異変

文字数 2,635文字


 俺は珍しく仕事が立て込み、18時30分にようやくひと段落がついたため、会社から出た。
 俺は真っ直ぐ家に帰り、リビングに入ると、舞佳が机の上に伏せるようにして、寝ているのを見かける。
(なんだ珍しいな。てっきりもう夕食作って食べ終えている頃だと思っていたが……)
 俺は舞佳に近づき、声をかけてみる。しかし、よく眠っているようで、舞佳からは反応が無い。眠りを妨げるのは気が引けたが、背中が汗で濡れた跡があり、このままでは風邪をひいてしまいそうだったので、再度声をかけてみた。
 それから何度か声をかけると、ようやく気付いたようで目を覚ました。明らかにいつもの様子とは違い、ぼーっとした表情で顔が赤くなっていた。俺は熱があるのではないかと思い、舞佳に断りを入れておでこに手を当ててみる。すると、明らかに熱を持っていることが分かった。
 俺は急いで自分の部屋から体温計を持ってきてリビングへ戻ると、舞佳が立っていた。気丈に振舞っているが、無理をしているのが伝わる。俺はとりあえず熱を測らないといけないと思い、体温計を渡そうとしたが、舞佳はそれを拒んだ。すると、舞佳はソファに倒れこみそのまま寝てしまったのだった。
(明らかに体調崩しているな。しょうがない。無理やりでも熱測ってみるか)
 俺は舞佳の脇に体温計を差し込み、熱を測る。ぴぴぴと音が鳴り体温計を確認すると『38.6℃』と表示されていた。
(やっぱり結構熱あったな。熱中症とかだったら大変だ。ひとまず夜間やっている病院に電話してみよう)
 俺はスマホで近くの病院を検索して電話をした。電話で症状を伝えると、今から病院に来るよう指示があったので、タクシーで病院へ向かうことにした。

 *

 病院で診断を受けた結果、夏風邪であることが判明した。原因として考えられるのは、気温の変化による自律神経の乱れや、疲れが溜まっていたことによる免疫の低下とのことだった。その診断を聞いていた舞佳は、不服そうにしていた。診察室を出た俺らは、病院付属の薬局に向かった。
「まぁ残念な気持ちは分かるがしょうがないよ。無理して北海道行っても、お互い楽しめないと思うから今回は中止にしよう」
 俺は言いづらいと思いつつも、そう舞佳に伝えた。それを聞いた舞佳は、下を向いたままだった。
(相当がっかりしている感じだな。……まぁあれだけ楽しみにしていたわけだし無理もないか)
 俺はここ最近、舞佳が楽しそうに旅行の準備をしていたのを思い出す。もし自分が楽しみにしていた旅行が、自分の体調不良のせいで行けなくなったことを考えてみると、がっかりするだろう。高校生の時なら、なおさらそう感じるだろう。
 俺はそんなことを考えつつ、舞佳の隣を歩く。特に話すことなく重たい空気のまま、薬局へ向かった。
 薬局で薬をもらった後は、すぐに病院を出て家へと帰っていった。家に着き、リビングで一休みする。
 舞佳も椅子に座っているが、相変わらず落ち込んでいる様子だった。
「そういえば舞佳も夕食まだだったよね?藤村家に代々伝わる体調不良の時に食べる料理があるんだけど、少し食べてみない?」
 俺は少しでも元気になってもらいたくて、そう聞いてみた
「……あまりお腹が空いてないですが、薬を飲まないといけないので少しいただきます」
 舞佳は依然として暗い表情のまま、そう答えた。
(なんとかして元気出してもらわなきゃな。よし!気合入れて作るとするか)
 俺はキッチンへ向かい、食材が足りていることを確認してから調理に取り掛かった。
 今回作るのは、卵がゆだ。だが、ただの卵がゆではない。藤村家では少しアレンジを加える。最初にフライパンで、細かく切ったネギを醤油で軽く炒める。次に鍋でおかゆを作ったら、先ほど炒めたネギを加える。更に生姜とかつおだしを入れて味を調えつつまた加熱する。最後にはちみつをほんの少し加えて、よく混ぜたら出来上がりだ。
(久しぶりに作ったけどなかなかうまくいったぞ。味も問題なさそうだ)
 俺は出来上がった特製の卵がゆをお茶碗に取り分けて食卓へ持って行った。
「お待たせ。藤村家特製の卵がゆだ。心して食べてみてくれ」
 俺は少しふざけてそう言った。
 舞佳は相変わらず暗かったが、少し興味を持ったようで、卵がゆを口に運んだ。すると、少し驚いた表情になりこっちを見てきた。
「おいしいでしょ!俺も体調不良になると、母親にこれをよく作ってもらったんだ。あまりにも美味しいもんだから、体調不良になっても少し得した気分になるんだよね。多めに作ったから、まだ食べれそうだったら言ってね」
 俺は自分の分をお茶碗によそい、舞佳の隣で食べ始めた。舞佳は少しづつ食べ進め、あっという間にお茶碗によそった分を完食した。
 舞佳は完食したお茶碗をじーっと見つめていた。
「もう少し食べるか?」
 俺がそう聞くと、舞佳はちょっと照れくさそうにしてお茶碗を俺に渡してきた。おかわりをご所望のようだ。
 (気に入ってくれたようだな。少し元気になったみたいでよかった)
 俺は一安心してから、先ほど盛った量と同じくらいの量をお茶碗によそった。舞佳はおかわりを食べ進め、あまり時間が経たないうちにまた完食する。舞佳はこちらを見て小さな声で
「あと少しだけ食べたいです」
 舞佳は下を向きつつ、俺にお茶碗を渡してきた。表情はよく見えなかったが、さっきまでの暗い表情ではないようだ。
(効果抜群だな。……よかった気に入ってくれて)
 俺はお茶碗におかわりをよそって、また舞佳の元に置いた。俺もおかわりをよそって一緒に食べ始めた。
 舞佳はおかわりした分も食べ終わり、処方された薬を一通り飲み終わったところだった。俺も完食して休憩していると、舞佳は静かに話し始めた。
「健さん、ごめんなさい。私が悪いのに不貞腐れた態度をとってしまって、嫌な感じでしたよね。せっかくの旅行を台無しにしてしまった自分が許せなくて、情けなくてがっかりしてしまいました。そこからなかなか立ち直れず、不快にさせる態度をとってしまいました。本当にごめんなさい」
 舞佳は涙ぐみながら何度も謝ってきた。
「しょうがないよ。俺だって逆の立場だったら、同じ気持ちになってたと思うし、態度にも出てたと思う。逆にそれだけ旅行を楽しみしてくれていたことが伝わって、俺は嬉しかったよ。だから気にしないで」
 俺は思っていたことを素直に伝えた。それを聞いた舞佳は涙ぐみながら「ありがとうございます」と小声で言った。
 
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