第48話 ’99佐渡国際トライアスロン大会 (1999年9月5日)

文字数 1,799文字

★「ナルシスト 復活の日」



最初に「秘話」を明かしておく。
レース前日、朝食後から下痢が始まり夕食もほとんどとれないままレースの朝を迎えた。
通常トライアスリートはカーボローディングと称してレース直前、大量の炭水化物を摂り続ける、エネルギー切れにならないために。
その朝には、何とか切り餅4切れ、おにぎり2個を食べたが、いつもの十分の一といって
もおかしくないほどの小食だった。
下痢の原因は、TV取材の疲れとプレッシャーを原因とする精神的なもの・・というドラマチックなものではなかった。
中国(旧満州)旅行の際に強烈な下痢をともなう腹痛に襲われ2日間飲み食いができなかったのはつい3週間前だった。その時と同じような症状だったことから、その再発だったと思っている。

しかし、大勢のTV取材班をみて逆に精神的には引き締まったのだろうか、
または もはや引き返せないと悟ったのか、体の不調を無視してスタートした。


スイム、バイクを抑え気味にしてランでは颯爽と風を切り、さわやかにゴールして復活を訴える・・・という僕のレースイメージだった。


スイム、バイク中盤までは想定通り、しかし難関の小木の坂あたりからあの「熱中症」の兆候を感じる、このままだとバイクで終わってしまいそうな恐怖に駆られる、DHポジションも捨ててひたすら体力温存のバイクに変えたが、カーブで曲がり切れずプラコーンにぶつかるくらい、体は消耗していた。


ランスタートの時、もはや走ることはできないと思いながら、それでも4.5㎞地点まで走るふりをした。そこからはもうどうにも体が自分の意志通りに動かなくなった、歩くのも精一杯。
折り返しで妻・父の応援があった、少し元気を取り戻し走り出したが途端に今度は嘔吐してしまう。
今までであれば、レースをここでやめた。
これ以上無様な姿をさらすことはナルシストが許さなかった、スマートに消え去るのみだった。しかし、エイドステーションンで地元ボランティアの手厚い介抱を受けるうち、このレースの意味を思い出す、いまさらながらだが。
トライアスロンに復帰することは、癌に勝つこと、それは僕を支えてくれるすべての人たちに応えることを思い出す。
歩いてゴールを目指すことは恥ずかしくも悔しくもないことに気付く、ゴールにたどり着くことがこれほどまでに大切なことにも。
僕はTVクルーを引き連れて、歩き 歩きつづけゴールした。




ゴールすることは自分の魂の満足にとどまらず、飾りのない自分を素直に表現することだった。
今まで感じたことのないトライアスロンの真実に、いやスポーツの真実に触れた。
新しいナルシストの誕生、もしくはナルシストの復活だった。

【エピローグ】

NHK BSスペシャル番組「家族に贈る父さんのチャレンジ宣言 3作」の
第3話「鉄人レース”完走”に賭けたがん克服の願い」は10月27日放映された。
NHKからは映像はもとより内容も一切教えてくれなかったので、当日は神妙にTV画面の
前で待っていた。22:00のスタートと同時に、物語に我を忘れて没頭してしまった。
自分のことなのにどこか遠くの他人のお話しのように思い、おかしなことに感動してしまった。あれだけ撮影した映像はほとんど使用されていなかった、SUB3の仲間たちは皆お蔵入りだった。
テーマは夫婦愛に絞り込まれていた、「僕と妻と癌の克服」にまとめられトライアスロンは背景になっていた。
画面には太っ腹妻の大きな笑顔が輝いていた。
最初は、家族(子どもたち)の思い出として残ればいいと考えてお受けした番組出演だったが、友達からの暖かい反響に驚いた。
そういえば「癌」のことはほとんどの人には知らせていなかった、みんな心配してくれた、
嬉しくて申し訳なくて少し腹立たしかった。
腹立たしかったというのは、もっともっと健康に気を付けなければいけないのに、その自覚ができていなかったから、まだ自分のことばかり考えていた。
これからは、周りの人たちが楽しく幸せに感じるように生きていくと決心した。  
 




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