交渉本番

文字数 4,376文字

 夕食を完食した俺らは一緒に皿洗いをした後、食休みをしていた。
 俺はソファーに座り、安西は食事をしたときに座っていたテーブルの椅子に座った。時刻を確認すると7時30分。
「あと30分だな。何か不安に思っていることとかあるか?」
 俺はそう安西に確認した。
「……正直不安なことはたくさんあります。父親とあまり話したこと無いのでどんなことを話すのかとか、強引な手を使って藤村さんに危害が及ばないかとか……」
「強引な手か……確かにあの両親が2人がかりで俺を襲ってきたら対処しきれないかもな。そしたら今まで録音してきたデータも消されかねない。まあパソコンにバックアップ取ってあるから大丈夫だとは思うが……」
「私、怖いです。特に父親が何を考えているか分からない人なので」
 安西は不安そうな顔をしてそう言った。
「……1つ保険をかけておくか」
 俺はスマホを取り出し電話をかける。
「急に悪いな。昨日の件で1つ協力してもらいたいことがあるんだがいいか?」
『おう、いいぜ。そろそろ突撃する時間だな。何をすればいい?』
 電話に出た松本は協力を快く引き受けてくれた。松本には今日の昼に昨日の出来事を共有していたのであった。
「ありがとう。あと10分程で隣の家に行くつもりなんだが、その間お前と通話状態にしておきたい。あとその音声を録音しておいてくれないか?」
 『いいぜ。りょーかい。じゃあ準備するから一旦電話切るよ』
 松本がそう言うと電話が切れた。
「もしかして昨日言ってた友人の方ですか?」
「そうそう、今日会社の昼休みの時に昨日の出来事を報告しておいたんだよね。安西さんのことで相談に乗ってもらってたし報告しておくべきだと思ったから」
「いいですね……心強い友達がいるのは」
「そうだな……もう連絡を取るのはこいつくらいだけど、本当にいてよかったと思うよ」
 俺がそう言うとスマホから着信音が鳴り響く。
「おっ、早かったな。もう準備ができたのか?」
 『録音できているかテストしたくて電話したんだ。……よし録音できてそうだ。いつでもいけるぞ』
「ありがとう!またこっちからかけなおす」
 俺はそう言って電話を切った。
「じゃあちょっと早いけどそろそろ行くか。準備はいいか?」
「……はい」
 安西は緊張した面持ちでそう答えた。
(無理もない。これからの話し合いで自分の今後の人生が変わるかもしれないんだからな……)
 「よし行くか」
 俺も覚悟を決めて安西と一緒にリビングを出た。

