第36話 ご指名入りました!
文字数 3,394文字
「はぁ」
お昼のピークを過ぎた社員食堂で私はガラガラに空いたテーブルに突っ伏してため息をついた。
その横にはトレイに載った丼。元はカツ丼だったものは綺麗に食べ終えている。
ため息をつくくらいの状態なのに食欲が失われていないなんて、我ながら食い意地が張っているよね。
三浦部長のこと好きって言っちゃった。
ただし中森さんに、だけど。
とてもではないが三浦部長本人に伝えられる勇気はない。
それが出来たらこんなところでため息をついていない。出来ないからついているのだ。
私は少しだけ顔を上げてまわりを見た。
社員食堂には私しかいない。いつもならピーク時を外しても誰かしらいるのに今日はがらんとしていた。厨房で片づけや明日の分の仕込みをしているスタッフがちらちらと見える。あーもしかしたら私邪魔になっているかもと小さな罪悪感を抱きながら私はまた一つ息を吐いた。
三浦部長を好きだと口にしてから彼を意識するようになってしまった。
いやまあ意識自体はしていなかった訳ではない。
だがあの中森さんへの告白が以前よりも強く意識をするようになるきっかけとなったのは確かだ。
言葉にすることで、声に出すことでよりはっきりと「三浦部長が好き」という自分を認識した。
そのせいでやたらと三浦部長を目で追ってしまうようになってしまったし逆に彼からどう見られているか気になるようにもなってしまった。正直ちょい辛いのだけどどうすればいいのかわからない。
自分の恋愛経験の乏しさが情けない。
ううっ、恋愛上級者だったらこんなのどうってことないのに。
なぜ経験値を貯められなかった私。
再びテーブルに顔を伏せて「うーん」と唸る。思いの外その声が大きく響いて内心焦った。会議中にお腹が空いて「きゅるるぅ」と鳴るより恥ずかしい。
いや、会議中に……のほうが恥ずかしいかな?
連想するようにどれが恥ずかしいかあれこれ考えていると少しだけ気が紛れた。もっとも気が紛れなかったとしてもいずれ第二事業部に戻らなくてはならないのだが。
「大野」
背後からかけられた声に私はビクリとする。即座に早鐘と化した胸の鼓動に焦りを抱きつつ私は身を起こして振り向いた。
「あれか? 食い過ぎで動けなくなったか?」
むすっとした表情で彼は言い私の横に腰を下ろす。両手で握ったトレイには天ぷらうどんがあった。桜エビとタマネギだけのシンプルなかき揚げ天の載った天ぷらうどんは美味しそうな匂いを漂わせており、満たされていたはずの食欲を刺激してくる。
口の中に唾が溜まっていくのを感じながら色気より食い気が優先される自分に我ながら呆れた。
「えっと、部長?」
「さっきようやく一段落ついた」
なぜここに、という疑問に三浦部長が答えてくれる。彼はパキンと割り箸を割ると「いただきます」と小さく言ってうどんを啜った。
もぐもぐと咀嚼して飲み込むと丼に目を落としたまま口を開く。
「経理の子に何か言われたのか?」
「……っ!」
「あの子に連れて行かれてからずっと君の様子がおかしかったからな。気にはなっていたんだ」
私の返事は待たずに彼はうどんを食べ進める。ずずずっと啜る音が妙にはっきりと聞こえた。三浦部長は箸の使い方も綺麗だ。実に様になっている。
ああ、イケメンはずるい。
まあイケメンは関係ないかもだけど。
「……」
私は三浦部長の食べる姿を見ながらぼんやりと考える。
心配してここに来てくれたのかな。
わぁ、優しい。
それが例え部下に対するものでしかないとしても嬉しかった。
そうだよね、私が彼の部下だから気遣ってくれてるんだよね。
変に誤解したり期待したりしちゃ駄目だよね。
それでも誤解したくなる私がいて。
期待してしまう私がいて。
どうしようもなく胸がきゅうっとしてくる。
ついでにお腹も「きゅるる」と鳴った。
「ん?」
三浦部長の目が「まだ食べ足りないのか」と訊いてくる。
私は耳まで熱くなった。
穴があったら入りたい、いやいっそ壁か床をぶち抜いてでも逃げ出したい。そんな衝動をどうにか堪えて私は苦く笑んだ。最早俯こうとすら思えなかった。
