第25話 どうやら二人の認識には差異があるようです
文字数 3,270文字
翌朝。
私は中森さんと一緒にアパートを出た。
中森さんに朝食を用意しようかとも思ったのだが彼女に要らないと言われてしまった。基本的に朝食は抜いているそうだ。それでお昼まで持つなんてすごいと思う。私には無理だ。
途中のコンビニでお握りを三個買うと「ブタになるわよ」と揶揄された。
だ、だってお腹が空いたら仕事にならないじゃない。
私が買い物をしたからか中森さんも大豆バーをお買い上げ。ひょっとしてダイエット中なのかな?
ホームで電車を待つ間に訊いてみた。
「中森さんってダイエットしてるの?」
「そんな必要があるように見える?」
「……」
質問を質問で返された。
つーか、自分のスタイルにかなりの自信がおありのようで。
昨夜話してわかったことだが中森さんは私より三つ年下の二十五歳、大学時代にチアリーディングをやっていたそうで結構華やかなキャンパスライフを過ごしていた。
うーん、確かにスタイルはいいんだよねぇ。
胸とかお腹とか胸とか胸とかお腹とか胸とか見ていると中森さんが自分を庇うように身を抱いた。
じっとりとした視線を投げられて私は苦笑する。
コートを着ていてもその存在を主張するお胸にもう一度視線を送っていると電車が来た。
*
ネズミおじさんと遭遇するのではないかと少しだけ警戒したが杞憂だった。
あるいはどこかにいるのかもしれない。でも、私が気づかなかったのだからいなかったことにしよう。
都合良く二つ空いたシートに私たちは座る。彼女の身体と触れた部分がやけに温かくて何だか嬉しくなった。
自然、頬が緩む。
「ニヤニヤしないでよ、気持ち悪い」
中森さんは相変わらず辛辣だ。
「だって、中森さんがあったかいんだもん」
「人をカイロみたいに言うな」
「……」
こんなつっこみも慣れると心地良い。
本当に私が男なら放っておかないんだけどなぁ。
ああでもこれは同性からも好かれるタイプだよね。
「中森さんって女子からもモテるでしょ?」
「……っ!」
一瞬彼女の表情が引きつる。すぐに取り繕うようにしかめ面になるが見逃さなかった私は追撃した。
「お姉様とか言われたことない?」
「あ、ある訳ないでしょ」
「……」
すごい。
この泳ぎまくる目の動き。絵に描いたようなうろたえっぷりだ。
中森さんは思い出したくない過去でもあるのか私から目を逸らして口をきゅっと結んだ。普段の怖いイメージからは想像もつかない可愛らしさである。
このギャップでご飯三杯はいける。
「チアとかだと女の子ばっかりだよね。練習とか合宿とかでさ、ずーっと一緒にいるじゃない」
「ま、まあそうね」
「着替えとかお風呂とかでさ、おかしな視線を感じなかった?」
「……」
おおっ、泳いでる泳いでる。
目が遠泳してる。
「スキンシップの激しい子とかいなかった?」
「……」
中森さんの耳が赤い。
というか隣にいるからか熱が伝わってくる。
これはあれだ、百合の匂いがするぞ。
「中森さんは……」
「それ以上言ったら怒るからね」
「……」
可愛らしいはずの中森さんの声が地獄の門でも開きそうな低いものへと変じた。
細かなウェーブの茶髪が複数の茶色い蛇になっている。
あっ、やば。
目デューサ化してる。
私はお口をチャックした。
*
会社の最寄り駅から歩いていると中森さんが訊いてくる。
「もうすぐあんたの誕生日よね?」
「うん」
バレンタインのポスターが貼られたケーキ屋の前を通る。美味しそうなチョコレートケーキに気後れするみたいに節分向けのロールケーキの広告が貼ってあって何だか微笑ましい。
私の誕生日は二月四日だ。
「彼には何か言われた?」
「えっ、あっ、えーと」
いきなり彼と言われてもそれが誰のことを指すのか私にはわからない。
実は昨夜も電車の中やアパートで質問したのだが「そんなん言わなくたってわかるでしょ」と返されてしまい解明に至らなかった。
あまりしつこくしても中森さんの機嫌を損ねるだけだし。
うーん。
「ま、あんたのスマホを見た限り彼と会うようでもないし、ただの同期でそういう関係じゃないっていうならあたしはどうでもいいんだけどね。とは言え、クリスマスに引き続き誕生日もぼっちなのは女として……」
「中森さん、それ以上は私クリティカルになりそうだからやめて」
中森さんがにやりとした。
ううっ、嫌な笑みだ。
「やっぱりぼっち確定なのね。でも彼のことだから優しいし何かしらのフォローはあったんでしょ、それともそういうのもないの?」
「いや、そもそもその彼が誰だかわからないし」
「またまたぁ、知らばっくれちゃってぇ。」
中森さんに敵意が無くなったけど遠慮もどこかに行ってしまったらしい。
あれ?
