第28話 後でこっぴどく叱られました
文字数 3,087文字
結局、フルーツロールは後で食べることにした。
節分といえば去年優子さんが社内で豆撒きとかしていたなぁ。
それで三浦部長に……。
おっと、仕事しなくちゃ。
私はデスクの上のノートPCに向き直った。
カチャカチャとキーを叩きながら本日中に提出しなければならない書類の文章を画面で確認する。
数字のチェックはしつこいくらいにやり、ケアレスミスがないように細心の注意を払う。場合によっては一桁間違えただけでとんでもない損失に繋がるので気が抜けなかった。
仕事に没頭している間に三浦部長が午後の会議を終えて第二事業部に戻って来ていた。
ふと手を止めて彼のデスクに目を遣るとむすっとしたいつもの表情があった。
食べかけのフルーツロールを片手にPCの画面を睨んでいる。真剣そのものの顔は通常の五割増しで怖い。
きっとこの場に五歳児の子供がいたら泣くだろう。というか絶対に泣く。わんわん泣く。
この会社が子供服とか玩具のメーカーじゃなくて本当に良かった、なんて思ってしまった。
うん、とてもじゃないけど部長に似合わない。
部内には私と三浦部長の他に誰もいなかった。営業事務の子たちは私に電話番を任せると揃って休憩に入ってしまっている。外回り組も午後から出て行ったきり帰って来ていない。
今日の私は外に出る予定がなく、いや出たくても書類作成やら何やらで手一杯の状態でずっとデスクの付属品と化していた。
少し目に疲れを感じて軽く眉間のあたりをマッサージする。思いの外楽になったような気がして私はふうと息をついた。
よし、と気合いを入れ直してキーに手を伸ばす。
コホン、と咳払いが聞こえた。
そちらへと意識を向けるとやや顔を赤らめた三浦部長と目が合う。彼はフルーツロールの最後の一欠片を口に放り込んで私を手招きした。
さっきよりも表情が険しい。
イケメンの怒った顔は並の人のそれより何十倍も怖い。
え?
私は戸惑うしかなかった。
朝イチが期限だった書類ならちゃんと提出したよね?
他は早いものでも本日中のリミットのはず。外回りにしても急ぎのものはなかったよね。
え?
私、何かやらかした?
手招きする姿勢のまま三浦部長が口角を下げていく。何だか秒単位でご機嫌メーターも下がっているみたいだった。
「大野」
とうとう声で呼ばれた。
よくわからないけど無視はできそうにない。
私、何したんだろ?
頭の上に疑問符が沢山浮かんで何個か零れ落ちる。
とにかく立ち上がって三浦部長のデスクへと向かう。彼と話しができて嬉しいとかそんな浮ついた考えはなかった。叱責の原因に全く心当たりがなくてそのことで頭は一杯だった。
デスクの傍で立ち止まると私は尋ねた。
「部長、何ですか」
「うん、すっごい可愛い。癒される」
「はい?」
三浦部長の声は小さすぎて私には聞き取れない。
聞き返すべきかと迷っていると彼が言った。
「実はみんなにと買ったフルーツロールが余ってしまってね、良かったらもらってくれないか?」
彼はデスクの片隅を手で示す。そこにあるのは昼前に第二事業部の部員に配られたフルーツロールのレジ袋で恵方巻と一緒に用意されたものだった。
恵方巻のレジ袋がないところを見るとそちらは全て配り終えたのだろう。
うーん、私としては恵方巻のほうが良かったなぁ。
フルーツロールならまだ食べてないのがあるし。
「ええっと残りの分はお持ち帰りにしたらどうですか? 冷蔵保存にすれば明日でも食べられると思いますよ。まあ、味は落ちるかもですが」
「いや、どうせお持ち帰りするならまゆかがいい」
「は?」
早口に言われた言葉はちゃんと聞こえなかった。
どうせ……何?
「あの、今何て」
「そこはスルーしていい」
「はぁ……」
気のせいかもしれないけど三浦部長の顔の赤みが濃くなってるような。
ひょっとして今のでさらに怒らせた?