もうどこがどう恥ずかしいのかもわからない。
「まあ、腹の虫が鳴くようなら安心か。大野だものな」
「何ですかそれ」
私は唇を尖らせた。
「まるで私が食い意地の張った女みたいじゃないですか」
「違うのか?」
「違いますよ」
スムーズに会話を出来ているか今一つ自信はないけど、私なりにどうにか返せていると思う。
「ああ可愛い。うどんじゃなくてまゆかを食べたい」
「はい?」
三浦部長が小声で何かをつぶやいたのだが、早口だったので私はうまく聞き取れなかった。
またいつもの悪い癖だと彼に呆れながらとりあえずつっこむことにする。
「部長、今何て?」
彼は私から目を逸らす。みるみるうちに顔が赤く染まった。どうやらスルーしたほうが良かったらしい。
怒らせちゃった。
「こ、ここは暑いな。暖房が効きすぎるのかな?」
「……」
露骨なくらい不自然な動きで三浦部長が手でぱたぱたとあおぐ。ちなみに室温はそれほど暑くない。もっと人がいたら熱気もあったかもしれないが現在ここにいるのは私と部長だけである。
じいーっと三浦部長を見つめていると彼はコホンとわざとらしい咳払いをした。
顔の赤みが濃くなっていく。
「な、なぁ大野」
「はい」
少し彼の纏っている雰囲気に緊張が混じっていた。
「君はあれだ、好きな人とかいるのか」
「へっ?」
思わぬ質問に声が上擦る。ドキリと鳴った胸がその鼓動を速めていった。
自分の顔に熱が集まってくるのを自覚する。
「あ、えっと。えっとですね」
これ告るタイミングかな?
それとも今は止めておいたほうがいいかな?
どちらが正解かわからず私は逡巡する。答えを求めてテーブルに目を落とした。もちろんそこに正答なんてものはない。
そもそも告白するにしても勇気が足りない。
いやこれはあれだ。
勢いに任せてとかそういうのが適用されそうなシチュエーションだよね。
「……」
でもちょい待って。
ここ、社員食堂だよ。
まわりに人がいなくて三浦部長と二人っきりだけどムードもへったくれもない場所だよ。
地味にそばつゆとかラーメンとかカレーとかとにかく食べ物の匂いが残ってるような場所だよ。。
そんなところでいいの?
どうせならもっとムーディーな場所のほうが良くない?
私が答えずにいると三浦部長が明後日の方向に目を遣りながら言った。
「すまん、変なこと訊いた」
「……」
いや部長そこで諦めないでください。
私、答えたかもしれないんですよ。
というか実は大分「答える」ほうに心の天秤が傾いていたんですよ。
あーいやいろいろ理由をつけて告らずにいようとも思いましたけど、そこは何というか、ねぇ?
と、とにかくもうちょい頑張ってくださいよ。
私はきゅっと拳を握った。
よし、言おう。
勇気がどうのとかムードがどうのとかこの際全部脇に置こう。
言うぞ。
言っちゃうぞ!
「あの、部長」
とくとくとくと胸が高鳴っている。
顔の熱さは熱病に冒されているようだ。
喉が酷く渇いてきている。それなのに手汗も背中の汗も大洪水だ。汗の臭いとかそっちのほうに気を取られてしまいそう。
それでも堪えろ私。
言うぞ。
「私、部長の……」
ブルブルブルブル。
まるで狙い澄ましたかのように振動音が響く。
ビクリとして私はつい身構えた。両手を交差して何かの光線でも発射しそうな格好になったのは偶然だ。深い意図はこれっぽちもない。
三浦部長が険しい顔でスーツの内ポケットからスマホを取り出した。振動を続けるスマホを指一本で黙らせる。
「もしもし……ああ、これはどうも福西部長」
ん?
福西部長?
私が疑問符を増やしているうちに三浦部長が先方との通話を終える。
スマホをスーツの内に戻した三浦部長の表情は厳しかった。私から何かを問いかけるのも躊躇してしまうほどの厳しさだ。
「……君、ヨツビシ工業の福西部長と何かあったのか?」
「えっ」
「今夜の接待でぜひ君に来て欲しい、とリクエストされた。本当に何もないか? よぉく思い出してみろ」
「……」
私の告白どころじゃなくなっちゃった。
じゃなくて!
私、ネズミおじさんに指名されちゃったの?