そんなもの最初からなかったっけ?
「あたしのときはね……あっ、あたし十一月十一日生まれなんだけど、その日は彼とデートしてあたしの家で二人きりのお誕生日会をやったの」
「へぇ」
二人きりのお誕生日会かぁ。
それ、いいなぁ。
私も三浦部長に祝ってほしい。
まあ、そうは言っても三浦部長と私はただの上司と部下な訳だし、二人っきりでなんて無理だよね。
あーでも仕事の相談とかの理由をつけたら外で二人きりになれるかも。
実際、仕事絡みなら二人で食事してるし。
……あ。
私は唐突に思い出した。
そういえば部長、好きな人のために誕生日プレゼントを買っていたっけ。
うーん、その人ってどんな人なんだろ?
放っておけない感じって部長が言ってたけど外見とかも気になるなぁ。
めっちゃ美人とか?
そしたら私、勝ち目ないなぁ。
…… いやいや、せっかく部長との誕生日のことを考えていたんだからわざわざ自分で凹むような想像したら駄目でしょ。
き、気を取り直して……っと。
中森さんが誕生日に彼からイヤリングをもらった話をしているのを私はうんうんとうなずきながら聞き流す。
頭の中で描いた三浦部長とのお誕生日会はなかなか素敵だった。
現実味はこれっぽちもないし実現はまず出来ないだろうけど、それでもこうやって妄想するくらいはいいよね?
自分の話をしているうちに私のことはどうでも良くなったのか、会社に着くまで「彼」のことを訊かれることは無くなっていた。
*
いつものように老齢の守衛さんに挨拶して社屋に入ると何人かの馴染みの顔がぎょっとした表情を向けてきた。
ひそひそと声が聞こえてくる。
断片的に漏れ聞こえてくる内容から昨日の私と中森さんのことだと理解できた。
まあそうか。
昨日揉めていたのに今朝は仲良く出勤しているんだからそりゃ噂話にもなるよね。
てか、あの人たち秘書課の子と人事課の子だ。
わぁ、また後で優子さんの襲撃があるかも。
面倒くさいなぁ。
などと思っていると背後から声をかけられた。
「大野さん、おはよう」
「……っ!」
私より先に中森さんが振り向く。可愛らしい顔がさらに可愛くなった。私の知る中森さんはこんなに明るい表情が出来るのかと内心とても驚くほどだった。
彼女の存在に気づいたのか新村くんがついでのように挨拶した。
「あ、聖子(せいこ)もおはよう」
「うん、おはよう。今日も格好いいね♪」
「……」
中森さん。
その声、本当に中森さんの声?
どう考えても別人な声に私は耳を疑う。
実家の母が電話や来客に対して話すときより違っていた。母も声だけなら二十歳年をごまかせるけど中森さんも将来その技が使えるかもしれない。
というかすでに使いこなしているというべき?
