第49話 私の大好きな人
文字数 3,192文字
ヨツビシの謝罪文の件で武田常務に呼び出されたのは夕方になってからだった。
「これで君たちも一安心だな」
常務の部屋で私と三浦部長はソファーに並んで座っている。その向かいには武田常務。事態が良い方向に転がったことを喜んでかとても上機嫌だ。
「常務、ご心配をおかけしました」
三浦部長が頭を下げる。その顔が少し赤らんでいるのは気のせいではないだろう。
私も間近にいる三浦部長のことを意識していた。
しまくっていた。
……これなら今朝電話を切らずにしっかり話をしておくべきだったかも。
後悔先に立たずである。
「正式な決定は今夜の取締役会になるが北沢副社長の画策した人事もなかったことになるだろう。あの長谷部とかいう男の不始末には呆れたがね」
「ええ、私もそれを聞いたときには酷く驚きました」
三浦部長がうなずき、ちらと私を見る。
とくん、と私の胸の鼓動が大きく跳ねた。彼の視線に射貫かれてあっけないくらい簡単に私の想いが溢れそうになる。
とくとくとくとくと身体の中のリズムが速まった。それと比例するように私の体温も上がっていく。
ううっ、恥ずかしくて辛い。
好き、って三浦部長に伝わってるんだよね。
わ、私なんかが三浦部長に釣り合う訳ないのに。
「大野」
「ひ、ひゃい」
三浦部長に声をかけられた私は頓狂に返してしまった。
ううっ、恥ずかしい。
耳まで熱くなっている私は見事なほど茹でだこ状態になっているはずだ。
もういっそ壁をぶち抜いて逃げ出したい。
しないけど。
「君にも心配させてしまったな。だが、もう大丈夫」
小さな声で。
「僕は君の傍にいるよ」
「……」
わぁ。
何だか三浦部長の声がすっごく甘いんですけど。
これ素直に受け止めてもいいのかな?
私が三浦部長と目を合わせているとコホンと咳払いが聞こえた。
武田常務だ。
「おいおい、二人でいい雰囲気を作らないでくれよ。そういうのは他所でやれ」
「あっ、いや。これは」
「常務、それ誤解です。私と部長はそういう関係じゃ……」
言ってて悲しくなるけど仕方ない。
私の気持ちが伝わったとしても、三浦部長が私を想ってくれなければその関係は上司と部下のままなのだ。
「ふうん」
武田常務が唸り私と三浦部長を交互に見る。
数秒でその表情が笑んだ。美しい容貌の常務が笑うとどこかの貴族のようで実に気品がある。
こういうのも何だかずるい。
「なるほど、見合いを断ったのはそういうことか」
何かを察したらしき武田常務はニヤニヤしながら三浦部長を見る。
「拓也、出世を引き替えにしてでもそっちのほうが大事か?」
少し言い方が意地悪だ。
けれど武田常務から悪意は感じられなかった。それよりもむしろ自分の息子を見守るようなそんな温かさがあった。
三浦部長が首肯する。
「はい。私には何物にも代え難い存在ですので」
「そうか」
うんうんと武田常務がうなずき、とても満足したように唸る。
彼はローテーブルの上の紅茶に手を伸ばした。上品に紅茶を飲む姿は高名な画家の描いた絵画のようだ。
わぁ、今更だけど常務って美形だよなぁ。
三浦部長もイケメンだし。何これ、ここって天国?
「まあ出世うんぬんは脇に置くとして、しばらくは三浦部長に引き続き第二事業部を率いてもらいたいと私は思っている。それはいいね?」
「もちろんです。こちらこそ宜しくお願いします」
また三浦部長が頭を下げた。今回はさっきよりも角度が深い。
「いずれは君を海外へとも考えているんだが……さすがにすぐにとはいかないからねぇ。何しろ君は取引先を殴ってる訳だし。処罰はなくてもペケは付くんだよ」
「それに関してはお詫びします」
三浦部長の頭がローテーブルに触れそうなほど低くなる。
まあいいさ、と三浦部長を宥めると武田常務が私に向いた。
「千鳥(焼き鳥屋)での話で君には期待を抱かせてしまったかもしれないが第三事業部の部長は北沢副社長の息子が就くことになった」
「そうなんですか」
武田常務がもの凄く申し訳なさそうな顔をしているけど私は別に本気で期待とかしてなかったしなぁ。
ま、ちょっとだけ夢は見たけど。
それくらいは許されるよね?
