第42話 それは君のために買ったんだ

文字数 3,535文字

 私は三浦部長からもらった誕生日プレゼントをデスクの上に置くと、新村くんに事情を説明した。

「……だからすぐクビって訳じゃないの」
「そっか」

 納得してくれたのか新村くんが眉尻を下げる。

 私と新村くんのやりとりを黙って見ていた三浦部長が硬い表情で口を開いた。

「そういうことだ。ヨツビシの件を何とかするためにも集中したい。すまないがしばらくそっとしておいてくれないか」
「いやいや、そっとなんてしておけませんよ」

 新村くんはそう応えると私に向き直った。

「俺にできることない? 何でも言ってよ。俺、大野さんのためなら頑張るからさ」
「……」

 ワォ。

 ちょっと聞きました奥さん。

 何でも言ってよなんて言ってますよ。

 爽やか系イケメンが何でもしてくれるって、ちょい胸がときめきません?


 ……じゃなくて!

「に、新村くんの気持ちは嬉しいけど無理しなくていいよ。そもそも私もどうしたらいいかわからないんだし」
「うーん、俺もいますぐ妙案を思いつけとか言われても困るけど、でもきっと良い方法があると思うんだ。こういうのは変に抱え込まないで皆に頼ってもいいんじゃない?」
「そ、そうかな」
「そうだよ」

 新村くんがニカッと笑った。

 おおっ、ナイススマイルだ。これは威力がある。

 私が感心していると視界の端で三浦部長が恐い顔をした。

 あ、やば。

 クビがかかっているっていうのに呑気にイケメン観賞してる場合じゃないよね。

 私は気を引き締めた。きゅっと小さく拳を握る。

 新村くんがその拳を自分の両手で包む。温かな彼の体温が伝わってきた。

 ドキリ。

 三浦部長の前だというのに勝手に反応してしまう自分の心臓が情けない。

 私は上がっていく自分の熱を極力意識しないよう努めた。それでも火照っていく自分の顔が嫌になる。

 ああ、三浦部長が見てるのに。

 てか、部長の眉間の皺がどんどん深くなってきてるんですけど。

 これ、かなり怒ってる?

 私は新村くんの手を振り解こうとした。けれど新村くんの手はしっかりと私の手を包んでいて簡単には外れそうにない。

 私は顔を上げた。

「あの、手を放してくれない?」
「大野さんの手って小さくて可愛いよね」
「……」

 えーと。

 新村くんの笑顔がすごくキラキラしてるんですけど。

 これ、三浦部長に誤解されない?

 以前部長の前でお付き合いとかプロポーズとか断ってるけど、それでも変な誤解されたりしない?

