第21話 三浦部長はもっとはっきり言うべき まゆかはその鈍感さをどうにかするべき

文字数 2,942文字

 お酒が運ばれると三浦部長は手酌でお猪口に注いで一息に飲んだ。私がお酌する暇もない。

 ふう、と息をついて三浦部長は言った。

「それにしても常務が大野を誘うとは思いませんでしたよ」
「おや、私が君の部下を誘うのがそんなにおかしいかい?」

 武田常務の不敵な口調に三浦部長が眉をピクリとさせる。彼は持っていたお猪口を置いて肩をすくめた。

「おかしいというか何というか、二人ともそんなに関わりがありませんでしたよね? 何だって急に大野と飲みたいって思ったんですか」
「若い娘と飲みに行きたいって思うのは別に変なことじゃないでしょ」
「いや若い娘って……」

 三浦部長が私をチラ見して苦笑した。

 あっ、この反応。

 私のこと若い娘って思ってないな。

 ううっ、どうせアラサーのおばさんですよ。

 私は口を尖らせて彼を睨む。

「うん、怒ってるまゆかも可愛い」
「ありがとうございましたぁっ!」

 三浦部長のつぶやきは小さすぎて私には聞こえない。しかもほぼ同じタイミングで店主が店を出る客への挨拶をしたものだから余計に聞き取れなかった。

「えっと、今何て?」
「大野はもう少しその鈍感さをどうにかしような」
「はい?」

 私は首を傾げた。

 意味がわからない。

 あと、どうして顔を赤らめているんですか……ってそうでしたお酒が入ってますもんね。

「ふふっ、大野さんは可愛いなぁ」

 反対側から褒め言葉が飛んでくる。

 美形な常務の声に不意打ちされて私は不覚にも赤面してしまう。でも大丈夫、どうせお酒のせいで赤くなってたし。

「か、からかうのはやめてください。私、可愛くなんてないですよ」
「おやおや照れているのかい? やっぱり可愛いねぇ」
「……」

 常務。

 そんなに褒めても何も出ませんよ。

 むう、と隣から声が漏れ聞こえる。私が目をやると三浦部長が口をへの字にしていた。心なしか不機嫌オーラが放出されているような気がする。

 これって拗ねてる?

 部長も常務に褒めて欲しかったのかな?

「まゆかの可愛さは僕が一番良く知っているのに」
「いらっしゃいませぇ!」

 三浦部長の声はまたも店主の声に紛れてしまう。

「部長、今何か言いましたよね」
「いや、空耳じゃないか?」

 不自然に目を逸らした部長の耳がさらに赤く染まる。今日は酔いの回るのが早いようだ。これ疲れのせいなのかもしれない。

 部長、毎日忙しいもんなぁ。

「三月の新商品の件、うまくいってるかね」

 会話の隙間を埋めるように武田常務が問いかけてくる。

 新商品のことは部長の指示で第二事業部のみんなが動いているからこの質問は私ではなく部長に投げられたものなのだろう。

 三浦部長に真剣さが宿った。切り替えの早い人だ。

「その件は滞りなく進んでいます。当初目標とした販路も確保できてますし、メーカーとの連携も問題なしですね。私としてはもう少し開拓してより多く売り込みたいと思っているのですが」
「なるほど、それならあとどのくらいいけそうかい?」
「そうですね」

 三浦部長が目の前の徳利を指でとんとんと叩いた。

「二十五、いや三十%くらいは増やせるかと」
「ふむ、期待しているよ」

 武田常務がニヤリとした。

 私は「わぁ、三十%増はきついなぁ」と明日朝一番には部内に発射されるであろう部長の叱咤ミサイルを想像してぞっとする。今以上の営業努力をしないと部長の望む数字には達しない。それがどういう意味か考えたくもなかった。