 *

 隣の家の前に着き、俺は松本と通話状態にしておく。それからインターホンを押した。
「ピンポーン」
 インターホンが鳴り響く。昨日と似た光景で昨日のことを思い出す。少しの沈黙の後インターホン越しに声が聞こえてきた。
「鍵は開けてあるので入ってきてください」
 母親の声がして音声が途切れる。俺らは扉を開けてリビングへ向かった。
 リビングに入ると、父親と母親がダイニングテーブルの向かい側に2人並んで座っていた。俺らを見るなり、父親らしき人物がテーブルの前の椅子に座るよう促してきた。俺らは指示どおり手前の椅子に2人並んで座った。すると父親が話始めた。
「話は昨日妻から伺いました。まずあなたの要望は、安西舞佳をあなたの保護下に置きたいということで間違いないですか?」
「……はい、間違いないです」
 俺が答えると、続けて父親はまた質問をしてくる
「そうですか。未成年後見人制度についてはご存じですか?」
「はい」
「なら話は早いですね。私は裁判所から未成年後見人として認められており、その子を保護する立場に置かれています。ですので、あなたに保護する権利を譲渡するというのは簡単にできません」
「そうみたいですね。今の言い方だとあなた方は舞佳さんを以前のように保護したいということで間違いないですか?」
「そういうことになります」
 父親は当然といった表情で答えた。
(……勝負はここからだな)
「今度は私からお話させていただきますが、その前に1つお願いがございます」
「……なんでしょう」
 父親は怪訝な表情を浮かべる。俺はスマホを机の上に出し画面を表示した。
「現在このスマホで通話をしている状態になっています。私の友人につながっており、ここでの会話を録音してもらっています。第三者にこの話を聞いてもらうためです。よろしいでしょうか?」
「……お好きにどうぞ」
 父親は明らかに嫌そうな表情をするが、こちらの提案をのみこんだ。
「では話を続けさせてもらいます。まずは私が保護をしたいと言っている理由についてはお分かりになりますね?」
「……ええ、大体は」
 父親は明言を避ける形で答える。構わず俺は話を続けた。
「あなたの奥さんが舞佳さんに虐待をしているからです。このことについて私は証拠をいくつか持っています。それはご存じですね?」
「……そうみたいですね」
「なので、あなた方に舞佳さんをこのまま預けておく訳にはいかないです。なので、代わりに私が保護したいと思いますが、いかがでしょうか?」
「確かに妻が虐待をしていることは認めましょう。今回のことは妻も反省をしているのでこれから同じことが起きないよう私たちは努めていきたいと思います。ですので、今回は一度その子をこちらに返してもらえないでしょうか?」
 父親は頭を下げてこちらにそうお願いをする。母親もそれを見てから頭を下げる。
(これはあまり予想していなかったパターンだな。さてどうしたものか……)
 俺は少し頭の中を整理しなおしてから話始めた。
「……なるほど。わかりました。今の言葉が録音されていることを忘れないようお願いしますね。あとはこの反省を舞佳さんが受け入れるかどうかですね」
 俺は安西の方に目をやる。俺は安西にだけ聞こえる声で話しかける。
「これからどうしたいかは君自身で決めてくれ。俺は君の選択を全力でフォローするよ。だから後悔しないようにね」
「……はい」
 安西は決意を固めた表情で話し始めた。
「私はあなた方に引き取ってもらって感謝しいます。両親が他界して途方に暮れていた時、親族がだれも私を引き取ろうとせず私は絶望していた。そんな中あなた方は手を挙げてくれました。中々できることではないと思います。もしあの時、誰も引き取ってくれなかったら私はここまで生きてこられたかどうかわかりません」
 続けて安西は話す。
「なので、時に虐待を受けても仕方ないことだと思いました。世の中にはもっと不幸な人で溢れていて、その中では私は恵まれている方だと思っていました。ですが、今回藤村さんのような方に出会い、こんなにも優しくしてくれる家族以外の大人がいるんだなと感じました。そして、私は自分が今まで我慢をしてきたことに疑問を持つようになりました」
 安西は更に続けて言った
「私はあなた方とはもう暮らしたくはありません。先ほど言った通り感謝はしていますが、今では憎しみの気持ちがどうしても強いです。反省していようがもう関係ありません。私はもうあなた達と一緒にはいたくありません」
 安西がそう言い切ると、リビングに沈黙が流れる。父親母親ともに唖然とした表情をしている。
(まさかここまで直接拒絶されると思っていなかったんだな。俺もここまではっきり言うと思ってなかったし。よほど驚いている様子だな)
 俺はざまぁみろと心の中で思いつつ、話を再開させる。
「……ということなので、舞佳さんはあなた方の保護を拒んでいるみたいですね。ちなみに未成年後見人が子供の意思によって変更可能となる場合があるのはご存じですか?」
「……そうなのか?」
 父親は初耳だといった感じで答えた。
「まぁ後で調べてみてください。とりあえず舞佳さんの意思と虐待の証拠がある以上、あなた方が保護を続けることは無理ですね。未成年後見人は私が引き継ぎます」
「ちょっと待ってくれ。それは裁判所で虐待の証拠を提示するということか」
父親は焦った様子でそう聞いた。
「裁判所から求められればそうしますね」
 俺は端的にそう答えた。
「なんとか裁判所での手続きはやめてもらいたい。もし虐待が世間に明るみになり、私たち家族が報道されるようなことになったら私たちはもうおしまいだ。どうか許してくれないか」
 父親は再び頭を下げてそう懇願する。母親は下をうつむいたまま何も言ってこない。
「正直そのくらい痛い目にあってもしょうがないことをしていると思うのですが」
「頼む。せめて娘は巻き込まないでくれ。娘はまだ小学2年生なんだ。学校で虐められでもしたら一生ものの傷になってしまうかもしれない。娘だけでも許してくれ。な」
「……」
 俺は少し考える。確かに小学2年生の子供を巻き込むことには抵抗を感じる。
 答えに迷っていると安西が急に話始めた。
「やはりお前たち家族は最低の人間だ。結局世間体を気にする。自分が被害を受けることがわかるとなんとかして逃れようとする。私は逃げることもできずに暴力を受けるしかなかったというのに。しかも暴力を振るった当人は何も謝罪の言葉が無い。本当に反省しているのか分からないよこんなの」
 母親はなお下を向き続けている。それを見た安西は母親に鬼気迫る表情を向けて話し続ける。
「こんなんで許されると思うなよ。私は絶対にあなたを許さない。本当に情けない人だよあなたは!そうやって下を向いていれば時間が解決してくれるとでも思っているのか。でもよかった。今日でこんな屑とお別れできて。今後絶対関わらないことを条件に父親を未成年後見人のままにしておいてあげる。本当は嫌だけどもう裁判所とかでおまえ達の顔を見るのも嫌だから」
 安西は今まで蓄積していた怒りを吐き出すように言い捨てて下を向いた。
(もう目を合わせたくもないみたいだな)
 そこから俺は事態を収拾するため話始める。
「……私もあなた方の発言は人としてどうかと思うところはあります。正直一度しっかりと痛い目にあうべきだとも思います。ですが、舞佳さんがこう言っている以上私はそれに従おうと思います。未成年後見人は父親であるあなたのままにして私が保護する。これで私は裁判所には何も手続きしないということになりますが、どうでしょうか?」
「……えぇ、ありがとうございます」
 父親は観念した表情でそう答えた。母親は依然下を向いたままだが心底悔しそうな表情をしているのが垣間見える。
「それでは話はここまでですね。今後舞佳さんのことで連絡が必要になった時は私に連絡をしてください。携帯番号を伝えておきますね」
 俺は携帯番号をメモに書き机の上に置いた。
「私は自分の荷物を全部まとめてきます」
 安西はテキパキと自分の荷物をまとめ始めた。少し待っていると荷物をまとめた安西がこちらに来る。
 俺は机の上に置いていたスマホを回収してそのまま安西と一緒にリビングを後にした。 
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