「と、ともかくだ、せっかく買ってきたんだから誰かに食べてもらいたいっていうのが人情ってものだろ」
「まあ、そうですね」
私もみんなのために買ってきたものを自分で処理しないといけなくなったら悲しい。
てか、これって幾らしたのかな?
訊いてみた。
「部長、このフルーツロールって幾らしたんですか?」
「ん? 一本一五〇〇円(税込み)だが」
「え?」
ぬ、ぬぁんですとぉ!
私は思わず目を見張ってしまった。
正直そんなに高いとは思っていなかった。
せいぜい一本五〇〇円(税込)くらいではないかと踏んでいたのだ。
全然違った。
予想価格の三倍ですか。
「あ、あのぅ」
私は恐る恐る尋ねる。
「ちなみに恵方巻のほうは幾らしたんですか」
「あれは一本二〇〇〇円(税込)だ。安いだろ? 僕も去年より値下がりしていて吃驚したよ」
「……」
部長、安くないです。
あと去年は幾らだったんですか。
とは言えず。
というか値段を聞くのが怖い。
何だか胸がドキドキしてくる。私のような庶民には心臓に悪い。
ふむ、と息をついて三浦部長が告げた。
「実は恵方巻は松竹梅とあって真ん中の竹にしたんだ。さすがに梅はないだろうと思ってね。でも、みんなにご馳走するんだから松でも良かったかもな」
「いやいやいやいや」
私は全力で否定した。ここ最近でこんなに否定した記憶はない。それはもう首がもげるのではないかというくらいブンブン振った。
あと、松の値段は聞きたくない。
まあ、聞いてもどうせ買わないけどね。
「た、竹で十分ですから。何なら梅でも大丈夫です」
「そ、そうなのか」
気圧されたのか三浦部長が引き気味に応えた。表情が僅かに引きつっている。
恵方巻と言えば去年は会社の最寄り駅近くのお寿司屋のものだった。どうやら三浦部長の口ぶりだと今年も同じ店で買ったらしい。
あの店、回ってないんだよなぁ。
入ったことないけど。
「そういやフルーツロールはどこのなんです?」
レジ袋は見たことのない店のものだった。
三浦部長が口の端を緩める。あ、何か得意気だ。
「これは文明開化堂の節分限定フルーツロールだ。ローカル番組だがテレビにも出たことがある店のスイーツなんだぞ」
「へぇ」
そんな店があったんだ。
私には馴染みがなさすぎて今一つピンと来ない。
ま、どうせ自分では買わないし。
そう判じて曖昧に笑うことにした。
三浦部長がまたコホンと咳払いし、落ち着かなげにあたりに目を走らせる。部内には私と部長しかいないのに妙にそわそわしだした。
「そ、それでだな、あれだ、あれ」
「はい?」
あれの意味がわからず私はこてんと首を傾げる。
その態度が気に入らないのか三浦部長の顔の赤みがますます濃くなった。
うーん、どうしたもんかなぁ。
私が思案していると彼は言葉を接いだ。
「終業後の件なんだが……」
「鬼はぁ外ぉっ!」
いきなり誰かが叫びながら第二事業部に飛び込んで来た。驚いた私がそちらへ目を向けるとコンビニで売られている豆撒きの袋を持った優子さんが走りつつ豆を投げようとしている。
え?
