第37話 私、無事に帰れるかなぁ?

文字数 3,119文字

 夜。

 私は会社の最寄り駅から二つ先の駅の近くにあるカレー店に来ていた。

 私的に二日連続でカレーになってしまうが今夜はヨツビシ工業(ネズミおじさんこと福西部長がいる会社)への接待なのでやむなしである。

 というかネズミおじさんも二日連続でカレーだよね?

 まあ今回は昨日とは別のお店だけど。

 私の横には三浦部長と本来の担当者の加藤久則(かとう・ひさのり)さんがいる。加藤さんは今年三十二歳。浅黒い肌の持ち主で健康的な印象のある元サーファーだ。笑うと右頬に笑窪が出来て結構可愛かったりする。

 六人用のテーブルを挟んで私たちとヨツビシ工業の皆さんが座っていた。私たちカドベニは真ん中に三浦部長、左右に私と加藤さんだ。ヨツビシ工業側も真ん中はネズミおじさん、その両脇に彼の部下がいる。向こうは男だけの三人組だ。

 見た目がロバと犬に似ているのでロバとポチと呼ぶことにする。もちろん心の中でだ。二人にはちゃんと釜本冬馬(かまもと・とうま)と秋田志郎(あきた・しろう)という名前がある。私としてはロバとポチのほうがしっくりくるけど。

 最初はビールで乾杯し、料理が運ばれた後は各々好きな飲み物を注文することとなった。

 まあ料理といってもカレーとその付け合わせなんだけど。

 ここの店はカレーに茹でたジャガイモとロールキャベツが付いてくる。大皿と深皿にどんと入れられているのでなかなかにダイナミックだ。ついでに食いしん坊心もくすぐってくれる。

 うーん、一人三個ずつ?

 二つの皿を見ながら軽く計算してみる。ジャガイモもロールキャベツもかなり大きい。誰か食べ残したらその分私がもらってもいい……かな?

 *

 三月の新商品について三浦部長とネズミおじさんが話をしている脇で私はその食欲を満たすべく手と口を動かしていた。完全に色気より食い気である。

 チキンカレーにジャガイモをつけて食べようとするとロバが声をかけてきた。

「大野さんはご結婚されているんですか?」
「いえ、独り身です」

 答えて私はカレー味となったジャガイモにぱくついた。噛む毎に口の中で香味とホクホク感が広がって更なる食欲を誘ってくる。

 ロバの無粋な質問がなければもっと美味しく思えたかもしれない。

「へぇ、俺も独身なんですよ」

 ロバがやや身を乗り出した。その視線が私に注がれていることに今さらながら気づく。しかも何だかいやらしい。

 え?

 私、狙われてる?

 自分でも少々自意識過剰ではないかと思い直すも一度芽生えた疑念は私の警戒心を強める。私はわざと無愛想に見えるように口をへの字にした。

「私、今は仕事が大事なんで」

 だからあなたとは付き合えません。

 と言外に滲ませる。

 しかしそんなことなど全く気にしないといった口調でロバが会話を続けてくる。

「俺、休日はホームセンターとか家電量販店とかを回るのが好きなんですよ。大野さんはお休みのときに何してます?」
「別に何も」

 あえて素っ気なく返した。

 ね、私あなたには興味ないの。

 察してくれないかな?

「あ、じゃあ今度ホームセンター廻りにご一緒しませんか? 俺の家の近所に新しい店が出来たんですよ。何なら大野さんの欲しいものがあれば買ってあげますよ」
「……」

 わぁ、この人駄目だ。
全然わかってくれない。

 てか「買ってあげますよ」って。

 何だか上から目線で感じ悪いんですけど。

 私は睨みつけたい衝動をどうにか堪えた。そうしている間にもねっとりとしたロバの視線が私を舐めてくる。しかもやたら胸に視線がいってるようなんですけど、あなた貧乳がタイプなんですか?

「大野さんって可愛いですよね」
「はぁ」

 ロバに褒められてもちっとも嬉しくない。

 てか、あなた私の胸を見ながら可愛いって言いましたよね?

