第2話 付き合うって、どこに?

文字数 1,815文字

 終業後。

 私は三浦部長と会社の最寄り駅から二つ先の駅の傍にある映画館に行った。

 半年前に出来たばかりの映画館はまだ新しくリクライニングの機能のついた座席の座り心地も良かった。館内の広さはそれほどでもないが、観客の数も少ないためあまり狭苦しさは感じない。

 上映された映画はいわゆる恋愛ものだった。

 恋人同士ならきっといい雰囲気になれただろう。

 しかし、私と三浦部長はただの上司と部下である。いい雰囲気もへったくれもない。

 映画に対して素敵だなとは思うが隣にいる三浦部長に特別な感情を抱いたりとかはしなかった。

 薄暗い中で三浦部長がそわそわし始める。

 どうしたのかと半分意識を向けていると彼の手がこちらへ伸びてきた。

 え?

 え?

 え?

 頭の上に疑問符を並べながら手すりという境界線を越えて私の手に近づこうとする三浦部長の手を眺める。やや震えたその手は僅かな躊躇いを見せながらも確実にこちらに向かっていた。

 あっ、と私は理解する。

 だがそれは彼の勘違いだ。

 私はそっと教えてあげた。

「部長、リクライニングのスイッチは反対側ですよ」

 ぴたり、と三浦部長の手が止まる。

「ああ、すまない」

 ささやくような声で彼が応じて手を引っ込めた。ほとんど聞こえないくらいの音を鳴らして彼の座席の背もたれが傾いていく。

 あ、やっぱりリクライニングの機能を使いたかったんだ。

 三浦部長が私の手を握ろうとしたのではないかとちょっとだけ疑ったことが恥ずかしくなる。

 でもこれは恋愛映画を観ているせいだ、そうに決まってる。

 私がそう自分に言い聞かせていると三浦部長がぼそっと声を漏らした。

「チャンスだったのになぁ」

 ん?

 またも意味不明なことを言っている三浦部長に私は眉をひそめた。

 この人、ときどきおかしなことを口にするんだよね。

 大丈夫なのかな?

 *

 映画を見終わって近くの喫茶店に寄った。

 通りに面した窓側の席に私と三浦部長は向かい合って座る。

 映画を観てから彼は口数が減っていた。何かを自問するかのようにたまにブツブツとつぶやいていたけれど私にはよく聞き取れなかった。

 注文したコーヒーが運ばれ私が一口飲むと三浦部長がおもむろに言った。

「僕ももう三十五歳だ」
「はぁ」
「いつまでも独身というのもあれだしね、そろそろ身を固めてもいいかなぁって思うんだよ」
「……」

 どうしよう。

 全く話が見えない。

 困りながらも私は曖昧に微笑んでおく。たぶん引きつった笑顔にはなっていないはずだと思うものの今一つ自信は無い。

 と、とにかくここは上手く乗り切ろう。

 三浦部長はコーヒーに支線を落とすと短く息をつく。

 私は自分のカップに手を伸ばした。三浦部長の目がその動きを追ってくる。

 ゆっくりと彼の口が開いた。

「大野」

 私はコーヒーを飲もうと口まで運びかけていたのをやめる。ソーサーにカップを戻したときにカチャリと音が鳴った。

「あの、その、あれだ」

 仕事中はビシッと決めている彼が別人のようにもじもじとしている。正直気持ち悪い。

 私は不快さを我慢してたずねた。。

「何ですか?」

 うっ、と三浦部長が声を詰まらせる。

 彼は数秒黙ると乱暴に自分のカップを掴んだ。

 ゴクゴクとまだ醒めていないはずのコーヒーを一気飲みする。

 すごい。

 これ今度の新年会で一発芸に使えるかも。

 などと考えていると三浦部長がカップをソーサーに置いた。カチャリと立てた音がやけにはっきりと聞こえる。それだけ彼の見せた凄技が私の心を打ったのだろう。

「大野」

 三浦部長が私の目をじっと見つめてくる。

 その顔は少し赤らんでいた。そうだよね、やっぱりコーヒーが暑かったんだよねと私は妙に納得してしまう。

 彼はごくりと喉を鳴らしてから言った。

「付き合ってくれ」
「いいですよ」

 私は即答した。

 彼がびっくりしたように目を見張る。身を乗り出して彼は訊いてきた。

「いいのか? おい、本当に付き合ってくれるのか?」
「はい」

 そんなに驚くことだろうかと私は訝りながらうなずく。

 次はどこへ行くのかな。

 まあ、どちらにせよ仕事だと思えばいい訳だし。

 けど、退屈なところだったら嫌だなぁ。

「やった、やったぞぉーっ!」

 三浦部長がやけにハイテンションで喜んでいる。その姿はいつもとギャップがありすぎてかなり怖い。

 ああ、どうせなら美味しいものが食べられるお店に行きたいなぁ。

 引きつった笑いを浮かべながら私はそう思うのであった。
 
 
 
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