再び優子さんが叫ぶ。
「鬼はぁ外ぉっ!」
ぶんという音を響かせそうな勢いで優子さんが豆を撒く。至近距離からの攻撃は私ではなく三浦部長に向けられたものだった。
「うわっ、痛っ、やめろ」
「鬼はぁ外ぉっ!」
優子さんが半笑いで豆を投げている。
三浦部長は手で防ごうとしているがなかなかに厳しい戦いだ。
「……」
私はそっと回れ右をして自分のデスクへと戻った。
あぁ、これ去年もやっていたなぁ。
この後三浦部長にこっぴどく叱られるんだよね。
懲りてない優子さんにちょっと呆れつつ私はノートPCのキーを叩き始めるのであった。
節分といえば去年優子さんが社内で豆撒きとかしていたなぁ。
それで三浦部長に……。
おっと、仕事しなくちゃ。
私はデスクの上のノートPCに向き直った。
カチャカチャとキーを叩きながら本日中に提出しなければならない書類の文章を画面で確認する。
数字のチェックはしつこいくらいにやり、ケアレスミスがないように細心の注意を払う。場合によっては一桁間違えただけでとんでもない損失に繋がるので気が抜けなかった。
仕事に没頭している間に三浦部長が午後の会議を終えて第二事業部に戻って来ていた。
ふと手を止めて彼のデスクに目を遣るとむすっとしたいつもの表情があった。
食べかけのフルーツロールを片手にPCの画面を睨んでいる。真剣そのものの顔は通常の五割増しで怖い。
きっとこの場に五歳児の子供がいたら泣くだろう。というか絶対に泣く。わんわん泣く。
この会社が子供服とか玩具のメーカーじゃなくて本当に良かった、なんて思ってしまった。
うん、とてもじゃないけど部長に似合わない。
部内には私と三浦部長の他に誰もいなかった。営業事務の子たちは私に電話番を任せると揃って休憩に入ってしまっている。外回り組も午後から出て行ったきり帰って来ていない。
今日の私は外に出る予定がなく、いや出たくても書類作成やら何やらで手一杯の状態でずっとデスクの付属品と化していた。
少し目に疲れを感じて軽く眉間のあたりをマッサージする。思いの外楽になったような気がして私はふうと息をついた。
よし、と気合いを入れ直してキーに手を伸ばす。
コホン、と咳払いが聞こえた。
そちらへと意識を向けるとやや顔を赤らめた三浦部長と目が合う。彼はフルーツロールの最後の一欠片を口に放り込んで私を手招きした。
さっきよりも表情が険しい。
イケメンの怒った顔は並の人のそれより何十倍も怖い。
え?
私は戸惑うしかなかった。
朝イチが期限だった書類ならちゃんと提出したよね?
他は早いものでも本日中のリミットのはず。外回りにしても急ぎのものはなかったよね。
え?
私、何かやらかした?
手招きする姿勢のまま三浦部長が口角を下げていく。何だか秒単位でご機嫌メーターも下がっているみたいだった。
「大野」
とうとう声で呼ばれた。
よくわからないけど無視はできそうにない。
私、何したんだろ?
頭の上に疑問符が沢山浮かんで何個か零れ落ちる。
とにかく立ち上がって三浦部長のデスクへと向かう。彼と話しができて嬉しいとかそんな浮ついた考えはなかった。叱責の原因に全く心当たりがなくてそのことで頭は一杯だった。
デスクの傍で立ち止まると私は尋ねた。
「部長、何ですか」
「うん、すっごい可愛い。癒される」
「はい?」
三浦部長の声は小さすぎて私には聞き取れない。
聞き返すべきかと迷っていると彼が言った。
「実はみんなにと買ったフルーツロールが余ってしまってね、良かったらもらってくれないか?」
彼はデスクの片隅を手で示す。そこにあるのは昼前に第二事業部の部員に配られたフルーツロールのレジ袋で恵方巻と一緒に用意されたものだった。
恵方巻のレジ袋がないところを見るとそちらは全て配り終えたのだろう。
うーん、私としては恵方巻のほうが良かったなぁ。
フルーツロールならまだ食べてないのがあるし。
「ええっと残りの分はお持ち帰りにしたらどうですか? 冷蔵保存にすれば明日でも食べられると思いますよ。まあ、味は落ちるかもですが」
「いや、どうせお持ち帰りするならまゆかがいい」
「は?」
早口に言われた言葉はちゃんと聞こえなかった。
どうせ……何?
「あの、今何て」
「そこはスルーしていい」
「はぁ……」
気のせいかもしれないけど三浦部長の顔の赤みが濃くなってるような。
ひょっとして今のでさらに怒らせた?