新村くんがほっとしたように微笑んだ。
「良かった、昨日のことで聖子が大野さんに何かするんじゃないかって心配してたんだ。二人とも仲良さそうで安心した」
「そんな何かって、あたしそんな危ない女じゃないわよ」
「……」
ええっと。
これ、つまりあれだよね。
昨日の件の原因って……新村くんだよね。
私はくらくらしてきた頭を振った。
とりあえず確認してみる。
「に、新村くんと中森さんってもしかして付き合ってた?」
「うん」
「過去形じゃないわよ、現在進行形♪」
どうやら二人には認識に差異があるようだ。
私は中森さんと一緒にアパートを出た。
中森さんに朝食を用意しようかとも思ったのだが彼女に要らないと言われてしまった。基本的に朝食は抜いているそうだ。それでお昼まで持つなんてすごいと思う。私には無理だ。
途中のコンビニでお握りを三個買うと「ブタになるわよ」と揶揄された。
だ、だってお腹が空いたら仕事にならないじゃない。
私が買い物をしたからか中森さんも大豆バーをお買い上げ。ひょっとしてダイエット中なのかな?
ホームで電車を待つ間に訊いてみた。
「中森さんってダイエットしてるの?」
「そんな必要があるように見える?」
「……」
質問を質問で返された。
つーか、自分のスタイルにかなりの自信がおありのようで。
昨夜話してわかったことだが中森さんは私より三つ年下の二十五歳、大学時代にチアリーディングをやっていたそうで結構華やかなキャンパスライフを過ごしていた。
うーん、確かにスタイルはいいんだよねぇ。
胸とかお腹とか胸とか胸とかお腹とか胸とか見ていると中森さんが自分を庇うように身を抱いた。
じっとりとした視線を投げられて私は苦笑する。
コートを着ていてもその存在を主張するお胸にもう一度視線を送っていると電車が来た。
*
ネズミおじさんと遭遇するのではないかと少しだけ警戒したが杞憂だった。
あるいはどこかにいるのかもしれない。でも、私が気づかなかったのだからいなかったことにしよう。
都合良く二つ空いたシートに私たちは座る。彼女の身体と触れた部分がやけに温かくて何だか嬉しくなった。
自然、頬が緩む。
「ニヤニヤしないでよ、気持ち悪い」
中森さんは相変わらず辛辣だ。
「だって、中森さんがあったかいんだもん」
「人をカイロみたいに言うな」
「……」
こんなつっこみも慣れると心地良い。
本当に私が男なら放っておかないんだけどなぁ。
ああでもこれは同性からも好かれるタイプだよね。
「中森さんって女子からもモテるでしょ?」
「……っ!」
一瞬彼女の表情が引きつる。すぐに取り繕うようにしかめ面になるが見逃さなかった私は追撃した。
「お姉様とか言われたことない?」
「あ、ある訳ないでしょ」
「……」
すごい。
この泳ぎまくる目の動き。絵に描いたようなうろたえっぷりだ。
中森さんは思い出したくない過去でもあるのか私から目を逸らして口をきゅっと結んだ。普段の怖いイメージからは想像もつかない可愛らしさである。
このギャップでご飯三杯はいける。
「チアとかだと女の子ばっかりだよね。練習とか合宿とかでさ、ずーっと一緒にいるじゃない」
「ま、まあそうね」
「着替えとかお風呂とかでさ、おかしな視線を感じなかった?」
「……」
おおっ、泳いでる泳いでる。
目が遠泳してる。
「スキンシップの激しい子とかいなかった?」
「……」
中森さんの耳が赤い。
というか隣にいるからか熱が伝わってくる。
これはあれだ、百合の匂いがするぞ。
「中森さんは……」
「それ以上言ったら怒るからね」
「……」
可愛らしいはずの中森さんの声が地獄の門でも開きそうな低いものへと変じた。
細かなウェーブの茶髪が複数の茶色い蛇になっている。
あっ、やば。
目デューサ化してる。
私はお口をチャックした。
*
会社の最寄り駅から歩いていると中森さんが訊いてくる。
「もうすぐあんたの誕生日よね?」
「うん」
バレンタインのポスターが貼られたケーキ屋の前を通る。美味しそうなチョコレートケーキに気後れするみたいに節分向けのロールケーキの広告が貼ってあって何だか微笑ましい。
私の誕生日は二月四日だ。
「彼には何か言われた?」
「えっ、あっ、えーと」
いきなり彼と言われてもそれが誰のことを指すのか私にはわからない。
実は昨夜も電車の中やアパートで質問したのだが「そんなん言わなくたってわかるでしょ」と返されてしまい解明に至らなかった。
あまりしつこくしても中森さんの機嫌を損ねるだけだし。
うーん。
「ま、あんたのスマホを見た限り彼と会うようでもないし、ただの同期でそういう関係じゃないっていうならあたしはどうでもいいんだけどね。とは言え、クリスマスに引き続き誕生日もぼっちなのは女として……」
「中森さん、それ以上は私クリティカルになりそうだからやめて」
中森さんがにやりとした。
ううっ、嫌な笑みだ。
「やっぱりぼっち確定なのね。でも彼のことだから優しいし何かしらのフォローはあったんでしょ、それともそういうのもないの?」
「いや、そもそもその彼が誰だかわからないし」
「またまたぁ、知らばっくれちゃってぇ。」
中森さんに敵意が無くなったけど遠慮もどこかに行ってしまったらしい。
あれ?
