第41話 そういえば今日は私の誕生日だった
文字数 2,706文字
お昼。
「わぁ、どうしよぉっ!」
私は自分のデスクで頭を抱えていた。
第二事業部のフロアには私しかおらず大声を発しても誰かに咎められる心配はない。私以外の外回り組は午前中から出てしまっているし、営業事務の子たちもお昼を食べに行ってしまった。私は電話番としてここに残っている。
ヨツビシ工業の件をゆっくり考えるために一人になったのだが一向に良いアイデアは思いつかなかった。
デスクの上のスマホはメモ帳の画面のまま止まっている。何も入力されていないメモ帳は私の頭の中を表しているかのように真っ白だ。何か浮かんだらすぐにメモしようとしていたのにただのバッテリーの無駄になっていた。
それでも私は椅子の背もたれに身を預けてうんうん唸ってみる。
まあ、唸って何か閃いたら誰も苦労しないよね。
私は観念してメモ帳を閉じた。それを合図にしたようにブルブルとスマホが震える。おおっ、ちょい吃驚だ。
優子さんからのメッセージだった。
すごいことになっちゃったね。
「ええ、すごいことになっちゃいましたよ」
私は嘆息して次の一文を読む。
私、たっちゃんの後任人事の件で北沢副社長に呼び出されたんだよねぇ。
「はあ?」
思わず目を丸くした。
いやだっておかしいでしょ。
後任人事って、まるで三浦部長がいなくなるみたいじゃない。
副社長言ったよね? 三日だけ待ってやるって言ったよね?
まだ三日経ってないよ?
というか一日だって過ぎてないよ?
それなのに後任人事の話をするって……。
驚きが私の中で怒りへと変わっていく。それは自分でも信じられないくらい激しかった。私の内側で何かが沸騰しているような錯覚さえあった。
きっと今の私は五歳児も泣くような顔をしているに違いない。
それもわんわん泣くくらいの。
「あの糞タヌキめぇ」
*
「大野」
一人椅子に座って自分のデスクを怒りに任せてドンドン叩いていると背後から声がかかってきた。
私はその聞き慣れた声にはっとする。
慌てて振り向くと武田常務と今後について話し合っていたはずの三浦部長がいた。
彼は今まで私がやらかしていた奇行を目にして苦笑している。細められた切れ長の目がどこか痛々しいものを見るようなものになっていた。
さて、どうしたものかといった雰囲気を滲ませて三浦部長はとりあえず場を仕切り直すかのように小さくコホンと咳払いをした。
私は恥ずかしさで耳まで熱くしながら口を尖らせる。
「じ、常務とのお話は済んだんですか?」
「ああ」
三浦部長が首肯する。
そこで私は彼が紙袋を持っているのに気づいた。薬局やパン屋のそれではない。紙袋に印刷されたロゴは私の手に到底届かないような高級ブランドのものだ。
記憶の端っこにあった思い出が少し前に三浦部長と行った高級ブランドのことを想起させた。まだそんなに日が経っていないのに随分と遠い昔のことのように思える。
年をとると日々の過ぎていくのが速く感じるって聞くけど、私そんなにババアじゃないよね?
否定したくなるのはやむなしだ。
「君、今日が誕生日だったろう?」
「あ」
そういえば今日は私の誕生日だ。
自分のことなのに完全に忘れていたよ。
まあヨツビシのこととかあったし仕方ないよね。
などと自分に言い訳していると三浦部長が紙袋を私に差し出してきた。
「受け取れ」
ややぶっきらぼうに言い、彼は私から中空へと視線をそらせる。ほんのりと顔に朱が混じっているのは何に対して怒っているのだろうか。
これ以上機嫌を損なうのはまずいという気持ちと部長からプレゼントをもらえる嬉しさで私の表情は奇妙なものになっていたはずだ。
せめてブス顔になっていないことを祈ろう。
私は椅子から立ち上がってプレゼントを受け取ると両腕で紙袋を抱いた。ふわふわとした柔らかさを紙袋を通して感じる。中身は何かな?
「部長、ありがとうございます」
「気にするな」
三浦部長の顔の赤さが濃くなった。
え?
私、何か失礼なことした?
それとも自分でも気づいていないミスをしちゃったのかな?
うーん、もしかして何の相談もなくヨツビシの件を引き受けたのがまずかったのかなぁ。
私はおずおずと訊いてみた。
「ええっと、部長私がヨツビシのこと何とかするって言っちゃったこと怒ってます?」
「別に怒ってないぞ」
その割に顔は真っ赤だ。
あと私と目を合わせようとしてくれない。
やっぱり怒ってるんじゃないかなぁ。
「よし言うぞ、今日こそ言うぞ。そんな場合じゃないかもしれないがそれでも言うぞ。いやむしろこんなときだからこそ言うぞ。一つ間違えたら次はないかもなんだからな……」
わぉ。
何だかよくわからないけど三浦部長がものすごい早口でブツブツ言ってる。
これ、聞き返してもいいのかな?