 私が不安に思っていると三浦部長が何かつぶやいた。

「わぁ、いいなぁ。まゆかの手柔らかそうだなぁ。僕も手を繋ぎたいなぁ。というか独り占めしたい」
「……」

 部長。

 ぼそぼそ言ってますけど早口な上に声が低すぎて全く聞こえません。

 聞き直したほうがいいのかなぁ。

「ねぇ大野さん」

 迷っていると新村くんが私の意識をこつんと叩いた。

「ちゃんとヨツビシのこと対策するためにも終業後にどこかで話し合わない?」
「ええっと」

 私は三浦部長を見た。

 彼の不機嫌さがあからさまなくらい顔に出ている。これどれだけのお叱りを受けるかわからないレベルだよね。

 お小言マシンガンが火を噴く程度で済めばいいけど。

 しかし、私の予想は外れ、三浦部長のお小言マシンガンは発射されなかった。

「よし、それなら会社の傍の喫茶店でやろう。僕も行くぞ」

 三浦部長の言葉に新村くんが眉をピクリとさせた。

 その表情は決して三浦部長を歓迎するものではなかったが直後に新村くんはスマイルで感情を覆い隠してしまう。

 ニコニコしてる新村くんの背後に黒いオーラが漂っているみたいだった。

「ん? 僕が一緒は駄目かね? 一応当事者なんだが」
「いえいえ、別に駄目なんてことはないですよ」

 笑顔の新村くんの後ろで闇が広がっている気がするのは私だけだろうか。

「じゃあ決まりだな」

 三浦部長がパンと手を打つ。

 異論は許さないといった強引さを孕んだ音が第二事業部の部内に響き渡った。

 *

「ところで」

 終業後にヨツビシの件で話をすると決まると新村くんがデスクの上に置かれた高級ブランドのロゴのついた紙袋に目を向けた。

「それ、どうしたの? 大野さんって普段ブランド物とか使わないよね?」
「あ、えっと」

 私はちらと三浦部長を見た。

 察してくれたのか部長がこくりとうなずいてくれる。

「た、誕生日プレゼント。さっき部長がくれたの」
「へぇ」

 何か言いたそうな声で新村くんが返す。

 私は落ち着かない気持ちで苦笑した。こういうときはとりあえず笑ってごまかそう。

 新村くんが部長に訊いた。

「三浦部長は他の部員の誕生日にもこんなふうにプレゼントをするんですか?」
「……」

 すぐに返事をせず、部長は中空を見遣った。

 数秒の沈黙が流れる。何だか気まずい。どこをどう気まずいか問われたら答えづらいけどとにかく気まずい。

「ま、いいです。あ、大野さん」

 新村くんがスマイルを貼り直した。

「俺も大野さんにプレゼントしなくちゃね。終業後に……あ」

 彼は終業後の予定を思い出したらしく苦く笑んだ。

「そういや話し合いをするんだった。うーん、誕生日の当日にデートを兼ねてプレゼントを買いに行くつもりだったんだけどなぁ」
「そ、そうだったんだ」

 本人の確認もなくちゃっかり予定を組んでいた新村くんに軽く呆れてしまう。強引というか何というか……こういうところ、新村くんだよなぁ。

「鶏肉の美味しいお店も見つけておいたんだよ。わぁ、どうしよう。そんなどころじゃないよね」
「うん」

 少々残酷だったものの私は首肯した。

「タイミング悪かったなぁ、とぼやく新村くんを他所に私はもう一度部長に頭を下げる。こんなときにプレゼントなんてもらって後でまわりに何か言われるかもしれないなぁと内心嘆息した。

「プレゼントが被るといけないから訊くけど、何をもらったの?」
「えっ」

 そういや、これって何なんだろ?

 私は三浦部長に訊いた。

「開けてもいいですか?」
「あ、ああ、好きにしろ」

 顔を赤らめて応える三浦部長は表情が硬い。

 もしかしたらここではなくアパートに戻ってから開けるべきだったのかな。

 けどまあ私も気になるし。

 好きにしろって部長も言ってたし……うん、開けよう。

 私はデスクの上の紙袋を取って丁寧に開封した。

「あ」

 つい、声が漏れてしまう。

 中にはマフラーとコートが入っていた。クリーム色のマフラーはシンプルなデザインだ。コートはマフラーと合わせやすい色合いで私の安物のコートと比べるのもおこがましいくらい生地がいい。

 ただ、残念なことに私はこのコートに合わせられる色の服がない。

 わあ、どうしよう。

 ……じゃなくて!

 私は部長に向き直った。

「あの部長。これすごーく見覚えがあるんですけど」
「……」

 三浦部長は応えない。

 顔を真っ赤にした彼は私から目を逸らしてしまった。

 どうも今日の私はやたらと彼を怒らせてしまうようだ。

「マフラーとコートね。じゃあ俺はもっといいものを選ばないとな」

 新村君が妙に真剣な声でそんなことをつぶやく。いや、これすんごい高いよ? 無理しなくていいんだよ?

 じゃなくて。

「……だ」

 私と目を合わせないまま三浦部長が何か言った。その声は小さすぎて私にはよく聞こえない。

 聞き直していいのかな?

 そう私が思っていると部長の声が大きくなった。

「それは君のために買ったんだ。僕は君のことが好き……」
「すっごいあったかそうなコートだよね。マフラーもセンスいいし大野さんに似合いそう。そうだ、大野さん、それ着てみてよ」

 三浦部長の言葉に重ねるように新村くんが言ってくる。おかげで部長の言葉はほとんど聞こえなかった。

 部長が私の知る限りで一二を争う恐ろしい形相で唇を噛んでいる。わぁ、これはかなりやばい。

 新村くんに話を遮られたのも原因かもだけど私がプレゼントをもっと喜ばなかったのがいけないんだよね。

 きっと何か事情があって好きな人のために買った誕生日プレゼントを私に回したのだろう。どんな事情かは知らないけど。

 うん、きっとそうだ。

 そうに違いない。

 私はマフラーとコートを身に付けた。思っていた以上にコートの着心地は良い。マフラーも暖かくてこれなら冬を無事に越せそうだ。

「部長、ありがとうございます。これ、すごく暖かいです」
「そ、そうか。それは良かったな」

 部長の頬が少しだけ緩む。それは微妙な変化で見慣れていない人にはわかり辛いものだったけど、彼のことが好きな私にはよくわかった。恋をするってすごいよね。

「うん、可愛い。似合ってるし、天使感がハンパない。これにして大正解だった。告白はまた今度でいいや」

 三浦部長の口がもごもごと動いていたが何を言っているかまではわからなかった。

 うーん、恋の力にも限度はあるかな?
 
 
 
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