第28話 第9回全日本ジャパントライアスロン宮古島大会 (1993年4月11日)

文字数 702文字

★「東急リゾートホテルで会いましょう」

4年連続の「宮古島」は日程が例年より2週間早くなったところにもってきて、1月中に2回風邪をひいてトレーニングをたびたび休んでしまった。
今思えば、疲れと「花粉症」事始めだったのだろう、この後毎年「宮古島」準備練習ではスギ花粉に悩まされることになる。そのころ花粉症のため「宮古島」申し込みを止めた仲間も何人かいたほどだった。
トライアスリートはいつの時代も何事にも先進的だった・・・・花粉症にも?
残された2月、3月の2か月に練習を集中した記録が残っている。


そんな中でも長男が大学入学した機会に、グアム家族旅行を3月末に強行した、
家族だけの旅行は最後になるかもしれないと思った。
実際 ファミリーが飛躍していく時期になっていた。


僕の生活のパターンでは4月末 宮古島に行くのはもはや恒例の行事になっていた。
そのころ SUB3の仲間が宮古島に移住していた、彼もトライアスロンに魅入られた一人だった。平良市内のスポーツショップに勤めながらトライアスロンを極めようとした、すぐ彼は宮古島チャンピオンになった。彼の仲介で宮古島トライアスロンクラブとの交友会を持つこともできた、早い話が「泡盛のお通り」、飲み会だった。
「うなぎ太陽」、「金太郎寿し」などのトライアスリート御用達のお店を訪れ地元に友人ができてきた。宮古島コネクションが構成されつつあったが、肝心の競技パフォーマンスは伸びなかった。




総合222位、エイジグループ17位。

実は1993年は悲しい一年、激動の一年になる、この宮古島の後。


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