でも、ちょっと怖いなぁ。
私が迷っていると三浦部長の声がこつんと意識を叩いた。
「大野っ」
「ひ、ひゃい」
思わず変な声で返事してしまう。
三浦部長が私が知っている中でベスト5に入るくらいの恐ろしい形相で睨んできた。その視線は私を射貫くどころか焼き尽くさんばかりだ。
「ぼぼぼぼぼぼぼぼ……」
「……」
ん?
何これ?
私が内心で疑問符を浮かべていると三浦部長が一度言葉を切り、取り繕うようにコホンと咳払いした。
顔の赤みがますます濃くなっている。
人間ってこんなに顔を赤くできるんだ。
などと妙に感心してしまう。
「えっと、その、あれだ」
三浦部長が言い辛そうにしている。ああ、そういやこれ前にも似たようなことがあったよねと記憶を探るも私の頭では部長ほどのスペックがないからかいつのことだったか思い出せない。
「あの、部長」
私は訊いてみた。
「前にもこんなシチュエーションありましたよね?」
「……」
部長が俯いてしまった。
わぁ、耳まですごい赤い。
私、もしかしてとんでもなく部長を怒らせてる?
頭の中でもう一人の私が「全力で謝れ!」と訴えていた。北沢副社長のときとは別種のやばさをビシビシと感じる。
ぽそり、と三浦部長がつぶやいた。
「いっそ気づいてくれないかな」
「……」
言っている意味がわからない。
私が首を傾げていると三浦部長が短く息を吸った。ばっと顔を上げて私を見つめてくる。
その目には何かの決意。
私はつい吃驚して後ろに下がりかけたが真後ろにあった椅子に阻まれる。体勢を崩した私はそのまま椅子にストンと腰を落とした。背もたれがデスクにぶつかって音を立てる。
三浦部長が私を見下ろした。
「大野、僕は君のことが……」
「大野さんっ、クビになるって本当?」
何かを言いかけた三浦部長の声に重なるように新村くんの声が部内に響き渡った。
「わぁ、どうしよぉっ!」
私は自分のデスクで頭を抱えていた。
第二事業部のフロアには私しかおらず大声を発しても誰かに咎められる心配はない。私以外の外回り組は午前中から出てしまっているし、営業事務の子たちもお昼を食べに行ってしまった。私は電話番としてここに残っている。
ヨツビシ工業の件をゆっくり考えるために一人になったのだが一向に良いアイデアは思いつかなかった。
デスクの上のスマホはメモ帳の画面のまま止まっている。何も入力されていないメモ帳は私の頭の中を表しているかのように真っ白だ。何か浮かんだらすぐにメモしようとしていたのにただのバッテリーの無駄になっていた。
それでも私は椅子の背もたれに身を預けてうんうん唸ってみる。
まあ、唸って何か閃いたら誰も苦労しないよね。
私は観念してメモ帳を閉じた。それを合図にしたようにブルブルとスマホが震える。おおっ、ちょい吃驚だ。
優子さんからのメッセージだった。
すごいことになっちゃったね。
「ええ、すごいことになっちゃいましたよ」
私は嘆息して次の一文を読む。
私、たっちゃんの後任人事の件で北沢副社長に呼び出されたんだよねぇ。
「はあ?」
思わず目を丸くした。
いやだっておかしいでしょ。
後任人事って、まるで三浦部長がいなくなるみたいじゃない。
副社長言ったよね? 三日だけ待ってやるって言ったよね?
まだ三日経ってないよ?
というか一日だって過ぎてないよ?
