第40話 よし、ゲット!

文字数 2,945文字

「ヘマしてうちの会社に不利益を生じさせるような奴は処分されて当然だろ?」

 タヌキ、じゃなくて北沢副社長が笑みを広げながら同意を求めてくる。でっぷりとした身体を揺らしながらガハハと笑うと彼は私を指差した。

「お前さんも男を適当にあしらうくらいのことができなかったのかねぇ。そうすりゃ三浦部長も相手をぶん殴ったりしなかったろうに」
「……」

 いやらしそうに歪んだ口から発せられた暴言に私は絶句してしまう。どうしてここまで酷いことを言われなければならないんだろうと思うと同時に、そういえば副社長は決していい噂だけの人ではないんだったと思い出した。

 北沢副社長は愛嬌のあるタヌキ顔のお陰もあって良いイメージが強い。

 けれど彼は知略と策謀で副社長の地位に上り詰めたと言われている男だ。見た目に騙されてはいけない。

 ただのタヌキおじさんではないのだ。

 うん。

 今の今まで私も油断してたよ。

「処分と言われても」

 武田常務が苦く笑んだ。

「管理職は取締役会の承認がなければ解雇できませんよ。平社員にしても迂闊に首を切るような真似をしたら組合が黙っていない。前時代的なやり方は副社長が考えているほど容易に通じないんですよ」
「そんなもん自主的に辞表を書かせりゃいいだけの話だろ」

 わぁ、すんごい乱暴。

 何だか想像よりも粗暴な人だなぁ。

 私が呆気にとられていると北沢副社長は三浦部長に向いた。

「あれだな、いくら部下のためとはいえ取引先に手を上げるのは社会人としてやっちゃ駄目だろ。それともあれか? そんなに大事な部下だったのか? まさか惚れた女とかじゃねぇだろうな」

 副社長の口調は厳しい。

 聞いている私まで辛くなってくる。

 三浦部長が答えずにいると副社長がつまらなそうに鼻を鳴らした。やや大げさに彼は肩をすくめて見せる。

「おいおい、マジで惚れてるとかやめてくれよ。そんな糞みたいな理由で暴力事件を起こされたんじゃたまんねぇぞ」
「……」

 三浦部長の表情がさらに硬くなる。怒りを堪えているのか耳まで赤くなっていた。

 まあ、あんな言われ方をされたら誰だって怒るよね。

 しかも私に惚れてるとかあり得ないのに。

 ……ううっ、またセルフダメージが。

 ちくちくとした胸の痛みを私が感じていると、ちらりと部長がこちらを見遣った。

「彼女は大事な部下です。守るのは当然だと思いますし、やり方は間違っていましたが助けたこと自体に後悔はありません」

 パァンパァンパァンと北沢副社長がゆっくりと拍手をした。

 彼は丸い目を細めて嘲る。

「言ってくれるねぇ。いいのかな? お前さんのその立派な発言、俺しっかりと憶えちゃうよ?」

 武田常務の眉がピクリと動いた。

「品のないことをされてはいないでしょうね」
「はぁ?」

 北沢副社長が間抜けな声を発する。

 すぐに彼は武田常務を睨めつけた。

「舐めてるのか? 俺がそんな小細工をするようなつまんねぇ男だと思ってんなら表に出ろや。相手になんぞコラッ!」
「……」

 あれ?

 このタヌキおじさん、本当にカタギの人?

 どんどん巣が見えてきてるというか本性そっち方面だよね?

 ヤの字の人だよね?

 武田常務が言った。

「そうやってごまかしておきながら後でボイスレコーダーを出してきたことがありましたよね?」

 ちっと、北沢副社長が舌打ちする。しかし、彼は一瞬のうちに表情をにこやかなものへと変じた。

「よく憶えてるじゃねぇか。それやったの十五年くらい前だぞ」
「……」

 私は耳を疑った。

 え?

 このタヌキおじさん、そんな汚いこともするの?

