新生活

文字数 2,922文字


 小松さんのバーで働き始め5日間が経過した。苦労すると思っていた家出生活は、思いのほか順調でかなり快適な生活な方だ。明日から高校がまた始まるが、もう私には関係ない。学歴が中卒になってしまうことに後悔はしているが、ここでこうして過ごしていると、これからもなんとかなると思い始めていた。
 私は、慣れた手つきで仕込み作業をしていると、小松さんが出勤してきた。私が挨拶をすると、軽く挨拶を返してくれる。その様子から藤村さんのことをつい思い出してしまい、私は少し心を痛めた。
(もうだいぶ落ち着いたけど、まだ思い出すとつらいなぁ……切り替えて仕事しなきゃ)
 私は切り替えて仕込み作業の続きをしていると、小松さんが話しかけてきた。
「今日さ。人手足りてなさそうだからちょっと接客の方に入ってくれる?愛想よく客の話を聞いてもらうだけでいいからさ」
「え?はい。自信ないですがやってみます」
 今日初めて私は接客をやることになった。このバーはガールズバーであるため、接客をやるということは、話を盛り上げていく必要がある。今まで、そういったコミュニケーションをとったことが無いため、全くどうすればよいかわからない。
「不安そうだな」
 小松さんは私の様子を見てそういった。
「……今までやったことないので、全然できる気がしなくて」
「そりゃ、誰だってこの仕事はやったことない人ばっかだからな。だが、お前さんだったら人気が出ると思うぞ。実はガールズバーで人気の出るキャストの特徴は、聞き上手で教養がある人なんだ。お前さんの場合は、しっかり話を聞いて、思ったことを話せば問題ないだろう。変に意識するとうまくいかないと思うから自然体でやるといいだろう」
 小松さんのアドバイスを聞き、私は接客に対してのビジョンが少し浮かんできた。
「わかりました。やってみます」
「おう頼んだぞ。今日はいつもの2.5割増しで給料を渡すから頑張ってくれ」
 そう言って、小松さんは私に1万円を渡してきた。
「いいんですか。私がしっかり仕事をこなせるとは限らないですけど」
「いいんだよ。給料ってのは、実績が伴わなくても払われるもんだから受け取っておけ」
 そう言って、小松さんは強引に1万円を渡してきた。私はその勢いに押され受け取った。
「開店まであと1時間だな。まぁ、失敗しても俺が責任持つから安心してやるといい」
 小松さんはそう言うと、パーの開店作業に取り掛かった。私も仕込みの続きに戻った。

 *

 開店してから、客が少し入り始める。基本的に私はキッチンで作業をするが、キャストが足りなくなったら、接客をすることになっている。
 開店直後は、客が少なかったので私の出番はなかったが、しばらく経つと混み始めたので、小松さんの指示で私が出ることになった。
 私の初めてのお客さんは、小松さんより少し年上に見える男性だった。
 私は、先ほどアドバイスを受けた通り、自然体に近い感じで対応する。思いのほか、お客さんのノリがよかったので、こちらが聞き手に回っているだけで、満足してくれたようだった。
(意外にいけそうかも)
 接客が終わり、裏方に戻って一息ついていると、小松さんが話しかけてきた。
「お疲れ。いい感じだったじゃん。引き続き頼むよ」
「がんばります」
 私は水分補給をしてから、またすぐに接客へ戻った。
 その後も何人か対応して、特に問題なく話すことができた。
 そして、閉店の1時間前になった頃だった。
 中年の太り気味の男性が入店してくると、小松さんが慌てて対応し始めた。
「あ~どうもご苦労様です。いつもありがとうございます。本日はいかがなさいましたか?」
 いつも堂々としている小松さんが、低姿勢でその中年の男性を対応していた。
「今日は飲みに来ただけ。あれ、新しい子入ってるじゃない?」
 私と目が合うと、その人はそう言った。
「この子は、今週から働きはじめた子でして、普段はキッチンの手伝いをしてもらっています。今日は人手が足りなかったもので、接客の手伝いに入ってもらっておりました」
「そうかそうか。じゃあその子で頼むわ」
「いえ、今日初めてなのでご迷惑をおかけすると思いますので、他の子にお願いしますよ」
 小松さんはそう言うと、中年の男は不満そうに
「初めてだからいいんだろうが。分かってないなぁお前は」
「……すみません。準備いたしますので、奥の席でお待ちいただけますか」
 小松さんはそう言って、中年の男を奥の方へ案内する。そして、私の方へ来てから
「申し訳ないが、あの方の対応をしてもらえるか。あの方は、ここらへんではちょっと有名な人で、敵に回したくないんだ。本当は慣れている子に対応させようと思ったんだが、ダメだった。申し訳ないが対応してくれ」
 小松さんは頭を下げてそういった。
「やれるだけやってみます」
 小松さんには今までよくしてくれた恩もあるので、私はそれに報いようと頑張ることにした。
 そして、私は中年の男の対面に座ると
「初めましてお嬢ちゃん。名前はなんていうの?」
「舞佳と申します。本日はよろしくお願いします」
「舞佳ちゃんね。よろしく。礼儀正しいねぇ。いくつなの?」
「15歳です」
「へ〜。しっかりしているからもっと年上だと思ったよ」
 中年の男はそう言って、気味の悪い笑い方をして私のことをじっと見てくる。私は愛想笑いをしていると
「ねぇ、舞佳ちゃんは今まで彼氏とかいたことあるの?」
「いえ、いないです」
 そう聞くと、男はさらに口角を上げてにんまりとした笑顔になる。
「そうかぁ。なんでこんなところで働いているの?」
「両親の虐待で、家出してきました。それでここで引き取ってもらってます」
「それは大変だったねぇ」
 男は笑顔のままそう言った。その後も色々聞かれ、その中でセクハラまがいなことも聞かれたりし、正直気持ち悪かった。だが、小松さんのためにも我慢して、愛想よく対応した。
 そして、閉店の時間になると
「じゃあ舞佳ちゃん。今日は楽しかったよ。また近いうちに会いにくるね」
 そう言って男は席を立ち、小松さんの元へ行った。私は、机の飲み物や食べ物を片付けてから男が出ていくのを見送った。私はどっと疲れて休憩室の椅子に座ると小松さんが声をかけてきた。
「お疲れさん。対応してくれて助かったよ。だが、ちょっと厄介なことになりそうだ」
「厄介なことですか?」
「さっきの男がお前さんのことを気に入ったみたいで、明日個別で会いたいとのことだ。うちの店ではこういうことは断っているんだが、正直今回の場合は断れない。本当に申し訳ないが、行ってきてくれるか」
 小松さんは申し訳なさそうな顔でそう言った。
「わかりました」
 内心嫌な気持ちが強かったが、小松さんの表情を見て断れないと思いそう言った。
「ごめんな。実は昔に一度こういったことがあったんだが、その子は心が壊れてしまった。俺は守ることができなかった。もし嫌だったら今夜ここから逃げてくれていいからな」
「いえ、私なら大丈夫です。我慢するのは得意ですから」
 私はそう言うと、小松さん「ありがとう」と言って頭を下げた。私はこうなるのは仕方がない。自分が選んだ道はこういうものなんだからと割り切ることにした。
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