 ま、そうは言っても達成しちゃうんだけどね。

 私は第二事業部の仲間たちを想起した。

 みんな何だかんだと言いながら目標をクリアしていく人たちばかりだ。うちの会社はブラックなので仕事内容がハードだけど文句一つ言わずにみんな駆け回っている……いや、文句は言ってるか。

 とにかく、全員頑張って働いている。

 ちなみに私が中森さんに絡まれたとき、助けてくれるどころか目を合わせようともしなかった人たちがいた。あの一件で彼らの株は大暴落したのは言うまでも無い。

 というか後で覚えておきなさいよ。

 ふっふっふ。

「一区切りしたら拓也ももうちょっと先のことを意識しないとな」

 闇に落ちかけた私の眼前を武田常務の言葉が走り抜ける。はっとした私は反射的に三浦部長へと顔を向けた。

 思いがけず彼と目が合ってしまい顔に熱が集まる。とくんと胸が鳴った。

 一度乱れた心音はとくんとくんとそのリズムを速めていく。横には常務もいるのに、と慌てる私とときめきを高める私とが心の奥でぶつかった。その衝撃のせいか頭がくらくらとしてくる。

 私は逃げるように俯いた。取り繕うようにつくねに手を伸ばす。

「常務、あのことなんですが」

 三浦部長が重い口調で言った。

「どうしてもお引き受けしないと駄目ですか?」
「あのこと?」

 答えを知っていてあえて尋ねている、そんな感じの声だった。

 武田常務が笑んでいると容易にわかる。ちょっとだけ彼を嫌いになりそうになった。

「お見合いの件です」

 私は平静を装いつつつくねを囓る。少しだけ焦げている気がした。きっと実際にはそんなことはないのだろう。私の心象が味覚を狂わせているのだ。

 情けなかった。

 三浦部長が好きなのに彼に相応しくない自分が情けなかった。いつも叱られてばかりで彼に迷惑をかけている自分ではまだまだ振り向いてもらえないであろうことは承知している。だから彼にお見合いの話が来てもどうすることもできない。

 お見合いなんかしてほしくなかった。

 でも、それを断ったせいで出世できなくなるのも嫌だ。

 三浦部長にはその能力に見合った仕事をしてもらいたい。

「私の親戚になるのは嫌かね?」

 意地悪な問いが私を掠めていく。私はもう一口つくねを食べた。苦味が濃くなってきているような錯覚。情けなさが悔しさに塗り替えられていく。

 私が三浦部長の彼女だったら良かったのに。

「それに」

 三浦部長の答えを待たず、武田常務が言葉を接ぐ。

「先方は乗り気なんだよね。私が言うのも何だが、そこらの娘とは比べものにならないくらいいい子だよ。どうせ嫁にやるなら君にと思っていたんだがね」
「すみません」

 三浦部長が深々と頭を下げる様子が目に浮かぶ。私はつくねから目を離していなかった。

 ふっ、と武田常務が息をつく。そこに不快さは混じっていない。

「謝るくらいなら見合いをしてほしいんだがねぇ。あの子も君に会いたがっていることだし」
「お断りする前提で会うのはやはり誠実ではないので」
「うーん、困ったもんだね。一応訊いておくけど、出世に影響するかもって考えたことはないの?」

 私は武田常務を見た。

 真顔だ。口調は優しいのにむしろ怖かった。真っ直ぐに三浦部長を見つめ、その鋭い眼差しで彼を射貫こうとしている。

「考えたことはあります。ですが、私にはもう……」

 尻すぼみになって三浦部長の返事は最後まで聞き取れない。けれど彼にお見合いをする意思がないことはわかった。

 私は三浦部長へと視線を移す。

 よほど酔いが回りやすくなっていたのだろう、彼は顔が真っ赤だった。一瞬私と目が合って彼はさっと顔を背けてしまう。そのあからさまな私を避ける行為にちくりと胸が痛んだ。

 えっ、私ってそんなに嫌われてるの?

 思いの外ショックが大きくてその後の話は耳に入らなくなってしまった。
 
 
 
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