「と、ともかくだ、せっかく買ってきたんだから誰かに食べてもらいたいっていうのが人情ってものだろ」
「まあ、そうですね」
私もみんなのために買ってきたものを自分で処理しないといけなくなったら悲しい。
てか、これって幾らしたのかな?
訊いてみた。
「部長、このフルーツロールって幾らしたんですか?」
「ん? 一本一五〇〇円(税込み)だが」
「え?」
ぬ、ぬぁんですとぉ!
私は思わず目を見張ってしまった。
正直そんなに高いとは思っていなかった。
せいぜい一本五〇〇円(税込)くらいではないかと踏んでいたのだ。
全然違った。
予想価格の三倍ですか。
「あ、あのぅ」
私は恐る恐る尋ねる。
「ちなみに恵方巻のほうは幾らしたんですか」
「あれは一本二〇〇〇円(税込)だ。安いだろ? 僕も去年より値下がりしていて吃驚したよ」
「……」
部長、安くないです。
あと去年は幾らだったんですか。
とは言えず。
というか値段を聞くのが怖い。
何だか胸がドキドキしてくる。私のような庶民には心臓に悪い。
ふむ、と息をついて三浦部長が告げた。
「実は恵方巻は松竹梅とあって真ん中の竹にしたんだ。さすがに梅はないだろうと思ってね。でも、みんなにご馳走するんだから松でも良かったかもな」
「いやいやいやいや」
私は全力で否定した。ここ最近でこんなに否定した記憶はない。それはもう首がもげるのではないかというくらいブンブン振った。
あと、松の値段は聞きたくない。
まあ、聞いてもどうせ買わないけどね。
「た、竹で十分ですから。何なら梅でも大丈夫です」
「そ、そうなのか」
気圧されたのか三浦部長が引き気味に応えた。表情が僅かに引きつっている。
恵方巻と言えば去年は会社の最寄り駅近くのお寿司屋のものだった。どうやら三浦部長の口ぶりだと今年も同じ店で買ったらしい。
あの店、回ってないんだよなぁ。
入ったことないけど。
「そういやフルーツロールはどこのなんです?」
レジ袋は見たことのない店のものだった。
三浦部長が口の端を緩める。あ、何か得意気だ。
「これは文明開化堂の節分限定フルーツロールだ。ローカル番組だがテレビにも出たことがある店のスイーツなんだぞ」
「へぇ」
そんな店があったんだ。
私には馴染みがなさすぎて今一つピンと来ない。
ま、どうせ自分では買わないし。
そう判じて曖昧に笑うことにした。
三浦部長がまたコホンと咳払いし、落ち着かなげにあたりに目を走らせる。部内には私と部長しかいないのに妙にそわそわしだした。
「そ、それでだな、あれだ、あれ」
「はい?」
あれの意味がわからず私はこてんと首を傾げる。
その態度が気に入らないのか三浦部長の顔の赤みがますます濃くなった。
うーん、どうしたもんかなぁ。
私が思案していると彼は言葉を接いだ。
「終業後の件なんだが……」
「鬼はぁ外ぉっ!」
いきなり誰かが叫びながら第二事業部に飛び込んで来た。驚いた私がそちらへ目を向けるとコンビニで売られている豆撒きの袋を持った優子さんが走りつつ豆を投げようとしている。
え?
再び優子さんが叫ぶ。
「鬼はぁ外ぉっ!」
ぶんという音を響かせそうな勢いで優子さんが豆を撒く。至近距離からの攻撃は私ではなく三浦部長に向けられたものだった。
「うわっ、痛っ、やめろ」
「鬼はぁ外ぉっ!」
優子さんが半笑いで豆を投げている。
三浦部長は手で防ごうとしているがなかなかに厳しい戦いだ。
「……」
私はそっと回れ右をして自分のデスクへと戻った。
あぁ、これ去年もやっていたなぁ。
この後三浦部長にこっぴどく叱られるんだよね。
懲りてない優子さんにちょっと呆れつつ私はノートPCのキーを叩き始めるのであった。