第46話 私をずっと傍にいさせてください

文字数 2,899文字

 最寄り駅の前で解散したとき新村くんに誕生日プレゼントを選びに行こうと誘われたけど私は丁重にお断りした。

 *

 翌日。

 アパートの部屋で出社の準備をしているとスマホが鳴った。

「もしもし、僕だ」

 三浦部長からだった。

 私が朝の挨拶をするより早く彼は言葉を接ぐ。

「今朝うちにヨツビシからの謝罪の電話が来た」
「えっ」
「君を連れ去ろうとしたあの男は処分される」

 私の想像の中で三浦部長がにやりとしていた。

「福西部長も降格は免れないそうだ。ヨツビシからのうちへの要求も全て撤回された」
「そ、そうなんですか」

 つい、間抜けな声になる。

 わあ、ネズミおじさん引責されるんだ。

 てか、何でまた急に?

 ヨツビシへの対策、昨夜話し合ったばかりだよね。

 私が疑問に思っていると三浦部長が言った。

「昨夜のうちにヨツビシのサイトに大量のクレームと密告があったそうだ。向こうの上層部が大慌てで火消しに回ったらしい」

 え。

 私は驚きのあまりスマホを落としそうになる。

 頭には一人の女性の姿があった。茶色い髪を細かなウェーブにしたスタイル抜群の可愛い子だ。目つきの悪さがちょいアレだけどそんなものは彼女の魅力の前では些細なことである。

 中森さん。

 うわっ、マジで怖っ。

 レディースも極道の女も目デューサもこれに比べたら大して怖くない。

 中森さんの真の怖さはお友だちネットワークを使えることだ。

 ネットの情報が武器だなんていかにも現代っ子ではないか。

「こ、これ中森さんの仕業ですよね?」

 私は念のために確認する。

 うむ、と短く返事された。

「たぶんな。まだ彼女に連絡がとれてないんだ。君からも連絡してもらえるとありがたい」
「はい、そうします」

 これでヨツビシの件は何とかなった。

 私はほっとして胸を撫で下ろしかける。

 ふとあることを思い、その手をピタリと止めた。

「部長の件はどうなったんですか。ヨツビシが何とかなったのなら部長の人事もどうにかできますよね」
「僕の件? それはさすがにすぐって訳にはいかないな」
「そんな」
「おいおい、話し合いをしたのは昨夜だぞ。それに僕は相手を殴っている。仮にクビを回避したとしても全て帳消しってことにはできない。何らかの処罰があって然るべきなんだ」
「……」

 え、それじゃ部長だけが処分されるってこと?

 確かに殴ったのは部長だけどそれは私を助けるためじゃん。

 納得できないよ。

 それにヨツビシの件を何とかしたら処分なしになるんじゃなかったの?

 約束が違う。

 たとえ口約束でも約束は約束じゃない。

「大野」

 スマホを片手に固まっていた私に三浦部長が声を和らげる。

「僕のことなら気にしなくていい。優子が時間を稼いでくれているし最悪の結果にだけはならないだろう。第二事業部には居られなくなるかもしれないがそれで済むのなら僕は受け容れる」
「いや、それじゃ駄目です」

 私の声が大きくなる。

「部長のいない第二事業部なんて意味ありません」
「……」

 今度は三浦部長が黙ってしまった。

 私は沸いてくる感情そのままに言葉を紡ぐ。

「私は部長のいる第二事業部がいいんです。そりゃ、部長に怒られたりお小言マシンガンを浴びせられたりよくわからないことをぼそぼそ言われたりするのは嫌ですけど私は部長の傍にいたいんです」

 一つ呼吸をし、続けた。

「部長は私たち営業部員のこといつも気にかけてくれてますよね? 私、カドベニのことしか知りませんけど部長ほど部下のことを考えてくれている人はいないと思います。そんな部長だからみんなついて行くんです。」

 私はどうにかして部長を鼓舞したかった。

 三浦部長は私を助けるために暴力を振るったことを後悔していないと言っていた。

 けど、内心では悔いていたのだろう。殴った相手にというよりも自分の行いで迷惑をかけた人たちに負い目を感じていた二違いない。

 だから処分を受け容れるようなことを言ってるんだ。

 でも、そんなの私は認めない。

 認めたくない。

 だって、ヨツビシのこと何とかしたんだもん。

 私と三浦部長の処分はなしになるでしょ?

 北沢副社長が裏で何をしていたとしても約束は守ってもらわないと。

 私は空いていた手をぎゅっと握る。

 言葉に力がこもった。

「部長、私をずっと傍にいさせてください」
「……」

 またも沈黙が帰ってくる。

 あ。

 その沈黙に私ははっとした。

 かあっと熱が顔に集まる。私はぱくぱくと口を動かしてから掠れるような声でさっき声にしたばかりの言葉に補足した。

「あっ、いえ。今のは変な意味じゃなくて部長の下で働いていたいっていう意味で」
「……」
「で、でも部長のこと嫌いとかそういうことでもないんですよ。むしろ好きというか」
「……」

 ちょっと、何か言ってくださいよ。

 どうして黙ってるんですか?

 とくんとくんと私の胸が鼓動を速めていく。エアコンの効きがあまり良くないため部屋の温度は低いはずなのに妙に暑かった。私は自分が赤面しているのを自覚した。

 こ、これって私が部長に告白したみたいになっちゃってるのかな。

 わぁ、やっちゃった!

 いくら何でもこのタイミングはないよね。

 あぁ、穴があったら入りたい。

 というかもう空間をぶち抜いて異世界に逃げたい。

「……」

 いや駄目か。

 異世界に行ったら三浦部長と会えなくなるじゃん。

 そもそも空間異動なんてできないし。

 ……って、私ちょい混乱してるよね?

 恥ずかしさでどうにかなっちゃってるよね?

 私がスマホを持ったまま床をごろごろ転がっていると部長が躊躇いがちに告げた。

「ぼ、僕も君の傍にいたい。ずっと一緒にいたい」
「……!」

 一段高く胸の鼓動が鳴り、ピタリと私は転がるのをやめる。自然と向いた視線は天井に取り付けられた照明に当たった。淡い光を放っているそれは寒色系のはずなのに私の心を暖かくさせてくれた。

 え……と。

 べ、別に他意はないんだよね?

 部長の言葉は異性に向けられたものというよりはあくまで部下に対してってことだよね。

 変な誤解や期待をしたら駄目だよね。

「……」

 ぼそぼそと声が聞こえてくる。三浦部長の声だ。こんな状況でも悪癖が発揮されるなんてなかなかにやってくれるなぁ。

「これプロポーズみたいになってしまったな。ヤバい、部下の女子社員をこんな形で口説こうとしてるって思われる。絶対気持ち悪がられる」
「そんなことないですっ!」

 受話口越しの声は私の耳に届いていた。聞こえていた言葉の内容に思わず私は反応してしまう。

「私、部長のこと気持ち悪がったりしません。大好きな部長にそんなことするはずないじゃないですか!」
「……大好き?」

 動揺したような三浦部長の声が尋ねてくる。

 はっ。

 私、また言っちゃった?

 これ、今度こそ告白したことになっちゃってる?

 私は自分が本当にやらかしてしまったのだと気づいた。

 意識してしまうと恥ずかしさで身悶えしたくなる。体温がさらに上昇し心拍数が急激に増した。

 とくとくと心音が耳の奥で響き、頭がくらくらしてくる。

「大野?」
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!」

 プチッ!

 羞恥に堪えきれなくなり、逃げるように私は通話を斬った。
 
 
 
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