「あのときはまだ副社長が社内環境部の部長でしたね」
「お前さんも第一事業部の部長だったよな。お互い偉くなったもんだ」

 にやり。

 北沢副社長の口が弧を描いた。

「ま、俺はお前さんよりもっと偉くなったけどな。誰が何と言おうとこの差はでかいぜ」

 武田常務が悔しげに唇を噛む。

 北沢副社長は愉快げにガハハと笑い、再度私と三浦部長を見た。

「てことでこいつらはクビだ。明日までに辞表を書かせろ」
「……もし断れば?」
「んなもん決まってるだろ、お前さんの管理責任も問いてやる。あれだぞ、取締役会への根回しなんて半日もあれば余裕のよっちゃんだからな」
「副社長ッ!」

 一際大きな声が室内に響いた。

 ソファーから立ち上がった三浦部長が北沢副社長を睨んでいる。イケメンの彼がこんな厳しい表情をすると普通の人よりも何倍も怖い。

 きっと五歳児なら泣く。

 わんわん泣く。

 というか私も泣く、かもしれない。

「ああん?」

 北沢副社長がこめかみをヒクリとさせた。

「なぁに人にメンチ切ってんだ? 自分の立場わかってんのかコラ」
「……」

 この会社、実は反社会的な組織がバックについてるなんてことないよね?

 まっとうな会社だよね?

 北沢副社長のガラが悪すぎて、私はついそんな心配をしてしまう。

 三浦部長が深く頭を下げた。

「会社に迷惑をかけた責任は取ります。ですから常務を責めるのはやめてください」
「そのセリフ、二言はねぇぞ」
「はい」

 部長の返事に北沢副社長が口の端を上げる。それが私にはとても邪悪なものに見えた。

 あ、駄目だ。

 このおじさんも嫌い。

 息しないで欲しい。

 北沢副社長が武田常務に勝ち誇ったような笑みを向ける。

「忠義のある部下のおかげで命拾いしたな」
「私は三浦部長の辞表を受け取るつもりなどありませんよ」

 武田常務の言葉はどうしても負け犬の遠吠えにしか聞こえなかった。

 私はいつの間にか震えていた自分の手を膝に押し当てて止める。酷く喉が渇いていた。

 思うより先にローテーブルの上の紅茶に手を伸ばした。喉を鳴らして冷めかけた紅茶を一気にあおる。

 カチャリと音を立てながら空のカップをソーサーに置いた。

 立ち上がる。

「待ってください」

 自分でも吃驚してしまうほど冷静な声だった。

「ヨツビシの件、何とかできたら処分を取り消してもらえませんか?」
「はぁ?」

 北沢副社長が目をぱちぱちさせる。

 意表を突かれたかのような面持ちで私を見ると彼は尋ねた。

「何とかって、お前さんにそんなことできるのかよ。それにどうしたって状況はこっちにとって不利なんだぜ? 何せあっちは暴力事件の被害者なんだからな」

 私だって危うく被害者になりかけたんですけど。

 という言葉はとりあえず飲み込んだ。

「ど、どうにかできたら私と三浦部長の処分はなしにしてください」

 ヨツビシをどうにかする方法はまだ思いつかない。

 けど、私は必死だった。

 必死でこのピンチを乗り切ろうとしていた。

 クビになんてなりたくない。

 三浦部長も辞めさせたりなんかしない。

 北沢副社長がものすごい目で私を睨んでくる。その視線だけで相手を殺しかねない威圧感だ。

 やっぱ本職は違う。泣きそう。

 いや本職じゃないかもだけど怖いものは怖い。

 私はお腹に力を込めた。怖いけど今はふんばらなければ駄目だ。私と三浦部長の未来がかかっている。

 あ、未来は大袈裟かな?

「……よしわかった」

 北沢副社長が口を開いた。

「そこまで言うなら三日だけ待ってやる。それまでに何とかしてみろ。できなければクビだッ!」
「ありがとうございます」

 よし、三日の猶予ゲット。

 北沢副社長に頭を下げながら私は胸の奥でそうつぶやいた。
 
 
 
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