキ、本物のヤの字だったんだ。

 いや、厳密には違うんだろうけどこれほぼ同じでいいよね?

 仁義がどうたらなんてあっちの人だよね?

 私が無言でいると中森さんが眉根を下げた。

「いきなりこんな話をしたから混乱してるのかしら。ま、彼のしたことを思えば仕方ないのよね。あたしもちょっとやりすぎな気がするし」
「……」

 いや。

 ちょっと、てレベルじゃないよね?

 私と部長、クビにされそうなんですけど。

 でも、何事にも側面があるんだよね。

 中森さんの話を聞いてそのことは理解できた。私たちにとって敵のような存在の北沢副社長も別の視点から見ればこの上もなく心強い味方なのだ。

 私は一度目を伏せ、中森さんと北沢副社長のことを思った。

 中森さんにとって北沢副社長は恩人だ。そして、北沢副社長にとって中森さんは家族の娘も同然。

「中森さんは」

 私は言った。

「もし私がお友だちネットワークを使って北沢副社長をどうにかして欲しいと頼んでも聞いてはくれない、そうだよね?」
「ええ」

 中森さんが認める。その顔には申し訳なさがあった。

「彼には彼の仁義があるようにあたしにはあたしの仁義があるの。だからあんたのために協力できても直接彼を追い込むことはできないわ。そこは理解して」
「……わかった」

 私はあっさりと受け容れた。

 だって、私には中森さんの仁義を曲げられるだけのものがないもの。

 それに彼女を説得するにしても時間が足りない。説得できるとも思えない。

「中森さんのやれる範囲で手を貸してくれればそれでいいよ。」
「ありがとう」

 中森さんが小さく言い、恥ずかしそうにそっぽを向いて付け足した。

「あんたに話して良かったわ」
「……」

 街灯の明かりで照らされているからか中森さんの横顔がいつもよりずっと輝いて見えた。ほんのりと朱に染まった頬も、つんと尖らせた唇もどうしようもなく愛らしい。

 わぁ、何これ。

 めっちゃ可愛い。

 新村くん、どうしてこの可愛さをわかってあげられないかなぁ。

 いや、付き合ってたんだからわかってはいたのか。

 でもなぁ。

 手放しちゃうのはなぁ。

 絶対もったいないよね。

 私なら永久保存したいくらいなのに。

 別れるだなんてあり得ないんだけど。

 あれかな?

 馬鹿なのかな?

「……」
「ち、ちょっと急に黙らないでよ」
「……お持ち帰りしたい」
「はぁ?」

 中森さんが頓狂な声を上げる。

 はっ。

 私、つい頭に浮かんだことを。

 いかんいかん。

 何かを察したのか中森さんが私から逃げるように離れた。半歩くらいの距離だけどその差が何だか寂しい。

 私が苦笑いすると中森さんが告げた。

「あたし、そっちの趣味はないからね」
「……」

 私もありません。

 ない、よね?
 
 
 
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