そんなもの最初からなかったっけ?
「あたしのときはね……あっ、あたし十一月十一日生まれなんだけど、その日は彼とデートしてあたしの家で二人きりのお誕生日会をやったの」
「へぇ」
二人きりのお誕生日会かぁ。
それ、いいなぁ。
私も三浦部長に祝ってほしい。
まあ、そうは言っても三浦部長と私はただの上司と部下な訳だし、二人っきりでなんて無理だよね。
あーでも仕事の相談とかの理由をつけたら外で二人きりになれるかも。
実際、仕事絡みなら二人で食事してるし。
……あ。
私は唐突に思い出した。
そういえば部長、好きな人のために誕生日プレゼントを買っていたっけ。
うーん、その人ってどんな人なんだろ?
放っておけない感じって部長が言ってたけど外見とかも気になるなぁ。
めっちゃ美人とか?
そしたら私、勝ち目ないなぁ。
…… いやいや、せっかく部長との誕生日のことを考えていたんだからわざわざ自分で凹むような想像したら駄目でしょ。
き、気を取り直して……っと。
中森さんが誕生日に彼からイヤリングをもらった話をしているのを私はうんうんとうなずきながら聞き流す。
頭の中で描いた三浦部長とのお誕生日会はなかなか素敵だった。
現実味はこれっぽちもないし実現はまず出来ないだろうけど、それでもこうやって妄想するくらいはいいよね?
自分の話をしているうちに私のことはどうでも良くなったのか、会社に着くまで「彼」のことを訊かれることは無くなっていた。
*
いつものように老齢の守衛さんに挨拶して社屋に入ると何人かの馴染みの顔がぎょっとした表情を向けてきた。
ひそひそと声が聞こえてくる。
断片的に漏れ聞こえてくる内容から昨日の私と中森さんのことだと理解できた。
まあそうか。
昨日揉めていたのに今朝は仲良く出勤しているんだからそりゃ噂話にもなるよね。
てか、あの人たち秘書課の子と人事課の子だ。
わぁ、また後で優子さんの襲撃があるかも。
面倒くさいなぁ。
などと思っていると背後から声をかけられた。
「大野さん、おはよう」
「……っ!」
私より先に中森さんが振り向く。可愛らしい顔がさらに可愛くなった。私の知る中森さんはこんなに明るい表情が出来るのかと内心とても驚くほどだった。
彼女の存在に気づいたのか新村くんがついでのように挨拶した。
「あ、聖子(せいこ)もおはよう」
「うん、おはよう。今日も格好いいね♪」
「……」
中森さん。
その声、本当に中森さんの声?
どう考えても別人な声に私は耳を疑う。
実家の母が電話や来客に対して話すときより違っていた。母も声だけなら二十歳年をごまかせるけど中森さんも将来その技が使えるかもしれない。
というかすでに使いこなしているというべき?
新村くんがほっとしたように微笑んだ。
「良かった、昨日のことで聖子が大野さんに何かするんじゃないかって心配してたんだ。二人とも仲良さそうで安心した」
「そんな何かって、あたしそんな危ない女じゃないわよ」
「……」
ええっと。
これ、つまりあれだよね。
昨日の件の原因って……新村くんだよね。
私はくらくらしてきた頭を振った。
とりあえず確認してみる。
「に、新村くんと中森さんってもしかして付き合ってた?」
「うん」
「過去形じゃないわよ、現在進行形♪」
どうやら二人には認識に差異があるようだ。