それなのに後任人事の話をするって……。
驚きが私の中で怒りへと変わっていく。それは自分でも信じられないくらい激しかった。私の内側で何かが沸騰しているような錯覚さえあった。
きっと今の私は五歳児も泣くような顔をしているに違いない。
それもわんわん泣くくらいの。
「あの糞タヌキめぇ」
*
「大野」
一人椅子に座って自分のデスクを怒りに任せてドンドン叩いていると背後から声がかかってきた。
私はその聞き慣れた声にはっとする。
慌てて振り向くと武田常務と今後について話し合っていたはずの三浦部長がいた。
彼は今まで私がやらかしていた奇行を目にして苦笑している。細められた切れ長の目がどこか痛々しいものを見るようなものになっていた。
さて、どうしたものかといった雰囲気を滲ませて三浦部長はとりあえず場を仕切り直すかのように小さくコホンと咳払いをした。
私は恥ずかしさで耳まで熱くしながら口を尖らせる。
「じ、常務とのお話は済んだんですか?」
「ああ」
三浦部長が首肯する。
そこで私は彼が紙袋を持っているのに気づいた。薬局やパン屋のそれではない。紙袋に印刷されたロゴは私の手に到底届かないような高級ブランドのものだ。
記憶の端っこにあった思い出が少し前に三浦部長と行った高級ブランドのことを想起させた。まだそんなに日が経っていないのに随分と遠い昔のことのように思える。
年をとると日々の過ぎていくのが速く感じるって聞くけど、私そんなにババアじゃないよね?
否定したくなるのはやむなしだ。
「君、今日が誕生日だったろう?」
「あ」
そういえば今日は私の誕生日だ。
自分のことなのに完全に忘れていたよ。
まあヨツビシのこととかあったし仕方ないよね。
などと自分に言い訳していると三浦部長が紙袋を私に差し出してきた。
「受け取れ」
ややぶっきらぼうに言い、彼は私から中空へと視線をそらせる。ほんのりと顔に朱が混じっているのは何に対して怒っているのだろうか。
これ以上機嫌を損なうのはまずいという気持ちと部長からプレゼントをもらえる嬉しさで私の表情は奇妙なものになっていたはずだ。
せめてブス顔になっていないことを祈ろう。
私は椅子から立ち上がってプレゼントを受け取ると両腕で紙袋を抱いた。ふわふわとした柔らかさを紙袋を通して感じる。中身は何かな?
「部長、ありがとうございます」
「気にするな」
三浦部長の顔の赤さが濃くなった。
え?
私、何か失礼なことした?
それとも自分でも気づいていないミスをしちゃったのかな?
うーん、もしかして何の相談もなくヨツビシの件を引き受けたのがまずかったのかなぁ。
私はおずおずと訊いてみた。
「ええっと、部長私がヨツビシのこと何とかするって言っちゃったこと怒ってます?」
「別に怒ってないぞ」
その割に顔は真っ赤だ。
あと私と目を合わせようとしてくれない。
やっぱり怒ってるんじゃないかなぁ。
「よし言うぞ、今日こそ言うぞ。そんな場合じゃないかもしれないがそれでも言うぞ。いやむしろこんなときだからこそ言うぞ。一つ間違えたら次はないかもなんだからな……」
わぉ。
何だかよくわからないけど三浦部長がものすごい早口でブツブツ言ってる。
これ、聞き返してもいいのかな?
でも、ちょっと怖いなぁ。
私が迷っていると三浦部長の声がこつんと意識を叩いた。
「大野っ」
「ひ、ひゃい」
思わず変な声で返事してしまう。
三浦部長が私が知っている中でベスト5に入るくらいの恐ろしい形相で睨んできた。その視線は私を射貫くどころか焼き尽くさんばかりだ。
「ぼぼぼぼぼぼぼぼ……」
「……」
ん?
何これ?
私が内心で疑問符を浮かべていると三浦部長が一度言葉を切り、取り繕うようにコホンと咳払いした。
顔の赤みがますます濃くなっている。
人間ってこんなに顔を赤くできるんだ。
などと妙に感心してしまう。
「えっと、その、あれだ」
三浦部長が言い辛そうにしている。ああ、そういやこれ前にも似たようなことがあったよねと記憶を探るも私の頭では部長ほどのスペックがないからかいつのことだったか思い出せない。
「あの、部長」
私は訊いてみた。
「前にもこんなシチュエーションありましたよね?」
「……」
部長が俯いてしまった。
わぁ、耳まですごい赤い。
私、もしかしてとんでもなく部長を怒らせてる?
頭の中でもう一人の私が「全力で謝れ!」と訴えていた。北沢副社長のときとは別種のやばさをビシビシと感じる。
ぽそり、と三浦部長がつぶやいた。
「いっそ気づいてくれないかな」
「……」
言っている意味がわからない。
私が首を傾げていると三浦部長が短く息を吸った。ばっと顔を上げて私を見つめてくる。
その目には何かの決意。
私はつい吃驚して後ろに下がりかけたが真後ろにあった椅子に阻まれる。体勢を崩した私はそのまま椅子にストンと腰を落とした。背もたれがデスクにぶつかって音を立てる。
三浦部長が私を見下ろした。
「大野、僕は君のことが……」
「大野さんっ、クビになるって本当?」
何かを言いかけた三浦部長の声に重なるように新村くんの声が部内に響き渡った。