頭を上げた三浦部長が言った。
「やはり福岡から彼が戻ってくるんですね。ただ、副社長は長谷部の一件でミソがついたと思っていたんですが」
「おや、そんなことで取締役会が北沢副社長の意向をはね除けると? 彼の発言力はまだまだ有効だよ。だいいち彼はそんなヤワな男ではないからね」
私の想像の中で北沢副社長がにいっと笑う。ヤの字な人だが中森さんから話を聞いたせいか前ほど嫌悪感は沸かなかった。
そっかぁ、あのタヌキおじさんしぶといのかぁ。
となると、この先何かあればまた絡んでくるんだろうなぁ。
近い将来再び北沢副社長と相対するのかもしれないと私は軽い目眩を覚えた。なぜかその予感は当たりそうな気がしてならない。
そのせいだろうかコンコンとノックする音に続いて武田常務の秘書が入室してきた。彼女は前に会ったときのように戸惑った表情をしている。
「あの、常務実は……」
「はいはい、お邪魔するよ」
既視感にも似た感覚に襲われながら私は現れた北沢副社長を見つめる。そしてすぐに彼の隣にもう一人いるのを認めた。
思わず「あっ」と声が漏れる。
そして驚いたのは私だけではなかった。三浦部長もだった。
「北沢くん……」
「お久しぶりです、三浦部長」
やや挑発的な笑みを広げて北沢先輩が三浦部長に挨拶する。彼は同じように武田常務に挨拶すると北沢副社長を横目で見た。
「俺の父親が迷惑かけたみたいですみません」
「父親?」
私の疑問は悲鳴にも近いものになった。
え?
いや、だってほら副社長はタヌキだよ。
チャラい感じのイケメンの北沢先輩と全然似てないじゃん。
あれ?
父親は父親でも義理の父親とか?
あ、そっか。突然変異種か何かなんだね。道理で先輩がタヌキっぽくない訳だ。
「……おい」
めっちゃ怖い顔で北沢副社長が私を睨んできた。
「お前さん、何だか失礼な想像してねぇか?」
「あ、えーと」
私は苦く笑んだ。その反応は肯定ととられても仕方ないものだがやむなしである。
「こいつは間違いなく俺の息子だぞ」
北沢副社長はポンと先輩の肩を叩いた。
先輩が少し嫌そうに苦笑する。
「まあ長男じゃなく五男だけどな。俺の三人目の妻が産んだ子供だ。でも若い頃の俺に似ていてすっげぇハンサムだろ?」
「いや、全然面影すらないんですが」
武田常務がつっこんだ。おおっ、さすがは同期。昔の副社長のこともよくご存知で。
「つまんねぇつっこみとかするんじゃねぇよ。こういうのはスルーしろスルー」
「で、何かご用ですか」
武田常務が北沢副社長の文句をスルーする。
ちっ、と不快さを隠そうともせず北沢副社長が舌打ちした。彼は一つ短く呼吸すると別人のように微笑んだ。
「ちょいと速いが今度新設される第三事業部の部長にこいつが就任するから挨拶に来てやったんだ。ありがたく思え」
「……」
わぁ、尊大。
というかどうなのこの態度。
……て。
私は再度吃驚してしまった。
「ええっ、先輩が第三事業部の部長?」
「いや、北沢くんが副社長の子供とわかった時点で気づかないと」
三浦部長に指摘されるが私はそれどころじゃない。
てことは、ええっ?
もしかして先輩、本社に帰って来るの?