 うわぁ、ムカつく。

 引っぱたいてやりたい。

 確かにサイズ的にはアレだけど。ウエストはすぐ育つのにこっちはなーんも育たなくて……うん、悲しくなるからやめよう。

 自分の思考にセルフダメージを受けているとネズミおじさんが話に割り込んできた。

「釜本くん駄目だよぉ、いくら君が貧乳好きでもぉこの子は僕が目を付けてるんだからねぇ」
「……」

 ぞわっ。

 背筋に冷たいものが走る。

 私は頬をひくひくさせた。接待中なのを忘れてしまいそうになる。

 にこにこしつつネズミおじさんが言った。

「あーでも僕は別に貧乳好きとかじゃないからねぇ。おっぱいのサイズが気にならないかと問われたら返答に困るけどぉ、だからといってそれだけで女性を判断したりしないよぅ」
「……」

 こいつも引っぱたいてやりたい。

 最大限の忍耐力で怒りを抑え、その代わりにまだ食べかけだったジャガイモに噛みついた。

 ネズミおじさんが目尻を下げる。

「いい食べっぷりだねぇ。若い子はやっぱりそうじゃなきゃぁ。沢山食べてその分大きく育つといいねぇ」
「……」

 ネズミおじさんの視線も私の胸に向かっている。

 あれなの?

 やっぱりおっきいほうが良いの?

 そんなことを心の内でつぶやくとまたもセルフダメージが襲ってくる。ちみちみと削られる私のメンタルポイントは早くも半分以上が赤く染まっていた。

 あ、やばい。

 回復させないと。

 私は隣を見た。

 不機嫌そうな三浦部長の顔がそこにあった。眉間に皺を寄せて口をむすっとさせたその表情はいつもより何割増の苛立ちがあるように思える。とはいえ今はそんなものですら心の癒やしになりそうだった。

「ま、まゆかは渡さないからな」

 三浦部長が小声で何かつぶやいたが早口すぎて私には聞き取れない。

 でもまあ見当はつく。

 どうせ「接待なんだから食べ過ぎるなよ」とか「取引先に粗相のないようにしてくれ」とかそんな言葉だろう。

 でなければ「もっと男受けする奴を連れて来たかったなぁ」とか?

 あっ、回復どころかさらにセルフダメージが……。

 私のメンタルポイントがぁぁぁぁぁぁぁぁっ!

 脳内に描いた棒グラフが四分の三くらい赤くなって私は低く呻いた。その声を耳聡く聞きつけたロバが声をかけてくる。

「大野さん大丈夫? ひょっとして気分悪くなっちゃった?」
「いえ、何でもないです」

 私が手を振ると彼は心配そうな表情で立ち上がった。ガタンと椅子が鳴る。

「無理しなくていいんだよ。ちょっと外の空気でも吸おうか」
「……」

 本当に平気なんだけどなぁ。

 ロバが回り込んで来て私の腕を掴んだ。

 その強引さに吃驚して身が固まる。ロバはぐいぐいと引っぱって私を立たせようとした。彼の力の強さに軽く危機を抱く。

 ポチが口を開いた。

「冬馬、好みの女だからってがっつくなよ」
「別にがっついている訳じゃないぞ。ただ彼女が心配なだけだ」
「あーはいはいそうですか。そりゃお優しいことで」

 ネズミおじさんはにこにこしながら二人のやりとりを聞いている。もしかしたらロバとポチはいつもこんな調子なのだろうか。

 コホンと誰かが咳払いをした。

 三浦部長だ。

「釜本さん、ご心配はありがたいのですがお心だけで結構ですよ。うちの大野はこう見えて意外と丈夫ですので」
「そうだねぇ」

 ネズミおじさんがうなずいた。

「見たところ何ともないようだしぃ、無理矢理外に連れ出すのはどうかと思うよぉ。女の子と二人っきりになりたいならぁ、もっとスマートにやらないとぉ」
「……」

 うーん。

 なぜだろう、ネズミおじさんも私のこと助けようとしてくれているのに三浦部長ほど頼もしく感じられない。

 しぶしぶといった様子でロバが私の腕を離して席に戻る。ほっとしてため息をついているとネズミおじさんがニヤリと笑った。

「あともう一度言っておくけどぉ、僕も彼女に目を付けているからねぇ」
「……」

 私、無事に帰れるかなぁ……?
 
 
 
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