あまりの展開に私は三浦部長を見つめることしかできなくなるのであった。
お昼のピークを過ぎた社員食堂で私はガラガラに空いたテーブルに突っ伏してため息をついた。
その横にはトレイに載った丼。元はカツ丼だったものは綺麗に食べ終えている。
ため息をつくくらいの状態なのに食欲が失われていないなんて、我ながら食い意地が張っているよね。
三浦部長のこと好きって言っちゃった。
ただし中森さんに、だけど。
とてもではないが三浦部長本人に伝えられる勇気はない。
それが出来たらこんなところでため息をついていない。出来ないからついているのだ。
私は少しだけ顔を上げてまわりを見た。
社員食堂には私しかいない。いつもならピーク時を外しても誰かしらいるのに今日はがらんとしていた。厨房で片づけや明日の分の仕込みをしているスタッフがちらちらと見える。あーもしかしたら私邪魔になっているかもと小さな罪悪感を抱きながら私はまた一つ息を吐いた。
三浦部長を好きだと口にしてから彼を意識するようになってしまった。
いやまあ意識自体はしていなかった訳ではない。
だがあの中森さんへの告白が以前よりも強く意識をするようになるきっかけとなったのは確かだ。
言葉にすることで、声に出すことでよりはっきりと「三浦部長が好き」という自分を認識した。
そのせいでやたらと三浦部長を目で追ってしまうようになってしまったし逆に彼からどう見られているか気になるようにもなってしまった。正直ちょい辛いのだけどどうすればいいのかわからない。
自分の恋愛経験の乏しさが情けない。
ううっ、恋愛上級者だったらこんなのどうってことないのに。
なぜ経験値を貯められなかった私。
再びテーブルに顔を伏せて「うーん」と唸る。思いの外その声が大きく響いて内心焦った。会議中にお腹が空いて「きゅるるぅ」と鳴るより恥ずかしい。
いや、会議中に……のほうが恥ずかしいかな?
連想するようにどれが恥ずかしいかあれこれ考えていると少しだけ気が紛れた。もっとも気が紛れなかったとしてもいずれ第二事業部に戻らなくてはならないのだが。
「大野」
背後からかけられた声に私はビクリとする。即座に早鐘と化した胸の鼓動に焦りを抱きつつ私は身を起こして振り向いた。
「あれか? 食い過ぎで動けなくなったか?」
むすっとした表情で彼は言い私の横に腰を下ろす。両手で握ったトレイには天ぷらうどんがあった。桜エビとタマネギだけのシンプルなかき揚げ天の載った天ぷらうどんは美味しそうな匂いを漂わせており、満たされていたはずの食欲を刺激してくる。
口の中に唾が溜まっていくのを感じながら色気より食い気が優先される自分に我ながら呆れた。
「えっと、部長?」
「さっきようやく一段落ついた」
なぜここに、という疑問に三浦部長が答えてくれる。彼はパキンと割り箸を割ると「いただきます」と小さく言ってうどんを啜った。
もぐもぐと咀嚼して飲み込むと丼に目を落としたまま口を開く。
「経理の子に何か言われたのか?」
「……っ!」
「あの子に連れて行かれてからずっと君の様子がおかしかったからな。気にはなっていたんだ」
私の返事は待たずに彼はうどんを食べ進める。ずずずっと啜る音が妙にはっきりと聞こえた。三浦部長は箸の使い方も綺麗だ。実に様になっている。
ああ、イケメンはずるい。
まあイケメンは関係ないかもだけど。
「……」
私は三浦部長の食べる姿を見ながらぼんやりと考える。
心配してここに来てくれたのかな。
わぁ、優しい。
それが例え部下に対するものでしかないとしても嬉しかった。
そうだよね、私が彼の部下だから気遣ってくれてるんだよね。
変に誤解したり期待したりしちゃ駄目だよね。
それでも誤解したくなる私がいて。
期待してしまう私がいて。
どうしようもなく胸がきゅうっとしてくる。
ついでにお腹も「きゅるる」と鳴った。
「ん?」
三浦部長の目が「まだ食べ足りないのか」と訊いてくる。
私は耳まで熱くなった。
穴があったら入りたい、いやいっそ壁か床をぶち抜いてでも逃げ出したい。そんな衝動をどうにか堪えて私は苦く笑んだ。最早俯こうとすら思えなかった。