私の疑問に応えるように先輩が言った。
「四月からまたこちらでお世話になります。新しい部署ですがご期待に添えるよう頑張ります」
一礼して彼は頭を上げると私にウインクした。
どこか策略家めいた笑みを浮かべて付け足す。
「まゆか、四月からまたよろしくな」
「あ……はい」
私は僅かに嬉しさを抱いたがそれは親しかった先輩がここへ戻って来るからだと自分に言い訳する。
だって、私の大好きな人は三浦部長だし。
北沢さんはただの先輩だし。
「これで君たちも一安心だな」
常務の部屋で私と三浦部長はソファーに並んで座っている。その向かいには武田常務。事態が良い方向に転がったことを喜んでかとても上機嫌だ。
「常務、ご心配をおかけしました」
三浦部長が頭を下げる。その顔が少し赤らんでいるのは気のせいではないだろう。
私も間近にいる三浦部長のことを意識していた。
しまくっていた。
……これなら今朝電話を切らずにしっかり話をしておくべきだったかも。
後悔先に立たずである。
「正式な決定は今夜の取締役会になるが北沢副社長の画策した人事もなかったことになるだろう。あの長谷部とかいう男の不始末には呆れたがね」
「ええ、私もそれを聞いたときには酷く驚きました」
三浦部長がうなずき、ちらと私を見る。
とくん、と私の胸の鼓動が大きく跳ねた。彼の視線に射貫かれてあっけないくらい簡単に私の想いが溢れそうになる。
とくとくとくとくと身体の中のリズムが速まった。それと比例するように私の体温も上がっていく。
ううっ、恥ずかしくて辛い。
好き、って三浦部長に伝わってるんだよね。
わ、私なんかが三浦部長に釣り合う訳ないのに。
「大野」
「ひ、ひゃい」
三浦部長に声をかけられた私は頓狂に返してしまった。
ううっ、恥ずかしい。
耳まで熱くなっている私は見事なほど茹でだこ状態になっているはずだ。
もういっそ壁をぶち抜いて逃げ出したい。
しないけど。
「君にも心配させてしまったな。だが、もう大丈夫」
小さな声で。
「僕は君の傍にいるよ」
「……」
わぁ。
何だか三浦部長の声がすっごく甘いんですけど。
これ素直に受け止めてもいいのかな?
私が三浦部長と目を合わせているとコホンと咳払いが聞こえた。
武田常務だ。
「おいおい、二人でいい雰囲気を作らないでくれよ。そういうのは他所でやれ」
「あっ、いや。これは」
「常務、それ誤解です。私と部長はそういう関係じゃ……」
言ってて悲しくなるけど仕方ない。
私の気持ちが伝わったとしても、三浦部長が私を想ってくれなければその関係は上司と部下のままなのだ。
「ふうん」
武田常務が唸り私と三浦部長を交互に見る。
数秒でその表情が笑んだ。美しい容貌の常務が笑うとどこかの貴族のようで実に気品がある。
こういうのも何だかずるい。
「なるほど、見合いを断ったのはそういうことか」
何かを察したらしき武田常務はニヤニヤしながら三浦部長を見る。
「拓也、出世を引き替えにしてでもそっちのほうが大事か?」
少し言い方が意地悪だ。
けれど武田常務から悪意は感じられなかった。それよりもむしろ自分の息子を見守るようなそんな温かさがあった。
三浦部長が首肯する。
「はい。私には何物にも代え難い存在ですので」
「そうか」
うんうんと武田常務がうなずき、とても満足したように唸る。
彼はローテーブルの上の紅茶に手を伸ばした。上品に紅茶を飲む姿は高名な画家の描いた絵画のようだ。
わぁ、今更だけど常務って美形だよなぁ。
三浦部長もイケメンだし。何これ、ここって天国?
「まあ出世うんぬんは脇に置くとして、しばらくは三浦部長に引き続き第二事業部を率いてもらいたいと私は思っている。それはいいね?」
「もちろんです。こちらこそ宜しくお願いします」
また三浦部長が頭を下げた。今回はさっきよりも角度が深い。
「いずれは君を海外へとも考えているんだが……さすがにすぐにとはいかないからねぇ。何しろ君は取引先を殴ってる訳だし。処罰はなくてもペケは付くんだよ」
「それに関してはお詫びします」
三浦部長の頭がローテーブルに触れそうなほど低くなる。
まあいいさ、と三浦部長を宥めると武田常務が私に向いた。
「千鳥(焼き鳥屋)での話で君には期待を抱かせてしまったかもしれないが第三事業部の部長は北沢副社長の息子が就くことになった」
「そうなんですか」
武田常務がもの凄く申し訳なさそうな顔をしているけど私は別に本気で期待とかしてなかったしなぁ。
ま、ちょっとだけ夢は見たけど。
それくらいは許されるよね?
