第7話 天草トライアストン大会 (1987年10月11日)

文字数 1,131文字

★「シェイプ・オブ・ウェイブ」

トライアスロンは、もともと 《おかしな人たちのスポーツ、Xスポーツ》の一つとして位置付けられていた歴史がある。裏を返せば危険なスポーツであり、2018年現在でもレース中の不幸な事故を根絶できないでいる。一番事故の多いパートが「スイム」、海でのスイムは事故対応が難しい、そして事故は死につながる場合が多い。
レース日の天候を選ぶことは誰にもできない、海が荒れたときどう対処するか?
そのいい例だったのがこの天草大会だった。
当日は嵐だった、強い雨と風そして海は大きな波が立って押し寄せていた。


波の高さを実感した・・・・3メートルぐらいだったと後から聞いたが海中に入るとその高さは「山のよう」だった。
コースの先が見えない、ロープもブイも見えないただ山のような波だけが襲いかかってきた。
もともとスイムは苦手(ついこの間まで泳げないに等しかった)、くわえて鎖骨骨折から6か月でスイム練習不足だった、この時は。
大波にいいように僕は翻弄された、波を見て恐怖心からついクロールを平泳ぎに変える。
そうすると体は波に持ち上げられて波のてっぺんまで、そして谷に落ちてゆく。
この繰り返しでは全く前に進まない、海水を飲んでしまう・・・そしてパニック。
レースの安全のため、特にスイムパートにはライフセーバーがボードに寝そべって監視してくれるのだが、ライフセーバーたちも浮いたり沈んだりしている。
僕がどうしていいか途方に暮れてバタバタやっていた時、一人のライフセーバーが近寄ってくる、
「どうしますか、リタイア ですか?」
一瞬 「はい、します」といいそうになったが躊躇する。
ライフセーバーが恐ろしいアドバイスをする・・
「折り返しまで行くと帰りは楽ですよ、速いし」。

僕はその時ほとんど溺れかけていた、精神的にも。
だが希望の力は大きい、「折り返せば楽」の言葉を頼りになんと片道750メートルを泳ぎ切った。確かに帰りのスイムは往きより楽だった記憶がある、スイムフィニッシュ52分!
(そのころ練習では35分で泳いでいた)。

このトラブルのポイントはテクニックの欠如、高波の泳ぎ方を全く知らなかったからだ。
チームターザン仲間である桜田選手から、あとでそのテクニックを教わった、
「波の下に入り、波の中を泳ぐ」だった。
後に何度か遭遇する高波のレースでこのアドバイスは役に立った、面白いように波の中を進むことができた、しかしそれはずっと後のことになる。


3時間3分11秒、総合411位。


     
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