もうどこがどう恥ずかしいのかもわからない。
「まあ、腹の虫が鳴くようなら安心か。大野だものな」
「何ですかそれ」
私は唇を尖らせた。
「まるで私が食い意地の張った女みたいじゃないですか」
「違うのか?」
「違いますよ」
スムーズに会話を出来ているか今一つ自信はないけど、私なりにどうにか返せていると思う。
「ああ可愛い。うどんじゃなくてまゆかを食べたい」
「はい?」
三浦部長が小声で何かをつぶやいたのだが、早口だったので私はうまく聞き取れなかった。
またいつもの悪い癖だと彼に呆れながらとりあえずつっこむことにする。
「部長、今何て?」
彼は私から目を逸らす。みるみるうちに顔が赤く染まった。どうやらスルーしたほうが良かったらしい。
怒らせちゃった。
「こ、ここは暑いな。暖房が効きすぎるのかな?」
「……」
露骨なくらい不自然な動きで三浦部長が手でぱたぱたとあおぐ。ちなみに室温はそれほど暑くない。もっと人がいたら熱気もあったかもしれないが現在ここにいるのは私と部長だけである。
じいーっと三浦部長を見つめていると彼はコホンとわざとらしい咳払いをした。
顔の赤みが濃くなっていく。
「な、なぁ大野」
「はい」
少し彼の纏っている雰囲気に緊張が混じっていた。
「君はあれだ、好きな人とかいるのか」
「へっ?」
思わぬ質問に声が上擦る。ドキリと鳴った胸がその鼓動を速めていった。
自分の顔に熱が集まってくるのを自覚する。
「あ、えっと。えっとですね」
これ告るタイミングかな?
それとも今は止めておいたほうがいいかな?
どちらが正解かわからず私は逡巡する。答えを求めてテーブルに目を落とした。もちろんそこに正答なんてものはない。
そもそも告白するにしても勇気が足りない。
いやこれはあれだ。
勢いに任せてとかそういうのが適用されそうなシチュエーションだよね。
「……」
でもちょい待って。
ここ、社員食堂だよ。
まわりに人がいなくて三浦部長と二人っきりだけどムードもへったくれもない場所だよ。
地味にそばつゆとかラーメンとかカレーとかとにかく食べ物の匂いが残ってるような場所だよ。。
そんなところでいいの?
どうせならもっとムーディーな場所のほうが良くない?
私が答えずにいると三浦部長が明後日の方向に目を遣りながら言った。
「すまん、変なこと訊いた」
「……」
いや部長そこで諦めないでください。
私、答えたかもしれないんですよ。
というか実は大分「答える」ほうに心の天秤が傾いていたんですよ。
あーいやいろいろ理由をつけて告らずにいようとも思いましたけど、そこは何というか、ねぇ?
と、とにかくもうちょい頑張ってくださいよ。
私はきゅっと拳を握った。
よし、言おう。
勇気がどうのとかムードがどうのとかこの際全部脇に置こう。
言うぞ。
言っちゃうぞ!
「あの、部長」
とくとくとくと胸が高鳴っている。
顔の熱さは熱病に冒されているようだ。
喉が酷く渇いてきている。それなのに手汗も背中の汗も大洪水だ。汗の臭いとかそっちのほうに気を取られてしまいそう。
それでも堪えろ私。
言うぞ。
「私、部長の……」
ブルブルブルブル。
まるで狙い澄ましたかのように振動音が響く。
ビクリとして私はつい身構えた。両手を交差して何かの光線でも発射しそうな格好になったのは偶然だ。深い意図はこれっぽちもない。
三浦部長が険しい顔でスーツの内ポケットからスマホを取り出した。振動を続けるスマホを指一本で黙らせる。
「もしもし……ああ、これはどうも福西部長」
ん?
福西部長?
私が疑問符を増やしているうちに三浦部長が先方との通話を終える。
スマホをスーツの内に戻した三浦部長の表情は厳しかった。私から何かを問いかけるのも躊躇してしまうほどの厳しさだ。
「……君、ヨツビシ工業の福西部長と何かあったのか?」
「えっ」
「今夜の接待でぜひ君に来て欲しい、とリクエストされた。本当に何もないか? よぉく思い出してみろ」
「……」
私の告白どころじゃなくなっちゃった。
じゃなくて!
私、ネズミおじさんに指名されちゃったの?
あまりの展開に私は三浦部長を見つめることしかできなくなるのであった。