頭を上げた三浦部長が言った。
「やはり福岡から彼が戻ってくるんですね。ただ、副社長は長谷部の一件でミソがついたと思っていたんですが」
「おや、そんなことで取締役会が北沢副社長の意向をはね除けると? 彼の発言力はまだまだ有効だよ。だいいち彼はそんなヤワな男ではないからね」
私の想像の中で北沢副社長がにいっと笑う。ヤの字な人だが中森さんから話を聞いたせいか前ほど嫌悪感は沸かなかった。
そっかぁ、あのタヌキおじさんしぶといのかぁ。
となると、この先何かあればまた絡んでくるんだろうなぁ。
近い将来再び北沢副社長と相対するのかもしれないと私は軽い目眩を覚えた。なぜかその予感は当たりそうな気がしてならない。
そのせいだろうかコンコンとノックする音に続いて武田常務の秘書が入室してきた。彼女は前に会ったときのように戸惑った表情をしている。
「あの、常務実は……」
「はいはい、お邪魔するよ」
既視感にも似た感覚に襲われながら私は現れた北沢副社長を見つめる。そしてすぐに彼の隣にもう一人いるのを認めた。
思わず「あっ」と声が漏れる。
そして驚いたのは私だけではなかった。三浦部長もだった。
「北沢くん……」
「お久しぶりです、三浦部長」
やや挑発的な笑みを広げて北沢先輩が三浦部長に挨拶する。彼は同じように武田常務に挨拶すると北沢副社長を横目で見た。
「俺の父親が迷惑かけたみたいですみません」
「父親?」
私の疑問は悲鳴にも近いものになった。
え?
いや、だってほら副社長はタヌキだよ。
チャラい感じのイケメンの北沢先輩と全然似てないじゃん。
あれ?
父親は父親でも義理の父親とか?
あ、そっか。突然変異種か何かなんだね。道理で先輩がタヌキっぽくない訳だ。
「……おい」
めっちゃ怖い顔で北沢副社長が私を睨んできた。
「お前さん、何だか失礼な想像してねぇか?」
「あ、えーと」
私は苦く笑んだ。その反応は肯定ととられても仕方ないものだがやむなしである。
「こいつは間違いなく俺の息子だぞ」
北沢副社長はポンと先輩の肩を叩いた。
先輩が少し嫌そうに苦笑する。
「まあ長男じゃなく五男だけどな。俺の三人目の妻が産んだ子供だ。でも若い頃の俺に似ていてすっげぇハンサムだろ?」
「いや、全然面影すらないんですが」
武田常務がつっこんだ。おおっ、さすがは同期。昔の副社長のこともよくご存知で。
「つまんねぇつっこみとかするんじゃねぇよ。こういうのはスルーしろスルー」
「で、何かご用ですか」
武田常務が北沢副社長の文句をスルーする。
ちっ、と不快さを隠そうともせず北沢副社長が舌打ちした。彼は一つ短く呼吸すると別人のように微笑んだ。
「ちょいと速いが今度新設される第三事業部の部長にこいつが就任するから挨拶に来てやったんだ。ありがたく思え」
「……」
わぁ、尊大。
というかどうなのこの態度。
……て。
私は再度吃驚してしまった。
「ええっ、先輩が第三事業部の部長?」
「いや、北沢くんが副社長の子供とわかった時点で気づかないと」
三浦部長に指摘されるが私はそれどころじゃない。
てことは、ええっ?
もしかして先輩、本社に帰って来るの?
私の疑問に応えるように先輩が言った。
「四月からまたこちらでお世話になります。新しい部署ですがご期待に添えるよう頑張ります」
一礼して彼は頭を上げると私にウインクした。
どこか策略家めいた笑みを浮かべて付け足す。
「まゆか、四月からまたよろしくな」
「あ……はい」
私は僅かに嬉しさを抱いたがそれは親しかった先輩がここへ戻って来るからだと自分に言い訳する。
だって、私の大好きな人は三浦部長だし。
北沢さんはただの先輩だし。