私の初恋

文字数 1,902文字


 今日はバーで働き始めて6日目、新宿にきてから初めての土曜日だ。
 目を覚ましたのは、11時過ぎ頃。バーでの生活で少し夜型の生活になり、今までのように早く起きれない。
 シャワーを浴びて、外の天気を見ると曇天が広がっている。ここ最近は天気が良かったが、今日は久しぶりに雨が降りそうだ。私は今日の予定を思い出す。あの中年の男と会う予定だ。小松さんからは今日は働かなくいいと言われている。だが、何かしてないと落ち着かなかったので、私はキッチンで仕込み作業をして時間をつぶすことにした。そうして時間をつぶしていると、小松さんがいつもの時間くらいに出勤してきた。小松さんは私の姿をみるなり
「仕事しなくていいって言ったのに。全くお前さんは」
 小松さんは嫌そうな顔をしながらも、どこか嬉しそうな表情だった。そして
「今日のことだが、17時に迎えにくるみたいだから準備して待っててくれ。あと、これ渡しておく」
 小松さんは、私にスマホを渡してきた。
「何かあったら俺に連絡をしてくれ。できる限り力になるから。あと、終わったらここに戻ってきてくれ。おいしい飯でも用意しておくからよ」
 小松さんはそう言い残して、店の開店準備をし始めた。私は小松さんに心の中で感謝をして、出かける準備をし始めた。
 約束の時間になると、店のインターホンが鳴る。小松さんがドアを開けると、昨日の男が立っていた。
 相変わらず不気味な笑顔で私のことを見ていた。私はかつて母親に虐待を受けていた時と同じように、すべてを諦め男についていった。
 店の前には車が止めてあり、男は車に乗り込むと
「ほら乗って」
 私に助手席に座るよう指示してきた。私は言う通り助手席に座る。そして、車が発進して新宿を離れていった。
 車に乗ってからは、男は自分の武勇伝を語り始めて、私はそれを聞いては褒めるようにした。しばらくすると、目的地に着いたようで車を駐車場に停めた。着いた場所は、高級な寿司屋のようだ。
「今日はここでご飯をたべよっか。お寿司は嫌いじゃなかったかい」
「好きですよお寿司」
「遠慮なく食べてね」
 男がそういうと、またにんまりと笑う。私も愛想笑いをして寿司屋に入っていった。
 寿司を食べている間も、男の自分語りは続き、いかに自分が凄いかということをアピールしているようだった。そこから、昨日同様にセクハラ紛いの話が混じるようになり、私は気持ち悪いと思いながらもその気持ちを抑え、しっかりと受け答えするようにした。
 そして、寿司屋を出てまた車に乗り込む。車に乗ると、男は私の手や腕をさすりながら
「ちょっと食休みしよっか」
 と言って、車を運転し始めた。移動中、赤信号になると、男は私の体のどこかを触っては
「いっぱい気持ちよくしてあげるね」
 と言って、隙あらばさわり続けてきた。そして、目的地に着いたようで、車を停めると男は
「じゃあいこうか」
 と言って車を出た。車を出てからは、歩きながら私のお尻をひたすら触ってきた。そして、頬や首筋にキスをしてきたりと行動がエスカレートしてきた。私は我慢していたが、ちょっときつくなってきていた。
(……このままこの人に何もかも奪われちゃうんだな。最初は健さんがよかったな)
 私は健さんのことを思い出し、泣きそうになりながらも、何も考えないように努めた。
 そうして、ホテルへと到着して、入り口がどんどん近づいてくる。その時だった。
 男がいる方と逆側の手が引っ張られて、体がそっちの方へ引っ張られる。私は驚き、引っ張られている側を見ると、見慣れた人が私の手を引っ張っていた。健さんだった。
「逃げるぞ。舞佳!」
 健さんは必至の形相でそう言って、私を引っ張っていった。中年の男は、「おいてめぇ。なにしてるんだ」と言って追いかけてくるが、足取りは遅くどんどん距離が離れていく。
 健さんは、止まっていたタクシーに乗り込むと、「最寄りの駅までお願いします」と運転手に言って、タクシーがすぐに動き始めた。後ろをみると、追いかけてきた男が悔しそうにこっちをにらめつけていた。
「健さん、どうして」
「ずっと探していたんだよ。ようやく見つかった。……すげぇ心配したんだぞ」
 健さんは怒っていた。今まで怒っていた姿を見たことなかったので、私はすごく驚いた。
「だって私は」
「ごめんな舞佳。後でちゃんと話そう。俺、舞佳に言いたいことがあるんだ。タクシーを降りたら聞いてくれるか?」
 健さんは真剣な表情でそう聞いてくる。
「……はい。聞きます」
 私はまだ状況を飲みこみきれていなかったが、また助けてもらったことがとても嬉しかった。
 私たちは最寄りの駅に着くまで、静かに過ごした。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み